2011年3月に発生した福島原発の事故発生後、現在も仮設住宅等での避難生活を強いられている被災地の方々の状況をお伝えすると共に、支援の呼びかけなどを行わせて頂いております。


by momofukuoka
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福島原発被災者の今

今年も残り少くなりました。来月は早や師走です。子供の時は年月が長く感じたものでしたが年と共に月日の流れが早い事、飛ぶように過ぎて行きます。
 
今年は何と天地異変が多く、沢山の方々が災害に遭われ、今尚苦しんでおられます。1日も早く普通の生活が出来ます様に、助け合いを皆様にも宜しくお願い申し上げます。 
 
さて私事ですが、長い間ブログの原稿書きを休ませて頂いておりました事を、お許しくださいませ。実は危ういかった私の健康でした。原稿書きは無理な状態でした。所が最近、再び健康をいただきました。皆様の熱いお祈りと励ましのお陰様です。本当にありがとうございました。心から感謝申し上げます。又、毎月、ブロクの原稿を書かせて頂きたいと思います。宜しくお願い申し上げます
 
 
【福島原発被災者の今】
 
福島原発被災者は放射能汚染から逃れる為に避難して7年8ヶ月となりました。国は被災者達に帰還宣言を出しました。しかし被災者の故郷は、決して安全、安心とは言えません。線量の高い所も有ります。何故なら、除染は家屋20M内だけで、しかも水洗いと土を剥ぎ取り、所によっては砂利を敷いただけです。家の中の汚染は責任を持ちません。室内線量が高くても。又、家屋20M外と山の除染はしてないので、雨風が吹くと又、線量は高くなります。

国は被災者に帰還宣言をしました。その為に仮設は順次取り壊しています。被災者はやむ無く仮設を出なければなりません。しかも家探しは被災者任せです。福島近辺の家土地は高騰し求める事が出来ません。
 
故郷は7年以上放置され、家はネズミの住み処。衣類、布団、家具等全ての処分から始めなければなりません。新築するにもお金が有りません。相応の賠償金をもらっていないからです。室内の線量が高い所も有ります。被災者は雑巾がけをして自分で除染しています。 
 
災害後人の手が及ばなかった田畑は荒地と化して開拓地に来たようだという人もいます。猪が庭先迄来て作った野菜を食べて行く、と言います。町、村には食品を売る店、病院も有りません。せめて雑草が刈られ、動物駆除され環境が整ってから、帰還宣言すべきではなかったのではないでしょうか? 
 
原発は放射能を撒き散らして人を家屋を故郷を放射能で汚染して、福島県の産業を駄目にし、沢山の人の人生を、命を奪い、踏みにじってしまいました。親子の絆を奪い、村人同士を仲違いにさせ、平和で穏やかで自然豊かな町々を村々を、何もかも破壊してしまいました。先祖代々築きあげた歴史も文化も何もかも。これが原発の怖さです。
 
被災者は帰還して初めての冬を迎えます。海抜600m~800m山村の被災地に1人暮らしの高齢者。店も無く、隣の家は何kmか先、さぞ寂しく、辛く、寒くどんなに大変でしょう。 
 
東電からのお金はもらっていません。年金の5万円弱で光熱費、医療費、ガソリン代、全てです。未年金者もいます。食費は暖房費は大丈夫でしょうか?私は心配です。80歳~90歳の1人暮しが多いからです。 
多くの被災者方は7~8回引っ越しし、苦難と失望の繰り返しの年月で心身病み疲れ果て、病に伏してしまった人が多いです。「過去を思い出すと具合い悪くなるので、思い出さないようにしている」と言う人もいます。被災者の心の傷は深いです。 
 
私は今こそ福島原発被災者を救って欲しい。被災者の苦悩に寄り添って欲しい。彼等は捨てられた。忘れられた。と思っている人もいます。彼等は疲れ果てています。孤独、寂しさ、苦悩を背負った人達です。
 
私達の電気、照明等の文化生活の陰には犠牲を払った方々が居られる事を、忘れないで欲しいです。感謝の念を福島被災者に持って欲しいものです。
 
そして、日本の国内に原発が有る限り、あなた様の身に、福島原発被災者と同じ事が起こらないとは限りません。もっと原発の事を真剣に向き合ってみては如何でしょうか?安全な太陽光発電等に。そして福島原発被災者のご支援にご協力お願い申し上げます。 
 
全ての人に1人1人に、幸せと1日の糧と心の安らぎがありますように!

