2011年3月に発生した福島原発の事故発生後、現在も仮設住宅等での避難生活を強いられている被災地の方々の状況をお伝えすると共に、支援の呼びかけなどを行わせて頂いております。


by momofukuoka
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福島の現実―福岡百子の声

〈朝日新聞千葉版が福岡百子の活動を取り上げて記事にしてくださいました(3月29日付)。以下、朝日新聞の了解のもとに記事を掲載させていただきます。朝日新聞のデジタルで読むこともできます。
https://digital.asahi.com/articles/ASL355V0FL35UDCB019.html?iref=pc_ss_date
 
 
原発避難者へ物資無償提供 松戸の福岡百子さん
 
東京電力福島第一原発事故で避難し、今なお不便な暮らしを強いられている人たちも多い。少しでも生活の不安を和らげたい――。松戸市の福岡百子さん(76)は事故後、避難所など500カ所以上に食料品や衣類などを無償で送り続けてきた。「体力が続く限り、これからも支援していきたい」と話している。
 
福島県会津若松市で生まれ、高校まで福島県内で過ごした。22歳の時、修道会に入るため上京。シスターとして32年間活動した後、結婚して松戸市に移った。
 
あの日は、自宅にいた。
 
2011年3月11日。巨大地震の激しい揺れと大津波、そして原発事故。テレビや新聞記事で被害の大きさを知るにつけ、故郷を思い、自問した。「福島で生まれ育った人間として何かできないか」
 
ただ、膠原病や胃がんを患い、体力に自信がなかった。治療や定期的な通院が必要で、ボランティアに参加するのも難しい。
 
同年6月、朝日新聞の小さな記事に目がとまった。
 
《昨秋、(福島県の)富岡町で妻と和食の店を開いたばかり。津波と放射能で店は再開できません》
 
福島県大熊町から同県北塩原村に避難した瀬賀浩二さん(66)のことばが記されていた。17年間乗っていた車を大熊町役場前にとめていたが、ようやく持ち帰ることができた、と。
 
「この人を支援したい」。福岡さんは思い立ち、大熊町役場に電話をかけた。役場を通じて瀬賀さんの連絡先を教えてもらい、避難所で必要なものを直接聞いて、下着やパジャマなどを送った。瀬賀さんが福島県いわき市の借り上げ住宅に入居したと聞くと、今度は食器や食料品など日々の暮らしに必要なものを送った。
 
「借り上げ住宅に移った当初は何もなかったので、ありがたかった。涙がとまらなかった」。瀬賀さんの妻、明美さん(60)はそう振り返る。
 
福岡さんはその後、原発事故で避難した人がいる避難所や住宅、福島県内の老人ホーム、幼稚園などを調べて電話をかけ、必要だと聞いたものを送り続けた。活動を知った修道会関係者らが支援を名乗り出てくれたほか、福岡さんは食品や衣類関係の会社に支援を求める手紙を送付。兵庫県の食品販売会社は12年4月以降、これまでに約40回、福島の施設などに物資を送ってくれたという。
 
全国に広がっていった支援の輪。福岡さんは、福井県の支援者の女性から提案され、12年6月からブログ「福島の現実―福岡百子の声」を始めた。避難者から聞いた生活の様子などを日本語と英語でつづっている。「支援に加わらせてほしい」――。ブログを読んだ人から、そんな声も届くという。
 
「首都圏では被災地への関心が薄れている。だからこそ、これからも福島の人に寄り添い、支援を続けていきたい」(滝口信之)
by momofukuoka | 2018-04-17 07:23 | 福島の被災地の現状