2011年3月に発生した福島原発の事故発生後、現在も仮設住宅等での避難生活を強いられている被災地の方々の状況をお伝えすると共に、支援の呼びかけなどを行わせて頂いております。


by momofukuoka
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被災者の心に寄り添って

【亡き人への感謝を】
亡くなられた尊いみ霊、肉親、友人、知人、すべての方々のご冥福をお祈りする8月が参りました。すべてのみ霊に向かって、私たちは心からご冥福をお祈り申し上げたいと思います。

近年、悲しい事件や殺害で亡くなられた方々があまりにもたくさんおられます。本当に恐ろしい世の中になりました。どうしてこんなに不安な世の中になってしまったのでしょう? 何事も原因があるはずです。結果は原因があってなるのだと思います。いつか皆様と原因について話せることができたら、と思っております。

皆様、私たちは両親があって命をいただきました。私たちは1人で育ってはいません。母の母胎で見守られ、父も母も祖父母も、そして医者も看護師もあなたを見守り、生まれるその瞬間まで、どんなに心配し、母は死ぬほどの苦しみと、多くの犠牲を経て、産み育ててきたことでしょう。あなたの名前には両親の思いがどんなに込められていることでしょう。そのことを日々感謝しておられますでしょうか?

ちなみに私は太平洋戦争が始まる1カ月前の昭和16年11月7日に生まれました(7カ月の早産で未熟児でした)。もともと弱かった母は、私を妊娠した時、医者から堕ろすようにと言われたようでしたが、“命をかけても産んでみせる”と言い、産んでくれたようです。保育器が無かった当時、母はたらいに湯を入れて私の顔や肌を見ながら、紫色になると湯に入れつつ、苦労しながら育てたそうです。だから名前の百子は100歳まで生きるようにと願って名をつけてくれたとのことです。

私は自分の名を書くたびに母に感謝しています。また、私は赤ん坊の時から虚弱で、現在に至るまで、その後遺症を持っています。原因不明の病もあり、それなりに子供の頃から体の不調はあたり前として過ごしてきました。時代が今ほど医学は進んでいなかったために、私の病名はわからないで、普通の生活を送れてきたことは、今にしてみれば、感謝です。自分の人生を精一杯、心から楽しんで挑戦して、悔いなく生きてきましたので、病名が分からないでいたからこそ、皆様と変わりない生活をし、仕事も結婚もし、今日に至れました。

しかし、ここ数年、体が急に弱ってきたのを感じていました。昨年末、呼吸困難となり、初めて私は膠原病、難病であったことを知らされました。全身の分泌腺が冒されて乾くシェーングレン症候群と、全身に痛みが生じる線維筋痛症。初めて子どもの頃から味わっていた体の不調の謎が解けて納得しました。そして私は悟りました。何事も体験しなければ、その人の苦しみも悲しみも分からない、ということを。難病になってみて、呼吸困難になってみて、手足が不自由になってみて、孤独になってみて…初めてその人の悲しみ、苦しみ、喜びが何であるかを知る。地震に、津波に、原発に、家を失ってみて、子どもを失い、家族を失い、失業して…初めてその苦悩、悲しみ…を知る、悟る。人は体験しなければ、その人を理解することはできないと思いました。

私は生まれてから今日までの私のすべての体験に感謝しています。難病は辛いです。時に苦しいです。でもなってみて初めて理解ができるようになりました。今は体の不自由な方、病人の方が同胞、仲間と感じ、その方々への支援が気になるようになりました。

皆様、お盆に当たり、私たちを産み育ててくれた両親、祖父母、多くの恩人、友人、特に亡くなられた方々を思い起こし、感謝し、私たちを守っていただきましょう。お盆を、亡くなられた方々への感謝の日と致しませんか? 今日は福島の方々も思い出し、彼らの癒えぬ心に寄り添っていただけませんか?


【被災者の声】
〈葛尾村の方〉
「震災の日、高校3年生の孫は友人と浪江町の請戸(うけど)(全町が津波にのみ込まれた町)に遊びに行ってました。津波が来たので、車で行っていた孫は友人の親戚3人を助け、友人の祖父母がいないのに気がつき、再び車で祖父母を助けに行って、津波にのみ込まれてしまいました。災害後、放射線量の関係で2カ月間、自衛隊も警察も遺体探しに入ることができませんでした。

2カ月経ってやっと自衛隊等による遺体捜索が始まりました。私たち住民は見つかった遺体との面会と名前の確認をしました。話によると、孫の車は鍵がかけられており、そっくりしていたそうです(「そっくりと」は無傷でそのままの状態のこと)。そして友人と祖父のご遺体は傷を受けることなくそっくりしていましたが、2カ月経っていたため、塀にくっついてミイラの状態になっていたそうです(酷な表現に、私はこの言葉を書くべきか悩みましたが、被災者の言葉ですので、そのまま記させていただきました。申し訳ございません)。私の孫と友人のおばあちゃんの遺体はいまだに見つかっていません。」

〈大熊町の方〉
「津波の後、私たち住民は遺体探しに入ることはできなかった。2カ月過ぎて、自衛隊、警察が捜索に入り、探し出された順から私たちは名前を知ることができた。いまだに見つからない人は大熊町で100人いる。大熊、双葉、富岡、浪江、浜通りの人は見つかっていない人が多い。今は毎月、月命日の11日に、警察、消防士が海を掘って探しているが…。今は住民も入れるが、どこにいるかわからない。」

