2011年3月に発生した福島原発の事故発生後、現在も仮設住宅等での避難生活を強いられている被災地の方々の状況をお伝えすると共に、支援の呼びかけなどを行わせて頂いております。


by momofukuoka
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福島の現実

ようやく暖かな春の陽射しが嬉しく感じられる様になりました。
 
冬の寒さで 身も心も縮こまっていた私達です。
 
暖かな太陽に向かって 両手を広げ 大きな深呼吸を 何度もし、 新鮮な空気とエネルギーを 沢山貰って 元気な良い一日を 始めましょう。
 
今日も[福島の今]を語らせてください。 皆様 福島に関心を 寄せてください。宜しくお願い致します。
 
[南相馬小沢地区]
農業の盛んな小沢地区は 、 町を上げて 農業の大企業化を 目標に 国から50億円の 貸付し、着々と計画は進み、これから各自に配区分する寸前に 津波が押し寄せて 、長年努力して来た 田畑の 大企業化の夢は、 水の泡、 50億円の借金だけが 被災者の肩にのり、被災者の苦悩は半端でなくなりました。
 
50億円の負債金、津波ゆえの天災なので国は免除しても良いのでは?と思うのですが(総理は海外に多額の出資をしています。外交上必要なのでしょうが、まず日本国内に天災で困っている人達にお見舞いに行って必要な手当をするべきではないでしょうか?と思います。)
 
今日、小沢町の人に尋ねました。
 
「国は負債については何も言わない。津波は東電には関係無いので、東電も国もお金は出さない。国は引越代だけ出してくれた。私は、自宅はローンで家を建てた」。
 
災害間もない頃に、小沢町の人と話すと皆暗い悲愴感が 漂い 落ち込んでおられ、 こちらも気の毒で何と話しかけたら良いのかと十分話せませんでした。
 
 
[南相馬小高区]
津波で 身内を失い 自宅を流された 小高部落の人の話です。
 
「 災害で皆、家族バラバラになりました。 ここは津波で 全身が身内を失ったり 家が無くなった人ばかり、 災害公営住宅に20世帯住んでます。 家族は誰も来ません。仕事場も店も何も無いからです。 居るのは 年老いた 親だけです 。病院も無い店も無い、何も無い所なので、生活するのに困っている。農地を計画したいが、年寄りばかりなので 農業する気力がない。 働く場所、生活の術が無いので 、若者は帰らない。野菜、 食料 何でも欲しい。」
 
* 農家の皆さん、 主婦の皆さん、 野菜や 食べ物を送ってください。 何でも結構です。
 
 
[飯館村]
被災地のどこの村にも フレコンバッグ( 汚染した土 が入った 黒い 袋)が 置いてあります。
 
「帰還困難区域の中に他町村等から搬入されたフレコンバッグが山積みされていて、置き場に限界が出ました。 そこで環境省と 役場 町代表者との集まりがあり、帰還困難区域も除染すると言う方向となり、 フレコンバッグの中から 放射線量の低い土を 農家の田畑に撒くという。その上を土で覆うと 大丈夫と言う。これ以上住民を放射能でさらすのか? 悲しみと辛さでやりきれない」
 
*(環境省の説明によると 汚染された土は、30cmの土で覆うと約98%の放射線を遮ることが出来ると 言ってます。)それが本当だと良いのですが、農作物の根は30cm以上深く伸びるのではないでしょうか? 私も 大丈夫だと言い切れないと思うのですが 心配です。また雨が降ったら土壌の土が流れて土は30cm保てないでしょう。大丈夫と言い切れるのでしょうか?
 
又、フレコンバックの土は、常磐道の高速道路に使うと言う事です。この汚染された土は、全国の至る所に使われる可能性があるかもしれません。大丈夫でしょうか?
 
