2011年3月に発生した福島原発の事故発生後、現在も仮設住宅等での避難生活を強いられている被災地の方々の状況をお伝えすると共に、支援の呼びかけなどを行わせて頂いております。


by momofukuoka
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〈福岡百子は、体調の許す限り被災者と対話をし、その声を世の中に伝えていきたいと望み、ツイッターで被災者の声をつぶやいております。ツイートの中から被災者の声の抜粋をご紹介します。ツイッターアカウントは「もとシスター人生体験」です。また支援者の一人が、福岡百子が語る福島の現状を海外に伝える動画をYouTubeにアップしています。そちらもご覧下さい。〉https://www.youtube.com/watch?v=9Y47k_hmFnk
 
 
【被災者の声】
6月8日 福島被災者からの電話が私宅に最近よく来るようになりました。「川内村に帰ったけれど話す人がいなくて寂しくてたまらない。声を聞きたくて電話しました。」「何もする気がおきなくて、疲れて体も動かない、毎日テレビを見てるだけ、テレビを見てても頭に入って来ない、ぼ~と毎日してるだけ」「3ヶ月入院して、2日前に帰って来ました。淋しかった、声を聞きたかった、意識を失っていたのを隣の人が見つけたらしく救急車で運ばれて病院のベッドに寝てて、初めてベッドに寝てる自分に気がついた。このまま死ぬかと思った。入院中寝ながら災害の時からお世話になった皆様を懐かしく想い感謝した。あの時を思うと涙が出てくる。今家に帰って1人です。あの時死んだら良かったのに。又、生きてしまった。声を聞いて、頑張ろうと思う。頑張るね」「国も町も、それは決まったという。 決まった事であっても住民から意見が有ったら、再検討して欲しい。聞く耳を持たない!」
 
6月9日 天皇皇后両陛下が今、福島の被災地を訪問しています。 私は思い出します。2011年に津波で亡くなった方々を。 原発の放射能で汚染された福島原発被災者の方のご遺体は、 立ち入り禁止区域とされて数ヶ月間ご遺体探しに入れませんでした。許可が出て、 祖父と孫を探しに行った方が見たのは、「無残にも ご遺体がミイラ化されて自宅の塀にへばりついている祖父と孫の姿でした。」 原発の悲惨さは、後悔ではすまされない多くの犠牲を歴史に刻んで残しています。今迄の年月だけでなく、これから先、何百年も多くの人に傷をつけ続け、被災者達だけでなく日本全土、世界全土を汚染し続け、自然破壊だけでなく、文明、発展という言葉に踊らされて[心]まで破壊されて行っているようで、私は恐ろしくてなりません。
 
6月10日 昨夜遅く 葛尾村の 被災者から メールがありました。「今月に入って5名が亡くなり、今日も葬儀場から帰ってきたところでした。明日の植樹祭をキャンセルしていたのでお焼香できました。」被災者方は毎日のように 仲間、身内の死者が多く、留守の時は大抵、お通夜か葬式です。楽しい事、嬉しい事が少なく、辛い事、悲しい事 の明け暮れ。その中で必死に耐えてる被災者。これではいくら元気な人でも、病に倒れるのは当たり前ですよね。 電話をすると被災者ほとんどの方が入院した、手術した、死ぬかと思った、との答え。これが被災者の今の現実です。昨夜電話がかかってきた方にもう葬儀が終わったかと思い、再び電話しました。「今、お通夜に向かって運転中です。 明日もまたお通夜です。昨日も今日も毎日お通夜です。このところ突然死が多いです。脳梗塞とか心筋梗塞とか。」
 
6月28日 相馬市の方です。「自宅は高台に在って、津波をかぶってしまったが、住めると思ってありったけの貯金をおろして自宅をリフォームしました。 しかし町には誰も帰って来ないので店も何も無いので生活できない。やむ無く千葉に自主避難した。 自主避難で福島県から出たので支援は何も無い。自宅の土地は買ってくれる人もいない。やむなく処分するため市から買ってもらった。 98坪の土地も家も300万で終わった。 全ての預金をおろして津波後、リフォームした家と先祖代々の土地と財産。 無念でなりません。 2年前に住民票を千葉に移し、やっと近所の人との付き合いに入れてもらえました。 災害からの6年間。 辛くて 苦しく孤独な毎日でした。」
 
