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2011年3月に発生した福島原発の事故発生後、現在も仮設住宅等での避難生活を強いられている被災地の方々の状況をお伝えすると共に、支援の呼びかけなどを行わせて頂いております。


by momofukuoka
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カテゴリ:福島の被災地の現状( 80 )

豪雨、台風等で災害に遭われた皆様の痛みに心を合わせつつ、1日も早いご快復を心よりお祈り申し上げます。又、例年にない連日の猛暑日です。ご健康を保たれますよう、どうぞご注意されてくださいませ。
 
8月6日は74年前の8時15分にアメリカ軍の原子爆弾が広島市にに投下された日でした。又、8月9日は11時02分にアメリカ軍の原子爆弾が長崎市に投下された日でした。そして、沖縄には、同じ74年前にアメリカ軍が4月1日から沖縄全土を戦渦にし、沖縄県民の4人に1人が亡くなり、20万人の死者を出したと言われます。そして、日本軍のトップであった牛島司令官が自決した日の6月23日が、沖縄の「慰霊の日」となりました。
 
皆様、8月6日、8月9日、6月23日についてはもっとテレビでも、この日の式典や出来事について放映し心を寄せ合っても良いのではないでしょうか?余りにも報道が無さ過ぎると思いました。
 
そして、忘れもしない2011年3月11日の東日本大震災の出来事、福島第1原子力発電所の事故、メルトダウン、水素爆発。この報道ももっとして戴きたいです。
 
皆様、福島の方の地獄のような生活と苦悩は何一つ解決しておりません。福島の人々は天国から地獄に投げおとされました。
 
テレビでは被災者の現実を報道しなくなりました。テレビで報道しないと私達は解決したと思ってしまいます。皆様、真実を知ってください。
 
国は意図的に福島の事を忘れさせようとしている様に感じます。
 
「復興した」「解除宣言した」「帰って良い」本当に解決したのでしょうか?本当に安心して良いのでしょうか?
 
 
皆様、私達の日本、安心して生活出来ますか?治安が悪くなり人を信頼出来なくなった。不安になったと思いませんか?
 
あなたの命、人格、生活、時間を大切にされていると思いますか?日本で生活をしていて幸せに感じますか?
 
生まれて来て、良かったと思いますか?毎日が楽しいですか?
 
尊敬、信頼、優しさ、勇気、決断、正義、誠実、清楚、謙虚、羞じらい、礼儀、犠牲心、献身、心の世界、を考えた事が有りますか?自分の命について、他者の命について。心の美しさについて、魂の美しさについて。
 
人生は1回限り、同じ日は二度と来ません。あなたは世界でたった1人のあなた。あなたは神様の宝物です。1分1秒を大切にしましょう。
 
2度と来ない「今」です。
 
 
*南相馬市小高区の方[藤島昌治氏の詩《仮設にて》]をご紹介致します。
 
①《3月11日 東日本大震災》
 
何だ!何だ!
 
地の底から 聞こえてくる
はらわたを引きちぎるような
無気味な 呻き声は
 
突如 大地が裂け
山が呻き 恐怖におののき
逃げ惑う人々
絶望と悲鳴の後には
瞬く間に瓦礫の山ができた
 
松林の遙か上空を越えて
猛り狂った海が
悪魔と化して 襲いかかる
船が 自動車が 家屋が
押し流され
としよりが 子どもが
津波に飲み込まれる
チキショウ!
悔しさと行き場のない憤りが
頬を伝う
 
「ドーン!」
今度は何だ
数十キロも離れた
俺のところへ
背骨もきしむ 地響き
原爆が落ちた
脳裏を広島がよぎる
東京電力
福島第一原子力発電所
水素ガス
大爆発である
 
逃げろ! 逃げろ!
速く! 速く!
遠くへ! できるだけ遠くへ
見えない敵
放射能から
一目散に逃げる
一体 どこへ逃げればいいんだ
日本中を
丸ごと揺さぶる
悪魔の所業に
東北は地獄を見た
 
こつ! こつ! と
純朴で
ただひたむきに生きてきた
みちのくの人々が
こんな裁きを受けようとは
思いも寄らぬはずだ
 
だが もう嘆くまい
鋤を手に
鍬を手に
ひたすら粘り強く
この地をきり拓いてきた
脈々と
受け継がれてきた伝統が
我々にはある
 
負けてたまるか!
負けてなるものか!
 
(手をさしのべてくれた全ての人々に深く感謝して)
 
 
②《避難所から避難所へ》
 
転々と避難所から避難所へ
何度も何度も繰り返し
ようやく 辿り着いた仮設住宅
四畳半一間の不自由に囲まれた
異様な空間
眠れない夜がつづく
苛立ちと絶望が交差する先の見えない不安
「もう だめだ! 頭が変になりそうだ!」
 
きのう そういっていた人が
フラフラと今日も歩いている
こんな事をこの先
何年繰り返せばいいのだろう
「頑張れ!」と言われても
「立ち上がれ!」と言われても
「前を向け!」と言われても
どこへ向かって進めばいいのだろう
折角 震災の中を生き延びたと
いうのに
自らの命を絶つ人が後を断たない
そういうボクも紙一重の毎日
そんなボクの折れそうな心を
支えてくれたのはあなたです
 
日本中のあなたの励ましや支援のおかげで
辛うじてここにいます
助けてくれて「ありがとう!」
助けてくれる人が居るから
「すごい!」
そのやさしさがうれしい
心強い
その感謝の気持ちを伝えるために
精一杯の強がりと
精一杯の笑顔で
「がんばります!」
「負けません!」と
差し伸べてくれたあなたの手を握り返します


by momofukuoka | 2019-08-10 07:52 | 福島の被災地の現状

昨年、台風7号と梅雨による集中豪雨で甚大な被害に遭った 北海道 、中部地方、西日本 に9000人以上、今なお避難生活をしておりますのに、今年も又鹿児島に集中豪雨災害がありました。
 
今も鹿児島、宮崎、熊本の3県に避難指示勧告が出ており、3県の196万人超の方が不安にさらされています。
 
皆様方に支援の手が及びます様に、1日も早く安心した生活が出来ますように、ご支援を宜しくお願い申し上げます。
 
 
さて、今日も「福島の今」をお伝えさせていただきます。
 
来年始まるオリンピックの出発拠点となる、聖火ランナーは、広野町のサッカー場( Jビレッジ)から出発します。
 
この場所は昔は山でした。第1原発に働きに行く人は、ここで防御服に着替えて第1原発に出向いて行った所との事です。
 
第1原発に出向く拠点、そこが今は聖火ランナーの拠点、復興の拠点となりました。福島原発被災者方は全く復興していないのに、国から放置された状態なのに復興したと世界に発信して、原発は無かった事にしたい日本政府。これで良いのでしょうか?複雑な心境ですね。
 
福島原発被災者のほとんどが、農家だった人が多いです。
 
特に山村地帯の方々は風雪に耐え、山菜や川魚を食し、食費も生活全般に、お金がかからない質素な生活をしていました。現金収入が少い為、又病気になるなど年金を納め切れなかった人も居られます。その為に今、年金の金額が2万円という人もいました。お金が無くて困って居られました。当然かと思います。
 
災害前は自分で野菜を作るなど、食費にほとんどお金がかかりませんでしたが、災害後の8年間の仮設生活で4畳半の狭い部屋に居た為、運動不足となり、農業から離れていた為に、体が悪くなり、幾つもの病気を抱え、農業の仕事が出来なくなった人が多いです。又8年過ぎた今では皆様が75歳~90歳の高齢者が多く、ほとんどの方が農業も出来なくなってました。自宅の農機具も8年間の間に、錆び付いてしまい、使えなくなりました。もう自分で農業は出来ません。自分が食べる野菜さえ作ることか出来くなってました。
 
国はこういう被災者に救いの手を差しのべて欲しいです。生活保護は家、土地が有れば適用外となります。何とか救う方法はないでしょうか?
 
