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2011年3月に発生した福島原発の事故発生後、現在も仮設住宅等での避難生活を強いられている被災地の方々の状況をお伝えすると共に、支援の呼びかけなどを行わせて頂いております。


by momofukuoka
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カテゴリ:福島の被災地の現状( 76 )

福島の現実

桜前線と共に、皆様は春の訪れを感じ、桜の花を観ながら心幸せに和やかにお感じになられました事でしょうね。桜の花、不思議なものですね。どうしてこんなに美しいのでしょう?軟らかなピンク色、穏やかで物静か、どの花びらも自己主張することなくみんなが1つになって控え目に寄り添って支えあっている。つぼみが膨らみ始めた時から満開になって、花弁がハラハラと散り始め、葉桜になってもなお、桜は私達の心を虜にしてしまう。私も桜のような人間になりたいな、と桜を観ながら思いました。
 
さて、今日も[福島の今]をお伝えさせてくださいませ。
 
 
年号が[令和]になりつつ有る今、福島原発被災者の皆様の殆どが[最も過酷な現実の日々]を迎え、過ごして、希望を失い、過酷な残酷な状況です。
 
日本の皆様はどれだけ福島原発被災者について知っておられますでしょうか?関心を持っておられるでしょうか?新聞、テレビ、マスコミ界でも、国会でも取り上げなくなりました。
 
環境省では「20Msv迄除染したから安全なので解除宣言しました。安心して帰って自分達で開墾して街作りをしてください。お金は自分達でやりくりしてください。田畑の開墾、豬駆除、家の建築代も自分達で工夫してください。20km内はお金を出すが20km以上はお金を出しません。もう仮設は閉鎖です。壊します。住む家は自分達で探してください」
 
これが福島原発被災者の現状です。オーバーではありません。現実です。
 
 
*[川内村](89才、女性、1人暮し)「我が家は原発から30kmです。だから賠償金は何も無い。地震で家は傾いて2階の戸は開けられない。曲がった家は直しようもない。1階も2階も太い木で持ち上げてつっかえ棒している。雨も漏っている。障子も滲みて、張り直しをした。唐紙1枚5000円、屋根に上って直して貰った、大工に40万円払った。年金みな使って終った。今も傾いて雨漏りする家に住んでいる。税金も払わなければならない。
 
国民年金が私の全て。5万円弱で、光熱費、税金、病院代、残るお金は僅かです。これで生きて行かねばならない。昔は毎日田畑を耕し、野菜を作り、山菜を食べてたので食費はかからなかった、しかし今は何でもお金がかかる。災害があってから8年も仮設で暮らし農業から離れて動かなかったので体はすっかり弱ってしまった。災害があって最初に避難したビックパレットでは何百人も重なって寝ていた。床はタイルだったので段ボール1枚の上に冬なのに毛布1枚。寒くて震えていた。毛布1枚だもの。あの姿を、見せたかった。ホームレース以上だった。固いおむすび1個、固くて食べられず水ばかり飲んでいた。
 
トイレは2階に2つしか無い。避難所で死んだ人は何人もいた。今、壊れた家に1人で住むなら、最初から避難せず家に居た方が良かった。田畑も在るし、ゆったり寝れた。避難生活で体も崩す事も無かった。今、川内村に帰ったけれど、ほぼ毎日人が亡くなっている。若い人も亡くなっている。家の建て替え?そんなお金など私には無い。」
 
上記は被災者の生の声です。
 
 
「国際法では放射線量を浴びて良い年間放射線量は1Msv迄でそれ以上は体に影響を及ぼすので立入り禁止区域にしなければならない。人は住んではならない。」と言われています。
 
しかし今の日本政府は国連の再三再四の警告を無視して、立入り禁止区域の帰還困難区域を年間20Msv迄下げさせ、「安全だから帰って良い」と強引に解除宣言して福島被災者を放射線量の高い所に帰そうとしています。しかも生活環境を整えているわけでもなく、酷い所はフレコンバック(各地から集めた汚染土を入れた袋)の中から線量の低い土を被災者の農地に穴を掘って埋め、30㎝の土でそこに土盛りをして、「放射能には半減期があり年数経てば無くなるから安全だ」と言って、被災者に[復興の町造り構想]と題して帰還することを盛んに勧めています。
 
フレコンバックが埋まって土盛りした所に野菜を作ったら、野菜の根は30㎝以上土深く伸びて被災者は放射能に汚染された野菜を食べる事になるでしょう。被災者の健康に政府は責任を持たないのでしょうか?
 
知って知らぬふりするのが今の日本の政治家なのでしょうか?被災者は言います。「政治家の皆さん。2週間ここに来て住んで生活してみてください。体験すれば解ります。体験しないでどうして解るのですか?」「ここに住んでください。と言われたら、あなたは果たして住むでしょうか?田畑が荒野、イノブタが多量発生、大きなスーパーも病院も無く不便で仲間も居ない寂しい所に。」
 
東北、雪国の福島人の特長は無口が多く、苦難には黙黙と耐え、自分の苦しみを他人に話す人は少ないです。だからと言って善良で素朴な東北の福島の人を、非道な扱いを平気で政府は押し通すのでしょうか?
 
「これ以上福島の人を苦しめないでください。彼達はどんな悪いことをしましたか?むしろ関東の人達の為に土地を東電に提供してくれた恩人でしょう?恩人を何故救わないのですか?使い捨てですか?観て観ぬふり、知って知らぬふり」あまりにも悲しすぎる日本です。
 
 
SNS.2019年4月1日の[公明党のニュース]から引用させていただきます。
 
[大熊町解除地区、大川原地区と、30平方km分、町の総面積約79平方kmの38%、 住民登録は 計 140世帯 ( 374人)と 町全体(10367人)の 3.6%(2月末現在)。 もともと町の中心部は帰還困難区域、しかし大川原地区を「復興拠点」と位置づけ、゛ゼロから出発〟を期す。今すでに町役場の新庁舎が完成し、3月14日に開庁式 を行う予定。 災害公営住宅の整備も進み6月~第1期分50戸への入居も始まる。 3月31日には 常磐自動車道の大熊インターチェンジも開通し、 これに合わせて国道6号や大川原町地区につながる 県道、町道の 通行規制も除染された 。一部解除はゴールではなくスタートである。」
 
