2011年3月に発生した福島原発の事故発生後、現在も仮設住宅等での避難生活を強いられている被災地の方々の状況をお伝えすると共に、支援の呼びかけなどを行わせて頂いております。


by momofukuoka
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福岡百子レポート 福島原発事故と被災者

〔福岡百子は[ 千葉県人権啓発 指導者 養成講座] の講師として 招待されましたが、健康上無理でしたので被災者に講師を代わって頂き、かわりにレポートを提出しました。 数回に分けてブログに掲載します。〕
 
 
はじめまして。福岡百子と申します。宜しくお願い申し上げます。私は、2011年6月~現在も福島原発被災者の支援活動をさせて頂いている者です。私は原発被災者の悲しみ、苦しみ、悩み、叫び、壮絶なまでの苦悩を共に共有しながら寄り添って参りました。この現実の中で必死に生きてる被災者の姿。それに対し「原発は解決した。もう福島の事については安心、安全、気にしないで欲しい」と福島被災者の叫びを無視する政府。それ等を見ながら私が体験させて頂いて感じたこと。被災者の叫び。被災者の現状報告。今後の課題と皆様にご協力願いたいこと。支援の心について等のレポートをさせて頂きました。このレポートをご覧いただきました後に、ご自身への課題として動いていただけましたら、ありがたく存じます。
 
①[福島原発の被災地とは]
福島県浜通りの双葉郡の8町村(広野町、楢葉町、富岡町、大熊町、双葉町、浪江町、川内村、葛尾村)と都路町、津島町、飯館村、南相馬市(小高区、原町区、鹿島区)を主に差します。
 
原発の影響は浜通り(国道6号、常磐線が通る海岸沿いで、津波と原発放射能を浴びた町、津波で自宅も人も流され死者が多く出て町ごと砂で埋まって海底に沈んだ(海岸一面砂浜になってかつての町や家は砂浜の中に埋まってしまった。)町もあると聞きます。各町の海岸に近い所は津波の被害と放射能を受けました。それは広野町、楢葉町、富岡町、大熊町、双葉町、浪江町、小高町、原町、鹿島町、相馬市等の1部。町民の仕事は主に 漁業、農業で街方面は商店街もある普通の街です。
 
放射能汚染は399号道沿い海抜600M~700Mの山岳地帯、主に川内村、都路町、葛尾村、津島、飯館村等にも流れ汚染しました。山岳地帯の生活は山と山の間の限られた所にしか平な地は無く、その為半農、畜産、林業、山菜等を 収入源とし、 川魚を食し、 山の湧き水を飲み、 井戸水での生活を送る質素で素朴な方々村人達です。11月末頃~3月頃迄雪が積る為街まで外出は難しい山岳地帯と聞きました。風雪に耐え質素で素朴で忍耐強く我慢強い 村人達です。
 
原発後、村人達は山も川も放射能に汚染でされ 生きる糧を失いました。被災地の除染は 居住地20メートル以内 のみ、しかも水で流し洗いか、上土を取って袋に入れるだけです。山の除染はどこもしません。雨が降り風が吹けば放射能や汚染水は居住地に又流れて来ます。
 
それでも国は[除染したので大丈夫と帰還宣言]して被災者を帰還させました。仮設も壊され、帰るしか行き場の無い被災者。被災者は「どうせいずれは死ぬのだから」と汚染を覚悟で自宅に帰りました。しかし7年放置した自宅も回りも荒れ地と化して、店も病院も無い、猪が居る汚染された故郷に、殆どが高齢者1人の居住地。「山奥の私達には店が無いので、自分が食べる分くらいは自分で作る」と足腰悪く体調優れない80歳~90歳の1人暮しの人達。被災者は国民年金以外に現金収入が有りません。 1ヶ月5万円弱。 光熱、税金 、医療費、他全てを 5万円内で。 70代は 除染作業に出向き生活費にしてます。
 