「夫が鬱病になりました」こういう知らせが多いです。女性でも鬱病の方は居られますが、男性の方に鬱病になられた方が多いです。仮設で自治会長としてバリバリしてた方だったのに。何故?と思うことが多いです。話を聞くと、「先祖代々の土地が汚染土(フレコンバック)の置き場になった。」と言う人が多いです。「我が家の農地が一生使えない」「先祖様に申し訳ない」
 
「我が家の放射線量が高くて、寝泊まりが出来なくなった」
 
鬱病にかかった方に慰める言葉はありません。黙って心の痛みに心を合わせるのみです。生きる力を天に願うのみです。
 
1人の被災者の手紙をご紹介致します。
 
「こんにちわ、ご無沙汰致しております。私も山形に縁があり家を建て落ち着いたと思った矢先、主人が鬱になり大変でした。お陰様で良くなりましたが、国が避難解除をしたので、浪江に帰ると言い出し、私は山形にも慣れ友達も出来てホッとしてたので反対しても言うことを聞きません。仕方ないので復興住宅に応募したら当選してしまい帰ることになりました。
 
私としては複雑な気持ちですが、これも私の運命と思い、前向きに進むしかありません。3・11以来自分の人生が劇的に変わって、不安も有りましたが、その時々に助けてくれる人がいたり、自分なりに出来る事を一歩ずつやって来たら今日という日まで来れました。
 
この先も焦らず自分らしく回りに振り回されずに、自然に生きて行きたいと思います。
主人は自分の生まれ育った町に帰れるとウキウキしていますが、昔の浪江ではありませんので私はそんな気分にはなれません。でも夫が楽しく毎日過ごせればいいと思います。
 
国は復興は進んで原発も大丈夫だと住民を返す方向です。原発は安全と言えず、若い人、子供達は帰りません。現状の町は元の町ではありません。そんな中でも光はあるはずなので、それを見つけたいです。やっぱりふる里は好きです」
 
浪江の自宅に帰ったけれど、回りに知人、友達も居ない、猪が出て、店も何も無い不便な所に1人帰った奥さんの言葉です。「小さい犬を飼いました。人と会わなくても我が家にいるだけで違う。やっぱり浪江はいいな~。生まれ育った所なので、気分が違う。娘の旦那、鬱病になった。そして離婚してしまった。現状を知ると大変な事がある。この震災は何だったろうね。」

あまりにも福島原発被災者の現状はあらゆる面で酷過ぎ、此の世での地獄の様に感じます。少しでも救いの手は無いものでしょうか?
 
どうか国は、被災者の悲しみを自分の悲しみとして、痛みを分かち合う日本となりますように。


by momofukuoka | 2019-07-08 06:48 | 福島の被災地の現状

例年には無い異常気象。又、かつて無い無謀運転、殺害、児童虐待、犯罪行為、いじめ、自殺、等々。私達の社会はどうなってしまったのでしょう?
 
又、ネットを駆使しての悪戯、詐欺、いじめ、等々。本来善の為に、社会貢献の為に利用するはずの文明の力が人間崩壊の為に利用されるとは? これが今の世の悲しい姿なのでしょうか? このまま、滅び行くまま、手をこまねいていては残念過ぎます。諦めてしまっては残念過ぎます。
 
世の中を良くしようと努力をしておられます方々は沢山居られると思います。私達も互いに手を取り合って、「少しでも住み良い社会を作ってまいりましょうよ。子や孫達の為に。」
 
 
今日も、原発被災者の現実を、そして原発に関する問題点を伝えさせていただきたいと思います。

 
[問題点]
①東電は賠償金を支払うに際して、20kmという距離ではなく、汚染された実際の放射線量の値いで支払い地区を決めれば、町民の間に今の様ないざこざを招かずに済んだのに。残念な事に東電は賠償金額を20kmという距離で線を引いたばかりに、放射線量の低い所に賠償金が払われ、放射線量の高い所なのに賠償金をもらえないという矛盾を招き、全ての被災地の住民に、いざこざを招き、人を・町を・村を分裂させる原因を作ってしまいました。
 
放射線量が高いのに賠償金をもらえなかった所は大変です。放射能で病気に侵されるので人がそこに住み続ける事は困難です。田畑の作物は安心して食べることが出来ません。野菜の売買も出来ません。収入源は失われ、健康は失われ、そして自宅なのに入居危険区域です。それなのに賠償金をもらえないので、生活困窮者となってしまい、生きる術を失ってしまった人は多いです。この方々に早く救いの手を差し伸べてくださいますように。命の危機にさらされている被災者を早く助けてくださいますように。国と関係者にお願い致します。
 
②国は、国民の命と生活を直視し、本気に国民に向き合う姿勢が足りなさ過ぎると感じます。もっと国民の声、叫びを、本気になって聴き、現場を廻り、住民と目と目を合わせ住民と語り合い、底辺の人の声を重視する腰の低さを求めたいです。苦しみは体験しなければ解りません。現場に出向き、何日か寝泊まりし、少しは自から体験する国民に寄り添う政治になって欲しいと願います。何よりも大切な政治は国民の命と生活を守る事ではないでしょうか?
 
③幸い日本人は、総理の一言に、総理の本気度に、一致団結して行動を起こし、心を合わせ尽くす国民と感じます。国が国民の不幸を改善し、命と生活を守ろうとする本気度には、国民は心を1つにして喜びと熱意を持って積極的に動くでしょう。日本人は善良で憐れみ深く愛深い国民です。総理大臣に願います。苦しむ被災者に目を向け、「被災者を助けましょう」と一声言って、行動を起こしてください。お願い致します。
 
④原発被災者の問題が解決に向かうどころか、益々問題が山積し、解決の糸口さえつかめなくなってしまったのは、国が果たすべき責任を国が取らず、地方の行政(県知事、市長、町長、村長)に丸投げしてしまった事・国が責任を取らないのが大きい原因の様に思います。
 
被災地の市町村長も役場の職員も被災者方です。ご自分の身内親族も津波で流され、安否確認さえ出来ず、親族が亡くなり、原発で避難生活を転々として来られた被災地の市町村長様方、職員方に、国は寄り添うどころか、国は全責任を被災者である市町村長に役場職員に丸投げしてしまい、国は助けの手を差しのべるどころか、むしろ我関せずの、他人事になってしまっている事が大きな問題ではないでしょうか?
 
それに、被災地は復興には未だほど遠い状態なのです。だのに国は「復興した。帰還宣言した。オリンピックの聖火ランナーが走る」と意図的に原発を忘れさせる、原発は終わった、復興した、と国民に原発を忘れさせようとしている事が問題です。現実は復興にはほど遠いとどうして真実を言えないのでしょう?原発を隠し通すのでしょうか?
 