 
被災地を訪問した人の言葉です。「今でも常磐道の双葉町、大熊町を通る時、放射線量の測定機がピーピー鳴るので体は硬直します。矢張り怖いですね」
 
「2年後にオリンピックの聖火は福島から出発するのですよ。大丈夫でしょうか?」
by momofukuoka | 2019-04-04 06:06 | 福島の被災地の現状

福島の現実

ようやく暖かな春の陽射しが嬉しく感じられる様になりました。
 
冬の寒さで 身も心も縮こまっていた私達です。
 
暖かな太陽に向かって 両手を広げ 大きな深呼吸を 何度もし、 新鮮な空気とエネルギーを 沢山貰って 元気な良い一日を 始めましょう。
 
今日も[福島の今]を語らせてください。 皆様 福島に関心を 寄せてください。宜しくお願い致します。
 
[南相馬小沢地区]
農業の盛んな小沢地区は 、 町を上げて 農業の大企業化を 目標に 国から50億円の 貸付し、着々と計画は進み、これから各自に配区分する寸前に 津波が押し寄せて 、長年努力して来た 田畑の 大企業化の夢は、 水の泡、 50億円の借金だけが 被災者の肩にのり、被災者の苦悩は半端でなくなりました。
 
50億円の負債金、津波ゆえの天災なので国は免除しても良いのでは?と思うのですが(総理は海外に多額の出資をしています。外交上必要なのでしょうが、まず日本国内に天災で困っている人達にお見舞いに行って必要な手当をするべきではないでしょうか?と思います。)
 
今日、小沢町の人に尋ねました。
 
「国は負債については何も言わない。津波は東電には関係無いので、東電も国もお金は出さない。国は引越代だけ出してくれた。私は、自宅はローンで家を建てた」。
 
災害間もない頃に、小沢町の人と話すと皆暗い悲愴感が 漂い 落ち込んでおられ、 こちらも気の毒で何と話しかけたら良いのかと十分話せませんでした。
 
 
[南相馬小高区]
津波で 身内を失い 自宅を流された 小高部落の人の話です。
 
「 災害で皆、家族バラバラになりました。 ここは津波で 全身が身内を失ったり 家が無くなった人ばかり、 災害公営住宅に20世帯住んでます。 家族は誰も来ません。仕事場も店も何も無いからです。 居るのは 年老いた 親だけです 。病院も無い店も無い、何も無い所なので、生活するのに困っている。農地を計画したいが、年寄りばかりなので 農業する気力がない。 働く場所、生活の術が無いので 、若者は帰らない。野菜、 食料 何でも欲しい。」
 
* 農家の皆さん、 主婦の皆さん、 野菜や 食べ物を送ってください。 何でも結構です。
 
 
[飯館村]
被災地のどこの村にも フレコンバッグ( 汚染した土 が入った 黒い 袋)が 置いてあります。
 
「帰還困難区域の中に他町村等から搬入されたフレコンバッグが山積みされていて、置き場に限界が出ました。 そこで環境省と 役場 町代表者との集まりがあり、帰還困難区域も除染すると言う方向となり、 フレコンバッグの中から 放射線量の低い土を 農家の田畑に撒くという。その上を土で覆うと 大丈夫と言う。これ以上住民を放射能でさらすのか? 悲しみと辛さでやりきれない」
 
*(環境省の説明によると 汚染された土は、30cmの土で覆うと約98%の放射線を遮ることが出来ると 言ってます。)それが本当だと良いのですが、農作物の根は30cm以上深く伸びるのではないでしょうか? 私も 大丈夫だと言い切れないと思うのですが 心配です。また雨が降ったら土壌の土が流れて土は30cm保てないでしょう。大丈夫と言い切れるのでしょうか?
 
又、フレコンバックの土は、常磐道の高速道路に使うと言う事です。この汚染された土は、全国の至る所に使われる可能性があるかもしれません。大丈夫でしょうか?
 
 
[大熊町]
「車で常磐道を通る時、線量計が ピーピーピーピーと鳴り出します。判かっていても 身体は緊張しますね。放射能は風に乗って至る所に流れたのだから、日本全国各地に放射能 測定器 を 置いた方が良いと思う。至る所が高いのではないですか?高いのは福島だけではないと思う」。
 
 
[富岡町]
「私の家は富岡町で一番放射能が高い帰還困難区域です。この度復興省から連絡が入り、[自宅を半壊か全壊かを 測定したいので立ち会ってくれ、二人以上で来るように。]と連絡が入り 2月25日に 防備服を着て行って来ました。私の家は帰還困難区域で 立ち入り禁止の区域だぞ、これから先何十年も住めない家だぞ、今更全壊も半壊もないべ。 イノシシが 寝起きしてました。外壁もどうしようもない状態です。諦めるしかないべ。 行って来てがっかりした。復興省の人は 淡々と計量して 書いて行った。1ヶ月後に報告が来ると言う。あと2年で10年だぞ。今更半壊だ全壊だと言われても、しょうがないべ。 腹立ててもしょうがないべ。 諦めるしかない。」
 
 
皆様福島に対する関心は、世間では過去のことになり 、関心が無くなって来ているのを感じています。明日は我が身かもしれません。色々な事件・出来事が起り安心出来ない日本になりました。こんなに 不安な日本、親子の絆さえ 不確かな日本、弱者・子供・老人・病人が 大切にされない時代。 経済・経済、 お金・お金。
 
それは生きる上で必要なことかもしれません。しかし自然を汚染し、命を粗末にして、 弱者の苦しみを顧みない国は、国民のために尽くしていると言えるのでしょうか?
 