# by momofukuoka | 2018-11-01 08:00 | 福島の被災地の現状
〔福岡百子は[ 千葉県人権啓発 指導者 養成講座] の講師として 招待されましたが、健康上無理でしたので被災者に講師を代わって頂き、かわりにレポートを提出しました。 数回に分けてブログに掲載します。〕
 
 
はじめまして。福岡百子と申します。宜しくお願い申し上げます。私は、2011年6月~現在も福島原発被災者の支援活動をさせて頂いている者です。私は原発被災者の悲しみ、苦しみ、悩み、叫び、壮絶なまでの苦悩を共に共有しながら寄り添って参りました。この現実の中で必死に生きてる被災者の姿。それに対し「原発は解決した。もう福島の事については安心、安全、気にしないで欲しい」と福島被災者の叫びを無視する政府。それ等を見ながら私が体験させて頂いて感じたこと。被災者の叫び。被災者の現状報告。今後の課題と皆様にご協力願いたいこと。支援の心について等のレポートをさせて頂きました。このレポートをご覧いただきました後に、ご自身への課題として動いていただけましたら、ありがたく存じます。
 
①[福島原発の被災地とは]
福島県浜通りの双葉郡の8町村(広野町、楢葉町、富岡町、大熊町、双葉町、浪江町、川内村、葛尾村)と都路町、津島町、飯館村、南相馬市(小高区、原町区、鹿島区)を主に差します。
 
原発の影響は浜通り(国道6号、常磐線が通る海岸沿いで、津波と原発放射能を浴びた町、津波で自宅も人も流され死者が多く出て町ごと砂で埋まって海底に沈んだ(海岸一面砂浜になってかつての町や家は砂浜の中に埋まってしまった。)町もあると聞きます。各町の海岸に近い所は津波の被害と放射能を受けました。それは広野町、楢葉町、富岡町、大熊町、双葉町、浪江町、小高町、原町、鹿島町、相馬市等の1部。町民の仕事は主に 漁業、農業で街方面は商店街もある普通の街です。
 
放射能汚染は399号道沿い海抜600M~700Mの山岳地帯、主に川内村、都路町、葛尾村、津島、飯館村等にも流れ汚染しました。山岳地帯の生活は山と山の間の限られた所にしか平な地は無く、その為半農、畜産、林業、山菜等を 収入源とし、 川魚を食し、 山の湧き水を飲み、 井戸水での生活を送る質素で素朴な方々村人達です。11月末頃~3月頃迄雪が積る為街まで外出は難しい山岳地帯と聞きました。風雪に耐え質素で素朴で忍耐強く我慢強い 村人達です。
 
原発後、村人達は山も川も放射能に汚染でされ 生きる糧を失いました。被災地の除染は 居住地20メートル以内 のみ、しかも水で流し洗いか、上土を取って袋に入れるだけです。山の除染はどこもしません。雨が降り風が吹けば放射能や汚染水は居住地に又流れて来ます。
 
それでも国は[除染したので大丈夫と帰還宣言]して被災者を帰還させました。仮設も壊され、帰るしか行き場の無い被災者。被災者は「どうせいずれは死ぬのだから」と汚染を覚悟で自宅に帰りました。しかし7年放置した自宅も回りも荒れ地と化して、店も病院も無い、猪が居る汚染された故郷に、殆どが高齢者1人の居住地。「山奥の私達には店が無いので、自分が食べる分くらいは自分で作る」と足腰悪く体調優れない80歳~90歳の1人暮しの人達。被災者は国民年金以外に現金収入が有りません。 1ヶ月5万円弱。 光熱、税金 、医療費、他全てを 5万円内で。 70代は 除染作業に出向き生活費にしてます。
 
