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2011年3月に発生した福島原発の事故発生後、現在も仮設住宅等での避難生活を強いられている被災地の方々の状況をお伝えすると共に、支援の呼びかけなどを行わせて頂いております。


by momofukuoka
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帰還宣言された被災地の現状

美しい桜の花の季節が訪れました。桜の花を仰ぎ見ると、心が和み、幸せな気持ちになって希望が湧いてくるのが不思議です。何故か桜の花は懐かしさが感じられます。私の知らない昔の歴史を語るような、知っているような懐かしさが。春になると桜の花が咲くのが待ち遠しくなり、咲いた桜の花を見上げては今年も咲いてくれたと胸に安らぎのようなものを感じたり、ハラハラと散る桜の花弁を愛しむ私たち日本人。かつて私達は、わびさびに安らぎを見いだし、四季の移り変わりを愛し、石庭を愛で、奥ゆかしさ、人への配慮など、昔は日本人の心に宿る良き感性を大切にしてきました。今、私の心にそれらがあるのでしょうか?と、桜を観ながら自分を反省しました。

今は、毎日のように悲しいニュースが飛び込んで来ます。殺害、テロ、ミサイル発射など。毎日流れる情報に不安を感じているこの頃です。私達が住む世界はどうなって行くのでしょう?




【帰還宣言された被災地の声】

福島原発被災者の現実を今日も伝えさせてください。



国の方針で帰還宣言された被災者の現実は大変厳しいものです。20キロ圏外の被災者には東電や国からの賠償金はないために、6年間放置された被災者の家は、ネズミ、アライグマ、ハクビシン、イノシシ達の住処になっており、とても住める状態ではありません。庭や田畑は荒地になり雑草が背丈まで生い茂り、農作物が取れる状態ではありません。家を建て直し、農作物を収穫出来るまでには、人手とお金を必要とします。しかし被災者はお金がありません。そのため、住まいを建て替えることはできず、壊れた状態の家に住まわざるを得ない人もいます。

帰還しても町村には店もなく、病院もなく、交通は不便な所、周りは帰らないために夜になると真っ暗闇になる町村、泥棒がいて不安に怯える所と被災者方は言います。これが帰還宣言された被災地の現状です(一部の町を除いては)。

マスコミが報道したり、総理が訪れた被災地は、公共設備も整い、恵まれた一部の被災地と言えるようです。このたび帰還した被災者の声を聞いてください。




〈川内村 80才女性、一人暮らし〉

「3月26日に帰ってきました。川内村は寒くて寒くて、こたつに入っています。家に帰ってホッとしたら腰を抜かした、という人もいます。帰って来て周りの人を見ると12月にご主人が亡くなったわ、ドクターヘリで病院に入院する人もいるわ、で大変です。」

〈川内村 86歳女性、一人暮らし〉
「6年間にすっかり変わってしまった。家の前の道路も変わってしまった。上川内には店もない、タクシーもない、車もない、病院もない。年寄りには病院がなければ生きていることができない。何かあった時、助けを求めることができません。病院は何よりも大事なのです。店がないので移動販売をして下さいと役場に手紙を出しましたが。自転車はあるけれど、もう自転車には乗れません。杖をついたり、歩くのがやっとの年寄りばかりです。川内村はどの家も昔から井戸水を使っています。今、井戸水は出るには出るが、水は濁っており、黒い水となります。うわ水のみは綺麗ですが。私の家は、災害の時のままで、つっかえ棒で支えているだけなので、地震があったら恐いです。5万5千円の国民年金だけなので、家を直すお金はありません。」

〈楢葉町 76歳、夫婦〉
「楢葉の家は半壊だったので、少しリフォームをして2人で自宅に帰って来ました。私宅以外は役場の前に一軒あるのみです。後は誰も帰って来てません。店はないのでいわきまで車で1時間かけて買いに行きます。妻は震災の後、脳梗塞になりました。左半身不随で認知症にもなりました。1か月1回病院へ連れて行き、週3回デイケアのお世話にもなってます。二人で頑張ります。」

〈双葉町 60代、夫婦〉
「父の命日なので双葉町の墓参りに行ってきました。災害の時からお墓はそのままなので、倒れ、つぶれたままの所を拝んでくるのは辛かったです。お墓は放射能のある所なので、お骨も出せないと言われました。家の中の放射線量は3マイクロシーベルト、家の外回りは2時間で20マイクロシーベルトでした。沢を見ると汚染された物を埋めています。私は心配しました。川から流れて海に行かないの?と。」

〈大熊町 80代女性、一人暮らし〉
「災害公営住宅に引っ越しました。災害後転んで足腰を骨折し、動き回ることが出来ません。ここの住宅の住民は、双葉町民が主で、大熊町の人は私と30代の人が一人住んでいるだけということですので、同じ大熊町の人を知りたくて、役場にお願いしたところ、個人情報だから教えられないと言われ、私は同じ故郷の大熊の人と会うことができず、孤独感を感じます。」

〈大熊町 40代の家族、妻より話を聞く〉
「私達が住む住宅は、いつのまにか復興住宅が消され県営住宅に変わりました。昨年入ったばかりなのにすでにすきま風が入り、雨漏りもしている家があります。畳にカビも生えているところもあります。それで福島県に言ったのですが返事がないのです。」
「私は子供達に言ってます。"私達は自分の家に帰れない人達です。放射線量は高く、学校もない、店もない。ある程度の覚悟をしなければならない。ちょっと変な目で私たちを見る世の中です。見極めなさい。優しい人もいるし、変な人もいるし、気づきなさい。人間、人生変わる時もある。自分で判断しなさい。他の家庭と我が家の教育方針は違う。"」





【心を込めたお便りを】

皆様被災者の現状がご自分だったら辛くは思い思われませんか? 家を失い、家族を引き裂かれ、心身傷ついて疲れ切っておられる被災者には、帰還されたこれからこそが大変であり、救いの手を差し伸べ寄り添っていただきたいと思います。 6年過ぎたので、国が帰還宣言したのでもう安心して良いのだ、忘れて良いのだと思ってほしくないのです。
今の時代、次々と新しいことが起こり、私達の生活も不安になって来たのも本当です。だからといって国から不当な扱いを受けて命を脅かされている福島原発被災者の苦悩を、見て見ぬふりはできないでしょう。

被災者に寄り添うということは、"お体気をつけてください。福島のことは忘れていませんよ"という手紙やハガキをお出しするだけでも良いのです。心を込めた絵や折り紙を入れても良いでしょう。被災者は心を込めたお便りには心癒されて生きる力となるでしょう。あなたの優しさで苦しむ人に力を与えてください。よろしくお願い申し上げます。なお詳しくは、福岡百子までお問い合わせくださいませ。皆様のご健康とお幸せを祈りつつ。



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【支援品をよろしくお願い申し上げます】
ご支援をいただけます方は、被災者をご紹介いたしますので、福岡百子までご連絡くださいませ。
〈問い合わせ〉
福岡百子 携帯メール f.mom.1941@ezweb.ne.jp  FAX 047-346-8675
(恐れ入りますが、これらの連絡につきましてはAM11:00~PM5:30までの間に頂けますようお願いいたします。なお、すぐにご返事ができない時もありますので、申し訳ございませんが、再度ご連絡くださいますよう、お願い申し上げます。)


※当ブログは福岡氏より委託を受けた、前野賢一郎(maeken24@ybb.ne.jp)が更新作業等の管理・運営を行っております。

なお、英語版ブログ Reality of Fukushima (Voice of Momoko Fukuoka )http://momfukuoka.blogspot.jp/もあります。
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by momofukuoka | 2017-04-10 19:10