福島の為に ご支援いただけます方は 下記にご連絡くださいませ。
 
携帯 080-5547-8675 福岡百子
f.mom.1947@ezweb.ne.jp
by momofukuoka | 2019-03-06 05:33 | 福島の被災地の現状

福島の現実

インフルエンザが流行している季節です。皆様、呉々もお気をつけくださいませ。
 千葉県近辺は昨年から雨が降らず、野菜や果樹類の水不足で深刻と農家の方は心配をしておられますのと、今回の北海道・西日本の多雪の為に、さぞ昨年地滑りや洪水等の災害被災者は、お辛い思いをしていらっしゃるかと思いますと、胸が痛みます。
 どうぞ皆様、災害被災者に助けの手を差し伸べてくださいますようにお願い致します。
 
さて、今回は福島原発被災者のの[今]をお知らせ申し上げます。
 
福島の被災地は主に、大熊町・双葉町・浪江町・富岡町・楢葉町・広野町・川内村・葛尾村・都路町・飯館村等を指しますが、今迄は、各部落に在る帰還困難区域には、人の立入り禁止区域でそこに住んではならないとされていました。ですのに昨年から、環境省は帰還困難区域を20msvに下げたらそこに人は住んで良いとしました。「放射能は大丈夫だから安心して住んでください」と言って帰還困難区域を解除宣言をしようとしています。帰還困難区域の解除宣言を5年計画で成し遂げようとしています。
 
被災地の山、森林、田畑、家の回りの草木は避難した時のままで、何処も除染をしていません。除染したのは(水で洗い流しただけです。汚染した土は削って被災者の庭の片隅に埋める・砂利を敷く・汚染した土を黒い袋に入れてフレコンバッグとして所定の場所に集める)家屋20m内だけです。
 
山林等は除染していませんので雨風が吹けば山林の放射能は被災者の自宅に流れて被災者の家は放射能に汚染されると被災者は言います。
 
世界で認める放射能線量制限は年間1msv迄です。それ以上は人体に害があるとして認めていません。すでに国連は日本に警告を促しています。しかし、日本は警告を無視し、人が立ち入ってはならない放射線量の高い立入り禁止区域を、昨年から除染始め年間20msv迄下げた所から被災者を帰させる動きが始まりました。
 
下記は(カトリック新聞2019年2月3日)「意見異見 私見」より[チェルノブイリでは5msvで移住義務が生じます。
 
年間20msvという水準は、日本の法律では放射線業務に携わる人の5年間の平均年間限度線量です。この業務には18歳未満の人の従事は禁じられております。作業現場である放射線管理区域では飲食はもちろん就寝も禁じられ、必要なく立ち入ることも禁じられています。このような場所に、妊婦、乳幼児も含めて帰還させようというのです。帰還を推し進めるために、自治体職員・教職員・インフラ関係者とその家族を職務命令により高汚染地域で生活させようとしています。更に学校を疎開させ、避難していた子供達を強制的に高汚染地域に帰そうとしています。避難指示が解除になれば、自宅に帰らない人も固定資産税を取られます。2020年3月末をもって避難者に対する一切の支援が打ち切られます。]
 
皆様、どう思われますか?あなた樣が被災者の立場だったら、
 
「どうぞ放射能浴びて、そこの井戸水を飲み、放射線量の高い野菜を食べ、病気になって死んでください」と言われたのと同じとは思いませんか?
 
これは人の命を無視した犯罪でとは思いませんか?何と恐ろしい日本の国となったのでしょう。
 
8年間の被災者の歩みは残酷物語そのものでした。故郷を追われ、転々とした避難生活、親子はバラバラとなり、周りからは白い目で視られ、非難の的となり、賠償金は夫婦の絆、親子間の絆も裂き、正当な賠償金をもらうのに神経をすり減らし、加害者の東電と国に振り回され、何度も裏切られ心身ズタズタとなり病に犯され、多くの仲間が死に、今は悲しみ苦悩が大き過ぎて、将来の希望も持てず、過去を思い出しただけで具合が悪くなる。悲しみ苦悩が一杯で心が張り裂けそう。だけどこの苦しみを妻にも、母親にも話したことは無い。1人で耐えています。仲間皆も同じと思う。表面的な会話しか出来なくなった。心に悲しみが一杯有っても誰にも言えず、みんな苦しんでいる。この気持ち判ってください。みんなが堪えているから、自分も堪えなければならないと思う。だから「元気か?」しか言えない。とのことです。
 
皆様、被災者は不条理の状態に置かれても、もう疲れ果て、声を上げる力はありません。
 
皆様で廻りの方々に福島の現状を知らせ、福島の被災者を救うべく、手を差し伸べてくださいませ。宜しくお願い致します。
 
 
映画のお知らせです。
[福島は語る](沈黙を破る・異国に生きる・飯館村)
土井敏邦(監督作品)(2時間51分の14人の証言)
3月2日~15日新宿Ks cinema
3月9日~15日渋谷ユーロスペース
3月9日より全国一斉上映

by momofukuoka | 2019-02-05 08:31 | 福島の被災地の現状

被災者への手紙

猛暑に悩まされたのがつい最近だったような気がしますが、早やもうすぐ12月ですね。
 
お身体は大丈夫でいらっしゃいますか?
 
長年の避難生活で、心が痛め付けられることの繰返しで、心身病んでしまわれたのではないでしょうか、とご案じ申し上げております。懐かしい故郷に帰らた皆様には変わり果てた故郷にショックが大きかったのではないでしょうか?昔の面影は無く、雑草が生い茂り、猪に荒らされ、スーパーや病院も無く、遠方迄行かねばならない。故郷に帰った仲間は少く、皆樣無口となってしまい心を閉ざされた方も居られますとか。それだけ被災者の皆様は国から裏切られ、周りからは福島人だからと批判され白い目でみられ、余りにも過酷過ぎる避難生活でした。皆様、どんなにか心身お疲れでしょうね。よく今日まで耐えて来られましたね。もう、頑張らないでくださいませ。疲れきったお体を先ずは思いきって、何もかも忘れてひたすら寝てくださいませ。心行くまで、何日も、何週間も寝るだけ寝て、先ずは体力を巻き戻してくださいませ。そうして心身の疲れをとってくださいませ。そしてご自分を褒めてくださいませ。「よく頑張ってくれたね、あなたは大した人だ。もう頑張らなくて良い。ゆっくりとのんびりと行こう」
 
下記は私の好きな言葉です。よろしかったらご参考になさってくださいませ。[頑張らない。背負い込まない。追い詰めない。まあ、いいか。なんとかなる。成るようになる。後は天に任せる。天が全てを計らってくださる。責任は神様がとってくださる。]私も77歳になりました。胃癌末期、膠原病、線維筋痛症等と言われ病弱だった私でしたが、70歳迄は頑張れた体が、今は天候状態に左右され体が動かなくなりました。初めて悟った[老い]と言うこと。[老い]は様々なことに目覚めさせられます。今迄は活動、生産、産み出すこと等に視点が注がれ、それに人生の価値評価を置いてましたが、老いて初めて、[心の世界]今まで見えなかった事がどんどん見えて来ます。若い時は姿形に美を求めます。しかし老いると人の内面の美しさ、人生の経験、老いの美しさが解って来ます。私は樹木が大好きです。芽が出て、青葉若葉、花咲き、紅葉して枯葉となって落ち土の肥やしとなる。私は紅葉~枯葉が美しくていとおしくてたまらない。老いて行く自分に重ね合わさるからです。紅葉し枯れて行くさま、人生の完成の時です。私は老いた自分がいとおしくてたまらない。老いた皆様が1人1人がいとおしくて、輝いて見えます。1人1人の人生。何にも替えがたい宝物です。シワシワ、ヨボヨボ、が美しい、尊い。
 