今[東京電力の原子力発電所]が建っている土地は、昔しは過疎地でこれと言った産業はなく、出稼ぎで生計を立てている部落でした。戦時中はここより飛行機が飛び立っていたと聞きます。戦後は空き地となりここに国は目をつけて[東京電力の原子力発電所]を建てました。住民は反対しましたが建てられてしまったと聞きます。
 
[東京電力福島第1原子力発電所]は大熊町と双葉町に立地(1号機1971年3月26日運転開始日~6号機1979年3月開始日)
 
[第2原子力発電所]は楢葉町と1部富岡町の敷地に(1号機1982年4月開始日~4号機1987
年1987年8月開始日)を。
 
国の方針に反対出来ず賛同した町と反対した町とでは国からその後の交付金額や恩典が異なりました。この金額、恩典の差は後々迄影響され、その差は歴然としています。大熊町は黒字に、双葉町は赤字に。又、国の方針に応じない市町村長への国の圧力は大きいです。その見返りはいろいろな形で町長に役場の職員達に住民迄圧力がかかります。
 
(例として)原発の怖さを知って反対した当時双葉郡8町村会の旧会長井戸川町長は双葉町住民を被曝から守る為に埼玉県加須市に住民を避難させました。しかしその事が福島県から出たとの理由で、福島県からの支援物資はもらえず、仮設住宅も双葉町町民はまとめて入居させてはもらえず、他の市町村民が入居した残りの仮設にバラバラに入って、双葉町町民は互いの連絡も取れない状況に追いやられ、役場も遠くなり情報も支援物資も届かず双葉町の被災者は孤独と苦悩に陥りました。
 
災害後間もなく、他の市町村には保育園、幼稚園、小、中学校や福祉施設が出来たのに、双葉町には有りませんでした。いくら原発を反対したからと言っても保育園、学校も作ってもらえないとは?酷すぎる。国の方針で建てた原発なのに、被災者は土地を国の為に提供してくれた協力者です。国は責任をもって被災者の命と生活を守らなければならないのに「後は市町村で勝手にやってくれ」被災者にも「自分の家は自分で探せ」と充分なお金も出さず、無責任にも程があります。
 
国のやり方に私は怒りを感じております。被災者の命と生活は今も尚、苛酷に粗末に扱われ心身疲れ果てて、福島の被災地は今までに無い死者数となり毎日の様に死人が出てると聞きます。被災者は絶望と孤独の内に亡くなって逝くと言います。被災者の被曝、生活が営めない、悪環境、精神的苦痛等は国の[殺人行為、犯罪行為]とはならないのでしょうか?
 
又、元井戸川町長は国から町長職を奪われ退かされました。住民を被曝から守った町長は悪者にされています。国の策略とも聞いております。
 
浪江町の故馬場町長は被災者の為に、避難先での仮の住民票発行を国に願う為に国会議事堂迄行ったのに門前払いだったと聞きます。又、省庁の役員は浪江町役場迄行き、馬場町長に「貴方が印を押さないと前に進まない」と何度も迫られやむ無く印を押したとも聞きます。役場の職員達も「国の方針に従わないと役場の職員ではない」と屡々圧力があった。と言いました。
 
帰還宣言する場合は、先ず役場の職員が被災地に帰させられます。そして「役場が機能している」と住民に帰還を促し、放射能は大丈夫だと安心させます。未だ放射線量の高い被災地に役場の職員は恐怖感を持って帰ります。独身者から行かされると聞きました。
 
役場に夫婦で働いている人がいました。夫は課長です。「課長である僕が行かなければ若手は付いて来ない」皆さん覚悟をもって行きます。その方には幼い子供がおりました。夫婦は子供を守る為に離婚して、夫は放射能ある被災地の役場に、妻は子供の為に安全な県外に別れて行きました。「私達は愛し合ってました。子供を守る為に離婚しました」皆様、苛酷な事ではありませんか?
# by momofukuoka | 2018-10-11 08:46 | 福島の被災地の現状

