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2011年3月に発生した福島原発の事故発生後、現在も仮設住宅等での避難生活を強いられている被災地の方々の状況をお伝えすると共に、支援の呼びかけなどを行わせて頂いております。


by momofukuoka
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被災地「都路(みやこじ)」の話

今日は被災地「都路(みやこじ)」について話したいと思います

韓国の旅客船セウォル号の沈没、ウクライナ問題とロシア、アメリカでは富裕層との格差問題など、地球は一体どうなってしまったのか?と思う程、胸を痛めることが多くなりました。もともと平和で人も動物も互いを大切にした地球であったのに。これから先、私たち地球人は、どこを向いて歩いて行ったら良いのでしょう? 問われるのは、「私たち一人一人の良心」でしょうか?


【都路の風土と人々】
都路は、大熊町、葛尾村、川内村に隣接し、399号線と288号線に沿った、海抜350~700mの山村。冬は零下8~10度となる。もともとは人口3000人ほどの、水道もなく、井戸や山の水を共同水道とし、水洗トイレもない、自然豊かな、田園に囲まれたところで、産業は農業、畜産、林業など。山菜や川魚を食し、食費を出費することなく、質素を旨とし、素朴で忍耐強く、愛情あふれ、欲が少なく、仲間、親を大切にし合う。口数も少なく、自分を飾ることもない村人たちでした。これは、川内村、葛尾村、飯舘村等、山村の方々に共通したタイプです。

平成17年に都路を含む5つの町村(都路、滝根、大越、常葉、船引)が合併して、田村市となり、元都路の村長は田村市長のもとに属するようになりました。

合併したとはいえ、都路はもともと交通機関も少なく、不便なところで、店も個人の店が5、6軒小さい店があるのみ。診療所と歯医者が各1軒、小学校と中学校が各1校の村です。

のどかで素朴な村人たちの生活は、原発ですべてが一変し、すべての幸せを失いました。今まで食費を必要としなかったのに食費を要し、朝から夜まで働いていた彼らは4畳半の仮設に閉じ込められ、身内や仲間を大切にし、支え合って生活していたのに、身内、仲間はバラバラに引き裂かれました。(これは被災者皆に共通していることです。)都路は東側3分の1が原発から20キロ圏内にあります。

都路住民の仮設住宅は船引町に4ヵ所あります。船引運動場仮設(179戸500人)、第2運動場仮設(100戸176人)、福祉の森仮設(36戸89人)、御前池公園仮設(44戸100人)。これは2013年10月26日時点の数字です。その後、2014年4月1日に都路の20キロ圏内に出されていた避難指示が解除され、帰還宣言に伴い、特に最近は人数の変動があります。


【都路の賠償金について】
以下は、被災者自治会長さんから聞いたお話です。

原発から30キロ圏外は市から1人3万円出たのみ。精神的賠償金も、家の修理費も出ない。

20キロ~30キロ圏内は、2012年8月に緊急時避難準備区域の指定が解除。1年間は継続して精神的賠償金(月10万円)が出たが、その後は止まった。家の修理費として30万円出た。それ以上はどんなに領収証を持っていっても出してもらえない。

(国や自治体のHPを見ると、20キロ~30キロ圏内は2011年9月30日に緊急時避難準備区域の指定が解除されていますので、自治会長さんの言う12年8月というのは、賠償金が打ち切られた時期のことではないかと思われますが、複数の自治会長さんが「12年8月解除」とおっしゃっています。)

20キロ圏内は、今はまだ精神的賠償金の月10万円は出ている。

原発の関連死に対し、話としては、世帯主500万円、それ以外は250万円と言われているが、いまだもらっていない。

弁護士を通し、原発関連死や葬儀代の補償、月10万円の精神的賠償金の継続などを申請しているが(都路で200人)未成立。


【解除に向けての政府の方針】
避難指示の解除について、国は、個人の年間追加被曝20ミリシーベルト(毎時3.8マイクロシーベルト)以下を必須の条件としている。(20ミリシーベルトは、原発事故前の年間被曝量限度1ミリシーベルトの20倍です。)一方で、除染の長期目標は事故前の平常時と同じ年間1ミリシーベルト(毎時0.23マイクロシーベルト以下)を目指している。

政府は原発から20キロ圏内の都路地区の避難指示を2014年4月1日に解除した。政府は、「年間20ミリシーベルト以下であること、インフラなど生活環境の復旧、地元との十分な協議などの解除条件を満たした、と判断し、2月23日に開いた住民との意見交換会で、解除方針を決定した」としているが、現実は、地元との十分な協議は無かったそうで、生活環境の復旧は未完成です。

都路で20キロ圏内の人は117戸(370人)居ます。精神的賠償金の1人月10万円も解除後1年で打ち切られます。(これは自宅に帰らず、他で避難していても同様の扱いです。)解除すると、賠償を受ける権利がなくなります。