1人1人の人生には多くの宝物で織り成されて来ました。苦労あり、涙あり、飢え、乾き、忍耐、痛み、、。喜び、幸せも有りました。しかし苦労は多くの成長を私にもたらしたのだと思います。人生とは何なのか?老いて初めて気がつく課題です。この世は仮の宿であった。これから向かう[あの世]が私の永遠の住いであったことを。この世は私を鍛え練る為の、人格を造るための訓練の場であった。ご褒美は[天国]で待ってます。この世でどのように生きたか?が神様から問われます。老いた1人1人は美しい。大切な宝石です。
  
皆様、ご自分に自身もってくださいませね。老いた私達、一緒に輝きましょう。ありのままのあなたが、美しい。
 
寒くなって参りました。下着衣類は有りますか?暖房費は有りますか?毎日の食品は有りますか?辛く苦しいことがございましたなら、遠慮なくお電話をくださいませね。 
お互いにご自分を労りながら、老いの誇りをもって生きましょうね。呉々もお大切になさってくださいませ。
 
いつも皆様を思っております。
 
尚今年、主人の弟様が亡くなられましたので、お年賀状は失礼させていただきます。皆様のご健康とお幸せをお祈り致しております。 
 
 
2018年11月16日あなたの友 福岡百子

by momofukuoka | 2018-11-17 12:09 | 福島の被災地の現状

福島原発被災者の今

今年も残り少くなりました。来月は早や師走です。子供の時は年月が長く感じたものでしたが年と共に月日の流れが早い事、飛ぶように過ぎて行きます。
 
今年は何と天地異変が多く、沢山の方々が災害に遭われ、今尚苦しんでおられます。1日も早く普通の生活が出来ます様に、助け合いを皆様にも宜しくお願い申し上げます。 
 
さて私事ですが、長い間ブログの原稿書きを休ませて頂いておりました事を、お許しくださいませ。実は危ういかった私の健康でした。原稿書きは無理な状態でした。所が最近、再び健康をいただきました。皆様の熱いお祈りと励ましのお陰様です。本当にありがとうございました。心から感謝申し上げます。又、毎月、ブロクの原稿を書かせて頂きたいと思います。宜しくお願い申し上げます
 
 
【福島原発被災者の今】
 
福島原発被災者は放射能汚染から逃れる為に避難して7年8ヶ月となりました。国は被災者達に帰還宣言を出しました。しかし被災者の故郷は、決して安全、安心とは言えません。線量の高い所も有ります。何故なら、除染は家屋20M内だけで、しかも水洗いと土を剥ぎ取り、所によっては砂利を敷いただけです。家の中の汚染は責任を持ちません。室内線量が高くても。又、家屋20M外と山の除染はしてないので、雨風が吹くと又、線量は高くなります。

国は被災者に帰還宣言をしました。その為に仮設は順次取り壊しています。被災者はやむ無く仮設を出なければなりません。しかも家探しは被災者任せです。福島近辺の家土地は高騰し求める事が出来ません。
 
故郷は7年以上放置され、家はネズミの住み処。衣類、布団、家具等全ての処分から始めなければなりません。新築するにもお金が有りません。相応の賠償金をもらっていないからです。室内の線量が高い所も有ります。被災者は雑巾がけをして自分で除染しています。 
 
災害後人の手が及ばなかった田畑は荒地と化して開拓地に来たようだという人もいます。猪が庭先迄来て作った野菜を食べて行く、と言います。町、村には食品を売る店、病院も有りません。せめて雑草が刈られ、動物駆除され環境が整ってから、帰還宣言すべきではなかったのではないでしょうか? 
 
原発は放射能を撒き散らして人を家屋を故郷を放射能で汚染して、福島県の産業を駄目にし、沢山の人の人生を、命を奪い、踏みにじってしまいました。親子の絆を奪い、村人同士を仲違いにさせ、平和で穏やかで自然豊かな町々を村々を、何もかも破壊してしまいました。先祖代々築きあげた歴史も文化も何もかも。これが原発の怖さです。
 
被災者は帰還して初めての冬を迎えます。海抜600m~800m山村の被災地に1人暮らしの高齢者。店も無く、隣の家は何kmか先、さぞ寂しく、辛く、寒くどんなに大変でしょう。 
 
東電からのお金はもらっていません。年金の5万円弱で光熱費、医療費、ガソリン代、全てです。未年金者もいます。食費は暖房費は大丈夫でしょうか?私は心配です。80歳~90歳の1人暮しが多いからです。 
多くの被災者方は7~8回引っ越しし、苦難と失望の繰り返しの年月で心身病み疲れ果て、病に伏してしまった人が多いです。「過去を思い出すと具合い悪くなるので、思い出さないようにしている」と言う人もいます。被災者の心の傷は深いです。 
 
私は今こそ福島原発被災者を救って欲しい。被災者の苦悩に寄り添って欲しい。彼等は捨てられた。忘れられた。と思っている人もいます。彼等は疲れ果てています。孤独、寂しさ、苦悩を背負った人達です。
 
私達の電気、照明等の文化生活の陰には犠牲を払った方々が居られる事を、忘れないで欲しいです。感謝の念を福島被災者に持って欲しいものです。
 
そして、日本の国内に原発が有る限り、あなた様の身に、福島原発被災者と同じ事が起こらないとは限りません。もっと原発の事を真剣に向き合ってみては如何でしょうか?安全な太陽光発電等に。そして福島原発被災者のご支援にご協力お願い申し上げます。 
 
全ての人に1人1人に、幸せと1日の糧と心の安らぎがありますように!