「ああ今、福岡さん、思い出したくないー!」(彼が災害後、しばらくの間、「毎晩夢を見る。罪悪感に押しつぶされそうで寝れない」と話していたことを思い出します。「私たちが逃げる時、樹木にしがみついて助けを求めていた人がいました。その姿を毎晩夢に見ます。助けられなかったこと、見捨てて逃げてしまったことが罪悪感となっている」と。)
福島の方々は「忘れられていくこと、“お金をもらっているでしょ”と冷たい視線を浴びることは、耐え難い。実際は賠償金をもらっていないのに、レッテルを貼られてしまっている。どうしようもない」と言います。

〈南相馬、小高町の方〉
「小高は7月12日に避難指示解除になりました。私は今まで住んでいた仮設住宅をきれいにして、町の検査を受けて、鍵を渡して、小高の自宅に帰ってきました。12、3戸の人が帰ってくる予定です。これからが大変です。小高は地盤が傾いています。だから家も傾いています。小高町は家を解体している人が多い。修理費は出ません。前に東電からもらったので何とかしようとしています。小高区の人はいまだ帰っていません。何も無い。病院が1軒。診察が始まったが、1週間に2回診察するのみです。何も無いのでこれからが大変です。」

「放射線量? それよりも野生動物たちとの戦いです。せめて自分たちの食べ物くらいは自分たちでしなければ、と始めたのですが、3日前にサルが集団で来て、やられてしまった。イノシシも荒らした。いつまでも甘えていてはいけないし、他人の世話になっててはいけないので、自分たちで食べる野菜は各自作ろうとしています。今まで助けていただいて本当にありがとうございました。」

私が「これからが大変ですね?」と言いますと、「そうなんです。これからが大変です!」
(福島の被災者の自立は大切ですが、私は今後も彼らに寄り添っていくことの必要性を心に感じ、「私たちはいつまでも友達ですからね」と申し上げました。)


【本の紹介をさせていただきます】
縁あって著者の赤塚雄三氏(東洋大学名誉教授)よりご本をいただきました。
『再考 福島第一原発事故――被災者に寄り添って考える――』(定価1300円+税、2016年6月18日発行、注文は仙台出版サービスセンター 電話022-264-0151)
『巨大津波災害から学ぶ』(定価1900円+税、鹿島出版会、2013年4月20日発行)


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【支援品をよろしくお願い申し上げます】
ご支援をいただけます方は、被災者をご紹介いたしますので、福岡百子までご連絡くださいませ。
〈問い合わせ〉
福岡百子 携帯メール f.mom.1941@ezweb.ne.jp  FAX 047-346-8675
(恐れ入りますが、これらの連絡につきましてはAM11:00~PM5:30までの間に頂けますようお願いいたします。なお、すぐにご返事ができない時もありますので、申し訳ございませんが、再度ご連絡くださいますよう、お願い申し上げます。)


※当ブログは福岡氏より委託を受けた、前野賢一郎(maeken24@ybb.ne.jp)が更新作業等の管理・運営を行っております。

なお、英語版ブログ Reality of Fukushima (Voice of Momoko Fukuoka )http://momfukuoka.blogspot.jp/もあります。
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# by momofukuoka | 2016-08-02 06:19

広島―福島―熊本

【オバマ大統領の広島演説】
5月27日の夕方、被爆地広島を訪れたオバマ米大統領は、原爆資料館で「実は折り鶴を持ってきました」。オバマ氏がそう切り出すと、随行スタッフがトレーに載せて運んできた。梅や桜の花が彩る和紙を丁寧に折り、「少し手伝ってもらったけれど、私が作りました」。白と淡いピンクの2羽を小中学生2人に1羽ずつ手渡した。(http://sharetube.jp/article/2733/ より)

5月28日21時にネットに記載された国民の声です。「オバマ大統領の折り鶴を見ただけで感動の涙が出る。平和って良いなあ。平和って素晴らしいなあ」。

そして、原爆慰霊碑に献花された後、静かに目を閉じて黙祷されたオバマ大統領。そして17分の演説。

「71年前、死が空から降り、世界が変わってしまいました。・・・彼らの魂が私たちに語りかけます。私たちに内省し、私たちが何者なのか、これからどのような存在になりえるのかをよく考えるように求めているのです。・・・

それぞれの時期に罪なき人たちが犠牲になり、その名は時がたつにつれて忘れられていきました。

・・・戦争は、最も単純な部族間の紛争の原因となった、支配や征服をしたいという本能と同じ本能から生まれてきたのです。

・・・私たちと何ら変わりのない人たちが、撃たれ、殴られ、行進させられ、爆撃され、投獄され、飢えやガス室で死んだのです。・・・私たちは人間性の中にある根本的な矛盾を突きつけられます。

・・・私たちの考えや想像力、言語、道具をつくる能力、自然を自らと区別して自らの意思のために変化させる能力といったものこそが、とてつもない破壊能力を私たち自身にもたらすのです。

・・・原子の分裂を可能にした科学の革命には、道徳上の革命も求められます。だからこそ、私たちはこの場所を訪れるのです。・・・私たちは、歴史を直視する責任を分かち合っています。そして、こうした苦しみの再発を防ぐためにどうやり方を変えるべきなのかを問わねばなりません。

・・・私たちの国家を、破壊能力によってではなく、何を築き上げるかで定義づけるのです。そして、おそらく何にもまして、私たちは一つの人類の仲間として、互いの関係をつくり直さなければいけません。