政治家の先生方にお願い致します。国民の命と生活を守る為に政治家になった事の自覚を願います。我が身を守る烏合の衆にならず、ましてや見て見ぬふり・聞いても聞かぬふりではなく、真実を隠すことなく、正直で主体性ある政治家、国民の声を大切にされる国民の為の政治家になっていただきたく思います。
 
⑤賠償金請求の為に裁判をおこしておられる方々の言葉です。「原発事故をおこしたのは東電や国なのに、横柄な態度で頭に来る。どちらが被害者か?と言いたい。いつの間にか我々が悪者になって来る」「いつ解決をするか判らない。気が遠くなる話です。度重なる裁判で仲間は疲れて来ています。裁判に出るのも大変です。我々も疲れて来た。お金もかかるし、時間もとる。弁護士の要請に従って仕事の合間には、野山の線量測定にかけずり廻っている。裁判に出る準備もしなければならない、それも大変です。しかし負けるわけにはいかない。頑張ります。」いつ解決するかは判らない。裁判には最低30名の人を集めなければならない。参加したくない仲間を集めるのは大変なことです。被災者の声です。
 
⑥南相馬海岸沿いの小沢部落です。災害前、小沢部落では部落民全員で農業共同経営をする為、国から9億円のお金を借りて着々と目標に向かって進んでいました。これから各家庭に農地を配分する寸前に、巨大津波が押し寄せ、小沢部落は津波に飲み込まれてしまい、9億円の借金だけが残ってしまいました。部落民の悲しみ絶望感は、、。私が知っている方は鬱病になってしまいました。小沢部落を知る仲間の話では「小沢部落の土地は殆ど無くなり、借金の事は決まっていない。宅地は買上げ(1坪9000円~13000円。13000×300坪=300万円)になったが農地は買上げにならない。小沢部落は20km圏内なので月10万円は出た。小沢部落は気の毒です。」
 
海岸沿いで津波に飲まれた部落について「家屋も電信柱も飲まれ、今は1面海岸、砂浜です。この砂浜の下に家が部落が在ったと、思うとやるせない。」
 
天災で全てを失った方々に生活費を。国から借りた9億円の借金は無かった事にしてあげられないものでしょうか?
 
⑦「放射線量は全体的に上がっています。今だに漏れています。煙突があり壊れている。我々はあの煙突が倒れないように願っている。場所により線量が高い。モニタリングポスト(リアルタイム線量測定システムの箱)の数値の所の空間線量を我々が計ると3~6倍高い。モニタリング、調整しているのではないか?と思って尋ねたら「モニタリングは1日の平均で出している」と言う。自分達が計ると波があり高い。葛尾は8Msv、高い所は100Msv、地面は2万~3万Msvの所もある。私の産毛が抜ける。いまだに水が漏れて海に流れている」被災者の話です。この現実を問題にしなくて良いのでしょうか?
 
⑧「福島」と聞いただけで被災者を冷たい視線で見たり、排斥したり批判するのは止めましょう。「東電の賠償金を沢山もらっているのでしょう」「私達のお金で生きている」これは大きな誤解です。賠償金をもらっていない人がほとんどです。こんな誤解は止めましょう。むしろ関東の方々の電気を送電する東京電力発電所を建てる為に自分達の土地を提供してくれた恩人達です。放射能の怖さを知っていた彼等は東電を作る時に反対しました。しかし国は強引に建てたと言います。常に彼等は放射能の恐怖と汚染にさらされていました。ついに恐れていた原発の爆発が起こって彼等には安住の地も無く、国は彼等の苦悩を見て見ぬふり、彼等の不幸について対処しようともしません。ロシアの チェルノブイリの方が 被災者に対しどんなにか良心的な対応をしています。日本の国が被災者に対してこんなにも冷酷とは思ってもいませんでした。こんなにも無慈悲とは思ってもいませんでした。
 
日本には54基の原発が有ります。明日、何処かの原発が爆発しないとも限りません。福島の二の前に成りかねないのです。同じ様な冷遇をされても良いのでしょうか?もっと福島の被害者を大切にしてください。むしろ私達の恩人なのです。感謝の念を持って彼等の叫びに耳を傾け、助け救ってください。
 
⑨「8年も過ぎたのだから自立しなさい」「支援は自立の妨げになる」「甘やかし」「乞食根性」等と批判してませんか?
 
東北の方々は、我慢強く 忍耐深く無口の方々が多いです。風雪に耐え、厳しい状況に忍耐強く自己主張を余りせず、耐え抜き待つことに長けています。だからと言って、苦しい状況をいつまでも 放って置いて良いはずがありません。どんな人に対しても不幸な状況は取り除くのが国の責任であり任務の筈です。自分の任務をおろそかにして、 市町村の責任者に 任せてしまい、 見て見ぬふりするのは 無責任とは言いませんか?
 
被災者はどんなに自立をしたいでしょう。しかし最低の生きる条件が満たされていないとどんな人でも自立したくても自立は出来ません。自立と言う言葉は他者が言う言葉では無いと思います。私達が生きるためには「ゆとり」と言うのが必要です。
時間のゆとり、住いのゆとり、お金のゆとり、心のゆとり等。心にゆとりが有ると顔つきも態度にも柔かさが溢れて来ます。人間が生きる条件には「ゆとり」が必要かと。心にゆとりが有ると、争い、妬みが無く、平和がみなぎるかと思います。
 
 
*〈お知らせ致します〉

「民の声新聞」ジャーナリストの鈴木博喜氏のブログ、Twitter、facebook他いろいろ有り。被災者について多くの記事を書いてます。是非、ご覧くださいませ。
www/Supporit-fukushima.net



by momofukuoka | 2019-06-10 10:50 | 福島の被災地の現状

福島の現実

「令和」の時代が始まりました。
 
即位の儀式で新天皇様は「 憲法に則り責務を果たす」と誓われ「国民の幸せと国の 一層の発展、 そして世界の平和を切に希望いたします」 と即位後初めてのお言葉を 述べられました。
 
上皇様は 退位礼儀のお言葉で「 私を受け入れ、支えてくれた国民に、心から感謝します」と述べ、令和の 時代が「 平和で実り多くあることを、 皇后と共に心から願い、 ここに我が国と世界の人々の 安寧と 幸せを祈ります」と 結ばれました。
 
上皇様、上皇后様が、 全国民のために毎日祈り、痛みを背負ったあらゆる方々に胸を痛め、災害被害者の前では身を屈め、頭を垂れて1人1人の手を握りお言葉をかけておられるお姿を、私達国民は決して忘れてはならないと思います。
 
 
令和になり、新しい年を希望に満ち、幸せを願って再出発し始めた私達です。しかし、今もなお泣き苦しんでおられる福島原発被災者方の事を忘れず、助けていただきたく思います。宜しくお願い申し上げます。未解決のままで、放置されることがありませんように。
どうぞ皆様が弱き方々の声になっていただけますように。
 
福島被災者の「今」をお話しさせていただきます。
 
放射能で汚染された土を入れた黒い袋を皆様ご存知ですね。あの土をどのように処理したかをお知らせ致します。国も東電も責任を持ちません。各市町村に丸投げしました。
 
市町村では直轄の土地があるわけがありません。町民村民の誰かに引き受けて貰わなければなりません。しかし誰もが汚染した土が入った黒い袋など、自分の田畑に引き受けたくはありません。
 
