2011年3月に発生した福島原発の事故発生後、現在も仮設住宅等での避難生活を強いられている被災地の方々の状況をお伝えすると共に、支援の呼びかけなどを行わせて頂いております。


by momofukuoka
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“希望のない所にも希望を!”この言葉を聞いたことがあります。どんなに腐敗してしまった社会であっても、もう無理、限界、絶望と思った所でも、生きるのは無理、ダメだ!と思った時も、“尚、生きる道はあるんだよ!”という教えではないでしょうか? 人生を振り返ってみて思いますことは、どんな人でも、苦しい時、辛い時、孤独な時があり、楽しい時がありました。一人一人にも、生まれてから今日までの歴史があり、それは互いにとっても宝物ではないでしょうか?

ともすると、私たちは、自分にとって心地良いもの、自分にとって都合の良いものを善いものとし、不都合なものは悪とみなし、不幸として排斥してしまいがちのように感じますが、挫折から学び、失った世界から見えなかった新しい世界が見え、生まれ変わった自分を見出し、“あの体験が自分を変えた!”と思うことがあると思います。苦労は辛いことですが、自分を鍛え、自分を磨く時かと思います。そして何よりも、体験は学びの時であって、体験して初めて痛みがわかり、他者の苦悩も知ることができるような気がします。

私たちのこの世界で、私たちの町で、近くで、叫んでおられる方がきっとおられます。その叫びを聴き、手をさしのべましょうよ。私にできる小さな支え、互いに手をさしのべませんか?

今日は、福島第一原発より近い町、中間貯蔵施設地域に指定された双葉町を通して、福島被災者の苦悩をご紹介したいと思います。


【双葉町の放射線量】
双葉町は、福島第一原子力発電所の5号機と6号機が立地している福島県浜通り中部にある町です。町は原発で崩壊しました。放射能汚染が強い町でした。5年8か月過ぎた今なお、双葉町の放射線量は高いです。

「山の方は6.10マイクロシーベルト。双葉町役場の所は0.28マイクロシーベルト、海側は0.53マイクロシーベルト。国道6号線は1.84マイクロシーベルト。常磐道は4.7マイクロシーベルトあります」と双葉町の人は言います。

「先日、自宅に行ってきました。双葉町は3.11の時のそのままでした。車も放置され、3.11のそのままの状態でした。家の中はイノシシに入られて糞だらけ。入るとウワーとなって、嫌になります。自宅に2時間いるのがやっとでした。自宅に帰ったら、被曝して来ました。2時間で11マイクロシーベルト浴びてしまいました。」

「双葉町の自宅に帰るためには常磐道を通ります。双葉町を通る時は、車の窓は開けるな、と言われます。バイクは通ってはダメと言われます。常磐道の車が通る所は除染されていると言われていますが、皆、車は120~150キロメートルで走っています。浪江、富岡、広野町の高速インターはできました。しかし無人でした。人がいないのです。機械にお金を入れて通るのです。浪江のインターには、用事がある時は、呼ぶと、どこからか係員は出てきますが、通常は人はそこにいません。双葉町大熊町のインター費用に486億円かかるそうです」と被災者は言いました。

「第一原発の汚染水は今も海に流れています。汚染水を封じる囲いが3カ所位、凍らない所があると言います。」


【東電との交渉―医療費の請求】
「原発に関すること、東電に関することに、役場はタッチしません。個人的に東電と交渉してください、と言われました。」だから賠償金の申請、交渉に関しては、役場はいっさい関わらないので、個人が各々東電と交渉しなければなりません。慣れない被災者にとっては、一戸一戸、異なる内容の申請書は簡単に行かず、大変です。また小さい文字で理解しにくい申請書は、高齢者にはなお大変なことです。被災者は東電の申請にみんな大変な思いをしてきました。

例として、医療費の請求についての被災者の方の説明をお伝えします。月に1回通院している方です。

避難に関する診断書があれば、申請すれば、1回の請求書類提出に対して4200円がいただける。そのためには東電から送られてくる請求書類に加えて、医師に東電の指定診断書を書いてもらわなければならない。また交通費は、1kmにつき22円、10kmで220円が、領収証があれば加算できる。しかし毎回、以下の順を経なければならない。

①医者にかかっている本人が東電に、東電の請求書類が欲しいと電話をする。
②東電から請求書類が送られてくる。
③診断書の書き方は決められているので、各地にある東電の担当者と会い、書き方を教えてもらう。
④記入した請求書類と医師に書いてもらった指定診断書を東電本社に送る。
⑤東電本社から合意書が送られてくる。「~~のところが不明なので、支払えない」と言われることもある。
⑥合意書にOKのサインをして東電本社に返送する。
⑦お金が振り込まれる。
*「それでよいです」と、東電の言う通りにしないと、何事も申請は前に進まず、そこでストップしてしまう。