政府は早期帰還を促すために、避難指示解除後1年以内に戻った20キロ圏内の人に早期帰還者賠償として1人90万円程度支払うと言います。

早期帰還を促すために、政府は2013年8月に長期宿泊特例制度を開始しました。特例宿泊者に貸し出した個人線量計15人分の実測値から、年間追加被曝線量で0・4~1・6ミリシーベルトとし、「除染の長期目標である1ミリシーベルトをおおむねクリアしており、問題なく生活できる」として、都路について帰還を宣言しました。

2014年4月から、幼稚園、小学校、中学校も都路の元の校舎で再開し、今は郡山のスクールバスで通学していますが、2015年4月からは都路の自宅から通学するように、と促されています。

都路での国の直轄除染は2013年6月末で終了しました。「政府は一律の再除染は行わず、相談窓口を設け、個別の状況に応じて土壌の除去で対応する。健康相談を配置し、モニタリングを継続する」そうですが、実際は、モニタリングの結果は本人には知らされませんし、除染の仕方も不十分で、住民の叫びや声は無視されています。政府は被災者には向き合っておらず、国が一方的に強引に推し進めている、と被災者は感じています。

政府は福島原発被災地の11の市町村の避難区域を解除するための最初の試金石として、都路の20キロ圏内から始めました。今後2年の間に、6市町村(南相馬、川俣、楢葉、飯舘、葛尾、川内)の帰還を判断するとのことです。

政府が設定した避難指示区域は、原発から20キロ圏とその周辺11市町村で、対象者は2万8880戸(8万942人)居ます。政府は、その方々の避難指示解除を考えているようです。

政府は、原発西南7.5キロの大熊町大川原地区を「居住制限区域」としているが、そこを復興拠点と位置づけ、4年を目処に生活インフラを整備するそうです。
(政府発表に関する新聞報道や被災地自治体のHPを参考にしました。)

参考
田村市都路町住民 戻ってきたのは1/4
避難指示解除…8万人帰還の試金石
「大熊町」の行方 「復興」何を目指すのか
緊急時避難準備区域解除に係る復旧計画(概要版)田村市


【都路住民の声と現状】
「20~30キロ圏内であっても、場所により、毎時0.6~0.7マイクロシーベルトあります。」

「“水を飲んでも良い”と言われても、不安で飲めません。」

「“米を作って食べても良い”と国は言う。しかしそのデータは我々にも役場にも、国は知らせてくれないので、放射線量については役場も我々も解らない。」

「我々が作った米は、農協に持っていき、買ってもらう。我々は自分で作った米は食べていない。新潟などの米を買って食べている。我々が農協に持っていった米はどこに行っているかは解らない。」

「都路の線量は高い。住んでいるところも高い。だのに、“帰れ、帰れ”と言う。20キロ圏内でも帰すと言う。それは我々に“死ね”と言っているようなものです。」

都路の住民は、賠償金も打ち切られ、自宅に帰っても農作業はできず、収入源がないために、やむなく富岡町の除染作業で糧を得ています。作業現場では、防護服を着ることなく、マスクとゴム手袋、長靴で働いている、と言います。1日9~15マイクロシーベルトを浴びてくると言います。危険手当1万円、1日の手当6千円で、1ヵ月15回位行っている、とのことです。これをしないと、収入はゼロです。

除染、草刈りは公共の場しか役場はしません。個人の家は個人で、というのが原則なので、家屋敷の草刈り、掃除、家の修理も個人任せです。役場も、「国から言われているのでできない」とのことです。しかも費用は国も役場も出しません。若者不在となり、高齢者の皆さんがどこまで自力でできるでしょうか? お金が無い方々なのに。

都路に帰還しても、店も病院もなく、交通も不便な所です。どうして生活ができるのでしょうか。

途方に暮れている自治会長さんに私は言いました。「私が責任をもって支援品を送りましょう。義援金も送りましょう。だから住民のために立ち上がり、支援の窓口をあなたが作ってください。口座も作ってください。純粋に村人のために使ってください。救ってやってください。」自治会長さんは「貧しい村人におかずを買ってあげられる」と喜んでいました。

皆様、都路へのご支援をよろしくお願い申し上げます。


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【被災地への支援に関するお問い合わせ】
福岡百子
FAX 047-346-8675
携帯 080-5547-8675          
f.mom.1941@ezweb.ne.jp
(恐れ入りますが、これらの連絡につきましては
AM10:00~PM5:30までの間に頂けますようお願いいたします)

なお、こちらのリンク先には現在被災地から要請を受けている、具体的な支援品のリストを掲載しております。併せてご覧いただければ幸いです。

※当ブログは福岡氏より委託を受けた、前野賢一郎(maeken24@ybb.ne.jp)が更新作業等の管理・運営を行っております。
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by momofukuoka | 2014-05-02 18:50 | 福島の被災地の現状