by momofukuoka | 2018-11-01 08:00 | 福島の被災地の現状
〔福岡百子は[ 千葉県人権啓発 指導者 養成講座] の講師として 招待されましたが、健康上無理でしたので被災者に講師を代わって頂き、かわりにレポートを提出しました。 数回に分けてブログに掲載します。〕
 
 
はじめまして。福岡百子と申します。宜しくお願い申し上げます。私は、2011年6月~現在も福島原発被災者の支援活動をさせて頂いている者です。私は原発被災者の悲しみ、苦しみ、悩み、叫び、壮絶なまでの苦悩を共に共有しながら寄り添って参りました。この現実の中で必死に生きてる被災者の姿。それに対し「原発は解決した。もう福島の事については安心、安全、気にしないで欲しい」と福島被災者の叫びを無視する政府。それ等を見ながら私が体験させて頂いて感じたこと。被災者の叫び。被災者の現状報告。今後の課題と皆様にご協力願いたいこと。支援の心について等のレポートをさせて頂きました。このレポートをご覧いただきました後に、ご自身への課題として動いていただけましたら、ありがたく存じます。
 
①[福島原発の被災地とは]
福島県浜通りの双葉郡の8町村(広野町、楢葉町、富岡町、大熊町、双葉町、浪江町、川内村、葛尾村)と都路町、津島町、飯館村、南相馬市(小高区、原町区、鹿島区)を主に差します。
 
原発の影響は浜通り(国道6号、常磐線が通る海岸沿いで、津波と原発放射能を浴びた町、津波で自宅も人も流され死者が多く出て町ごと砂で埋まって海底に沈んだ(海岸一面砂浜になってかつての町や家は砂浜の中に埋まってしまった。)町もあると聞きます。各町の海岸に近い所は津波の被害と放射能を受けました。それは広野町、楢葉町、富岡町、大熊町、双葉町、浪江町、小高町、原町、鹿島町、相馬市等の1部。町民の仕事は主に 漁業、農業で街方面は商店街もある普通の街です。
 
放射能汚染は399号道沿い海抜600M~700Mの山岳地帯、主に川内村、都路町、葛尾村、津島、飯館村等にも流れ汚染しました。山岳地帯の生活は山と山の間の限られた所にしか平な地は無く、その為半農、畜産、林業、山菜等を 収入源とし、 川魚を食し、 山の湧き水を飲み、 井戸水での生活を送る質素で素朴な方々村人達です。11月末頃~3月頃迄雪が積る為街まで外出は難しい山岳地帯と聞きました。風雪に耐え質素で素朴で忍耐強く我慢強い 村人達です。
 
原発後、村人達は山も川も放射能に汚染でされ 生きる糧を失いました。被災地の除染は 居住地20メートル以内 のみ、しかも水で流し洗いか、上土を取って袋に入れるだけです。山の除染はどこもしません。雨が降り風が吹けば放射能や汚染水は居住地に又流れて来ます。
 
それでも国は[除染したので大丈夫と帰還宣言]して被災者を帰還させました。仮設も壊され、帰るしか行き場の無い被災者。被災者は「どうせいずれは死ぬのだから」と汚染を覚悟で自宅に帰りました。しかし7年放置した自宅も回りも荒れ地と化して、店も病院も無い、猪が居る汚染された故郷に、殆どが高齢者1人の居住地。「山奥の私達には店が無いので、自分が食べる分くらいは自分で作る」と足腰悪く体調優れない80歳~90歳の1人暮しの人達。被災者は国民年金以外に現金収入が有りません。 1ヶ月5万円弱。 光熱、税金 、医療費、他全てを 5万円内で。 70代は 除染作業に出向き生活費にしてます。
 
今[東京電力の原子力発電所]が建っている土地は、昔しは過疎地でこれと言った産業はなく、出稼ぎで生計を立てている部落でした。戦時中はここより飛行機が飛び立っていたと聞きます。戦後は空き地となりここに国は目をつけて[東京電力の原子力発電所]を建てました。住民は反対しましたが建てられてしまったと聞きます。
 
[東京電力福島第1原子力発電所]は大熊町と双葉町に立地(1号機1971年3月26日運転開始日~6号機1979年3月開始日)
 
[第2原子力発電所]は楢葉町と1部富岡町の敷地に(1号機1982年4月開始日~4号機1987
年1987年8月開始日)を。
 
国の方針に反対出来ず賛同した町と反対した町とでは国からその後の交付金額や恩典が異なりました。この金額、恩典の差は後々迄影響され、その差は歴然としています。大熊町は黒字に、双葉町は赤字に。又、国の方針に応じない市町村長への国の圧力は大きいです。その見返りはいろいろな形で町長に役場の職員達に住民迄圧力がかかります。
 
(例として)原発の怖さを知って反対した当時双葉郡8町村会の旧会長井戸川町長は双葉町住民を被曝から守る為に埼玉県加須市に住民を避難させました。しかしその事が福島県から出たとの理由で、福島県からの支援物資はもらえず、仮設住宅も双葉町町民はまとめて入居させてはもらえず、他の市町村民が入居した残りの仮設にバラバラに入って、双葉町町民は互いの連絡も取れない状況に追いやられ、役場も遠くなり情報も支援物資も届かず双葉町の被災者は孤独と苦悩に陥りました。
 
災害後間もなく、他の市町村には保育園、幼稚園、小、中学校や福祉施設が出来たのに、双葉町には有りませんでした。いくら原発を反対したからと言っても保育園、学校も作ってもらえないとは?酷すぎる。国の方針で建てた原発なのに、被災者は土地を国の為に提供してくれた協力者です。国は責任をもって被災者の命と生活を守らなければならないのに「後は市町村で勝手にやってくれ」被災者にも「自分の家は自分で探せ」と充分なお金も出さず、無責任にも程があります。
 
国のやり方に私は怒りを感じております。被災者の命と生活は今も尚、苛酷に粗末に扱われ心身疲れ果てて、福島の被災地は今までに無い死者数となり毎日の様に死人が出てると聞きます。被災者は絶望と孤独の内に亡くなって逝くと言います。被災者の被曝、生活が営めない、悪環境、精神的苦痛等は国の[殺人行為、犯罪行為]とはならないのでしょうか?
 