【双葉町民の住民登録】
ふる里を離れた被災者は、5年8か月過ぎた今でも、避難先の住民登録ができません。双葉町から避難先の住民票を移さなければ、いわき市に何年住んでいてもいわきの市民にはなれないのです。そのため、いわき市民としての扱いは受けられず、選挙権も市民としてのサービスも受けられないだけでなく、まわりから避難民として白い目で見られ、“早く帰れ!”と言われたり、買い物などにも干渉されたり、嫌味を言われたりして、孤立して苦しんでいる被災者が多いそうです。

かといって、現住所に住民票を移すと、ふる里とは離れたことになり、被災者ではなくなります。そうなると賠償対象者でなくなるので、東電への申請ができなくなります。原発は被災者に多くの問題と苦悩を突きつけています。浪江町の馬場町長は、被災者たちのために、住民票に代わるものの発行を国に願ったがダメでした。


【中間貯蔵施設の土地】
中間貯蔵施設とは、除染土や廃棄物などを最終処分までの間、貯蔵する施設です。環境省は、福島第一原子力発電所を取り囲む形で、大熊町と双葉町の土地の提供(国有地としての買い上げ)を、福島県の佐藤知事に求め、佐藤知事は受諾しました。そして県も町もそれを受け入れましたが、“交渉は個人的に環境省と地主が相談してください”と言われ、県と町はノータッチで、被災者個人が国と交渉しています。

宅地が町の公共の道路に面している所は、1平米が4050円、他は22年度の土地標準価値で判断され(田舎の土地は安いです)、100坪で200万円でした。山林は1平米140円、畑1反(1000平米)30万円でした。

“これでは家を求めることができない!”と被災者は言います。“同じ双葉町でも、環境省から土地を買い上げられた人は、帰る土地がない。環境省から「30年お借りします」と言われた人は、30年帰れない。中間貯蔵施設の土地に当たらない人は、賠償金は継続してもらえるし、戻る土地は残っているので、ふる里に帰れる。住民バラバラになりました。”“また平成32年までに常磐線を開通し、双葉駅周辺を除染して、コンパクトな町づくりをして、双葉町の津波に遭った人たちにここに集ってもらおう、と将来の町づくりを予定しているようです。”


【被災地への帰還】
皆様、双葉町の姿を通して、福島被災者の姿の一部をご紹介いたしましたが、国は平成29年(来年)の春までに、被災者はふる里に帰還するようにと命令しました。いまだ帰れない所の大熊、双葉、その他の町村の帰宅困難区域以外の人々は帰還するように言われたのです。そして帰還(避難指示解除)宣言された1年後に、被災者は、賠償金は切られ、被災者扱いは無くなり、課税対象者となります。

しかし帰還したふる里は、イノシシ、草ぼうぼう、病院も無く、スーパーも少なく、交通も不便です。自宅は3.11のままですので、家は荒れ果てています。せめて、草刈り、イノシシ駆除くらいは行政が行っても良いのではないかと思うのですが。いまだに原発の放射能は流れ、廃炉も先は見えません。その地に、国は被災者を帰して良いのでしょうか?


被災者の方々の困窮は続いております。世間で報道されることが少なくなり、孤独感が増している方が多いです。どうぞ小さなことでも手をさしのべてくださいますよう、お願いいたします。


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【支援品をよろしくお願い申し上げます】
ご支援をいただけます方は、被災者をご紹介いたしますので、福岡百子までご連絡くださいませ。
〈問い合わせ〉
福岡百子 携帯メール f.mom.1941@ezweb.ne.jp  FAX 047-346-8675
(恐れ入りますが、これらの連絡につきましてはAM11:00~PM5:30までの間に頂けますようお願いいたします。なお、すぐにご返事ができない時もありますので、申し訳ございませんが、再度ご連絡くださいますよう、お願い申し上げます。)


※当ブログは福岡氏より委託を受けた、前野賢一郎(maeken24@ybb.ne.jp)が更新作業等の管理・運営を行っております。

なお、英語版ブログ Reality of Fukushima (Voice of Momoko Fukuoka )http://momfukuoka.blogspot.jp/もあります。
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# by momofukuoka | 2016-11-08 06:06 | 福島の被災地の現状

報道されない福島の現実

【国民の苦悩を見てみぬふりの政治】
 
地球のめまぐるしい変動の中で、私たちは、新聞、テレビ、ネットなど、毎日流れてくるその情報を、疑うことなく、この情報こそ真実と思って、それを自分の確信としてしまっていることはないでしょうか? 10月2日のテレビ朝日で19時から放映された“ダマされるな、日本が知らない報道”の番組を観て、私は目が覚める思いをしました。私は福島の被災者からも、報道のあり方について、たびたび聞いておりました。

「福島についての情報は正しく伝えられていない。放射線量についても、実際とは違います。除染は済んだと書いてあるが、まだ線量の高い所はたくさんあり、私たちの家、屋敷は1回除染をしただけで、“もう済んだ”と言われている。しかも除染した時の汚染された土は、私たちの屋敷の片隅に穴を掘られて埋められていたり、緑色のドラム缶に汚染された土が入れられ、そのドラム缶が屋敷に置かれた家もある。山林は全く除染していない。雨が降り、また風向きによっては、山林の放射能で、再び、家、屋敷の放射線量が高くなってしまうことがある。