・・・私たちは学び、選ぶことができます。

・・・『すべての人は等しくつくられ、生命、自由、幸福追求を含む、奪われることのない権利を創造者から授けられた』。

・・・すべての人の減らすことのできない価値。すべての命は尊いという主張。私たちはたった一つの人類の一員なのだという根本的で欠かせない考え。これらが、私たち全員が伝えていかなければならない物語なのです。それが、私たちが広島を訪れる理由です。私たちが愛する人のことを考えるためです。朝起きて最初に見る私たちの子どもたちの笑顔や、食卓越しの伴侶からの優しい触れあい、親からの心安らぐ抱擁のことを考えるためです。

・・・普通の人はもう戦争を望んでいません。科学の驚異は人の生活を奪うのでなく、向上させることを目的にしてもらいたいと思っています。国家や指導者が選択をするにあたり、このシンプルな良識を反映させる時、広島の教訓は生かされるのです。・・・広島と長崎が『核戦争の夜明け』ではなく、私たちが道徳的に目覚めることの始まりとして知られるような未来なのです。」

(朝日新聞5月28日朝刊より抜粋 http://www.asahi.com/articles/DA3S12380530.html


私はこの演説を聴いて“偉大な人生の師”が天から現れたような気がしました。心に受けとめ、実現していくことが私たちの責任であると思いました。私たちの時間は限られています。1人でも多くの方と手をつなぎ、オバマ氏の言葉を私たちの共通の志とし、この世を幸せな国に変えなければならないと思いました。広島、長崎の被爆者の死を決して無駄にしてはなりませんし、むしろ亡くなられた多くの方々の助けをいただいてオバマ大統領と共に世界を変える努力をしませんか?と思いました。

そして、被爆者の森重昭さんを抱き寄せるオバマ大統領の温かさと優しさは言葉以上に多くの日本人の心を揺さぶったと思います。“子は親の背中を見て育つ”と言われますが、人柄から感じられる温かさ、優しさ、思いやり、誠実さこそが、現代最も必要なことではないでしょうか? この方のそばにいると、安心と安らぎ、幸せなエネルギーを感じる――そんな人になりたいものです。自分の人格づくりこそ、最も大切なことかもしれませんね。


【福島被災者の声】
〈葛尾村〉
6月12日に政府は葛尾村に解除宣言するという。

「村長が決めた、と新聞に書かれたけど、実際はそうではない。国が一方的に決めた。村への説明会があったというが、そうではなく、6月12日に帰還すると決まってから、報告会が1度あったのみ。質問したけど、時間がないと言われて打ち切られた。」

「3年間、正確な情報は村人には入ってこなかった。我々は新聞とラジオで個人的に知るのみです。パソコンで情報を見たけど、すぐ消され、見ることができなかった。」

「放射線量は未だ高い。国の発表の3倍の時もある。ごまかしている。」

「放射線量3.5マイクロシーベルト以上のところがあり、放射能を浴びて帰った時はものすごく疲れる。異常な疲れで、土日休んだって疲れは取れない。風邪と同じ状態となり、くしゃみ、鼻水、下痢、37度前後の熱、一時鼻血が出て、全身のうぶ毛が抜けた時期もあった。仲間と風呂に入りに行ったとき、湯船にぷかぷか浮くので、何かと思ったら、うぶ毛でびっくりした。何でこんなに抜けるのかと思うほど。全身のうぶ毛が全部無くなった。仲間も同じでした。人によって白斑が出た人もいる。」

「放射能の高い所に我々は帰りたくない。だけど国は我々の声はもう聞いてくれない。」


〈都路町〉
「4月22日に東京電力に対する賠償金未払い訴訟の第2回目の裁判がありました。その時、裁判長は『未だ放射能が高い、という表現ではなくて、具体的に放射線量を測定してそのデータを提出してください』と言われました。だから岩井沢部落の200戸の家屋敷、田畑、裏山等、1軒1軒の放射線量測定を弁護士と一緒に一日中しています。役場は助けてくれません。仲間も仕事があって誰もできません。団長である私がしなければ、する人はいません。だから私は仕事を休んで、弁護士(3~4人)の先生と一緒の16日間しています。日曜日は仲間に手伝ってもらっています。

次回の裁判は7月1日です。2ヶ月後に裁判は続きます。他の町の原発被災者も裁判をしていますが、2年かかって10回法廷が開かれた。しかしなかなか進展しない、と言ってきました。10年はかかるかも、と言っています。

裁判を起こすことは、こんなに大変なこととは思いませんでした。お金もかかるし、仕事も休まなければならないし、本当に大変なことです。こんなに負担がかかることは誰もしたくないです。私もやめたいと思うことがある。だけど、村の皆を思うからこそ、やり始めたので、村のためを思うからこそ、皆のために続けようと思う。」


【熊本地震において行政にお願いしたいこと】
――過去の被災者の苦しみを繰り返さないでください――(福島の被災者は体験しました)

罹災証明作成方法として、職員を増員し、職員が被災者の避難所に出向き、順次、避難所・住まいを巡回訪問して証明書を作成していただきたく、心からお願い申し上げます。民間の会社や職員にとって家庭訪問は特別なことではなく、日常的なことです。ですのに、どうして行政になると、それができないのでしょうか?

ましてや非常時には臨機応援に順応するのが国民と共にある行政の立場ではないでしょうか?

被災者は心身疲れ、病んでいます。考えられないほどの苦悩、不安、悲しみ、恐怖、犠牲を強いられて、やっと今日という日を生きているのかもしれません。歳を取り、また身体が不自由となり、寝込んでいる方、交通費のない方もおられることでしょう。弱り切った被災者をどうして出向かせるのでしょうか?