 
[大熊町]
「車で常磐道を通る時、線量計が ピーピーピーピーと鳴り出します。判かっていても 身体は緊張しますね。放射能は風に乗って至る所に流れたのだから、日本全国各地に放射能 測定器 を 置いた方が良いと思う。至る所が高いのではないですか?高いのは福島だけではないと思う」。
 
 
[富岡町]
「私の家は富岡町で一番放射能が高い帰還困難区域です。この度復興省から連絡が入り、[自宅を半壊か全壊かを 測定したいので立ち会ってくれ、二人以上で来るように。]と連絡が入り 2月25日に 防備服を着て行って来ました。私の家は帰還困難区域で 立ち入り禁止の区域だぞ、これから先何十年も住めない家だぞ、今更全壊も半壊もないべ。 イノシシが 寝起きしてました。外壁もどうしようもない状態です。諦めるしかないべ。 行って来てがっかりした。復興省の人は 淡々と計量して 書いて行った。1ヶ月後に報告が来ると言う。あと2年で10年だぞ。今更半壊だ全壊だと言われても、しょうがないべ。 腹立ててもしょうがないべ。 諦めるしかない。」
 
 
皆様福島に対する関心は、世間では過去のことになり 、関心が無くなって来ているのを感じています。明日は我が身かもしれません。色々な事件・出来事が起り安心出来ない日本になりました。こんなに 不安な日本、親子の絆さえ 不確かな日本、弱者・子供・老人・病人が 大切にされない時代。 経済・経済、 お金・お金。
 
それは生きる上で必要なことかもしれません。しかし自然を汚染し、命を粗末にして、 弱者の苦しみを顧みない国は、国民のために尽くしていると言えるのでしょうか?
 
福島の為に ご支援いただけます方は 下記にご連絡くださいませ。
 
携帯 080-5547-8675 福岡百子
f.mom.1947@ezweb.ne.jp
# by momofukuoka | 2019-03-06 05:33 | 福島の被災地の現状

福島の現実

インフルエンザが流行している季節です。皆様、呉々もお気をつけくださいませ。
 千葉県近辺は昨年から雨が降らず、野菜や果樹類の水不足で深刻と農家の方は心配をしておられますのと、今回の北海道・西日本の多雪の為に、さぞ昨年地滑りや洪水等の災害被災者は、お辛い思いをしていらっしゃるかと思いますと、胸が痛みます。
 どうぞ皆様、災害被災者に助けの手を差し伸べてくださいますようにお願い致します。
 
さて、今回は福島原発被災者のの[今]をお知らせ申し上げます。
 
福島の被災地は主に、大熊町・双葉町・浪江町・富岡町・楢葉町・広野町・川内村・葛尾村・都路町・飯館村等を指しますが、今迄は、各部落に在る帰還困難区域には、人の立入り禁止区域でそこに住んではならないとされていました。ですのに昨年から、環境省は帰還困難区域を20msvに下げたらそこに人は住んで良いとしました。「放射能は大丈夫だから安心して住んでください」と言って帰還困難区域を解除宣言をしようとしています。帰還困難区域の解除宣言を5年計画で成し遂げようとしています。
 
被災地の山、森林、田畑、家の回りの草木は避難した時のままで、何処も除染をしていません。除染したのは(水で洗い流しただけです。汚染した土は削って被災者の庭の片隅に埋める・砂利を敷く・汚染した土を黒い袋に入れてフレコンバッグとして所定の場所に集める)家屋20m内だけです。
 
山林等は除染していませんので雨風が吹けば山林の放射能は被災者の自宅に流れて被災者の家は放射能に汚染されると被災者は言います。
 
世界で認める放射能線量制限は年間1msv迄です。それ以上は人体に害があるとして認めていません。すでに国連は日本に警告を促しています。しかし、日本は警告を無視し、人が立ち入ってはならない放射線量の高い立入り禁止区域を、昨年から除染始め年間20msv迄下げた所から被災者を帰させる動きが始まりました。
 