すでに国は、我々原発被災者に、来年の3月末までに帰還するように宣告した。そして、被災者の仮設住宅は壊す、と言う。5年7ヶ月の間、放置された自宅は、今は動物たちの住み家となり、草は生い茂り、インフラ整備も不十分で、決して安心とは言えません。病院もお店も整っていない所、自宅も壊れたままの家。(20キロ圏外は賠償金をもらえないため、修理ができないでいます。)現実の福島被災者の苦悩を、国はどういうわけか、見て見ぬふりの状態です。マスコミも報道しようとしません。」

チェルノブイリ原発に対するロシアの対応は、国の総力を挙げて、国民を守る姿を示しました。どうして日本の国は学ぶことをしないのでしょう? 不思議というか、心の冷たさに恐怖を感じます。政治とは、“国民の命と幸せを守ること”、“国民一人一人を我が子として愛し、子の幸せのために全力を尽くすこと”、これが政治家の責任ではないでしょうか? “日々、国民を思い、国民の悲しみを自分の悲しみとし、苦悩している国民の痛みを自分の痛みとすること、不幸な人を一人でも出してはならない!”という国民を思う心こそ、政治のモットーとしていただきたいと、切に願います。

昭和53年7月に北朝鮮に拉致された蓮池薫さんは、講演会の折に、「命以外のすべてを奪われた」「今回結果が出なければ、失望で体も保たない」と悲痛な訴えをしています(2015年4月24日栃木県小山市にて)。横田めぐみさんのご両親、滋さん(83才)と早紀江さん(80才)もご高齢となられました。拉致被害者の苦悩、子を思うご両親、ご親族のお気持ちは、どんなに悲痛な思いでしょう。しかも長い年月、1977年11月15日に拉致されてから39年になります。安倍総理こそ解決してくれると国民は期待しておりました。しかし現実は異なりました。青いリボンを胸につけること、私には本気度が感じられないのです。あの青いリボンは何の意味があるのでしょうか?

また今年の5月27日、オバマ大統領が広島原爆死没者慰霊碑に献花され、その前で、哀悼の意を示すスピーチをされ、「核なき世界」を訴えました。私たち日本の国民の多くは感動し、誰しもが「核なき世界を望み、決意した」と私は思っておりました。そしてこれからは、広島から、日本から、「核なき世界」への動きが世界に向けて発信されるでしょう、と思っておりました。当然、総理も中心になって動き出すでしょう、と思っておりました。しかし、現実は違いました。再び、原発再稼働への動きが始まり、原発被災者の救済は忘れてしまったようです。熊本被災地の情報も少なくなりました。

日本の国民の経済状態は大変厳しく、所得は低く、税金は種々の名目で加算されていきます。低所得のため、若い人は家庭を持つこともできず、毎日の食事にも事欠く人がいる日本となりました。貧困者が多くなり、国民は将来に希望を持てなくなってきています。

国民の生活を脅かさないようにすること、それが政治の最優先課題ではないでしょうか? 今、日本の経済は国民の血税によって動いています。身を切る改革とか、痛みを分かち合うという言葉が、原発災害当初、選挙の折に盛んに言われていました。しかし国民の前に行動で示した方は何人おられたのでしょうか? 国会議員の給与は国の一般会計歳入から出ています。その内訳は《税収、税外収入(国有地を売ったお金、その他)、国債を発行して入ってきたお金、その他》と、ネットでは公示されていました。国民は言います。「それは、私たちの血税も入っているのではないか。彼らは豪邸に住み、庶民の生活を経験していない。貧困、生活の苦しみ、庶民の悲しみ、苦悩を体験していない。仮設住宅で寝泊まりしたことのない彼らに、被災者の状況が解るはずがない。国民の貧困生活、子育て、介護生活を自ら体験しなければ、解るはずがない。」

私たち庶民の生活とは異なる次元での生活をしている方々に、現場に出向き、苦悩しておられる方と向き合い、体験してください、と申し上げたいと思います。

また私は、安倍総理が外遊の折に諸外国に資金援助の約束をする姿に驚いています。それは国策の一つなのでしょうが…。ミャンマーに7000億円の債務を解消し、総額910億円の円借款と無償資金を約束しました。また中東、北アフリカに対し2160億円の支援。国連演説、シリアの女性支援に3000億円、シリア難民に50億円追加支援をしました。ASEAN、ラオス、モザンビーク、アメリカでのリニア構想への支援等。私は総理のこの公約を知るたび、驚き、また日本の将来にたいへん不安を感じています。この資金はどうして生み出すのでしょう。苦難にある国を援助することは大切なことと思います。しかし、自国の民の救済に力を注ぐことなく、日本国民の生活水準はますます低くなり、経済状況が悪化している今、何よりも力を注ぎ優先すべきことは、国民が安心して生活できる状況を作ることではないでしょうか?