豪雨被災者のために

〈福岡百子は、体調の許す限り被災者と対話をし、その声を世の中に伝えていきたいと望み、ツイッターで被災者の声をつぶやいております。ツイートの中から被災者の声の抜粋をご紹介します。ツイッターアカウントは「もとシスター人生体験」です。また支援者の一人が、福岡百子が語る福島の現状を海外に伝える動画をYouTubeにアップしています。そちらもご覧下さい。〉https://www.youtube.com/watch?v=9Y47k_hmFnk

<7月9日>
長年福島の原発事故の被災者支援をしてきた体験からご参考までに。
 
支援要請をお願いされたら、必要な食品、下着、生理用品、お金等を送ることをお勧めします。「共同募金」は直接被災地に送金されず、すべてのお金が国に集められ、国から各地方に渡されて被災者の直接支援には行きません。それは公共事業に使うために各県の自治体に渡されます。 自治体は道路整備など公共のために使います。被災者個人に義援金が届くことは福島の時はありませんでした。「共同募金はどこに募金しても一度国に統括される」と、福島支援当時、日赤の人から聞きました。 現金を被災地に直接送ると被災者の為に使われます。現金と共に手紙を添えて出されることをお勧めします。 被災地の役場でも良いと思います。
 
 
<7月14日>
豪雨災害被害者に心を向けましょう。何もかも失って 恐怖で身震いし、声も出ず、援助を願いたいけど、声が詰まって何をどう言ったら良いか、判らなく、涙、泣くことしかできない人も居られると思います。支援者は察する心が大切かと。全てを失った自分を考えてみてください。必要品が判るよね。しかし送り方、送る品物は相手の状況に合わせた方法で。 避難所の一覧表を見て、電話をし、求められる所に求められる品を。仮設住宅が出来た時はその町役場に電話して、役場の指示に従い、役場か仮設住宅の責任者に宅急便で求められる品を送る。 何が必要かは仮設の責任者に聞く。
 
混乱している最中は役場も対応は難しいので、避難所、ボランティア活動などネットで表示されているところにアタックして、状況や電話番号住所を聞いて送るのは、感謝され、ありがたがられるかと。 品物に真心込めた一筆を添えて宝物を送るような心配りで送れば、受け取る被災者の心は癒され、嬉しさで生きる力が湧いてくるかと。
 
支援物資は送り主の心が表れます。 大きな事をしなくて良いのです。小さな小包でも良いのです。 大切なのは被災者が荷物を開けた時 幸せになる品物。 送り主は宝物を送るつもりで心を込めて贈ること。家の整理で不要なもの・シミの付いた古着などはもってのほかです。捨てるもの・失礼なものは 絶対あげないでください。 傷ついた被災者の心をさらに傷つける行為です。あなたが同じものを人からもらったら腹が立つでしょう。被災者支援とは 被災者の心を幸せにし・癒し・生きる力を与えることです。幸せの種まきが支援。
 
 
<7月19日>
総理や統治の立場にある人に心からお願いします。私たちの豪雨災害献金を被災者すべての家庭にお見舞金としてお渡しくださいますようお願い致します。この度の豪雨被災者も全てを失い、預貯金は無く、生活が立ちゆかず、生きていく術を失った方が多いでしょう。 誰よりも何よりも大切にすべきは、国民の命、生活を救う事ではないでしょうか?
 
私は災害の度に思います。国の組織、仕組を根底から見直してほしい。国民は皆税金を払っています 国民の福祉、高齢者、子育て、教育、医療、介護、生活保護等々は 全国何処に住んでも同じ待遇であるべきと。
 
県によって条件や恩典が異なるのは、変な日本と思う。何でも地方自治体に任せ、国は無関係というのは変。 国民の生活と命に関わる事は国が責任を持つべき。災害も 国が責任を持つべき。 国民の命と生活に関する予算を十分に組んで。他国救済資金も大切でしょうが、その前に自国の国民の命と生活を優先に。省庁の組織を作り変えて、省庁の連携を。被災者が、一つの問題解決の為に各省庁を巡り歩かされるのは?
 