大熊町の方。「息子が2年半前に亡くなったけれど、大熊は放射能が高いのでお墓に入れない。部落の区長に言えば、人は放射能で墓参りは行けないけど納骨は出来ると言う。草ぼうぼうで人が行けない所に息子だけを墓に入れて置くのはしのびがたい。だから、私の枕元にお骨箱を置いて私は寝てる。毎日枕元に置くお骨を見ては、可哀想な、誰にも看取られず1人で亡くなった息子を思い、泣いてます。」私は毎年お盆になると、高野山の桜池院の住職に頼んで被災者のご供養を頼みます。昨年は66霊のご供養を頼みました。今年も頼むつもりです。被災者は「安堵した。初めて休めると言います」
 
7月2日  葛尾村の詩人、 小島力さんの寄稿詩から紹介させていただきます。 「1年刻みの」 年間被ばく線量量の限度を、 1ミリシーベルトから20ミリシーベルトに引き上げて、 高濃度の汚染地帯に、 家畜のように追い込まれようとしている、 原発事故被災者。賠償さえ打ち切りにすれば、「後は野となれ山となれ」、 だとしたら被災者は、 裸で捨て置かれるのと同じではないか。 例えば避難指示を解除しても 例えば避難指示の解除を、 1年刻みに先延ばししても、 そこから先の将来は、 まったく見えない、 応急仮設住宅の貸付期間も、税金や医療費の免除も、 そして高速道路の無料期間まで、 何もかにもが1年刻み。 原発事故の被災者は、 くらしの先行きを断ち切られ 細切れの未来しか与えられない、 期限付きの細切れ人生が果たして人生と言えるか。 切れっぱなしの閉ざされた暮らしが、 果たして人間の暮らしと言えるか。果たして俺たちは、 本当に人間であるのか、 気づいてみたらそんな保証はどこにも見当たらなかった。 ([ふあ~む庄野]2016.2.25引用。『避難解除へ抗する詩』3篇)
 
2016年 小島力さんの年賀状から。「原発事故の後始末すら満足にできていない今、加害者が一方的に避難指示を解除し、加害者が勝手に賠償を打ち切るというこの国は、『切捨て御免』の江戸時代とどこが違うのでしょうか。」
小島力さんの著書紹介 『詩集 わが涙滂々 原発にふるさとを追われて』 西田書店 定価1400円+税
 
 
【今朝みた私の夢】
7月4日 私は疲れ果て体も心もぐったりして歩くのもやっと、顔は艶も無く、笑も微笑みも消えた哀れな顔の私でした。長い旅の最後頃にたどり着いて気がついたらある場所に私は入り込んで居ました。そこは大きな全寮制の学校のような大きな会社のような、それぞれに役割を持って働いていて1人1人顔が輝き、幸せいっぱいで、優しく暖かく、どの人に会っても柔らかい雰囲気で私に向き合い、心から接してくださいました。よく視ると、両足が無い課長さん、お1人お1人お体のどこかが欠けたり、悪かったりしてます。しかし誰からもそのことは気にならず忘れて向き合います。私に話しかけてくれた言葉を聞く度、私の古い深い心の傷が1つ1つ癒されて行きます。笑いを忘れてた私、悲しみ苦しみ痛みで微笑みが消えていた私、苦しみが1つ1つ剥がれ、深い傷が癒されて行きます。「ああ、 私は此処にいつまでも居たい、離れたくない!」この世にこんな所が在ったんだ。
 
十字架の道行きに会いました。「あっ、キリスト様の道行だ!」 よく視ると、 行列の先頭は1人の女性です。その直ぐ後ろにキリスト様がついて歩いてます。 女性の顔もキリスト様も穏やかな優しい幸せそうな表情で十字架を担いでおられました。( 目覚まし時計で目が覚めました。 しかしこの夢はしっかり私の心に残りました。神様からの啓示のように思いました。「私の元に来なさい。わたしが休ませてあげよう!」どなたも心病み傷ついています。顔はやつれ心身の艶は失っています。重い十字架を背負っているのはあなた、その直ぐ後からキリスト様が 支えています。 重いけど キリスト様と一緒に笑いましょう。今朝の私が観た夢で悟った事を皆様にお伝えすべきでした。私がたどり着いて癒された大きな会社。それは神様が私達に望まれた本来の地球のあるべき姿、このように[愛と癒しに満ちた人間界にしてください]と。それを目覚めた瞬間に私が悟った事でした。皆様、よろしくお願い致します。
by momofukuoka | 2018-07-10 08:02 | 福島の被災地の現状