2011年3月に発生した福島原発の事故発生後、現在も仮設住宅等での避難生活を強いられている被災地の方々の状況をお伝えすると共に、支援の呼びかけなどを行わせて頂いております。


by momofukuoka
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荒廃した被災地と避難生活の苦しみ

〈福岡百子は、体調の許す限り被災者と対話をし、その声を世の中に伝えていきたいと望み、ツイッターでさまざまな想いや、被災者の声をつぶやいております。そのツイートの中から、被災者の声をご紹介していきます。ツイッターアカウントは「もとシスター人生体験」です。〉


11月9日 原発被災者に寄り添う事が晩年の仕事でしたが、体験した全ての事が、結婚生活、修道生活、終末病棟勤務、癌末期手術体験、虐め体験、子供時代の転勤族、虚弱対質、膠原病、難病、等、全てが福島原発被災者の苦しみを理解するために、苦難の経験ほど役立つことは有りませんでした。

11月9日 福島被災者の仮設住宅は隣の音が丸聞こえで、隣のいびき、トイレットペーパーをちぎる音まで、聞こえていた。隙間風が入り、カビが生え、床も抜けたりして大変な所もありました。「仮設住宅は原則2年もったら良い」とのマニュアルで建設したのでガタが来て当たり前、と日赤の人から聞いてました。2年の応急処置の仮設に7年の年月、被災者は苦境を堪えつつ過ごしました。部屋は1部屋か2部屋で荷物の置き場もありません。窓は1つしかない所や、外を歩く人から丸見えで目と目が合ったと、いう所もありました。悪環境や非道な扱いを被災者は国に訴えましたが、全てを無視されながら、苦しみ抜いた被災者を、今度は放射能で崩壊して住めなくなった荒れ地の被災地に無理やり返そうとして、仮設も壊しています。役場が住民に帰る促しをするために自宅を廻っているとも聞きました。国民も福島への関心は無くなり、誰を頼ったら良いのでしょう? 助けてください!

11月11日 仮設住宅で最初から双葉町の住民を支えておられた自治会長が膵臓癌で亡くなったので、身内でただ1人生存しておられるお姉様に、昨夜電話をしました。「お陰様で双葉町のお墓に納骨して来ました。本人は双葉町に帰りたがっていましたので両親が眠って居る所に一緒に納骨をして来ました。普通は入れない所ですが、許可を求めて行ってきました。以前は帰るのが楽しみな心休まる美しい自然豊かな所でした。今は見る影も無い荒れ地です。皆で耕した畑も、セイタカアワダチ草が4m5mも伸びて、猫柳も3m4mも伸びて、何処か区別がつかない状態で、胸が張り裂けそうでした。昔、先祖達が開墾した時もこんなだったでしょうと、折角私達の為に、町を創ってくれたのに!災害の日から道路1つ作っていない、変わり果てた双葉町の姿に、涙して帰りました。原発は恐ろしい!もう嫌だ!

11月12日 30代男性。原子炉建家が爆発した時に、運悪く、外部から仕事で爆発を知らず中に入ったそうです。多量の放射能を浴びてしまい、寝たきり状態で苦しんで居られるとの事。お母さまが看病をしておられるとの事。「従姉の息子なので、気になるし顔もみたいけど、姿が辛すぎて行けないでいます。未だ30代の若さで何も出来なくなっちゃった。こういう被災者も居るんですよ。と、皆に言いたい。」被災者の言葉です。

11月13日 原発被災者は7年近く、7、8回も引越を繰り返しながら不自由な避難生活を強いられています。「私達は避難したのでなく、故郷を追い出されたのです」と被災者は言います。彼らは7年過ぎた今でも、引っ越し先の住民になることが出来ません。日本では住民票は1人に1つと決まっているからです。その為に被災者は避難先の住民にはなれず、地域の行事、活動、ごみ収集、投票、習い事等参加出来ず、その為白い目で視られ、孤立して友達を作ることができません。就職も住民票が無い為正規社員になれず、仕事を求め単身赴任で除染作業に夫は行き、若い妻は子供を抱えながら1人、世間の厳しい批判に耐えつつ、鬱病となった被災者、我が子が学校で虐められて登校拒否になって1人苦しむ妻も多いです。浪江の馬場町長が、政府に「原発被害は国の責任だから、避難先の住民票も作成して欲しい」と2度国会議事堂に行ったようですが、門前払いされたと聞いております。被災者にとっては被災地の住民票を抜くと、賠償を外されるので途方に暮れてます。


by momofukuoka | 2017-11-17 07:45 | 福島の被災地の現状