国に必要な省庁の中に、災害省、国民生活省(出産~死迄に関する省庁)他。 国と地方が1つになって。国民の命と生活を守ることにもっと予算を組み 国は責任を持って国民を愛して、守って欲しい。どの町も人も平等に。国民皆の命を大切に守って欲しい。


# by momofukuoka | 2018-08-07 08:57 | 福岡百子からのメッセージ
〈福岡百子は、体調の許す限り被災者と対話をし、その声を世の中に伝えていきたいと望み、ツイッターで被災者の声をつぶやいております。ツイートの中から被災者の声の抜粋をご紹介します。ツイッターアカウントは「もとシスター人生体験」です。また支援者の一人が、福岡百子が語る福島の現状を海外に伝える動画をYouTubeにアップしています。そちらもご覧下さい。〉https://www.youtube.com/watch?v=9Y47k_hmFnk
 
 
【被災者の声】
6月8日 福島被災者からの電話が私宅に最近よく来るようになりました。「川内村に帰ったけれど話す人がいなくて寂しくてたまらない。声を聞きたくて電話しました。」「何もする気がおきなくて、疲れて体も動かない、毎日テレビを見てるだけ、テレビを見てても頭に入って来ない、ぼ~と毎日してるだけ」「3ヶ月入院して、2日前に帰って来ました。淋しかった、声を聞きたかった、意識を失っていたのを隣の人が見つけたらしく救急車で運ばれて病院のベッドに寝てて、初めてベッドに寝てる自分に気がついた。このまま死ぬかと思った。入院中寝ながら災害の時からお世話になった皆様を懐かしく想い感謝した。あの時を思うと涙が出てくる。今家に帰って1人です。あの時死んだら良かったのに。又、生きてしまった。声を聞いて、頑張ろうと思う。頑張るね」「国も町も、それは決まったという。 決まった事であっても住民から意見が有ったら、再検討して欲しい。聞く耳を持たない!」
 
6月9日 天皇皇后両陛下が今、福島の被災地を訪問しています。 私は思い出します。2011年に津波で亡くなった方々を。 原発の放射能で汚染された福島原発被災者の方のご遺体は、 立ち入り禁止区域とされて数ヶ月間ご遺体探しに入れませんでした。許可が出て、 祖父と孫を探しに行った方が見たのは、「無残にも ご遺体がミイラ化されて自宅の塀にへばりついている祖父と孫の姿でした。」 原発の悲惨さは、後悔ではすまされない多くの犠牲を歴史に刻んで残しています。今迄の年月だけでなく、これから先、何百年も多くの人に傷をつけ続け、被災者達だけでなく日本全土、世界全土を汚染し続け、自然破壊だけでなく、文明、発展という言葉に踊らされて[心]まで破壊されて行っているようで、私は恐ろしくてなりません。
 
6月10日 昨夜遅く 葛尾村の 被災者から メールがありました。「今月に入って5名が亡くなり、今日も葬儀場から帰ってきたところでした。明日の植樹祭をキャンセルしていたのでお焼香できました。」被災者方は毎日のように 仲間、身内の死者が多く、留守の時は大抵、お通夜か葬式です。楽しい事、嬉しい事が少なく、辛い事、悲しい事 の明け暮れ。その中で必死に耐えてる被災者。これではいくら元気な人でも、病に倒れるのは当たり前ですよね。 電話をすると被災者ほとんどの方が入院した、手術した、死ぬかと思った、との答え。これが被災者の今の現実です。昨夜電話がかかってきた方にもう葬儀が終わったかと思い、再び電話しました。「今、お通夜に向かって運転中です。 明日もまたお通夜です。昨日も今日も毎日お通夜です。このところ突然死が多いです。脳梗塞とか心筋梗塞とか。」
 
