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2011年3月に発生した福島原発の事故発生後、現在も仮設住宅等での避難生活を強いられている被災地の方々の状況をお伝えすると共に、支援の呼びかけなどを行わせて頂いております。


by momofukuoka
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福島の現実――福岡百子の声

〈福岡百子は、体調の許す限り被災者と対話をし、その声を世の中に伝えていきたいと望み、ツイッターで被災者の声をつぶやいております。ツイートの中から被災者の声をご紹介します。ツイッターアカウントは「もとシスター人生体験」です〉。

12月14日

ニュースで「帰還困難区域の大熊と双葉に、初めて国費で(今までは全てを東電の費用だったが)除染をして、住める様にする」の言っているのを聴き、びっくりしました。どちらの町も高放射線量で帰れない数字と、最近の町の情報から知ったばかりでした。しかも初めて国費でするとは、国の下心がはっきり判ります。常識では考えられない事ですが、被災地はどの町も山の除染はしてもらえてません。被災地の除染は、被災者の家の回りだけで、家の中の除染は被災者が自分で雑巾がけをするのみです。「山は除染しないので、雨が降ったり風が吹くと山の放射能は民家に流れて来るので、山をして欲しいと願ったけど、聞いて貰えなかったし、民家の回りの除染も2回しただけなので、不安で堪らないが、帰った我等は死を覚悟しています」と。水素爆発した所の大熊と双葉を国費で除染して帰す事にするとは。被災者のショックはどんなでしょう。皆様、このままではあなたの命も棄てられますよ。


12月16日
双葉町被災者の家族が、私宅を訪ねて来られ双葉町の今を話してくれました。「環境省の人が個人宅を訪ね、中間貯蔵庫の土地交渉を、緑地を作ると偽って許可を求め、近隣には何も言わずいきなり中間貯蔵庫を建ててしまいます。お墓も土葬で盛り上がっている土を削り取って平にし、砕いた石を地均しして墓場一面を平らにしてしまいました。先祖のお骨がどうなったかは分かりません。今ではどこが墓だったのか分かりません。被災者の気持ちなど、どうでもよいみたいです。山はどこも除染していません。雨が降ると放射能が民家に流れ、池には流れた放射能が溜まります。国は池の水の放射能には自然に消えると言って溜まるに任せていて、放射能測定さえしようとしません。」今度、国は双葉町と大熊町を国の費用を投じて除染し帰還させると言うニュースをテレビで聞いたばかりです。被災者は疲れ果てやつれてげっそり顔なので、心労の深さを感じられ胸の痛みと国の怒りを感じた1日でした。私は福島被災者を、何としてでも救うぞと心に誓った1日でした。皆さん、福島被災者を救う為に一致団結して頑張りましょう。そして国の非道さを世界に訴えて日本を私達の力で、神様の力も戴いて変えましょう。国民がこれ以上不幸になってはなりません。皆様の力で変えましょう。


12月27日
仮設を閉鎖して帰還させられた海抜350~700メートルの山村、冬は零下10~8度となり水道も無く、井戸や山水を共同水道とし、水洗トイレも無く、自然豊かだった都路被災者の帰還後の声です。「帰った人は、年取ってお米を作る事が出来ない。お米を作る人が居ないので買わなければならない。この度お米を送って貰って有り難かった。皆で少しずつでも嬉しいので分けあった。皆が喜んでいました。もう今は何も支援が無いので。私はお店を始めてみたけど大変です。食堂を始めてみた人も毎日赤字で、これからどうなるか?」


12月29日
被災地の中には、399号線に沿った海抜350~700メートルの山村、川内村、都路町、葛尾村、津島(浪江町)、飯館村、があります。全部被災地で放射能は北西部に流れ全町村が放射能度の高い汚染地区となりました。しかし20キロ圏内の賠償対象地区とはならない人が多く、裁判を起こしても未だに認められません。冬は零下10度から8度となる山村で、春までは路面が凍りつく為、町の病院や買い物にも行けない3000人ほどの山村です。特別な産業はなく、山菜や川魚を食し、農業畜産林業が主で、水道もなく井戸や山の水を共同水道とし、水洗トイレは無く質素を旨とし、素朴で忍耐強く、愛情溢れ、仲間を大切にし合い、口数が少なく、自分を飾ることも無い、出稼ぎも多い、貧しい山村の方々です。貧しさに慣れてる方々とはいえ賠償金が無くては生活することも出来ません。壊れた家を建て替えるお金もありません。荒れ果てた家に、店も病院もない所に、生活費も無い方々が仮設から出され帰っても、お米さえ作れず、放射能を帯びた野菜、山菜、山の湧き水を飲むしかありません。この方々の住居、田畑、環境、山、川、健康が蝕まれる事に、生活費がない事に、国は責任を取らず放置したままにしておいて、それでも福島は復興したと言えるのでしょうか?


12月30日
携帯に89歳被災者から電話が有りました。川内村の山村の自宅に1人暮らしのお婆さんです。眼が悪く人の顔立ちも判断出来ません。足腰悪く、掴まってやっと立ち上がる状態です。「川内村は、雪が降って寒さが半端でない。水が凍ったら困るので、温かいタオルで巻いて置いたら、朝が来て温かくなったら、水が廊下迄流れてしまってた。それからが大変でした。ありったけのタオルを出して、1人で這いつくばってバケツに何杯も水を絞り出した。もう、疲れはてた。これからが大変です。寒いし、外は滑るし、家の中に隠ろうと思う。春までは大変です。病院に2週間毎に膝の注射に行かないと。」


by momofukuoka | 2018-01-08 17:38 | 福島の被災地の現状