又、元井戸川町長は国から町長職を奪われ退かされました。住民を被曝から守った町長は悪者にされています。国の策略とも聞いております。
 
浪江町の故馬場町長は被災者の為に、避難先での仮の住民票発行を国に願う為に国会議事堂迄行ったのに門前払いだったと聞きます。又、省庁の役員は浪江町役場迄行き、馬場町長に「貴方が印を押さないと前に進まない」と何度も迫られやむ無く印を押したとも聞きます。役場の職員達も「国の方針に従わないと役場の職員ではない」と屡々圧力があった。と言いました。
 
帰還宣言する場合は、先ず役場の職員が被災地に帰させられます。そして「役場が機能している」と住民に帰還を促し、放射能は大丈夫だと安心させます。未だ放射線量の高い被災地に役場の職員は恐怖感を持って帰ります。独身者から行かされると聞きました。
 
役場に夫婦で働いている人がいました。夫は課長です。「課長である僕が行かなければ若手は付いて来ない」皆さん覚悟をもって行きます。その方には幼い子供がおりました。夫婦は子供を守る為に離婚して、夫は放射能ある被災地の役場に、妻は子供の為に安全な県外に別れて行きました。「私達は愛し合ってました。子供を守る為に離婚しました」皆様、苛酷な事ではありませんか?
by momofukuoka | 2018-10-11 08:46 | 福島の被災地の現状
〈福岡百子は、体調の許す限り被災者と対話をし、その声を世の中に伝えていきたいと望み、ツイッターで被災者の声をつぶやいております。ツイートの中から被災者の声の抜粋をご紹介します。ツイッターアカウントは「もとシスター人生体験」です。また支援者の一人が、福岡百子が語る福島の現状を海外に伝える動画をYouTubeにアップしています。そちらもご覧下さい。〉https://www.youtube.com/watch?v=9Y47k_hmFnk
 
 
【被災者の声】
6月8日 福島被災者からの電話が私宅に最近よく来るようになりました。「川内村に帰ったけれど話す人がいなくて寂しくてたまらない。声を聞きたくて電話しました。」「何もする気がおきなくて、疲れて体も動かない、毎日テレビを見てるだけ、テレビを見てても頭に入って来ない、ぼ~と毎日してるだけ」「3ヶ月入院して、2日前に帰って来ました。淋しかった、声を聞きたかった、意識を失っていたのを隣の人が見つけたらしく救急車で運ばれて病院のベッドに寝てて、初めてベッドに寝てる自分に気がついた。このまま死ぬかと思った。入院中寝ながら災害の時からお世話になった皆様を懐かしく想い感謝した。あの時を思うと涙が出てくる。今家に帰って1人です。あの時死んだら良かったのに。又、生きてしまった。声を聞いて、頑張ろうと思う。頑張るね」「国も町も、それは決まったという。 決まった事であっても住民から意見が有ったら、再検討して欲しい。聞く耳を持たない!」
 
6月9日 天皇皇后両陛下が今、福島の被災地を訪問しています。 私は思い出します。2011年に津波で亡くなった方々を。 原発の放射能で汚染された福島原発被災者の方のご遺体は、 立ち入り禁止区域とされて数ヶ月間ご遺体探しに入れませんでした。許可が出て、 祖父と孫を探しに行った方が見たのは、「無残にも ご遺体がミイラ化されて自宅の塀にへばりついている祖父と孫の姿でした。」 原発の悲惨さは、後悔ではすまされない多くの犠牲を歴史に刻んで残しています。今迄の年月だけでなく、これから先、何百年も多くの人に傷をつけ続け、被災者達だけでなく日本全土、世界全土を汚染し続け、自然破壊だけでなく、文明、発展という言葉に踊らされて[心]まで破壊されて行っているようで、私は恐ろしくてなりません。
 
6月10日 昨夜遅く 葛尾村の 被災者から メールがありました。「今月に入って5名が亡くなり、今日も葬儀場から帰ってきたところでした。明日の植樹祭をキャンセルしていたのでお焼香できました。」被災者方は毎日のように 仲間、身内の死者が多く、留守の時は大抵、お通夜か葬式です。楽しい事、嬉しい事が少なく、辛い事、悲しい事 の明け暮れ。その中で必死に耐えてる被災者。これではいくら元気な人でも、病に倒れるのは当たり前ですよね。 電話をすると被災者ほとんどの方が入院した、手術した、死ぬかと思った、との答え。これが被災者の今の現実です。昨夜電話がかかってきた方にもう葬儀が終わったかと思い、再び電話しました。「今、お通夜に向かって運転中です。 明日もまたお通夜です。昨日も今日も毎日お通夜です。このところ突然死が多いです。脳梗塞とか心筋梗塞とか。」
 
6月28日 相馬市の方です。「自宅は高台に在って、津波をかぶってしまったが、住めると思ってありったけの貯金をおろして自宅をリフォームしました。 しかし町には誰も帰って来ないので店も何も無いので生活できない。やむ無く千葉に自主避難した。 自主避難で福島県から出たので支援は何も無い。自宅の土地は買ってくれる人もいない。やむなく処分するため市から買ってもらった。 98坪の土地も家も300万で終わった。 全ての預金をおろして津波後、リフォームした家と先祖代々の土地と財産。 無念でなりません。 2年前に住民票を千葉に移し、やっと近所の人との付き合いに入れてもらえました。 災害からの6年間。 辛くて 苦しく孤独な毎日でした。」
 
大熊町の方。「息子が2年半前に亡くなったけれど、大熊は放射能が高いのでお墓に入れない。部落の区長に言えば、人は放射能で墓参りは行けないけど納骨は出来ると言う。草ぼうぼうで人が行けない所に息子だけを墓に入れて置くのはしのびがたい。だから、私の枕元にお骨箱を置いて私は寝てる。毎日枕元に置くお骨を見ては、可哀想な、誰にも看取られず1人で亡くなった息子を思い、泣いてます。」私は毎年お盆になると、高野山の桜池院の住職に頼んで被災者のご供養を頼みます。昨年は66霊のご供養を頼みました。今年も頼むつもりです。被災者は「安堵した。初めて休めると言います」
 