そこで市町村によって解決の仕方はまちまちです。ある町は国道自動車道の中に穴を掘って埋めてセメントを流して封じ込むというやり方で解決。
 
ある町は話し合いで帰還困難地区(立入り禁止地区)の人の田畑に置き、上から土を20cm盛って高台にしておくやり方。
 
ある村は「誰も引き受けないから」と申し出た自治会長の田畑に置く。
 
国道6号線沿いの町は、6号線を挟んで海側に中間貯蔵庫や汚染土置き場が多く、山側は無いとのこと。しかし山側は山林の除染をしていないので線量が高い。
 
汚染土の置き場をめぐって、悲しい話を被災者から沢山聞きます。
 
双葉町のある方は「環境省から草原にするので土地を提供して欲しいと言われ、町を綺麗にするならと、自分の土地を提供した。そしたら中間貯蔵庫を建ててしまった。だまされた。悔しい」とガックリ力を落として心は悲しみで張り裂けそうでした。
 
ある村人は「誰も引き受ける人がいなかったので、4人の仲間が自分の田畑を提供したら借り賃としてお金が入りました。そしたら村人から妬まれ、白い目で視られ、村八分になり、外に出れなくなりました」(村起こしに頑張る、と張り切っておられた人が20歳も30歳も老け込みびっくりしました。大丈夫か?と気になります)
 
双葉町は常磐線双葉町駅前を除染してミニ双葉町を作る計画です。住宅、店等を建てて双葉町の町民を呼び込む計画です。(果して何人戻るか?と心配の声も聞きます)
 
大熊町近辺の常磐線は津波の時のままです。除染して来年の2月には大熊町駅と双葉町駅は開通し、駅周辺を解除するとの事です。オリンピックを目指して、宮城まで常磐線全線を開通する予定とのことです。
 
被災地の若い人達は8年も過ぎた今、住い、仕事、学校等も避難先に住み慣れて、故郷に帰る人はあまり居ません。故郷は仕事、学校も無いし、放射能が怖いので帰れません。
 
帰還宣言で被災者は帰るように促され、仮設は壊されました。自宅に帰った被災者は高齢者ばかりです。70代~90代の1人暮らしです。仮設の仲間もバラバラで離れてしまい交流も無くなりました。被災者の多くが農業でしたが8年も狭い仮設で動かなかった為に、足腰が悪くなり、体力も無くなり、自宅に帰ったけれど、農業が出来なくなった人が多く、自分の食べる物さえ作れなくなり、死ぬ人が多く、毎日誰かが死んでいると言います。
 
店も病院も遠く、近くには何もありません。自宅に帰った被災者は1日中誰とも話す事もなく、山村では寒さに震え、食料も僅かの人が多いです。5万円以下の年金で生活している人が多いです。
 
被災者の中には、今でも津波で流されて行く人の夢を見る。眠れない。という人も居られます。
 
原発被害者は言います。「災害が原発ではなく、普通の自然災害だったら、私達も宮城、岩手の方々と同じ様に、町起こしをし、自分達の手で復興していた。故郷を自分達の手で復興していた。しかし原発は福島県民に生きる術を失わせてしまった。町や村を荒野と化し、放射能汚染で山、川、田畑、家、福島県全土を放射能で汚染し、人が住めない場所にし、家族も仲間もバラバラにし、お金で人間関係を駄目にし、国と東電に振り回されて、神経をすり減らし、福島県民を不幸のどん底に落としてしまった。壊れた家を修理するお金も無く、孤独で死んで逝く高齢者も多い。苦悩続きで病に伏した人も多い。しかしこの状況に対し、国は責任を取らず、福島の人達の犠牲、苦悩を意にもかけなくなった。むしろ放射能線量で満ちた所に我々を返し、20Msvに下げたから安全だ帰還宣言したと。そして復興したと。国は国民に福島の事を忘れさせようとしている。オリンピックの聖火ランナーは福島から出発すると言う。
 
被災者の言葉です「放射線量が高いのは福島県だけではありません。日本のいたる所で高いです。放射線量測定器を全国に置いて欲しいです。ご自分の町も高いのでは?放射能は眼に見えないから、臭いもしないだけに人体に害を与えています」
 
皆様。国民の幸せと平和を願う「令和」のこの年に、国民の命を脅かす原発と放射能汚染について、本気になって見つめ直しては如何でしょうか?国民の力で、あなたと仲間の力で、人の命の尊さを、日本の平和を、幸せを取り戻しませんか?
by momofukuoka | 2019-05-05 06:45 | 福島の被災地の現状

福島の現実

桜前線と共に、皆様は春の訪れを感じ、桜の花を観ながら心幸せに和やかにお感じになられました事でしょうね。桜の花、不思議なものですね。どうしてこんなに美しいのでしょう?軟らかなピンク色、穏やかで物静か、どの花びらも自己主張することなくみんなが1つになって控え目に寄り添って支えあっている。つぼみが膨らみ始めた時から満開になって、花弁がハラハラと散り始め、葉桜になってもなお、桜は私達の心を虜にしてしまう。私も桜のような人間になりたいな、と桜を観ながら思いました。
 
さて、今日も[福島の今]をお伝えさせてくださいませ。
 
 
年号が[令和]になりつつ有る今、福島原発被災者の皆様の殆どが[最も過酷な現実の日々]を迎え、過ごして、希望を失い、過酷な残酷な状況です。
 
日本の皆様はどれだけ福島原発被災者について知っておられますでしょうか?関心を持っておられるでしょうか?新聞、テレビ、マスコミ界でも、国会でも取り上げなくなりました。
 
環境省では「20Msv迄除染したから安全なので解除宣言しました。安心して帰って自分達で開墾して街作りをしてください。お金は自分達でやりくりしてください。田畑の開墾、豬駆除、家の建築代も自分達で工夫してください。20km内はお金を出すが20km以上はお金を出しません。もう仮設は閉鎖です。壊します。住む家は自分達で探してください」
 
これが福島原発被災者の現状です。オーバーではありません。現実です。
 
 
*[川内村](89才、女性、1人暮し)「我が家は原発から30kmです。だから賠償金は何も無い。地震で家は傾いて2階の戸は開けられない。曲がった家は直しようもない。1階も2階も太い木で持ち上げてつっかえ棒している。雨も漏っている。障子も滲みて、張り直しをした。唐紙1枚5000円、屋根に上って直して貰った、大工に40万円払った。年金みな使って終った。今も傾いて雨漏りする家に住んでいる。税金も払わなければならない。
 
国民年金が私の全て。5万円弱で、光熱費、税金、病院代、残るお金は僅かです。これで生きて行かねばならない。昔は毎日田畑を耕し、野菜を作り、山菜を食べてたので食費はかからなかった、しかし今は何でもお金がかかる。災害があってから8年も仮設で暮らし農業から離れて動かなかったので体はすっかり弱ってしまった。災害があって最初に避難したビックパレットでは何百人も重なって寝ていた。床はタイルだったので段ボール1枚の上に冬なのに毛布1枚。寒くて震えていた。毛布1枚だもの。あの姿を、見せたかった。ホームレース以上だった。固いおむすび1個、固くて食べられず水ばかり飲んでいた。
 
トイレは2階に2つしか無い。避難所で死んだ人は何人もいた。今、壊れた家に1人で住むなら、最初から避難せず家に居た方が良かった。田畑も在るし、ゆったり寝れた。避難生活で体も崩す事も無かった。今、川内村に帰ったけれど、ほぼ毎日人が亡くなっている。若い人も亡くなっている。家の建て替え?そんなお金など私には無い。」
 