下記は(カトリック新聞2019年2月3日)「意見異見 私見」より[チェルノブイリでは5msvで移住義務が生じます。
 
年間20msvという水準は、日本の法律では放射線業務に携わる人の5年間の平均年間限度線量です。この業務には18歳未満の人の従事は禁じられております。作業現場である放射線管理区域では飲食はもちろん就寝も禁じられ、必要なく立ち入ることも禁じられています。このような場所に、妊婦、乳幼児も含めて帰還させようというのです。帰還を推し進めるために、自治体職員・教職員・インフラ関係者とその家族を職務命令により高汚染地域で生活させようとしています。更に学校を疎開させ、避難していた子供達を強制的に高汚染地域に帰そうとしています。避難指示が解除になれば、自宅に帰らない人も固定資産税を取られます。2020年3月末をもって避難者に対する一切の支援が打ち切られます。]
 
皆様、どう思われますか?あなた樣が被災者の立場だったら、
 
「どうぞ放射能浴びて、そこの井戸水を飲み、放射線量の高い野菜を食べ、病気になって死んでください」と言われたのと同じとは思いませんか?
 
これは人の命を無視した犯罪でとは思いませんか?何と恐ろしい日本の国となったのでしょう。
 
8年間の被災者の歩みは残酷物語そのものでした。故郷を追われ、転々とした避難生活、親子はバラバラとなり、周りからは白い目で視られ、非難の的となり、賠償金は夫婦の絆、親子間の絆も裂き、正当な賠償金をもらうのに神経をすり減らし、加害者の東電と国に振り回され、何度も裏切られ心身ズタズタとなり病に犯され、多くの仲間が死に、今は悲しみ苦悩が大き過ぎて、将来の希望も持てず、過去を思い出しただけで具合が悪くなる。悲しみ苦悩が一杯で心が張り裂けそう。だけどこの苦しみを妻にも、母親にも話したことは無い。1人で耐えています。仲間皆も同じと思う。表面的な会話しか出来なくなった。心に悲しみが一杯有っても誰にも言えず、みんな苦しんでいる。この気持ち判ってください。みんなが堪えているから、自分も堪えなければならないと思う。だから「元気か?」しか言えない。とのことです。
 
皆様、被災者は不条理の状態に置かれても、もう疲れ果て、声を上げる力はありません。
 
皆様で廻りの方々に福島の現状を知らせ、福島の被災者を救うべく、手を差し伸べてくださいませ。宜しくお願い致します。
 
 
映画のお知らせです。
[福島は語る](沈黙を破る・異国に生きる・飯館村)
土井敏邦(監督作品)(2時間51分の14人の証言)
3月2日~15日新宿Ks cinema
3月9日~15日渋谷ユーロスペース
3月9日より全国一斉上映

# by momofukuoka | 2019-02-05 08:31 | 福島の被災地の現状
この新しい年、皆様お1人お1人がお幸せと必要なお恵みに満たされますように。
 
今私達の地球は、地震、津波、原発、台風、山崩れ、洪水、山火事等。そして貧困、飢え、難民、戦争、児童虐待、性犯罪、人身売買、麻薬、暴力、セクハラ、パワハラ、、、悲しい迄に、私達の住む環境はすっかり変わってしまいました。
 
70年前、私が子供の頃は、玄関の鍵は開けっ放しでしたし、子供は田んぼの畦道を走り回り、泥んこになって土壌すくい、いなご取り、道端ではゴム飛び、馬跳び、鬼ごっこ、缶けり、あや取り、ござを敷いてままごと遊び、木葉を集め、飴玉の包み紙を集め紙人形を作り、皆で智恵を尽くして遊んだものです。そしてそれがとても楽しい幸せな時間でした。
 
殺人、誘拐、泥棒、等は縁遠く、子供達はのびのびし、大人もおおらかで、ゆったりとして、落着き、皆が幸せであったように思います。
 
互いにもっと、人間同士の信頼感がありました。隣の人が風邪をひいたと知るとお粥を炊いて持って行ったり、子供が悪さをすると近所のお爺ちゃんが注意をしてくれたり、皆が家族のようでした。互いは他人ではなく親しい肉親のようでした。
 
今のように、テレビ、ゲーム機やお金は無くても、自然が遊び道具に満ちてましたので、自然を使った遊びは、発見、冒険があり楽しく夢中で幸せでした。自然からの学びも多かったです。
 
子供時代、平和で幸せだった日本、何故、50年70年でこんなにも変わり果てた日本になってしまったのでしょう?
 