何時間も炎天下に、固い椅子に座らせ、または立たせ。中には5分と立っていられない人もいます。被災者は受け身ですので、辛くても、黙って順応しておられるでしょう。「被災者の立場に立って考え、行う」をお願いしたく存じます。今後の書類申請、物資支援配布、説明会、鍵の引き渡し、選挙場(投票所)など、被災者に負担を与えないようにしていただきたくお願い申し上げます。

支援金、補償金のあり方も、被災者の立場にたっていただきたく思います。全壊、半壊という線引きではなく、住めなくなってしまった現状、修理費の現状などに合わせた支援金を。


【福島被災者の今】
福島の場合は、賠償に対する責任を国は東電に託し、国は責任を負わなかったために、放射能賠償を線量の高さではなく、福島原発から20キロ圏内としたために、また津波や地震は関係ないとしたために、放射線量が高くて住むことができなくなった20キロ圏外の人、津波で流され何も無くなった方々は、いまだに住まいを建てる資金もなく苦悩しておられます。国は東電任せではなく、国こそが災害被災者にこそ積極的に必要な資金を投じて、国民が安心して生活できるようにしていただきたくお願い申し上げます。

仮設住宅は耐久性2年というマニュアルで建てていると以前は聞きました。そこに6年目に入った今でも被災者は行き場無く住んでいます。当初から、すきま風が入り、床も傷つき、湿気やカビで悩んでいました。復興住宅も、湿気の多い所、不便な所もあり、鍵をもらったら10日または20日以内に引っ越さなければならず、カーテンや電灯、エアコン、ガスコンロは自腹なので60万円かかります。

福島原発被災者は来年(2017年)3月末までに帰還するように促されています。津波にあった人のためには、被災地に復興住宅を入り、そこに入るように進めているようです。仮設住宅は取り壊しが始まり、縮小されています。被災者の声は聞かれず、被曝を怖がる被災者を、未だに放射線量の高い被災地に来春までに帰還するよう促しています。2018年3月で賠償金の支払いは終了。医療費も税金も、被災者扱いではなくなるようです。

皆様、日本はこれでよいのでしょうか? オバマ米大統領の演説の内容を再度じっくりと味わいませんか? 解決していない被災者の悲しみを私たちは忘れてはならないと思います。


【ご紹介いたします】
シンガーソングライター梅原司平ミニアルバムCDふくしま組曲「望郷-ふるさとからの手紙」
(頒布価格 ¥1500  発売:プラナミュージック電話03-5302-5666/制作協力:福島県楢葉町)

日野 行介著『原発棄民 フクシマ5年後の真実』(毎日新聞出版 ¥1400+税)

くさばよしみ編『世界でいちばん貧しい大統領からきみへ』(汐文社1200円+税)



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# by momofukuoka | 2016-06-05 08:44
4月4日、テレビの映像で、トルコから命からがら小さなボートに鮨詰め状態でやっとギリシャまでたどり着いた避難民が、トルコに送還されるという映像を見て、私は仰天し、心震え、足がすくんでテレビの前で棒立ちになりました。そしてとても悲しさがこみ上げてきて、思わず「神様、何という世の中!」と声に出していました。 私は両手を天に向け、「神様は今の世を悲しい思いで見ておられるのでしょう」「切ないまでに人を大切に思う神の心は人の心には 届かないのか?」と問いかけました。

皆様、もし難民の立場でしたら、どんなお気持ちでしょうか? 戦争で町を破壊され、行き場が無くなった方々。世界は難問が山積みされており、解決は決して簡単なことではないことでしょう。今やこの地球は、一国での解決の時代ではなく、世界レベルで何事も「人の命を最優先」というテーマに視点を当てて、あらゆる国の仕組み、投資のあり方を考えても良い時代となったのではないでしょうか? 自国の権利や富を豊かにすることは大切なことでしょうが、そのために他国や自国の人々の命を粗末にする現代のあり方に私は疑問を感じます。日本においても、私は国民の命を守ることに「本気度がない」国の姿勢に、そろそろ国は目覚めて欲しいと思います。


【都路集団訴訟原告団長の口頭弁論】
 
今日は、福島の原発被災者で賠償金未払いのために国と東京電力に対し裁判所で訴訟を起こされた方の「被災者を守る会」の団長様が裁判所で読まれた原文をご紹介したいと思います。裁判所は「福島地方裁判所、郡山支部民事部」です。第1回目の裁判は、2月22日だったとのことで、次回は4月22日とのことです。裁判所では、右側に東電から5名、左側に被災者側(都路)30名。裁判官は5名。裁判長が「今から裁判を行います。カメラ、撮影、録画はだめです」と言われ、まず弁護士からの話、次に被災者代表として団長からの原稿読み上げ。これだけで終わり、被災者側の意見を述べる場はなく、次に裁判長は「次回は4月22日です。本日の法廷は閉会します」で終わったとのこと。わずか30分だった、とのことでした。団長様は「4月22日に返事があるのじゃないかと期待するが」とのことでしたが・・・。

では、下記に「被災者を守る会」団長、今泉信行様が裁判所で読まれた原文をご紹介致します。(名前掲載については本人から了解いただいております。)

なお、ネット毎日新聞(http://mainichi.jp/articles/20160306/ddm/041/040/138000c) 〈東日本大震災5年
「ずたずたにされた。地域も家族も」 責任問わずにいられぬ 福島・都路地区、原発賠償の原告団長〉もご覧ください。このサイトでは裁判の日付は2月15日となっていますが、実際には22日だったそうです。


都路集団訴訟 第1回口頭弁論の意見陳述(原発賠償訴訟原告団団長・今泉信行)
1.事故前の暮らし
私は、生まれたときからずっと都路町で暮らしてきました。本件事故当時は、私、母、妻、長男夫婦と孫の2人の7人暮らしでした。