上記は被災者の生の声です。
 
 
「国際法では放射線量を浴びて良い年間放射線量は1Msv迄でそれ以上は体に影響を及ぼすので立入り禁止区域にしなければならない。人は住んではならない。」と言われています。
 
しかし今の日本政府は国連の再三再四の警告を無視して、立入り禁止区域の帰還困難区域を年間20Msv迄下げさせ、「安全だから帰って良い」と強引に解除宣言して福島被災者を放射線量の高い所に帰そうとしています。しかも生活環境を整えているわけでもなく、酷い所はフレコンバック(各地から集めた汚染土を入れた袋)の中から線量の低い土を被災者の農地に穴を掘って埋め、30㎝の土でそこに土盛りをして、「放射能には半減期があり年数経てば無くなるから安全だ」と言って、被災者に[復興の町造り構想]と題して帰還することを盛んに勧めています。
 
フレコンバックが埋まって土盛りした所に野菜を作ったら、野菜の根は30㎝以上土深く伸びて被災者は放射能に汚染された野菜を食べる事になるでしょう。被災者の健康に政府は責任を持たないのでしょうか?
 
知って知らぬふりするのが今の日本の政治家なのでしょうか?被災者は言います。「政治家の皆さん。2週間ここに来て住んで生活してみてください。体験すれば解ります。体験しないでどうして解るのですか?」「ここに住んでください。と言われたら、あなたは果たして住むでしょうか?田畑が荒野、イノブタが多量発生、大きなスーパーも病院も無く不便で仲間も居ない寂しい所に。」
 
東北、雪国の福島人の特長は無口が多く、苦難には黙黙と耐え、自分の苦しみを他人に話す人は少ないです。だからと言って善良で素朴な東北の福島の人を、非道な扱いを平気で政府は押し通すのでしょうか?
 
「これ以上福島の人を苦しめないでください。彼達はどんな悪いことをしましたか?むしろ関東の人達の為に土地を東電に提供してくれた恩人でしょう?恩人を何故救わないのですか?使い捨てですか?観て観ぬふり、知って知らぬふり」あまりにも悲しすぎる日本です。
 
 
SNS.2019年4月1日の[公明党のニュース]から引用させていただきます。
 
[大熊町解除地区、大川原地区と、30平方km分、町の総面積約79平方kmの38%、 住民登録は 計 140世帯 ( 374人)と 町全体(10367人)の 3.6%(2月末現在)。 もともと町の中心部は帰還困難区域、しかし大川原地区を「復興拠点」と位置づけ、゛ゼロから出発〟を期す。今すでに町役場の新庁舎が完成し、3月14日に開庁式 を行う予定。 災害公営住宅の整備も進み6月~第1期分50戸への入居も始まる。 3月31日には 常磐自動車道の大熊インターチェンジも開通し、 これに合わせて国道6号や大川原町地区につながる 県道、町道の 通行規制も除染された 。一部解除はゴールではなくスタートである。」
 
 
被災地を訪問した人の言葉です。「今でも常磐道の双葉町、大熊町を通る時、放射線量の測定機がピーピー鳴るので体は硬直します。矢張り怖いですね」
 
「2年後にオリンピックの聖火は福島から出発するのですよ。大丈夫でしょうか?」
by momofukuoka | 2019-04-04 06:06 | 福島の被災地の現状

福島の現実

ようやく暖かな春の陽射しが嬉しく感じられる様になりました。
 
冬の寒さで 身も心も縮こまっていた私達です。
 
暖かな太陽に向かって 両手を広げ 大きな深呼吸を 何度もし、 新鮮な空気とエネルギーを 沢山貰って 元気な良い一日を 始めましょう。
 
今日も[福島の今]を語らせてください。 皆様 福島に関心を 寄せてください。宜しくお願い致します。
 
[南相馬小沢地区]
農業の盛んな小沢地区は 、 町を上げて 農業の大企業化を 目標に 国から50億円の 貸付し、着々と計画は進み、これから各自に配区分する寸前に 津波が押し寄せて 、長年努力して来た 田畑の 大企業化の夢は、 水の泡、 50億円の借金だけが 被災者の肩にのり、被災者の苦悩は半端でなくなりました。
 
50億円の負債金、津波ゆえの天災なので国は免除しても良いのでは?と思うのですが(総理は海外に多額の出資をしています。外交上必要なのでしょうが、まず日本国内に天災で困っている人達にお見舞いに行って必要な手当をするべきではないでしょうか?と思います。)
 
今日、小沢町の人に尋ねました。
 
「国は負債については何も言わない。津波は東電には関係無いので、東電も国もお金は出さない。国は引越代だけ出してくれた。私は、自宅はローンで家を建てた」。
 
災害間もない頃に、小沢町の人と話すと皆暗い悲愴感が 漂い 落ち込んでおられ、 こちらも気の毒で何と話しかけたら良いのかと十分話せませんでした。
 
 
[南相馬小高区]
津波で 身内を失い 自宅を流された 小高部落の人の話です。
 
「 災害で皆、家族バラバラになりました。 ここは津波で 全身が身内を失ったり 家が無くなった人ばかり、 災害公営住宅に20世帯住んでます。 家族は誰も来ません。仕事場も店も何も無いからです。 居るのは 年老いた 親だけです 。病院も無い店も無い、何も無い所なので、生活するのに困っている。農地を計画したいが、年寄りばかりなので 農業する気力がない。 働く場所、生活の術が無いので 、若者は帰らない。野菜、 食料 何でも欲しい。」
 
* 農家の皆さん、 主婦の皆さん、 野菜や 食べ物を送ってください。 何でも結構です。
 
 
[飯館村]
被災地のどこの村にも フレコンバッグ( 汚染した土 が入った 黒い 袋)が 置いてあります。
 
「帰還困難区域の中に他町村等から搬入されたフレコンバッグが山積みされていて、置き場に限界が出ました。 そこで環境省と 役場 町代表者との集まりがあり、帰還困難区域も除染すると言う方向となり、 フレコンバッグの中から 放射線量の低い土を 農家の田畑に撒くという。その上を土で覆うと 大丈夫と言う。これ以上住民を放射能でさらすのか? 悲しみと辛さでやりきれない」
 
*(環境省の説明によると 汚染された土は、30cmの土で覆うと約98%の放射線を遮ることが出来ると 言ってます。)それが本当だと良いのですが、農作物の根は30cm以上深く伸びるのではないでしょうか? 私も 大丈夫だと言い切れないと思うのですが 心配です。また雨が降ったら土壌の土が流れて土は30cm保てないでしょう。大丈夫と言い切れるのでしょうか?
 
又、フレコンバックの土は、常磐道の高速道路に使うと言う事です。この汚染された土は、全国の至る所に使われる可能性があるかもしれません。大丈夫でしょうか?
 