今、日本の国民は安心して子供を産むことができないほど低所得で、子どもを育てる環境さえ不十分です。高齢者の医療費、介護申請はさらに厳しくなり、車椅子や福祉用具も自己負担になっていくようです。まずは自国民の救済に資金を投じてはいただけませんでしょうか?


【被災地川内村の一例です】
今は仮設に住んでいる87歳のおばあちゃんです。足腰悪く、目もぼやけて見えるそうです。毎週、内科、整形、耳鼻科、眼科に、友人とタクシーに相乗りしながら、郡山の病院に通っています。「年寄りにとっては、病院は命の次に大事」と言っていました。

「川内村も来年の春までに川内村に帰らなければいけません。川内村には病院がありません。ここを離れたら、郡山の病院に行くことは難しい。仲間はみんな、このことで悩んでいます。」「20キロ圏外の私たちは何ももらえない。自宅はいまだ壊れたままで、棒で支えています。一人暮らしの私は、いつ家が壊れるか、怖くて住みたくない。収入は年金の6万円だけです。そこより介護保険料も引かれ、仮設にいる私は川内村と郡山仮設の2所帯分の光熱費の基本料も取られる。1年分の固定資産税も川内村の役場に納めました。今のところは医療費は大丈夫だが、病院へ通うタクシー代が大変です。」

仮設を出れば、医療費の免除が無くなるので、このおばあちゃんはどうして生活していくのでしょう? 今、食費はどの程度なのでしょう?と思いました。1000円でも2000円でもうれしいと、以前、言っていたのを思い出します。福島の被災地には、このような方がいまだにたくさんいらっしゃいます。


【お知らせです】

①私、福岡百子は被災地で生活に困っておられます方の個人支援もしております。個人支援をご希望の方は、福岡までご連絡くださいませ。ご紹介申し上げます。
②私と同姓同名の福岡百子様(広島県竹原市の方)がFace Bookでの交流をPRされています。私はFace Bookをしておりませんし、私とは異なる方ですので、よろしくお願い申し上げます。(Face Bookまでは手が届きませんので、よろしくお願い申し上げます。)


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# by momofukuoka | 2016-10-09 20:02 | 福島の被災地の現状

国の無慈悲な方針

私たちの地球は、もはや引き返すことができないスピードで、地球全体が温暖化に向かっているために、今までとは異なる猛暑、台風、竜巻、地震などの地球異変が当たり前のようになる、とのことです。すでにアラスカの氷は溶け始め、メタンガスは海と地表に拡散し、もはや地球の温暖化と異変はどうすることもできなくなった、とのことです。

人間が生み出した地球破壊への警告は、何年も前から言われ続けてきました。原発の破壊力も負の怖さも、便利・経済・進歩の名のもとに覆い隠され、人の心も、命・生活・幸せを守ることを忘れたかのようにゆとりを忘れています。世界は、排他主義・弱肉強食の、心が失われた世界・機械化された物体として、命の無い、生命力の無い世界になってしまったように時に感じられます。

私たちはもう一度、人間らしさを取り戻せないのでしょうか? 私たちの日本に、そして世界にも、優しさと愛を持たれる方、命を尊び、世の中を良くしようとしておられる方は、まだまだたくさんおられます。私たちは手を組んで、“心を大切にする会”のメンバーになりませんか? 目に見えなくてもつながっている仲間がいる。同じことをしている仲間がいる。1日1つ、良いことをする会員に。

例えば、愚痴を言うのを我慢する。宅配の人に「ご苦労さん」と言ってみる。日常生活の中に、自分と他者の心を大切にする心がけが、私は地球がよみがえる“原点”になるような気がします。他人を大切な仲間と思うこと、すると、自然に気遣いが生まれ、他人の幸せが自分の幸せとなりませんでしょうか?


【福島の今】
 今日も福島の今を伝えさせていただきます。他人の事とは思われず、明日は我が身に、と思って、これが今の国民への国の対応と思って、お読みいただき、可能な方は、被災者の方の代弁者として、ご支援可能な方は個人支援者として、ご協力いただければ有難く存じます。

〈仮設住宅は来年2017年3月まで。それまでに被災者は被災地の市町村に帰還を〉
国は福島の各市町村に次のような内容の指令を出しました。

「福島第一原発立地の双葉町、大熊町、富岡町と東電から20km内でも、除染作業を完了していない放射線量の高い所と、国が認めた場所以外の、全部の市町村の被災者は帰還して良い。そのために、仮設住宅は2017年3月末までとし、それまでに被災者は自分で家を探し、仮設を出るように。

なぜなら仮設住宅の土地は県が借りたもので返さなければならないから。被災者は、被災地の自宅に帰るなり、自分で家を探すなり、自分で対処するように。」「被災地以外に建てる復興住宅は、例えば、福島市、いわき市などの復興住宅に入居できる人は、大熊・双葉・富岡・浪江の人のみ。他の町、村の人は帰還先の市町村長に託す。」 (実際は、復興住宅はできたとしても数戸ですし、まだ建てていない所もあります。)

