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2011年3月に発生した福島原発の事故発生後、現在も仮設住宅等での避難生活を強いられている被災地の方々の状況をお伝えすると共に、支援の呼びかけなどを行わせて頂いております。


by momofukuoka
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有り得ないことが平然と行われています

【有り得ないことが平然と行われています】
私のブログを読まれた方が、福島の現実の状況を知って、「ショックを受けた。有り得ない。国や東電はちゃんとしているはずだ。3年にもなるのだから。どうして安全なところに移住しようとしない? 仕事だって探せば見つかるはずなのに。私たちの義援金はどうなったのか? 被災者に配られたのではなかったか? 今でも生活消耗品とか食品の支援を求めているとは、考えられないことです」と。

この疑問は、常識ある人なら、皆、思い、有り得ないこと、考えられないこと、と思うのは、当然のことと思います。もう3年にもなるこの時期ですから。しかし、現実は、有り得ないこと、あってはならないことが平然と行われているのです。

まず、私たちの義援金は全部、国に行きました(日赤の方の情報)。国は各市町村に配分し、その使い道はライフライン整備と除染の費用にするようにと言われた、と聞きます。被災者個人には渡っておりません。当時、被災者の方は、がっかりした、悲しかった、と言って、私に心の内を話して下さった方が居られました。
「私たち被災者に、お見舞い金として、わずかでも良いから、その心が欲しかった。しかし国からは一銭も無かった。金額ではない、心が欲しかった。」

なぜ安全なところに移住しないのでしょう? それは移住するだけのお金を出してもらえないからです。被災者は仮設や借り上げ住宅(仮設以外の住宅)に落ち着くまで7、8回移動しています。福島原発被災者は当時ほとんどの人が思っていました。もう故郷には住めなくなるでしょう、国は私たちのために安全なところに部落を作ってくれるに違いない、第二の故郷をそこで再出発しよう、と。そして失った故郷、家屋敷も、国は補償してくれるでしょう。そこで皆、家族も集まり、仲間と一緒になって歩んでゆこう、と。

しかし現実は大違いでした。家、屋敷の補償も成立せず、安全な第二の故郷の構想もなく、村人も家族までもバラバラにされ、若い夫婦も仕事探しでバラバラになり、親子の絆も断たれ、福島被災者は原発ゆえに人間の権利をすべてもぎ取られ、すべてを失ってしまいました。生活環境、居住環境(衣食住)、家族の絆、子供の教育(学校、保育園)、健康(放射能)、仕事、結婚、将来への保証、預貯金、財産…。すべてを失いました。残されたのは将来への不安、健康不安と恐怖、そして失望、絶望です。

いまだ放射線量の高い所、住んではならない所に、国も東電も被災者たちを帰しています。国も東電も、目標は“被災者を帰す”ということです。そのために国は除染にお金を投じています。莫大な金額です。

“除染して帰す”が目標ですので、被災者のための住宅建設は進んでいません。家屋敷の賠償も、被災者の要請は通りません。移住するための費用も出してもらえません。それどころか、20キロ圏外に住む方々や、避難区域解除宣言をされた所の方々は、東電からのお金(精神的賠償金月額10万円)はストップし、収入源は断たれてしまいます。それに税金も請求されるようになり、医療費も無料ではなくなる、と聞いております。住宅も3回までは無料でも、4回目の住宅からは家賃は自分たちで支払わなければならないとのことです。福島の被災者は農家の方が多く、災害前は食費にお金がかからなかった、と言います。しかし今は食費にお金がかかる。

東電からの月10万円を断ち切られた被災者は、生きる術を失いました。国民年金の年配者は、月4万円弱の収入と言います。光熱費、暖房費、ガソリン代、電話代で無くなってしまう、と言います。70代の方々も生活のために除染作業に行っています。生きるためにはこれしかない、と言います。原発で避難した方々に、再び被曝に身をさらして。危険手当として日当1万円が加算されると言うことです。ホールボディー検査は何ヶ月かに1回とのこと。しかも本人にはデータを見せずに「最低の300以下だから以上ありません」だけとのこと。皆さん、今では慣れて、危機感も薄れてきているとのことです。