豊かさとは何なのでしょうか?
 
幸せ、平和とは何なのでしょうか?昔と比べ、社会全体に落ち着きが無くなったような気がします。 人に対する信頼感、尊敬心、孝行の念、感謝の気持ち。音の無い世界、神秘、魂の世界、信仰心。この事を味わってみられるのも役に立つのではないでしょうか? 私達は今、自分にとってはとても大切な1回限りの人生を歩んでおります。2度と訪れることの無い私の人生、皆様の人生です。ですのに皆様は事の重大さを解っていらっしゃらないのではないでしょうか?
 
2度と無い私の命、私の人生。
2度と来無いあなた様の命、あなた様の人生の事です。
 
[今日]とゆう日は、2度と来ないのです。[今日]を如何に生きるか?はとても大切なのです。1日1日があなた様を形つくって行きます。1日1日の生き方が宝石になって行くのです。幸せ創りは1日1日の過ごし方、あなた様の心のあり方によります。1日1日をきらきら輝く宝石創りにしましょう。
 
人生は以外と早く過ぎて行きます。毎日毎日の経験の積み重ね。経験は尊いものです。どんな経験も無駄になることはありません。1つ1つが宝石です。苦しみは紫色の宝石かもしれません。悲しみは真珠。忍耐は濃い緑色。人生の沢山の経験が豊かなカラーとなって輝きます。宝石創りはとても心を幸せにします。
 
やがて私達は人生の最後の日を迎えます。最後の日のその時にあなた様は神様の前に立っている自分に気がつくでしょう。そして宝石そのものになっておられますあなた。まばゆいばかりに輝いておられますあなた。
 
神様はあなた様を抱き締められるでしょう。「よく頑張ったね」と。皆様、毎日を宝石作りで楽しみましょう。苦しみは苦しみ色の宝石です。忍耐は忍耐色の宝石です。涙は真珠。神様が手助けをしてくださいますよ。神様と二人三脚で歩いてくださいね。あなた様は1人ではありませんよ。
 
今年、いろんな事があったとしても、大丈夫、心配しないでね。神様にしっかりとしがみついてくださいね。神様はあなた様を背負って歩きます。
 
神様の胸の中に飛び込んでください。一緒に泣いて、安らいでください。

# by momofukuoka | 2019-01-09 07:20 | 福岡百子からのメッセージ
今年も残り少なくなりました。
 
この機会に、生まれてから今日迄の自分の人生を1つ1つ思い出してみるのも良いのではないでしょうか?母の乳房に養われた時期もありました。幼児期もあり、青年期、成熟期、老年期。
 
みんな誰かの世話になり今日の[私]がここにおります。私を育てる為に、骨身を惜しまず私を守ってくださった沢山の方々。ご両親、恩人、友人方を思い起こし、感謝を心からいたしませんか?
 
人生には涙有り、辛い時期も有りました。[労苦、苦悩]の体験。無駄のように思えたこの時間。しかし全てが無駄になることはなく、私の人格形成に役に立ったようです。苦悩は苦悩する人を知る時間・体験の時でした。貧しさを体験して初めて貧しさ・ひもじさの苦悩を知る。忍耐力、我慢強さ、粘りを苦労から学びました。苦悩は人間を知る学びの時間でもありました。全てが無駄になることはないと、私を練りあげ磨きあげる手段になったと、思いました。
 
年末にあたり、ご自分が経て来た人生を、一生を振り返り、ご一緒に感謝をいたしませんか?
 