私は各市町村の復興住宅の状況について確実な情報を知り、支援におつなぎしたいと思いますが、私の健康がすぐれないため、電話をする時間がとれず、情報が限られますことをお許しくださいませ。

大熊・双葉・富岡・浪江も可能な限り、国は将来帰還させる方向に動いております。被災者の声を紹介します。

「大熊町大川原地区は避難指示解除となり、役場も一部移り、原発で働く人の寮が1000戸出来ており、作業員の弁当作りもしている。3000人帰れると言います。原発では今、1万人が働いています。働いている人にアンケートをとったら、8000人が作業員として働きたいと言ったということで、県外から来た人もたくさん作業員として働いています。大熊の人は帰るのを躊躇しています。」

「試験的に、富岡にも、帰りたい人は帰ってよいと言われた。」

「中間貯蔵施設のある場所を、国は買い取るとははっきり言わず、30年後には帰還できるかもしれない、と言い、個人交渉です。はっきりと帰れないと言ってくれた方が良いのに、やたら希望を持たせるので、被災者皆は、将来の予定を立てられない。」

「福島の原子炉は6機あります。1号、2号、3号機が爆発、4号機は点検中です。5号機、6号機はそのまま残っています。1号機~4号機は大熊町にあり、5号、6号は双葉町にあり、そのまま残っています。6号、7号機が双葉にできる予定で、敷地だけが準備され、建物はできていなかった(このため、電源交付金があった)。

浪江町は東北電力の土地があり、東電は無かった(したがって他の市町と比べて賠償金が少なかった)。

楢葉町は東電の敷地があった(このため賠償金を少しもらえた)。

南相馬市の小高は賠償金が出るが、小高以外の人には出ない。海岸沿いは津波で流された人が多い。しかし津波は原発事故とは関係ないので、お金は出ない。津波で亡くなられた家長には300万円、家長以外には280万円の支援金が1回出たと言う。土地を持っていない人、借家の方には賠償金は無い。」

原発事故当日、放射能は西側に流れました。国はその現状を即、現地の市町村(長)に知らせなかったために、被災者方は西側にあえて避難していきました。そのために浪江町、飯舘村、津島、葛尾村は避難指示区域となりました。都路、川内村、広野町も放射線量の高い所が一部あります。399号線沿いにある飯舘、津島、葛尾、都路、川内は高山にあり、山の中の部落です。

もともと交通は不便で、病院も少なく、店も少なく、専業農業では経済的に厳しく、土木建築など兼業されている方が多かったようです。人柄は素朴で、忍耐深く、口下手で、他者を思いやる愛情深い方々でした。厳しい自然の風雪に耐え、順応して生活していました。都路は山のてっぺんなので、タバコ、畜産が主で、山と山の間の狭い所、谷間の狭い所で農作業をしていたようです。山菜採りも生活の糧だったようです。葛尾村も山の中で、タバコ、畜産が主で、水田は無いと伺いました。広野町は火力発電が7機あり、今は作業員が多く住んでいるそうです。米、野菜は安心して食べているとのことです。

すでに国はほとんどの被災地を避難指示解除宣言しました(原発から20km圏内も準備中です)。南相馬(小高も近々解除します)、広野町、川内村、都路、葛尾村、楢葉町です。解除方向に向かっているのは、飯舘、富岡、浪江(津島以外)とのことです。大熊町の大川原では、原発作業員の給食センターができて、将来、大熊の住民も大川原に住まわせたい、と言われたそうです。

双葉町の4パーセントは帰還準備区域となり、その土地を県が買い上げて(強制的に買い上げたそうです)、復興公園を創ったり、津波の所は8メートルの防波堤を造るそうです。双葉町の他の所は帰還困難区域とのことです。

国は平成31年までにJR常磐線を通し、周辺を解除して、双葉の住民を集めて住まわせるつもりである、という話をある被災者は聞いたとのことです。楢葉の常磐線も開通したけど、線路の近くは住民が戻らず(賠償対象にしてもらえない借家が多かったため)、真っ暗で、駅からのバスもなく、住民には不便で利用していないそうです。

被災者の話を聞いていますと、国の方針には、被災地の現実を無視している強引さが感じられます。あまりにも国民の生きる権利を奪うやり方…皆様、どうしたら良いのでしょう?

仮設住宅から復興住宅への移動が始まりました。この移動に際し、今まで仮設住宅で使っていたエアコン、電球、ガスコンロなどを残していくように、と言われたそうです。ある被災者はおっしゃいました。「私たちが仮設を出たら、仮設を壊す、と聞いているのに、すべてを処分するのに、どうして自由に持って行ってくださいと言えないのか? 私たちは復興受託の鍵をもらったら20日以内に移るように言われた。鍵をもらうまで、自分の住まいの間取りもわからない。カーテンのサイズも異なるという。電球、エアコン、ガスコンロ、何もかも自腹で買わなければならない。月5万円の年金しかない人はどう生きたら良いの?」