都路町は、10年ほど前に常葉町、大越町、滝根町、船引町と合併する以前は、隣の葛尾村と同じように、浜通りに突き出ている「都路村」という一つの村でした。海にも近く、広大な山河に囲まれた自然豊かなところで、山に入れば山菜やキノコ採りができ、川ではヤマメやイワナ釣りもできました。

土も空気も水もきれいな都路の産物は、まるでブランド品のように扱われ、2ヶ所ある直売所には、東京などの遠方に住む人たちまでが都路の産物を買い求めに来るほどでした。

私は農家ではありませんが、ネギ、キャベツ、ナス、キュウリ、トマトなどの野菜や米を自家栽培しておりましたので、肉や魚以外は自給自足の生活でした。自分たちで作った野菜や米は、親戚や近所の人たちにも分けたり、逆に親戚や近所の人たちから野菜をもらったりしていました。

都路に住む人たちはみな朗らかで、地域の行事も多く、4~5月はお花見、8月には灯篭祭り、10月には文化祭や体育祭、11月には秋祭り等が行われていました。また、部落ごとにある子供会では、1泊2日の旅行等も行われていました。

都路は、老人、若者、子供たちが毎日集まり、笑い声が絶えることのない地域でした。


2.事故後の状況
原発は絶対安全なのだと誰もが力説し、私たちはそれを信じ切って何十年も暮らしてきましたが、その原発が爆発し、都路にも避難指示が出されました。

平成23年3月12日の夜、私たち都路の住民は、厳しい寒さと不安、取り返しのつかない事態に陥ってしまった絶望感に襲われながら、一斉に避難しました。私たちはそれから約4ヶ月にわたって避難所生活を続けましたが、高齢の母は過酷な避難所生活に耐えられず、避難後2ヶ月ほどで特別養護老人ホームときわ荘に入所しました。避難所はとても過酷な環境でしたが、私にとっては日々増していく不安と絶望感が何より耐え難いものでした。あのとき避難所にいた人はみんなそうだったと思います。都路の人たちから篤く信頼されていた60代の男性は、避難開始から1ヶ月も経たないうちに自ら命を絶ってしまいました。

私と妻は、平成23年7月に船引の仮設住宅に入居しましたが、仮設住宅は狭いうえ、隣の部屋からの音漏れもひどく、近所づきあいには相当気を使わなければなりません。妻は、仮設住宅に入居した直後から人との接触を極端に嫌がるようになり、精神不安等を訴えて通院するようになりました。

そして、平成23年8月末、みんなが途切れることのない不安を抱える中で、30キロ圏内避難指示解除宣言が出されました。目に見えない放射線量がどれほどなのかもはっきりわからず、避難指示解除宣言が出て多くの人が都路に帰還しました。このときから、20キロ圏内の人と30キロ圏内の人、帰還した人と帰還していない人、放射能を恐れる人と恐れない人、若い人と老いた人との間で心の分断が始まり、あんなに仲の良かった都路住民の絆がズタズタになっていきました。

平成24年9月には、30キロ圏内の住民に対する賠償が完全に打ち切られてしまいました。このため、都路は、賠償が継続する20キロ圏内の住民とこれが終了した30キロ圏内の住民とではっきり二分されることになり、30キロ圏内の住民のひとりである私は、経済的な不安にも悩まされるようになりました。私の妻が自ら命を絶ったのは、それから間もない平成24年10月29日のことです。仮設住宅に妻ひとりを残して仕事に出ていた私は、妻を助けることができず、今でも妻には申し訳なく、しかしどうすることもできません。現在の私の家族は、99才を過ぎた母、息子夫婦と孫2人のみですが、家族バラバラの生活です。

避難を始めてからは、自給自足の生活もできなくなってしまいました。山の放射線量はいまだに高いので、キノコ採りや山菜採りもできません。川でヤマメ釣りやイワナ釣りをする人も、もういません。

地域の行事も全て中止となってしまいました。平成26年8月にようやく灯篭祭りが行われましたが、それ以外の行事は行われていません。


3.裁判所に訴えたいこと
平成23年3月11日、私たちはこれまでに体験したことのない大地震に見舞われ、あちこちで被害を受けました。しかし、地震だけであれば、原発事故さえなければ、都路はすぐに復興し、私たちは元どおりの生活に戻れたはずです。

私たち都路住民の暮らしを大きく支えていた海や川、そして山々は、今も放射能に汚染されたままです。国は元に戻すと力説していますが、現実には厳しさが増しています。都路に帰還している人の多くは高齢者であり、子供のいる世帯や若い人たちはいまだに避難中です。都路は山に囲まれた地域なので、除染で一時的に放射線量が低くなったとしても、またすぐに高くなってしまうのです。子供のいる世帯は、もう都路には戻らないでしょう。何十年か後には、都路は超高齢者ばかりの地域となってしまい、そのうち町自体が無くなってしまうのではないかと思います。

また、30キロ圏内の住民の精神的損害の賠償が打ち切られてしまってからは、20キロ圏内の住民と30キロ圏内の住民の仲が決定的に険悪になってしまいました。放射線量は20キロ圏内と圏外とでそれほど変わりはなく、地域が崩壊してしまったという結果は同じであるにもかかわらず、同じ都路の住民間で賠償金の支払いに差があるのがおかしいのです。

復興の旗印のもとに、県内で一番早く避難指示を解除された都路の住民の現実を知り、その心の叫びに耳を傾け、精神的に負った痛手を償ってほしいと切に願います。                以上
                                               

【明日は我が身】
皆様、福島の被災者は原発による放射能汚染がなければ、5年経った今では自活し、家族、住民一つになって活き活きと目標をもって町や村づくりをしていたはずです。しかし、原発事故はすべてを破壊してしまいました。町も人も産業も何もかも。そして未来も、被曝による不安をぬぐい去ることができなくしてしまいました。私たち国民はこの現実を他人事とするのでなく、明日は我が身に降りかかることとして、原発再稼働、核問題を直視する時ではないでしょうか?