7月2日  葛尾村の詩人、 小島力さんの寄稿詩から紹介させていただきます。 「1年刻みの」 年間被ばく線量量の限度を、 1ミリシーベルトから20ミリシーベルトに引き上げて、 高濃度の汚染地帯に、 家畜のように追い込まれようとしている、 原発事故被災者。賠償さえ打ち切りにすれば、「後は野となれ山となれ」、 だとしたら被災者は、 裸で捨て置かれるのと同じではないか。 例えば避難指示を解除しても 例えば避難指示の解除を、 1年刻みに先延ばししても、 そこから先の将来は、 まったく見えない、 応急仮設住宅の貸付期間も、税金や医療費の免除も、 そして高速道路の無料期間まで、 何もかにもが1年刻み。 原発事故の被災者は、 くらしの先行きを断ち切られ 細切れの未来しか与えられない、 期限付きの細切れ人生が果たして人生と言えるか。 切れっぱなしの閉ざされた暮らしが、 果たして人間の暮らしと言えるか。果たして俺たちは、 本当に人間であるのか、 気づいてみたらそんな保証はどこにも見当たらなかった。 ([ふあ~む庄野]2016.2.25引用。『避難解除へ抗する詩』3篇)
 
2016年 小島力さんの年賀状から。「原発事故の後始末すら満足にできていない今、加害者が一方的に避難指示を解除し、加害者が勝手に賠償を打ち切るというこの国は、『切捨て御免』の江戸時代とどこが違うのでしょうか。」
小島力さんの著書紹介 『詩集 わが涙滂々 原発にふるさとを追われて』 西田書店 定価1400円+税
 
 
【今朝みた私の夢】
7月4日 私は疲れ果て体も心もぐったりして歩くのもやっと、顔は艶も無く、笑も微笑みも消えた哀れな顔の私でした。長い旅の最後頃にたどり着いて気がついたらある場所に私は入り込んで居ました。そこは大きな全寮制の学校のような大きな会社のような、それぞれに役割を持って働いていて1人1人顔が輝き、幸せいっぱいで、優しく暖かく、どの人に会っても柔らかい雰囲気で私に向き合い、心から接してくださいました。よく視ると、両足が無い課長さん、お1人お1人お体のどこかが欠けたり、悪かったりしてます。しかし誰からもそのことは気にならず忘れて向き合います。私に話しかけてくれた言葉を聞く度、私の古い深い心の傷が1つ1つ癒されて行きます。笑いを忘れてた私、悲しみ苦しみ痛みで微笑みが消えていた私、苦しみが1つ1つ剥がれ、深い傷が癒されて行きます。「ああ、 私は此処にいつまでも居たい、離れたくない!」この世にこんな所が在ったんだ。
 
十字架の道行きに会いました。「あっ、キリスト様の道行だ!」 よく視ると、 行列の先頭は1人の女性です。その直ぐ後ろにキリスト様がついて歩いてます。 女性の顔もキリスト様も穏やかな優しい幸せそうな表情で十字架を担いでおられました。( 目覚まし時計で目が覚めました。 しかしこの夢はしっかり私の心に残りました。神様からの啓示のように思いました。「私の元に来なさい。わたしが休ませてあげよう!」どなたも心病み傷ついています。顔はやつれ心身の艶は失っています。重い十字架を背負っているのはあなた、その直ぐ後からキリスト様が 支えています。 重いけど キリスト様と一緒に笑いましょう。今朝の私が観た夢で悟った事を皆様にお伝えすべきでした。私がたどり着いて癒された大きな会社。それは神様が私達に望まれた本来の地球のあるべき姿、このように[愛と癒しに満ちた人間界にしてください]と。それを目覚めた瞬間に私が悟った事でした。皆様、よろしくお願い致します。
by momofukuoka | 2018-07-10 08:02 | 福島の被災地の現状

〈福岡百子は、体調の許す限り被災者と対話をし、その声を世の中に伝えていきたいと望み、ツイッターで被災者の声をつぶやいております。ツイートの中から被災者の声をご紹介します。ツイッターアカウントは「もとシスター人生体験」です。また支援者の一人が、福岡百子が語る福島の現状を海外に伝える動画をYouTubeにアップしています。そちらもご覧下さい。https://www.youtube.com/watch?v=9Y47k_hmFnk
 
 
【被災者の声】
5月30日 (浪江町、主婦、1人暮らし)「帰還宣言されて、 7年ぶりに荒れ地の自宅に帰ってきたけれど こんなに大変だとは思わなかった。 店が無いのも困るけど、 病院が無いのには困ってしまった。この間 犬の散歩をして顔から転び、メガネを壊し、顔はお岩さんのように凄い顔なってしまい。病院に行きたくて電話したら、『予約がないと入れない』とどこの病院からも断られ、結局病院に行くことが出来ず、自宅で1人で耐えて治すしかなかった。救急車以外になす術は無いのか?と、これからの事を思うと、帰還をして良かったのか?と悩む」
 
「近くに町営住宅が出来た。しかし知らない人ばかり、人の雰囲気も昔の浪江とは違う、災害前の親しかった心通じあい、助け合い、支えあった仲間。あの人達はどこに行ってしまったのか? 寂しい、どうしたら良いの? 遠くにいる孫が、婆ちゃん1人でいるの淋しいからと子犬をプレゼントしてくれたけど、キャンキャン啼く声が、疲れた心と体になおうるさく感じてたまらない。」
 
5月31日 (南相馬市浦尻、72歳男性1人暮し)浦尻町の平地は町ごと、津波に流され、彼も家を失い、妻も津波に飲み込まれて亡くなられ、今は彼1人で仮設に住んでます。34戸78人の仮設住宅 自治会長として仲間のために尽くして来られた彼ですが、私が1月に電話で話した時は3世帯(母子家庭と同期の男性と彼)だったのが、6月からは彼1人の1世帯になるとか。
 
「平成31年3月迄仮設に居れるので、居れる間は居ようと思う。この頃よく地震が来る。以前は地震の前の音は聞かなかったのに、最近は地震の前に『ゴ~』と音がする、音の後に揺れが来る。5になったら避難しよう」と思う。車が有るからスーパーに買い物に行ける。1人だけど大丈夫だよ。体は丈夫だから病院に行ったこと無いよ!」
 
明るく返事はしたけれど、大丈夫かな? 1人淋しく思うだろうに。津波で無くなった家、奥さんの事、離ればなれの身内の事、聞くに聴けない。食品宅急便しよう。小高区の友に彼を見守って欲しいと電話しました。せめてもの助っ人に、心の寄り添いに。


by momofukuoka | 2018-06-07 07:29 | 福島の被災地の現状

〈福岡百子は、体調の許す限り被災者と対話をし、その声を世の中に伝えていきたいと望み、ツイッターで被災者の声をつぶやいております。ツイートの中から被災者の声をご紹介します。ツイッターアカウントは「もとシスター人生体験」です。また支援者の一人が、福岡さんが語る福島の現状を海外に伝える動画をYou Tubeにアップしています。そちらもご覧下さい。https://www.youtube.com/watch?v=9Y47k_hmFnk