6月28日 相馬市の方です。「自宅は高台に在って、津波をかぶってしまったが、住めると思ってありったけの貯金をおろして自宅をリフォームしました。 しかし町には誰も帰って来ないので店も何も無いので生活できない。やむ無く千葉に自主避難した。 自主避難で福島県から出たので支援は何も無い。自宅の土地は買ってくれる人もいない。やむなく処分するため市から買ってもらった。 98坪の土地も家も300万で終わった。 全ての預金をおろして津波後、リフォームした家と先祖代々の土地と財産。 無念でなりません。 2年前に住民票を千葉に移し、やっと近所の人との付き合いに入れてもらえました。 災害からの6年間。 辛くて 苦しく孤独な毎日でした。」
 
大熊町の方。「息子が2年半前に亡くなったけれど、大熊は放射能が高いのでお墓に入れない。部落の区長に言えば、人は放射能で墓参りは行けないけど納骨は出来ると言う。草ぼうぼうで人が行けない所に息子だけを墓に入れて置くのはしのびがたい。だから、私の枕元にお骨箱を置いて私は寝てる。毎日枕元に置くお骨を見ては、可哀想な、誰にも看取られず1人で亡くなった息子を思い、泣いてます。」私は毎年お盆になると、高野山の桜池院の住職に頼んで被災者のご供養を頼みます。昨年は66霊のご供養を頼みました。今年も頼むつもりです。被災者は「安堵した。初めて休めると言います」
 
7月2日  葛尾村の詩人、 小島力さんの寄稿詩から紹介させていただきます。 「1年刻みの」 年間被ばく線量量の限度を、 1ミリシーベルトから20ミリシーベルトに引き上げて、 高濃度の汚染地帯に、 家畜のように追い込まれようとしている、 原発事故被災者。賠償さえ打ち切りにすれば、「後は野となれ山となれ」、 だとしたら被災者は、 裸で捨て置かれるのと同じではないか。 例えば避難指示を解除しても 例えば避難指示の解除を、 1年刻みに先延ばししても、 そこから先の将来は、 まったく見えない、 応急仮設住宅の貸付期間も、税金や医療費の免除も、 そして高速道路の無料期間まで、 何もかにもが1年刻み。 原発事故の被災者は、 くらしの先行きを断ち切られ 細切れの未来しか与えられない、 期限付きの細切れ人生が果たして人生と言えるか。 切れっぱなしの閉ざされた暮らしが、 果たして人間の暮らしと言えるか。果たして俺たちは、 本当に人間であるのか、 気づいてみたらそんな保証はどこにも見当たらなかった。 ([ふあ~む庄野]2016.2.25引用。『避難解除へ抗する詩』3篇)
 
2016年 小島力さんの年賀状から。「原発事故の後始末すら満足にできていない今、加害者が一方的に避難指示を解除し、加害者が勝手に賠償を打ち切るというこの国は、『切捨て御免』の江戸時代とどこが違うのでしょうか。」
小島力さんの著書紹介 『詩集 わが涙滂々 原発にふるさとを追われて』 西田書店 定価1400円+税
 
 
【今朝みた私の夢】
7月4日 私は疲れ果て体も心もぐったりして歩くのもやっと、顔は艶も無く、笑も微笑みも消えた哀れな顔の私でした。長い旅の最後頃にたどり着いて気がついたらある場所に私は入り込んで居ました。そこは大きな全寮制の学校のような大きな会社のような、それぞれに役割を持って働いていて1人1人顔が輝き、幸せいっぱいで、優しく暖かく、どの人に会っても柔らかい雰囲気で私に向き合い、心から接してくださいました。よく視ると、両足が無い課長さん、お1人お1人お体のどこかが欠けたり、悪かったりしてます。しかし誰からもそのことは気にならず忘れて向き合います。私に話しかけてくれた言葉を聞く度、私の古い深い心の傷が1つ1つ癒されて行きます。笑いを忘れてた私、悲しみ苦しみ痛みで微笑みが消えていた私、苦しみが1つ1つ剥がれ、深い傷が癒されて行きます。「ああ、 私は此処にいつまでも居たい、離れたくない!」この世にこんな所が在ったんだ。
 