 
[大熊町]
「車で常磐道を通る時、線量計が ピーピーピーピーと鳴り出します。判かっていても 身体は緊張しますね。放射能は風に乗って至る所に流れたのだから、日本全国各地に放射能 測定器 を 置いた方が良いと思う。至る所が高いのではないですか?高いのは福島だけではないと思う」。
 
 
[富岡町]
「私の家は富岡町で一番放射能が高い帰還困難区域です。この度復興省から連絡が入り、[自宅を半壊か全壊かを 測定したいので立ち会ってくれ、二人以上で来るように。]と連絡が入り 2月25日に 防備服を着て行って来ました。私の家は帰還困難区域で 立ち入り禁止の区域だぞ、これから先何十年も住めない家だぞ、今更全壊も半壊もないべ。 イノシシが 寝起きしてました。外壁もどうしようもない状態です。諦めるしかないべ。 行って来てがっかりした。復興省の人は 淡々と計量して 書いて行った。1ヶ月後に報告が来ると言う。あと2年で10年だぞ。今更半壊だ全壊だと言われても、しょうがないべ。 腹立ててもしょうがないべ。 諦めるしかない。」
 
 
皆様福島に対する関心は、世間では過去のことになり 、関心が無くなって来ているのを感じています。明日は我が身かもしれません。色々な事件・出来事が起り安心出来ない日本になりました。こんなに 不安な日本、親子の絆さえ 不確かな日本、弱者・子供・老人・病人が 大切にされない時代。 経済・経済、 お金・お金。
 
それは生きる上で必要なことかもしれません。しかし自然を汚染し、命を粗末にして、 弱者の苦しみを顧みない国は、国民のために尽くしていると言えるのでしょうか?
 
福島の為に ご支援いただけます方は 下記にご連絡くださいませ。
 
携帯 080-5547-8675 福岡百子
f.mom.1947@ezweb.ne.jp
by momofukuoka | 2019-03-06 05:33 | 福島の被災地の現状

福島の現実

インフルエンザが流行している季節です。皆様、呉々もお気をつけくださいませ。
 千葉県近辺は昨年から雨が降らず、野菜や果樹類の水不足で深刻と農家の方は心配をしておられますのと、今回の北海道・西日本の多雪の為に、さぞ昨年地滑りや洪水等の災害被災者は、お辛い思いをしていらっしゃるかと思いますと、胸が痛みます。
 どうぞ皆様、災害被災者に助けの手を差し伸べてくださいますようにお願い致します。
 
さて、今回は福島原発被災者のの[今]をお知らせ申し上げます。
 
福島の被災地は主に、大熊町・双葉町・浪江町・富岡町・楢葉町・広野町・川内村・葛尾村・都路町・飯館村等を指しますが、今迄は、各部落に在る帰還困難区域には、人の立入り禁止区域でそこに住んではならないとされていました。ですのに昨年から、環境省は帰還困難区域を20msvに下げたらそこに人は住んで良いとしました。「放射能は大丈夫だから安心して住んでください」と言って帰還困難区域を解除宣言をしようとしています。帰還困難区域の解除宣言を5年計画で成し遂げようとしています。
 
被災地の山、森林、田畑、家の回りの草木は避難した時のままで、何処も除染をしていません。除染したのは(水で洗い流しただけです。汚染した土は削って被災者の庭の片隅に埋める・砂利を敷く・汚染した土を黒い袋に入れてフレコンバッグとして所定の場所に集める)家屋20m内だけです。
 
山林等は除染していませんので雨風が吹けば山林の放射能は被災者の自宅に流れて被災者の家は放射能に汚染されると被災者は言います。
 
世界で認める放射能線量制限は年間1msv迄です。それ以上は人体に害があるとして認めていません。すでに国連は日本に警告を促しています。しかし、日本は警告を無視し、人が立ち入ってはならない放射線量の高い立入り禁止区域を、昨年から除染始め年間20msv迄下げた所から被災者を帰させる動きが始まりました。
 
下記は(カトリック新聞2019年2月3日)「意見異見 私見」より[チェルノブイリでは5msvで移住義務が生じます。
 
年間20msvという水準は、日本の法律では放射線業務に携わる人の5年間の平均年間限度線量です。この業務には18歳未満の人の従事は禁じられております。作業現場である放射線管理区域では飲食はもちろん就寝も禁じられ、必要なく立ち入ることも禁じられています。このような場所に、妊婦、乳幼児も含めて帰還させようというのです。帰還を推し進めるために、自治体職員・教職員・インフラ関係者とその家族を職務命令により高汚染地域で生活させようとしています。更に学校を疎開させ、避難していた子供達を強制的に高汚染地域に帰そうとしています。避難指示が解除になれば、自宅に帰らない人も固定資産税を取られます。2020年3月末をもって避難者に対する一切の支援が打ち切られます。]
 
皆様、どう思われますか?あなた樣が被災者の立場だったら、
 
「どうぞ放射能浴びて、そこの井戸水を飲み、放射線量の高い野菜を食べ、病気になって死んでください」と言われたのと同じとは思いませんか?
 
これは人の命を無視した犯罪でとは思いませんか?何と恐ろしい日本の国となったのでしょう。
 
8年間の被災者の歩みは残酷物語そのものでした。故郷を追われ、転々とした避難生活、親子はバラバラとなり、周りからは白い目で視られ、非難の的となり、賠償金は夫婦の絆、親子間の絆も裂き、正当な賠償金をもらうのに神経をすり減らし、加害者の東電と国に振り回され、何度も裏切られ心身ズタズタとなり病に犯され、多くの仲間が死に、今は悲しみ苦悩が大き過ぎて、将来の希望も持てず、過去を思い出しただけで具合が悪くなる。悲しみ苦悩が一杯で心が張り裂けそう。だけどこの苦しみを妻にも、母親にも話したことは無い。1人で耐えています。仲間皆も同じと思う。表面的な会話しか出来なくなった。心に悲しみが一杯有っても誰にも言えず、みんな苦しんでいる。この気持ち判ってください。みんなが堪えているから、自分も堪えなければならないと思う。だから「元気か?」しか言えない。とのことです。
 
皆様、被災者は不条理の状態に置かれても、もう疲れ果て、声を上げる力はありません。
 
皆様で廻りの方々に福島の現状を知らせ、福島の被災者を救うべく、手を差し伸べてくださいませ。宜しくお願い致します。
 
 
映画のお知らせです。
[福島は語る](沈黙を破る・異国に生きる・飯館村)
土井敏邦(監督作品)(2時間51分の14人の証言)
3月2日~15日新宿Ks cinema
3月9日~15日渋谷ユーロスペース
3月9日より全国一斉上映

by momofukuoka | 2019-02-05 08:31 | 福島の被災地の現状

被災者への手紙

猛暑に悩まされたのがつい最近だったような気がしますが、早やもうすぐ12月ですね。
 
お身体は大丈夫でいらっしゃいますか?
 