そして日本の最優先課題は被災者の方々の生活再建であり、この責任を東電や地方自治体に任せていること自体、私は国の統治者に怒りを感じますと共に、国の恥、世界の恥だと思います。1年後の2017年3月据えに国は一部を除いたほぼ全域の福島原発被災者を帰還させる予定です。そのために仮設住宅も1年後に取り壊すとのことです。

皆様の声でどうぞ福島原発被災者をお救いくださいますように! 福島被災者に代わって声を上げてくださいますように!


【お知らせです】
1月20日、私宅にアメリカのCNNテレビ東京支局の方からお電話がありました。「アメリカのCNNテレビのニュースチャンネルは200カ国に放送していますが、さらにケーブルテレビとインターネットで放映されています。福岡さんのブログを、日本語も英訳も見ました。この人なら、と思いました。福島被災地の現実を知らせたいので、どなたかを紹介してほしい。」そして放映されたレポートは下記からのもののようです。よろしければご参考にご覧くださいませ。

TVで放送した福島についてのリポート
http://edition.cnn.com/videos/world/2016/03/08/japan-fukushima-energy-future-ripley-pkg.cnn

ウェブの記事とビデオ
http://edition.cnn.com/videos/world/2016/03/08/japan-fukushima-survivors-ripley-pkg.cnn

ウェブの記事と写真(仮設住宅に住んでいらっしゃる双葉町の方々の写真とコメント)http://edition.cnn.com/2016/03/09/asia/fukushima-survivors-portraits/index.html


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# by momofukuoka | 2016-04-12 07:58 | 福島の被災地の現状
このたびは私の健康のことでご心配いただき、たくさんの方々からの心温まるお便り、そしてお祈りを、本当に有難うございました。皆様が福島被災者の方々を身内のようにお感じ下さり、「支援を継続しますのでまかせてください」とのたくさんのお便りをくださり、本当にうれしいでした。今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。

間もなく3月11日を迎えようとしております。丸5年です。被災者の生活は災害の時のまま、変わっておりません。「逃げろ!」と言われて逃げた自宅は、5年の歳月が流れ、崩れてネズミの棲家になり、草木が生い茂ったあばら家になってしまいました。皆様、お店も病院も無く、夜になると真っ暗で家の灯りが見えない村に、町に、あなた様は喜んで帰れるでしょうか? 1年後には被災者は帰るように促されているのです。ほとんどの原発被災者は賠償金も止まり、平成29年までに仮設住宅や借り上げ住宅から出なければならず、残る1年の間に自分で自分の住居を探さなければならないのです。

国民の反対を押し切って建てた原発。事故が起きて「逃げろ」と言われて、村や町を追われた被災者。今度は、線量高く汚染されてしまった村や町、荒れ果てた我が家に帰れと言われ、修理やリフォームは自分でするようにと言われても修理するお金もきちんと出してもらえない被災者。村や町にはかつての企業も店も無く、働く場が無い。仕事も無ければ、収入も無い。若い人は帰りたくても生活ができない、帰れない。国は荒れた被災地を本気で再建しようとしていない。現地の住民の声に本気で耳を傾け、現場を見ることをせず、国の方針、目標が先行し、決定していくのです。まさかと思われるでしょう。しかし悲しいことに、これが福島原発被災者の現状です。

このたび寄せられた被災者の声を聴いてください。

【双葉町の被災者】
「僕たちは避難でなくて、家を追い出された。追い出されてそのままです。」
「国と東電が生きる社会に憤りを感じる。」「言葉だけの復興。実質的でない。」
「被災者の声を聞かない、一方的な進め方。」
「仮の町を造って、“しばらく(30年なら、30年)ここに住んでいただけませんか?”と言ってくれればよいのに。」

【大熊町の被災者】
「国は大熊の我々に対し、帰れるとも、帰れないとも言わない。帰れないと言えばよいのに、それも言わない。」
「国がはっきり言わないために、いつ解除になるかわからないということで、土地自体を売り買いもできず、固定資産税がゼロ。」
「復興住宅は年寄り、身体障害者、子どものいる人が優先、我々夫婦は未だ。」
「今、仮設にいるが、いつまでいられるのかわからない。仮設は平成29年3月まで、と言われているが、行き場が無いので、仮設に居られる間は居ようと思う。」
「大熊町の自宅は、毎月1回入れる。自宅に入るためには、町に申請書を出して、許可書と免許証を提示してから入れる。5時間という規則です。中は、あの時のまま、足の踏み場もない。ネズミがすごい。物置もイノシシと牛がサッシを壊して入っている。今、牛やイノシシは来ないが、泥棒が入る。自宅に帰っても何もできないけど、見てくるだけです。」

【楢葉町の被災者】
「自宅に帰ってみて、“良かった”“ホッとした”気持ちはある。仮設住宅は隣とは板1枚なので、気を使っていた。精神的には帰ってきて楽。しかし生活面では不便。」
「帰ってきた人は少ない。自宅から3km歩いたところに1戸。あとはだれもいない。」
「自宅から役場まで30分歩いた。歩いても誰もいない。」
「楢葉の診療所が2月1日から始まった。29年4月からこども園(幼稚園)が始まると言う。」