今[東京電力の原子力発電所]が建っている土地は、昔しは過疎地でこれと言った産業はなく、出稼ぎで生計を立てている部落でした。戦時中はここより飛行機が飛び立っていたと聞きます。戦後は空き地となりここに国は目をつけて[東京電力の原子力発電所]を建てました。住民は反対しましたが建てられてしまったと聞きます。
 
[東京電力福島第1原子力発電所]は大熊町と双葉町に立地(1号機1971年3月26日運転開始日~6号機1979年3月開始日)
 
[第2原子力発電所]は楢葉町と1部富岡町の敷地に(1号機1982年4月開始日~4号機1987
年1987年8月開始日)を。
 
国の方針に反対出来ず賛同した町と反対した町とでは国からその後の交付金額や恩典が異なりました。この金額、恩典の差は後々迄影響され、その差は歴然としています。大熊町は黒字に、双葉町は赤字に。又、国の方針に応じない市町村長への国の圧力は大きいです。その見返りはいろいろな形で町長に役場の職員達に住民迄圧力がかかります。
 
(例として)原発の怖さを知って反対した当時双葉郡8町村会の旧会長井戸川町長は双葉町住民を被曝から守る為に埼玉県加須市に住民を避難させました。しかしその事が福島県から出たとの理由で、福島県からの支援物資はもらえず、仮設住宅も双葉町町民はまとめて入居させてはもらえず、他の市町村民が入居した残りの仮設にバラバラに入って、双葉町町民は互いの連絡も取れない状況に追いやられ、役場も遠くなり情報も支援物資も届かず双葉町の被災者は孤独と苦悩に陥りました。
 
災害後間もなく、他の市町村には保育園、幼稚園、小、中学校や福祉施設が出来たのに、双葉町には有りませんでした。いくら原発を反対したからと言っても保育園、学校も作ってもらえないとは?酷すぎる。国の方針で建てた原発なのに、被災者は土地を国の為に提供してくれた協力者です。国は責任をもって被災者の命と生活を守らなければならないのに「後は市町村で勝手にやってくれ」被災者にも「自分の家は自分で探せ」と充分なお金も出さず、無責任にも程があります。
 
国のやり方に私は怒りを感じております。被災者の命と生活は今も尚、苛酷に粗末に扱われ心身疲れ果てて、福島の被災地は今までに無い死者数となり毎日の様に死人が出てると聞きます。被災者は絶望と孤独の内に亡くなって逝くと言います。被災者の被曝、生活が営めない、悪環境、精神的苦痛等は国の[殺人行為、犯罪行為]とはならないのでしょうか?
 
又、元井戸川町長は国から町長職を奪われ退かされました。住民を被曝から守った町長は悪者にされています。国の策略とも聞いております。
 
浪江町の故馬場町長は被災者の為に、避難先での仮の住民票発行を国に願う為に国会議事堂迄行ったのに門前払いだったと聞きます。又、省庁の役員は浪江町役場迄行き、馬場町長に「貴方が印を押さないと前に進まない」と何度も迫られやむ無く印を押したとも聞きます。役場の職員達も「国の方針に従わないと役場の職員ではない」と屡々圧力があった。と言いました。
 
帰還宣言する場合は、先ず役場の職員が被災地に帰させられます。そして「役場が機能している」と住民に帰還を促し、放射能は大丈夫だと安心させます。未だ放射線量の高い被災地に役場の職員は恐怖感を持って帰ります。独身者から行かされると聞きました。
 
役場に夫婦で働いている人がいました。夫は課長です。「課長である僕が行かなければ若手は付いて来ない」皆さん覚悟をもって行きます。その方には幼い子供がおりました。夫婦は子供を守る為に離婚して、夫は放射能ある被災地の役場に、妻は子供の為に安全な県外に別れて行きました。「私達は愛し合ってました。子供を守る為に離婚しました」皆様、苛酷な事ではありませんか?
by momofukuoka | 2018-10-11 08:46 | 福島の被災地の現状