長年の避難生活で、心が痛め付けられることの繰返しで、心身病んでしまわれたのではないでしょうか、とご案じ申し上げております。懐かしい故郷に帰らた皆様には変わり果てた故郷にショックが大きかったのではないでしょうか?昔の面影は無く、雑草が生い茂り、猪に荒らされ、スーパーや病院も無く、遠方迄行かねばならない。故郷に帰った仲間は少く、皆樣無口となってしまい心を閉ざされた方も居られますとか。それだけ被災者の皆様は国から裏切られ、周りからは福島人だからと批判され白い目でみられ、余りにも過酷過ぎる避難生活でした。皆様、どんなにか心身お疲れでしょうね。よく今日まで耐えて来られましたね。もう、頑張らないでくださいませ。疲れきったお体を先ずは思いきって、何もかも忘れてひたすら寝てくださいませ。心行くまで、何日も、何週間も寝るだけ寝て、先ずは体力を巻き戻してくださいませ。そうして心身の疲れをとってくださいませ。そしてご自分を褒めてくださいませ。「よく頑張ってくれたね、あなたは大した人だ。もう頑張らなくて良い。ゆっくりとのんびりと行こう」
 
下記は私の好きな言葉です。よろしかったらご参考になさってくださいませ。[頑張らない。背負い込まない。追い詰めない。まあ、いいか。なんとかなる。成るようになる。後は天に任せる。天が全てを計らってくださる。責任は神様がとってくださる。]私も77歳になりました。胃癌末期、膠原病、線維筋痛症等と言われ病弱だった私でしたが、70歳迄は頑張れた体が、今は天候状態に左右され体が動かなくなりました。初めて悟った[老い]と言うこと。[老い]は様々なことに目覚めさせられます。今迄は活動、生産、産み出すこと等に視点が注がれ、それに人生の価値評価を置いてましたが、老いて初めて、[心の世界]今まで見えなかった事がどんどん見えて来ます。若い時は姿形に美を求めます。しかし老いると人の内面の美しさ、人生の経験、老いの美しさが解って来ます。私は樹木が大好きです。芽が出て、青葉若葉、花咲き、紅葉して枯葉となって落ち土の肥やしとなる。私は紅葉~枯葉が美しくていとおしくてたまらない。老いて行く自分に重ね合わさるからです。紅葉し枯れて行くさま、人生の完成の時です。私は老いた自分がいとおしくてたまらない。老いた皆様が1人1人がいとおしくて、輝いて見えます。1人1人の人生。何にも替えがたい宝物です。シワシワ、ヨボヨボ、が美しい、尊い。
 
1人1人の人生には多くの宝物で織り成されて来ました。苦労あり、涙あり、飢え、乾き、忍耐、痛み、、。喜び、幸せも有りました。しかし苦労は多くの成長を私にもたらしたのだと思います。人生とは何なのか?老いて初めて気がつく課題です。この世は仮の宿であった。これから向かう[あの世]が私の永遠の住いであったことを。この世は私を鍛え練る為の、人格を造るための訓練の場であった。ご褒美は[天国]で待ってます。この世でどのように生きたか?が神様から問われます。老いた1人1人は美しい。大切な宝石です。
  
皆様、ご自分に自身もってくださいませね。老いた私達、一緒に輝きましょう。ありのままのあなたが、美しい。
 
寒くなって参りました。下着衣類は有りますか?暖房費は有りますか?毎日の食品は有りますか?辛く苦しいことがございましたなら、遠慮なくお電話をくださいませね。 
お互いにご自分を労りながら、老いの誇りをもって生きましょうね。呉々もお大切になさってくださいませ。
 
いつも皆様を思っております。
 
尚今年、主人の弟様が亡くなられましたので、お年賀状は失礼させていただきます。皆様のご健康とお幸せをお祈り致しております。 
 
 
2018年11月16日あなたの友 福岡百子

by momofukuoka | 2018-11-17 12:09 | 福島の被災地の現状

福島原発被災者の今

今年も残り少くなりました。来月は早や師走です。子供の時は年月が長く感じたものでしたが年と共に月日の流れが早い事、飛ぶように過ぎて行きます。
 
今年は何と天地異変が多く、沢山の方々が災害に遭われ、今尚苦しんでおられます。1日も早く普通の生活が出来ます様に、助け合いを皆様にも宜しくお願い申し上げます。 
 
さて私事ですが、長い間ブログの原稿書きを休ませて頂いておりました事を、お許しくださいませ。実は危ういかった私の健康でした。原稿書きは無理な状態でした。所が最近、再び健康をいただきました。皆様の熱いお祈りと励ましのお陰様です。本当にありがとうございました。心から感謝申し上げます。又、毎月、ブロクの原稿を書かせて頂きたいと思います。宜しくお願い申し上げます
 
 
【福島原発被災者の今】
 
福島原発被災者は放射能汚染から逃れる為に避難して7年8ヶ月となりました。国は被災者達に帰還宣言を出しました。しかし被災者の故郷は、決して安全、安心とは言えません。線量の高い所も有ります。何故なら、除染は家屋20M内だけで、しかも水洗いと土を剥ぎ取り、所によっては砂利を敷いただけです。家の中の汚染は責任を持ちません。室内線量が高くても。又、家屋20M外と山の除染はしてないので、雨風が吹くと又、線量は高くなります。

国は被災者に帰還宣言をしました。その為に仮設は順次取り壊しています。被災者はやむ無く仮設を出なければなりません。しかも家探しは被災者任せです。福島近辺の家土地は高騰し求める事が出来ません。
 
故郷は7年以上放置され、家はネズミの住み処。衣類、布団、家具等全ての処分から始めなければなりません。新築するにもお金が有りません。相応の賠償金をもらっていないからです。室内の線量が高い所も有ります。被災者は雑巾がけをして自分で除染しています。 
 
災害後人の手が及ばなかった田畑は荒地と化して開拓地に来たようだという人もいます。猪が庭先迄来て作った野菜を食べて行く、と言います。町、村には食品を売る店、病院も有りません。せめて雑草が刈られ、動物駆除され環境が整ってから、帰還宣言すべきではなかったのではないでしょうか? 
 
原発は放射能を撒き散らして人を家屋を故郷を放射能で汚染して、福島県の産業を駄目にし、沢山の人の人生を、命を奪い、踏みにじってしまいました。親子の絆を奪い、村人同士を仲違いにさせ、平和で穏やかで自然豊かな町々を村々を、何もかも破壊してしまいました。先祖代々築きあげた歴史も文化も何もかも。これが原発の怖さです。
 
被災者は帰還して初めての冬を迎えます。海抜600m~800m山村の被災地に1人暮らしの高齢者。店も無く、隣の家は何kmか先、さぞ寂しく、辛く、寒くどんなに大変でしょう。 
 
東電からのお金はもらっていません。年金の5万円弱で光熱費、医療費、ガソリン代、全てです。未年金者もいます。食費は暖房費は大丈夫でしょうか?私は心配です。80歳~90歳の1人暮しが多いからです。 
多くの被災者方は7~8回引っ越しし、苦難と失望の繰り返しの年月で心身病み疲れ果て、病に伏してしまった人が多いです。「過去を思い出すと具合い悪くなるので、思い出さないようにしている」と言う人もいます。被災者の心の傷は深いです。 
 
私は今こそ福島原発被災者を救って欲しい。被災者の苦悩に寄り添って欲しい。彼等は捨てられた。忘れられた。と思っている人もいます。彼等は疲れ果てています。孤独、寂しさ、苦悩を背負った人達です。
 
私達の電気、照明等の文化生活の陰には犠牲を払った方々が居られる事を、忘れないで欲しいです。感謝の念を福島被災者に持って欲しいものです。
 
そして、日本の国内に原発が有る限り、あなた様の身に、福島原発被災者と同じ事が起こらないとは限りません。もっと原発の事を真剣に向き合ってみては如何でしょうか?安全な太陽光発電等に。そして福島原発被災者のご支援にご協力お願い申し上げます。 
 
全ての人に1人1人に、幸せと1日の糧と心の安らぎがありますように!

by momofukuoka | 2018-11-01 08:00 | 福島の被災地の現状
〔福岡百子は[ 千葉県人権啓発 指導者 養成講座] の講師として 招待されましたが、健康上無理でしたので被災者に講師を代わって頂き、かわりにレポートを提出しました。 数回に分けてブログに掲載します。〕
 