4月3日 心臓の手術をする人の為にお祈りを皆様にお願いしました。「仮設を取り壊すので3月末日迄、出て行って欲しいと言われ、3月15日、16日の2日かけて、片道1時間半の道を数回かけて楢葉町の我が家に帰って来ました。半分は捨てて来ました。仮設にはもう行けません。同じ部落には2~3世帯しか帰って居ません。日中は工事現場の労働者がうろうろしてますが、夜になると真っ暗です。」「皆様が祈ってくださるので大丈夫。頑張ってね」と伝えると喜んでおられました。皆様お祈りを宜しくお願い致します。

4月16日  皆様、心臓手術をされた被災者の為にお祈りありがとうございました。本人からのメールで「しんどかったですクタクタです。6時間の手術でした。元気で順調です。お祈りありがとうございました感謝しています。」皆様本当に有難うございました。これからも彼のためにお祈りくださいね。

4月13日 90歳過ぎのおばあちゃまで、長い間一人で仮設に避難していた楢葉町の方からお手紙をいただきました。「故郷に帰って参りました。あれから7年も過ぎました。経験したことのない激しい地震と原発事故により、着の身着のままで我が家を追われて、あの日以来不安な毎日でしたが、日が経つにつれて、各方面より多くの方々から物心両面のご支援をいただき、避難生活で結ばれた温かい絆は忘れることが出来ません。感謝致し居ります。誠に有難うございました。」これからが又大変な事でしょう。明日電話をしてみるつもりです。不足品が無いかをたずねてお送りしようと思います。

4月14日 昨日皆様に手紙を紹介した93才のお婆ちゃんに電話をしました。「1人で住んでいる。引越の荷物は毎日ボツボツ片付けてる。病院は歩いて5~10分の所で開業を始めたので大丈夫。店が遠くて、でも電話すれば配達してくれる。東京の息子夫婦が毎週土曜日に来てくれて明日の午後に帰るから1人でも大丈夫よ。100才まで生きなきゃ。仮設に居た時、皆さんに支えていただいたのだから、頑張らなきゃね。大丈夫だよ。」私は被災者の気丈な姿に、私も頑張らなきゃ、と刺激になりましたのと。福島の被災者のけなげな姿といとおしさに、このまま放って良い筈はないと、政府に怒りを感じます。

4月14日 心臓手術した被災者と毎日メールのやり取りが、日課となり、毎日数回続きます。6人部屋で眠れない、風邪を引いて鼻水が出るとのこと。大丈夫か? 術後、未だ2日目なのに?  私にメールをするのも疲れるでしょうに。私以外に居ないのかな? これも福島の被災者の現実です。


by momofukuoka | 2018-05-10 06:57 | 福島の被災地の現状
〈朝日新聞千葉版が福岡百子の活動を取り上げて記事にしてくださいました(3月29日付)。以下、朝日新聞の了解のもとに記事を掲載させていただきます。朝日新聞のデジタルで読むこともできます。
https://digital.asahi.com/articles/ASL355V0FL35UDCB019.html?iref=pc_ss_date
 
 
原発避難者へ物資無償提供 松戸の福岡百子さん
 
東京電力福島第一原発事故で避難し、今なお不便な暮らしを強いられている人たちも多い。少しでも生活の不安を和らげたい――。松戸市の福岡百子さん(76)は事故後、避難所など500カ所以上に食料品や衣類などを無償で送り続けてきた。「体力が続く限り、これからも支援していきたい」と話している。
 
福島県会津若松市で生まれ、高校まで福島県内で過ごした。22歳の時、修道会に入るため上京。シスターとして32年間活動した後、結婚して松戸市に移った。
 
あの日は、自宅にいた。
 
2011年3月11日。巨大地震の激しい揺れと大津波、そして原発事故。テレビや新聞記事で被害の大きさを知るにつけ、故郷を思い、自問した。「福島で生まれ育った人間として何かできないか」
 
ただ、膠原病や胃がんを患い、体力に自信がなかった。治療や定期的な通院が必要で、ボランティアに参加するのも難しい。
 
同年6月、朝日新聞の小さな記事に目がとまった。
 
《昨秋、(福島県の)富岡町で妻と和食の店を開いたばかり。津波と放射能で店は再開できません》
 
福島県大熊町から同県北塩原村に避難した瀬賀浩二さん(66)のことばが記されていた。17年間乗っていた車を大熊町役場前にとめていたが、ようやく持ち帰ることができた、と。
 
「この人を支援したい」。福岡さんは思い立ち、大熊町役場に電話をかけた。役場を通じて瀬賀さんの連絡先を教えてもらい、避難所で必要なものを直接聞いて、下着やパジャマなどを送った。瀬賀さんが福島県いわき市の借り上げ住宅に入居したと聞くと、今度は食器や食料品など日々の暮らしに必要なものを送った。
 
「借り上げ住宅に移った当初は何もなかったので、ありがたかった。涙がとまらなかった」。瀬賀さんの妻、明美さん(60)はそう振り返る。
 
福岡さんはその後、原発事故で避難した人がいる避難所や住宅、福島県内の老人ホーム、幼稚園などを調べて電話をかけ、必要だと聞いたものを送り続けた。活動を知った修道会関係者らが支援を名乗り出てくれたほか、福岡さんは食品や衣類関係の会社に支援を求める手紙を送付。兵庫県の食品販売会社は12年4月以降、これまでに約40回、福島の施設などに物資を送ってくれたという。
 
全国に広がっていった支援の輪。福岡さんは、福井県の支援者の女性から提案され、12年6月からブログ「福島の現実―福岡百子の声」を始めた。避難者から聞いた生活の様子などを日本語と英語でつづっている。「支援に加わらせてほしい」――。ブログを読んだ人から、そんな声も届くという。
 
「首都圏では被災地への関心が薄れている。だからこそ、これからも福島の人に寄り添い、支援を続けていきたい」(滝口信之)
by momofukuoka | 2018-04-17 07:23 | 福島の被災地の現状