【川内村の被災者】
「川内村は賠償金有りの20km圏内は20パーセント。賠償金無しの20km圏外は80パーセントです。5年間放置された自宅は、住めない状態です。仮設も29年3月までで、帰村するように言われている。“引っ越しのために5~10万円出す”と言う。あと3~5年の猶予が欲しい。」
「復興住宅は、わずか25戸、川内村にあるだけです。」
「川内村は、ファミリーマートが町に1軒あるのみで、あとは移動販売が来るのみです。」
「仮設の住民の8割~9割が、このままで生活したいと言う。」
「80歳、90歳の高齢者は、今さら動きたくないと言う。」
「仮設には友がいる。安否確認ができる。たいてい病院に週3回通院している。人工透析をしている人もいる。」
「足手まといになりなくない、と80歳、90歳の人が列車に飛び込んだり、首つりしたり、死んでいく。」
「3万、4万の年金では生活をやっていけない」
「被災者は5年間、国に振り回されてきた。いい加減にしてくれ、という気持ちです。好きなところで暮らさせてくれ、と言いたい。」
「災害後、セシウムの話ばかりで、楽しい話が無い。」

【葛尾村の被災者】
「普通、カボチャは横に伸びるものだが、自宅の畑のカボチャは上に伸びた。ひまわりのように。気持ちが悪いので、全部捨てた。羽が半分白いカラスを二本松で見つけた。黒猫もあちこち白い毛が生えている。浪江町の希望の牧場の牛の中に、白斑のある牛がいた。」
「自宅の倉庫の前は、“除染を1度した”と言うが、今でも11マイクロシーベルトある。」
「今、葛尾村は避難区域だが、29年春には避難指示を解除すると言う。」
「役場の職員10人くらいは、もう浄化設備工事などの立ち会いのために帰っている。」


2012年11月15日~26日の間、原発事故の被災地を調査した国連人権理事会の専門家アナンド・グローバ氏が11月26日に調査結果を報告しました(国連人権理事会、特別報告者のプレスステートメント http://www.unic.or.jp/news_press/features_backgrounders/2422/ )

グローバ氏は、日本の国に対し、どうあるべきかを指摘し、健康について、居住の環境について、被災者への情報のあり方について、被災者の声を吸い上げることの大切さを訴え、放射線量の安全数値について、原発作業員への配慮について、食品の安全基準について等、多くのことを日本政府に早急に施行するよう要請しました。国連専門家の要請に対し、私たち日本は何をしてきたでしょうか? 皆で国に問うても良いのではないでしょうか。国は国連の要請に応えていないような気がします。あれから5年も経ちました。皆様、私たちの仲間、同胞を救うため、立ち上がりましょう。

福島の方への支援物資(食品、消耗品、義援金)をよろしくお願い申し上げます。


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【支援品をよろしくお願い申し上げます】
ご支援をいただけます方は、被災者をご紹介いたしますので、福岡百子までご連絡くださいませ。
〈問い合わせ〉
福岡百子 携帯メール f.mom.1941@ezweb.ne.jp  FAX 047-346-8675
(恐れ入りますが、これらの連絡につきましてはAM11:00~PM5:30までの間に頂けますようお願いいたします。なお、すぐにご返事ができない時もありますので、申し訳ございませんが、再度ご連絡くださいますよう、お願い申し上げます。)


※当ブログは福岡氏より委託を受けた、前野賢一郎(maeken24@ybb.ne.jp)が更新作業等の管理・運営を行っております。

なお、英語版ブログ Reality of Fukushima (Voice of Momoko Fukuoka )http://momfukuoka.blogspot.jp/もあります。
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# by momofukuoka | 2016-03-03 11:53 | 福島の被災地の現状

皆様へのお願い

新春のお慶びを申し上げます。もっと早くから新年のご挨拶を申し上げたかったのでしたが、体調を崩してしまいまして、こんなにご挨拶が遅くなってしまいましたことをどうぞお許しくださいませ。昨年末、呼吸が困難となり、私自身が難病(「線維筋痛症」と膠原病の「シェーグレン症候群」)に罹っていたことが解りました。現在はままならない自分の現状の中で、福島の被災者の方々を皆様のお力におゆだねする時期が来たのだと受け止めております。どうかブログをご覧の皆様が私の志を引き継いで、福島の被災者が幸せになる日まで、支えていってくださいますよう、心からよろしくお願い申し上げます。

支援者も被災者も、天がご縁を結んでくださった大切な私たちの肉親と思っております。天は一人一人の人生を大切にし、命を大切にし、一人一人が幸せであることを望んでおられると思います。私たちも天の志を自分の志にし、互いを家族と思っていただけたらと思います。誰一人として不幸になってはならないと思います。ご縁で結ばれた私たちは、皆様兄弟姉妹です。今後ともこの志を大切にされて、世界の平和のためにお尽くしくださいますよう、よろしくお願い申し上げます。

私は不定期かもしれませんが、ブログは書き続けて参りたいと存じます。可能な限り、被災者の方々と連絡を取り続けて参りたいと思います。すでに被災者の方々とご縁を結んでいただいた方は、末永く見守っていただければ、有難く存じます。皆様お一人お一人の力は大きいでした。皆様がいらしたからこそ、大きな力になれました。国内だけでなく、海外にも波及することができました。本当に有難うございました。今後ともよろしくお願い申し上げます。