 
はじめまして。福岡百子と申します。宜しくお願い申し上げます。私は、2011年6月~現在も福島原発被災者の支援活動をさせて頂いている者です。私は原発被災者の悲しみ、苦しみ、悩み、叫び、壮絶なまでの苦悩を共に共有しながら寄り添って参りました。この現実の中で必死に生きてる被災者の姿。それに対し「原発は解決した。もう福島の事については安心、安全、気にしないで欲しい」と福島被災者の叫びを無視する政府。それ等を見ながら私が体験させて頂いて感じたこと。被災者の叫び。被災者の現状報告。今後の課題と皆様にご協力願いたいこと。支援の心について等のレポートをさせて頂きました。このレポートをご覧いただきました後に、ご自身への課題として動いていただけましたら、ありがたく存じます。
 
①[福島原発の被災地とは]
福島県浜通りの双葉郡の8町村(広野町、楢葉町、富岡町、大熊町、双葉町、浪江町、川内村、葛尾村)と都路町、津島町、飯館村、南相馬市(小高区、原町区、鹿島区)を主に差します。
 
原発の影響は浜通り(国道6号、常磐線が通る海岸沿いで、津波と原発放射能を浴びた町、津波で自宅も人も流され死者が多く出て町ごと砂で埋まって海底に沈んだ(海岸一面砂浜になってかつての町や家は砂浜の中に埋まってしまった。)町もあると聞きます。各町の海岸に近い所は津波の被害と放射能を受けました。それは広野町、楢葉町、富岡町、大熊町、双葉町、浪江町、小高町、原町、鹿島町、相馬市等の1部。町民の仕事は主に 漁業、農業で街方面は商店街もある普通の街です。
 
放射能汚染は399号道沿い海抜600M~700Mの山岳地帯、主に川内村、都路町、葛尾村、津島、飯館村等にも流れ汚染しました。山岳地帯の生活は山と山の間の限られた所にしか平な地は無く、その為半農、畜産、林業、山菜等を 収入源とし、 川魚を食し、 山の湧き水を飲み、 井戸水での生活を送る質素で素朴な方々村人達です。11月末頃~3月頃迄雪が積る為街まで外出は難しい山岳地帯と聞きました。風雪に耐え質素で素朴で忍耐強く我慢強い 村人達です。
 
原発後、村人達は山も川も放射能に汚染でされ 生きる糧を失いました。被災地の除染は 居住地20メートル以内 のみ、しかも水で流し洗いか、上土を取って袋に入れるだけです。山の除染はどこもしません。雨が降り風が吹けば放射能や汚染水は居住地に又流れて来ます。
 
それでも国は[除染したので大丈夫と帰還宣言]して被災者を帰還させました。仮設も壊され、帰るしか行き場の無い被災者。被災者は「どうせいずれは死ぬのだから」と汚染を覚悟で自宅に帰りました。しかし7年放置した自宅も回りも荒れ地と化して、店も病院も無い、猪が居る汚染された故郷に、殆どが高齢者1人の居住地。「山奥の私達には店が無いので、自分が食べる分くらいは自分で作る」と足腰悪く体調優れない80歳~90歳の1人暮しの人達。被災者は国民年金以外に現金収入が有りません。 1ヶ月5万円弱。 光熱、税金 、医療費、他全てを 5万円内で。 70代は 除染作業に出向き生活費にしてます。
 
今[東京電力の原子力発電所]が建っている土地は、昔しは過疎地でこれと言った産業はなく、出稼ぎで生計を立てている部落でした。戦時中はここより飛行機が飛び立っていたと聞きます。戦後は空き地となりここに国は目をつけて[東京電力の原子力発電所]を建てました。住民は反対しましたが建てられてしまったと聞きます。
 
[東京電力福島第1原子力発電所]は大熊町と双葉町に立地(1号機1971年3月26日運転開始日~6号機1979年3月開始日)
 
[第2原子力発電所]は楢葉町と1部富岡町の敷地に(1号機1982年4月開始日~4号機1987
年1987年8月開始日)を。
 
国の方針に反対出来ず賛同した町と反対した町とでは国からその後の交付金額や恩典が異なりました。この金額、恩典の差は後々迄影響され、その差は歴然としています。大熊町は黒字に、双葉町は赤字に。又、国の方針に応じない市町村長への国の圧力は大きいです。その見返りはいろいろな形で町長に役場の職員達に住民迄圧力がかかります。
 
(例として)原発の怖さを知って反対した当時双葉郡8町村会の旧会長井戸川町長は双葉町住民を被曝から守る為に埼玉県加須市に住民を避難させました。しかしその事が福島県から出たとの理由で、福島県からの支援物資はもらえず、仮設住宅も双葉町町民はまとめて入居させてはもらえず、他の市町村民が入居した残りの仮設にバラバラに入って、双葉町町民は互いの連絡も取れない状況に追いやられ、役場も遠くなり情報も支援物資も届かず双葉町の被災者は孤独と苦悩に陥りました。
 
災害後間もなく、他の市町村には保育園、幼稚園、小、中学校や福祉施設が出来たのに、双葉町には有りませんでした。いくら原発を反対したからと言っても保育園、学校も作ってもらえないとは?酷すぎる。国の方針で建てた原発なのに、被災者は土地を国の為に提供してくれた協力者です。国は責任をもって被災者の命と生活を守らなければならないのに「後は市町村で勝手にやってくれ」被災者にも「自分の家は自分で探せ」と充分なお金も出さず、無責任にも程があります。
 
国のやり方に私は怒りを感じております。被災者の命と生活は今も尚、苛酷に粗末に扱われ心身疲れ果てて、福島の被災地は今までに無い死者数となり毎日の様に死人が出てると聞きます。被災者は絶望と孤独の内に亡くなって逝くと言います。被災者の被曝、生活が営めない、悪環境、精神的苦痛等は国の[殺人行為、犯罪行為]とはならないのでしょうか?
 
又、元井戸川町長は国から町長職を奪われ退かされました。住民を被曝から守った町長は悪者にされています。国の策略とも聞いております。
 
浪江町の故馬場町長は被災者の為に、避難先での仮の住民票発行を国に願う為に国会議事堂迄行ったのに門前払いだったと聞きます。又、省庁の役員は浪江町役場迄行き、馬場町長に「貴方が印を押さないと前に進まない」と何度も迫られやむ無く印を押したとも聞きます。役場の職員達も「国の方針に従わないと役場の職員ではない」と屡々圧力があった。と言いました。
 
帰還宣言する場合は、先ず役場の職員が被災地に帰させられます。そして「役場が機能している」と住民に帰還を促し、放射能は大丈夫だと安心させます。未だ放射線量の高い被災地に役場の職員は恐怖感を持って帰ります。独身者から行かされると聞きました。
 
役場に夫婦で働いている人がいました。夫は課長です。「課長である僕が行かなければ若手は付いて来ない」皆さん覚悟をもって行きます。その方には幼い子供がおりました。夫婦は子供を守る為に離婚して、夫は放射能ある被災地の役場に、妻は子供の為に安全な県外に別れて行きました。「私達は愛し合ってました。子供を守る為に離婚しました」皆様、苛酷な事ではありませんか?
by momofukuoka | 2018-10-11 08:46 | 福島の被災地の現状