十字架の道行きに会いました。「あっ、キリスト様の道行だ!」 よく視ると、 行列の先頭は1人の女性です。その直ぐ後ろにキリスト様がついて歩いてます。 女性の顔もキリスト様も穏やかな優しい幸せそうな表情で十字架を担いでおられました。( 目覚まし時計で目が覚めました。 しかしこの夢はしっかり私の心に残りました。神様からの啓示のように思いました。「私の元に来なさい。わたしが休ませてあげよう!」どなたも心病み傷ついています。顔はやつれ心身の艶は失っています。重い十字架を背負っているのはあなた、その直ぐ後からキリスト様が 支えています。 重いけど キリスト様と一緒に笑いましょう。今朝の私が観た夢で悟った事を皆様にお伝えすべきでした。私がたどり着いて癒された大きな会社。それは神様が私達に望まれた本来の地球のあるべき姿、このように[愛と癒しに満ちた人間界にしてください]と。それを目覚めた瞬間に私が悟った事でした。皆様、よろしくお願い致します。
# by momofukuoka | 2018-07-10 08:02 | 福島の被災地の現状

〈福岡百子は、体調の許す限り被災者と対話をし、その声を世の中に伝えていきたいと望み、ツイッターで被災者の声をつぶやいております。ツイートの中から被災者の声をご紹介します。ツイッターアカウントは「もとシスター人生体験」です。また支援者の一人が、福岡百子が語る福島の現状を海外に伝える動画をYouTubeにアップしています。そちらもご覧下さい。https://www.youtube.com/watch?v=9Y47k_hmFnk
 
 
【被災者の声】
5月30日 (浪江町、主婦、1人暮らし)「帰還宣言されて、 7年ぶりに荒れ地の自宅に帰ってきたけれど こんなに大変だとは思わなかった。 店が無いのも困るけど、 病院が無いのには困ってしまった。この間 犬の散歩をして顔から転び、メガネを壊し、顔はお岩さんのように凄い顔なってしまい。病院に行きたくて電話したら、『予約がないと入れない』とどこの病院からも断られ、結局病院に行くことが出来ず、自宅で1人で耐えて治すしかなかった。救急車以外になす術は無いのか?と、これからの事を思うと、帰還をして良かったのか?と悩む」
 
「近くに町営住宅が出来た。しかし知らない人ばかり、人の雰囲気も昔の浪江とは違う、災害前の親しかった心通じあい、助け合い、支えあった仲間。あの人達はどこに行ってしまったのか? 寂しい、どうしたら良いの? 遠くにいる孫が、婆ちゃん1人でいるの淋しいからと子犬をプレゼントしてくれたけど、キャンキャン啼く声が、疲れた心と体になおうるさく感じてたまらない。」
 
5月31日 (南相馬市浦尻、72歳男性1人暮し)浦尻町の平地は町ごと、津波に流され、彼も家を失い、妻も津波に飲み込まれて亡くなられ、今は彼1人で仮設に住んでます。34戸78人の仮設住宅 自治会長として仲間のために尽くして来られた彼ですが、私が1月に電話で話した時は3世帯(母子家庭と同期の男性と彼)だったのが、6月からは彼1人の1世帯になるとか。
 
「平成31年3月迄仮設に居れるので、居れる間は居ようと思う。この頃よく地震が来る。以前は地震の前の音は聞かなかったのに、最近は地震の前に『ゴ~』と音がする、音の後に揺れが来る。5になったら避難しよう」と思う。車が有るからスーパーに買い物に行ける。1人だけど大丈夫だよ。体は丈夫だから病院に行ったこと無いよ!」
 
明るく返事はしたけれど、大丈夫かな? 1人淋しく思うだろうに。津波で無くなった家、奥さんの事、離ればなれの身内の事、聞くに聴けない。食品宅急便しよう。小高区の友に彼を見守って欲しいと電話しました。せめてもの助っ人に、心の寄り添いに。


# by momofukuoka | 2018-06-07 07:29 | 福島の被災地の現状