【被災者の嘆きの声】
国の対応に不条理を感じている被災者は言います。

「除染にお金を投じる前に、まず被災者の生活再建にお金を投じるべきではないか。我々は余計なお金を求めているのではない。ただ元のように生活させて下さい、と求めているのです。当たり前の生活ができるように、と言っているのです。」

「除染しても除染しても放射線量はまた高くなっているところがあります。ライフラインも整っていません。病院も店もありません。家はネズミが発生し、イノシシも我が物顔で歩いています。そんな所にどうして我々は帰れるのか?」

「南相馬市の小高区は3.11のまま、まだ手つかずの所があります。仮設でさえ、0.3マイクロシーベルトです。だのに、平成28年4月には全員帰還宣言したい、と言う。とんでもないことです。」

「国は被災者の市長、町長、村長を通さず、直接被災者に通達が来て、“12月24日~1月6まで自宅に泊まってきて良い、自己責任で”との知らせがありました。放射能の怖さを知る私は帰らなかった。しかし仲間は帰りました。」

「東電は加害者で、我々は被害者ではないか? どうして被害者の要望は受け入れられず、加害者の不条理に屈しなければならないのか?」

今では年配の被災者は、「故郷で死にたい、我が家で死にたい」と言っています。狭く、居るだけでストレスになる仮設住宅に限界を感じています。国からは生活設計も示されず、家族とも離れ、一人孤独で耐えて居られる年配者は、故郷への想いはひとしおで、今は皆様、早く我が家に返りたい、だから除染を早くして下さい、と望むようになりました。我が家ほど良いところはない、と言います。

福島の被災者は無口になりました。
「辛いことは考えたくない、思い出したくない。だから原発のことも話したくない。ましてや災害当初のことも話したくない。希望も何も示されないので、将来のこととか、補償のこととか、話したくない。思っただけで、胸がキューっとなって辛くなる。だからそのことは触れないで欲しい。」
うっかりちょっとでもそのことに触れると、被災者の声は途端に沈み、暗く、切ない沈黙とうめき声に変わってしまいます。ある部落の自治会長さんは言います。

「前は皆、頑張ろうと明るかった。しかし今は皆、下を向いて歩いています。元気で働いていた人だったのに、皆、歩けなくなり、病気になっている。皆、話さなくなった。無口になった。」

福島の被災者は冷たい視線に耐えています。福島の現実は報道されないために、福島の被災者は誤解されています。「国や東電からお金をもらっているのでしょう」「いつまで甘えているの?」「怠けている」「仕事したらど~お?」(仕事を探しても見つからない現実を知らないからでしょう。)「あの人、福島の人ですって」(私達ばい菌のように扱われるのです。)

高校生の被災者は言います。「私達、結婚できないかも。」「子どもを産めないかも。だって福島の人だから。」


【福島の方々への理解と優しさを】
皆様、福島の方々を正しく理解していただけませんか?
そして、多くの悲しみ、苦しみ、辛さで傷つき、疲れ切って居られる福島の方々を暖かく優しく包んでいただけませんか? あなたの胸で思いっきり泣かせていただけませんか? 今、福島の方々に必要なのは理解者です。友です。一緒に手を取り合っていただける真の友です。優しいあなたの眼差し、暖かい言葉と手、それが今、福島の被災者には必要で、生きる力になるのです。

そして可能なら、小さなご支援を。あなたのまわりに福島の方はきっと居られるでしょう。あなたの地域に、ご近所に。どうぞその方を支えて下さい。

よろしくお願い申し上げます。そしてあなたがその方の天使さんになって下さいますように、心からお願い申し上げます。


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【被災地への支援に関するお問い合わせ】
福岡百子
FAX 047-346-8675
携帯 080-5547-8675          
f.mom.1941@ezweb.ne.jp
(恐れ入りますが、これらの連絡につきましては
AM10:00~PM5:30までの間に頂けますようお願いいたします)

なお、こちらのリンク先には現在被災地から要請を受けている、具体的な支援品のリストを掲載しております。併せてご覧いただければ幸いです。

※当ブログは福岡氏より委託を受けた、前野賢一郎(maeken24@ybb.ne.jp)が更新作業等の管理・運営を行っております。
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by momofukuoka | 2014-02-01 19:09