皆様、国はあまりにも無慈悲とは思いませんか? どうぞこの現実に目を向けていただき、引き続きご支援いただきますよう、お願い申し上げます。


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# by momofukuoka | 2016-09-19 10:35 | 福島の被災地の現状

被災者の心に寄り添って

【亡き人への感謝を】
亡くなられた尊いみ霊、肉親、友人、知人、すべての方々のご冥福をお祈りする8月が参りました。すべてのみ霊に向かって、私たちは心からご冥福をお祈り申し上げたいと思います。

近年、悲しい事件や殺害で亡くなられた方々があまりにもたくさんおられます。本当に恐ろしい世の中になりました。どうしてこんなに不安な世の中になってしまったのでしょう? 何事も原因があるはずです。結果は原因があってなるのだと思います。いつか皆様と原因について話せることができたら、と思っております。

皆様、私たちは両親があって命をいただきました。私たちは1人で育ってはいません。母の母胎で見守られ、父も母も祖父母も、そして医者も看護師もあなたを見守り、生まれるその瞬間まで、どんなに心配し、母は死ぬほどの苦しみと、多くの犠牲を経て、産み育ててきたことでしょう。あなたの名前には両親の思いがどんなに込められていることでしょう。そのことを日々感謝しておられますでしょうか?

ちなみに私は太平洋戦争が始まる1カ月前の昭和16年11月7日に生まれました(7カ月の早産で未熟児でした)。もともと弱かった母は、私を妊娠した時、医者から堕ろすようにと言われたようでしたが、“命をかけても産んでみせる”と言い、産んでくれたようです。保育器が無かった当時、母はたらいに湯を入れて私の顔や肌を見ながら、紫色になると湯に入れつつ、苦労しながら育てたそうです。だから名前の百子は100歳まで生きるようにと願って名をつけてくれたとのことです。

私は自分の名を書くたびに母に感謝しています。また、私は赤ん坊の時から虚弱で、現在に至るまで、その後遺症を持っています。原因不明の病もあり、それなりに子供の頃から体の不調はあたり前として過ごしてきました。時代が今ほど医学は進んでいなかったために、私の病名はわからないで、普通の生活を送れてきたことは、今にしてみれば、感謝です。自分の人生を精一杯、心から楽しんで挑戦して、悔いなく生きてきましたので、病名が分からないでいたからこそ、皆様と変わりない生活をし、仕事も結婚もし、今日に至れました。

しかし、ここ数年、体が急に弱ってきたのを感じていました。昨年末、呼吸困難となり、初めて私は膠原病、難病であったことを知らされました。全身の分泌腺が冒されて乾くシェーングレン症候群と、全身に痛みが生じる線維筋痛症。初めて子どもの頃から味わっていた体の不調の謎が解けて納得しました。そして私は悟りました。何事も体験しなければ、その人の苦しみも悲しみも分からない、ということを。難病になってみて、呼吸困難になってみて、手足が不自由になってみて、孤独になってみて…初めてその人の悲しみ、苦しみ、喜びが何であるかを知る。地震に、津波に、原発に、家を失ってみて、子どもを失い、家族を失い、失業して…初めてその苦悩、悲しみ…を知る、悟る。人は体験しなければ、その人を理解することはできないと思いました。

私は生まれてから今日までの私のすべての体験に感謝しています。難病は辛いです。時に苦しいです。でもなってみて初めて理解ができるようになりました。今は体の不自由な方、病人の方が同胞、仲間と感じ、その方々への支援が気になるようになりました。

皆様、お盆に当たり、私たちを産み育ててくれた両親、祖父母、多くの恩人、友人、特に亡くなられた方々を思い起こし、感謝し、私たちを守っていただきましょう。お盆を、亡くなられた方々への感謝の日と致しませんか? 今日は福島の方々も思い出し、彼らの癒えぬ心に寄り添っていただけませんか?


【被災者の声】
〈葛尾村の方〉
「震災の日、高校3年生の孫は友人と浪江町の請戸(うけど)(全町が津波にのみ込まれた町)に遊びに行ってました。津波が来たので、車で行っていた孫は友人の親戚3人を助け、友人の祖父母がいないのに気がつき、再び車で祖父母を助けに行って、津波にのみ込まれてしまいました。災害後、放射線量の関係で2カ月間、自衛隊も警察も遺体探しに入ることができませんでした。

2カ月経ってやっと自衛隊等による遺体捜索が始まりました。私たち住民は見つかった遺体との面会と名前の確認をしました。話によると、孫の車は鍵がかけられており、そっくりしていたそうです(「そっくりと」は無傷でそのままの状態のこと)。そして友人と祖父のご遺体は傷を受けることなくそっくりしていましたが、2カ月経っていたため、塀にくっついてミイラの状態になっていたそうです(酷な表現に、私はこの言葉を書くべきか悩みましたが、被災者の言葉ですので、そのまま記させていただきました。申し訳ございません)。私の孫と友人のおばあちゃんの遺体はいまだに見つかっていません。」