今日は皆様に被災者を託す上で、最近の福島の動向をまとめさせていただきたいと思います。


【福島被災者の現状】(すべて被災者方から直接伺った話です)
・国は被災者を可能な限り、平成29年度春に故郷に戻すと決めたそうです。

・仮設住宅の入居は29年春までとし、基本的に仮設住宅は壊していくそうです。

・それまで、被災者は各自、自分で家を見つけるようにと言われているそうです。

・復興住宅への入居者は国が決めており、津波に遭った人と居住困難区域の人が優先です。

・復興住宅については県に託されているため、市町村は、自治体の長といえども口出しすることはできません。したがって不都合があっても、県の取り決めに従わざるを得ないようです。

・復興住宅の土地交渉は遅々として進まず、戸数は不十分であり、入居者は4つの町(大熊、双葉、富岡、浪江)に限定されており、くじ引きで決められるために、限られた戸数の復興住宅に、4つの町の知らない人同士が住むことになり、最初からコミュニティを作り直さなければならず、皆様大変なようです。(仮設で一緒に生活した友とも離れなければならず、復興住宅に入居して孤独死した、という話も聞きました。また、同じ復興住宅に住みながら、4つの町の人が共に住むのは、各々の町のお祭りも異なるので、どうまとめていくかが大変だ、ということも聞きました。なぜ、町ごとに住めないのか、市町村の意見を県は聞かないのが不思議と思いました。)

・大熊、双葉、富岡、浪江以外の市町村は帰還できる町だと国は判断し、全市町村に帰ってもらうことを決定しました。壊れた自宅は自分たちで直すこととし、原発20キロ圏内で居住困難の人のためには、楢葉、川内村、都路、葛尾村等のそれぞれの町村に1カ所(数軒のみ)復興住宅を建てることにしたそうですが、それも、計画の話はあっても未だ未建設のようです。

・東電の賠償金が支払われるのは、原発より20キロ圏内と決められたため、それ以外の人には賠償金はありません。20キロ圏外に自宅がある方は、放射線量がいまだに高いせいで住めなくても帰れなくても、土地家屋の賠償も、日々の生活費も1銭ももらえないために、今後の生活を思って途方に暮れています。

・国が津波被害の人に対しての支援と、20キロ圏外の人に対しての対策を緊急にしなければ、被災者は困窮状態で、壊れた家も建て直せない状態です。ですから、国は県まかせではなく、本気になって対策本部を造り、オリンピックの前に福島被災者救援をしていただきたい、と私は切に思っております。

・被災者方は、自分たちも何とかしなければ、と弁護団の助けを得て裁判で訴えようとしていますが、受け入れてもらえず、苦労しています。

・中間貯蔵施設の土地交渉についても、国は「買い取る」と言わず、「30年後には帰るようになるかもしれないから貸してください」との個人交渉だそうです。被災者は、「国が“もう帰れない”とはっきりと言って対応してくれればよいのに、やたら“30年後”と希望を持たせるのです。我々は死んでしまっているとしても、孫の代のことを考え、先祖の土地を荒らしてはいけないと思うと、複雑です」とおっしゃっていました。

・双葉郡の方々は役場の事を行政区と表現しています。そして局長様の事を行政局長と表現しています。被災者方の話では、「行政局長、行政区は、国の方針、命令に逆らうことができない。逆らえば、地方交付金が減らされる。」

・被災者の帰還に先立っての国のやり方は、酷い、汚い、と私は思っています。国は、帰還させようとする町の放射線量が高くても、人体に害を及ぼす可能性のある数値だと知っていても、「安全だ」と宣言し、まず行政区の一部を帰します。そして住民には、「行政区があるから大丈夫」と言います。

・私は「今年の4月、大熊町の行政区の一部が大熊町に帰ることになった」と聞いて驚き、役場の職員の身を案じています。

・被災者の話です。「新聞などで公表される放射能の数値は実際の3分の1の数値です。地元で我々が測ると、その3倍になります。」

・「学校や役場は除染を3回しました。しかし我々の家は1回です。山は除染していません。山から風が吹いたら、線量は高くなります。家の中でも0.3~0.4マイクロシーベルトある。田畑は0.8、地域によっては11マイクロシーベルトの所もある。自宅に戻って作業をして帰ってくると、身体がもの凄くだるくなる。それなのに、国は29年春に帰ることを目途にしている。」(葛尾村)

・被災者にとって問題なのは、避難先(現住所)の住民票が取れないことです。故郷から住民票を移動すると、被災者としての扱いがなくなり、被災者の恩典がなくなることです。このために被災者は、仕事においても子供の学校や塾においても苦労したと聞いております。浪江町の馬場町長は、国に3度頼みに行った。「被災者には住民票に代わるものを作ってください」と。しかし聞いてもらえなかった、と伺いました。皆様、これが今の被災者の現実です。


【支援のお願いです】
被災者には、食品、生活消耗品、義援金は、今でも有難い贈り物です。ご連絡をいただければ、送り先をお知らせいたしますので、よろしくお願い申し上げます。
心から感謝申し上げつつ。


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【支援品をよろしくお願い申し上げます】
ご支援をいただけます方は、被災者をご紹介いたしますので、福岡百子までご連絡くださいませ。
〈問い合わせ〉
福岡百子 携帯メール f.mom.1941@ezweb.ne.jp  FAX 047-346-8675
(恐れ入りますが、これらの連絡につきましてはAM11:00~PM5:30までの間に頂けますようお願いいたします。なお、すぐにご返事ができない時もありますので、申し訳ございませんが、再度ご連絡くださいますよう、お願い申し上げます。)


※当ブログは福岡氏より委託を受けた、前野賢一郎(maeken24@ybb.ne.jp)が更新作業等の管理・運営を行っております。

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# by momofukuoka | 2016-01-25 21:37 | 福島の被災地の現状