[明日]と言う日は未知の世界です。生きてるどうかは判りません。[時]という恵み。神様からの贈り物です。1分1分は神様からの贈り物です。[今]という時間。これから大切に生きましょう。これからの時間を宝物として。2度と手に出来ない神様からのプレゼントですもの。あなた様への神様からの贈り物ですもの。今日と言う日。明日と言う日。1日、1日を輝く自分になりましょう。
 
最近のテレビでもご紹介しておりました、作曲家 権代敦彦氏の《子守歌》をご紹介させていただきます。人は何故生まれてきたのか?がよく解る歌でした。
 
 
《子守歌》(作曲家 権代敦彦氏の解説から)
 
[「オギャーッ」と 赤ちゃんが生まれてくる時の泣き声は、 決してこの世に生まれ出てきた喜びの声ではなく、 羊水に守られていた母の胎から、 この世の中に放り出された悲しみと苦しみの叫びなのだと、聞いたことがあります。(彼は、 生まれた瞬間からこの世の悲しさを全身で表現しているのでしょう。) だから母なる海の音と波の律動の記憶は、誰もがいつかそこへ帰りたい、そんなふるさとなのです。 この記憶を手掛かりに、この「子守歌」は作曲されました。
 
いつかは[帰りたい]と願って生まれてくる、すなわち死ぬために生まれ、生きるのだとすれば、この世での苦しみの時間はそのための準備期間と言えるでしょう。 如何に死ぬかはすなわち如何に生きるかです。
 
そのことを時間をかけ、学び実践する場がこの世に他なりません。゛ 一体何のために生まれてきたのでしょうか?゛ この問いは自分自身に対し誰もが一度は問うものでしょう。]
 
 
東電の原発被災者の苦悩、つまり犠牲になられた福島原発被災者の半端でない苦悩の月日、国からは見放されたような福島原発被災者の日常を思うとき、余りにも過酷過ぎる現実に、《福島の人達に、これ以上苦しみを与えないで!》と産まれた赤子が全身を震わせて泣き叫ぶ様に、私も政府に向かってワーワーと泣き叫びたいです。《福島原発被災者を速く助けてください!救って、まともな生活と日常を与えてください!》と。
 
 
ブログをご覧の皆様。今年も大変お世話になりました。
 
本当にありがとうございました。来年も宜しくお願い申し上げます。いよいよ冬の本格到来です。呉々もお体に気をつけてお過ごしくださいませ。
 
来年は良きお年でありますように。
 
皆様に心からの感謝を申し上げて、神様からの祝福とお幸せを心よりお祈り申し上げております。
# by momofukuoka | 2018-12-04 19:46 | 福岡百子からのメッセージ
「オギャー」  っと赤ちゃんが産まれてくるときの泣き声は、決してこの世に生まれ出てきた喜びの声ではなく、羊水に守られていた母の胎から、この世の中に放り出された悲しみと苦しみの叫びなのだと、 聞いたことがあります。( 彼は、生まれた瞬間からこの世の悲しさを全身で表現しているのでしょう。) だから母なる海の音と波の律動の記憶は、誰もがいつかそこへ帰りたい、そんなふるさとなのです。この記憶を手掛かりに、この「子守歌」は作曲されました。
 
いつかは[帰りたい]と願って生まれててくる、 すなわち死ぬために生まれ、生きるのだとすれば、 この世での苦しみの時間はそのための準備期間と言えるでしょう。 如何に死ぬかは すなわち如何に生きるかです。
 
そのことを時間にかけ、学び実践する場がこの世に他なりません。゛ 一体何のために生まれてきたのでしょうか?゛ この問いは自分自身に対し誰もが一度は問うものでしょう。」
 
私、福岡百子はこの言葉にショックを受けました。あんなに愛らしく優しさいっぱいの赤子が産まれた瞬間に、何故悲壮な迄の全身振り絞った泣き方をするのか?私はずっと何か理由があるはずだ。と思っておりました。
 
産婆さんは「オギャー」という1声に、「元気な赤ちゃんが産まれた」とおっしゃってたように思います。しかし、単なる元気だけではなく、けたたましく泣き叫ぶ赤子、理由があるはずだと思っておりました。初めて胸にストンと解りました。

# by momofukuoka | 2018-11-17 12:12 | 福岡百子からのメッセージ