〈大熊町の方〉
「津波の後、私たち住民は遺体探しに入ることはできなかった。2カ月過ぎて、自衛隊、警察が捜索に入り、探し出された順から私たちは名前を知ることができた。いまだに見つからない人は大熊町で100人いる。大熊、双葉、富岡、浪江、浜通りの人は見つかっていない人が多い。今は毎月、月命日の11日に、警察、消防士が海を掘って探しているが…。今は住民も入れるが、どこにいるかわからない。」

「ああ今、福岡さん、思い出したくないー!」(彼が災害後、しばらくの間、「毎晩夢を見る。罪悪感に押しつぶされそうで寝れない」と話していたことを思い出します。「私たちが逃げる時、樹木にしがみついて助けを求めていた人がいました。その姿を毎晩夢に見ます。助けられなかったこと、見捨てて逃げてしまったことが罪悪感となっている」と。)
福島の方々は「忘れられていくこと、“お金をもらっているでしょ”と冷たい視線を浴びることは、耐え難い。実際は賠償金をもらっていないのに、レッテルを貼られてしまっている。どうしようもない」と言います。

〈南相馬、小高町の方〉
「小高は7月12日に避難指示解除になりました。私は今まで住んでいた仮設住宅をきれいにして、町の検査を受けて、鍵を渡して、小高の自宅に帰ってきました。12、3戸の人が帰ってくる予定です。これからが大変です。小高は地盤が傾いています。だから家も傾いています。小高町は家を解体している人が多い。修理費は出ません。前に東電からもらったので何とかしようとしています。小高区の人はいまだ帰っていません。何も無い。病院が1軒。診察が始まったが、1週間に2回診察するのみです。何も無いのでこれからが大変です。」

「放射線量? それよりも野生動物たちとの戦いです。せめて自分たちの食べ物くらいは自分たちでしなければ、と始めたのですが、3日前にサルが集団で来て、やられてしまった。イノシシも荒らした。いつまでも甘えていてはいけないし、他人の世話になっててはいけないので、自分たちで食べる野菜は各自作ろうとしています。今まで助けていただいて本当にありがとうございました。」

私が「これからが大変ですね?」と言いますと、「そうなんです。これからが大変です!」
(福島の被災者の自立は大切ですが、私は今後も彼らに寄り添っていくことの必要性を心に感じ、「私たちはいつまでも友達ですからね」と申し上げました。)


【本の紹介をさせていただきます】
縁あって著者の赤塚雄三氏(東洋大学名誉教授)よりご本をいただきました。
『再考 福島第一原発事故――被災者に寄り添って考える――』(定価1300円+税、2016年6月18日発行、注文は仙台出版サービスセンター 電話022-264-0151)
『巨大津波災害から学ぶ』(定価1900円+税、鹿島出版会、2013年4月20日発行)


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【支援品をよろしくお願い申し上げます】
ご支援をいただけます方は、被災者をご紹介いたしますので、福岡百子までご連絡くださいませ。
〈問い合わせ〉
福岡百子 携帯メール f.mom.1941@ezweb.ne.jp  FAX 047-346-8675
(恐れ入りますが、これらの連絡につきましてはAM11:00~PM5:30までの間に頂けますようお願いいたします。なお、すぐにご返事ができない時もありますので、申し訳ございませんが、再度ご連絡くださいますよう、お願い申し上げます。)


※当ブログは福岡氏より委託を受けた、前野賢一郎(maeken24@ybb.ne.jp)が更新作業等の管理・運営を行っております。

なお、英語版ブログ Reality of Fukushima (Voice of Momoko Fukuoka )http://momfukuoka.blogspot.jp/もあります。
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# by momofukuoka | 2016-08-02 06:19

広島―福島―熊本

【オバマ大統領の広島演説】
5月27日の夕方、被爆地広島を訪れたオバマ米大統領は、原爆資料館で「実は折り鶴を持ってきました」。オバマ氏がそう切り出すと、随行スタッフがトレーに載せて運んできた。梅や桜の花が彩る和紙を丁寧に折り、「少し手伝ってもらったけれど、私が作りました」。白と淡いピンクの2羽を小中学生2人に1羽ずつ手渡した。(http://sharetube.jp/article/2733/ より)

5月28日21時にネットに記載された国民の声です。「オバマ大統領の折り鶴を見ただけで感動の涙が出る。平和って良いなあ。平和って素晴らしいなあ」。

そして、原爆慰霊碑に献花された後、静かに目を閉じて黙祷されたオバマ大統領。そして17分の演説。

「71年前、死が空から降り、世界が変わってしまいました。・・・彼らの魂が私たちに語りかけます。私たちに内省し、私たちが何者なのか、これからどのような存在になりえるのかをよく考えるように求めているのです。・・・

それぞれの時期に罪なき人たちが犠牲になり、その名は時がたつにつれて忘れられていきました。

・・・戦争は、最も単純な部族間の紛争の原因となった、支配や征服をしたいという本能と同じ本能から生まれてきたのです。

・・・私たちと何ら変わりのない人たちが、撃たれ、殴られ、行進させられ、爆撃され、投獄され、飢えやガス室で死んだのです。・・・私たちは人間性の中にある根本的な矛盾を突きつけられます。

・・・私たちの考えや想像力、言語、道具をつくる能力、自然を自らと区別して自らの意思のために変化させる能力といったものこそが、とてつもない破壊能力を私たち自身にもたらすのです。

・・・原子の分裂を可能にした科学の革命には、道徳上の革命も求められます。だからこそ、私たちはこの場所を訪れるのです。・・・私たちは、歴史を直視する責任を分かち合っています。そして、こうした苦しみの再発を防ぐためにどうやり方を変えるべきなのかを問わねばなりません。

・・・私たちの国家を、破壊能力によってではなく、何を築き上げるかで定義づけるのです。そして、おそらく何にもまして、私たちは一つの人類の仲間として、互いの関係をつくり直さなければいけません。

・・・私たちは学び、選ぶことができます。

・・・『すべての人は等しくつくられ、生命、自由、幸福追求を含む、奪われることのない権利を創造者から授けられた』。

・・・すべての人の減らすことのできない価値。すべての命は尊いという主張。私たちはたった一つの人類の一員なのだという根本的で欠かせない考え。これらが、私たち全員が伝えていかなければならない物語なのです。それが、私たちが広島を訪れる理由です。私たちが愛する人のことを考えるためです。朝起きて最初に見る私たちの子どもたちの笑顔や、食卓越しの伴侶からの優しい触れあい、親からの心安らぐ抱擁のことを考えるためです。

・・・普通の人はもう戦争を望んでいません。科学の驚異は人の生活を奪うのでなく、向上させることを目的にしてもらいたいと思っています。国家や指導者が選択をするにあたり、このシンプルな良識を反映させる時、広島の教訓は生かされるのです。・・・広島と長崎が『核戦争の夜明け』ではなく、私たちが道徳的に目覚めることの始まりとして知られるような未来なのです。」

(朝日新聞5月28日朝刊より抜粋 http://www.asahi.com/articles/DA3S12380530.html


私はこの演説を聴いて“偉大な人生の師”が天から現れたような気がしました。心に受けとめ、実現していくことが私たちの責任であると思いました。私たちの時間は限られています。1人でも多くの方と手をつなぎ、オバマ氏の言葉を私たちの共通の志とし、この世を幸せな国に変えなければならないと思いました。広島、長崎の被爆者の死を決して無駄にしてはなりませんし、むしろ亡くなられた多くの方々の助けをいただいてオバマ大統領と共に世界を変える努力をしませんか?と思いました。

そして、被爆者の森重昭さんを抱き寄せるオバマ大統領の温かさと優しさは言葉以上に多くの日本人の心を揺さぶったと思います。“子は親の背中を見て育つ”と言われますが、人柄から感じられる温かさ、優しさ、思いやり、誠実さこそが、現代最も必要なことではないでしょうか? この方のそばにいると、安心と安らぎ、幸せなエネルギーを感じる――そんな人になりたいものです。自分の人格づくりこそ、最も大切なことかもしれませんね。


【福島被災者の声】
〈葛尾村〉
6月12日に政府は葛尾村に解除宣言するという。

「村長が決めた、と新聞に書かれたけど、実際はそうではない。国が一方的に決めた。村への説明会があったというが、そうではなく、6月12日に帰還すると決まってから、報告会が1度あったのみ。質問したけど、時間がないと言われて打ち切られた。」

「3年間、正確な情報は村人には入ってこなかった。我々は新聞とラジオで個人的に知るのみです。パソコンで情報を見たけど、すぐ消され、見ることができなかった。」

「放射線量は未だ高い。国の発表の3倍の時もある。ごまかしている。」

「放射線量3.5マイクロシーベルト以上のところがあり、放射能を浴びて帰った時はものすごく疲れる。異常な疲れで、土日休んだって疲れは取れない。風邪と同じ状態となり、くしゃみ、鼻水、下痢、37度前後の熱、一時鼻血が出て、全身のうぶ毛が抜けた時期もあった。仲間と風呂に入りに行ったとき、湯船にぷかぷか浮くので、何かと思ったら、うぶ毛でびっくりした。何でこんなに抜けるのかと思うほど。全身のうぶ毛が全部無くなった。仲間も同じでした。人によって白斑が出た人もいる。」

「放射能の高い所に我々は帰りたくない。だけど国は我々の声はもう聞いてくれない。」


〈都路町〉
「4月22日に東京電力に対する賠償金未払い訴訟の第2回目の裁判がありました。その時、裁判長は『未だ放射能が高い、という表現ではなくて、具体的に放射線量を測定してそのデータを提出してください』と言われました。だから岩井沢部落の200戸の家屋敷、田畑、裏山等、1軒1軒の放射線量測定を弁護士と一緒に一日中しています。役場は助けてくれません。仲間も仕事があって誰もできません。団長である私がしなければ、する人はいません。だから私は仕事を休んで、弁護士(3~4人)の先生と一緒の16日間しています。日曜日は仲間に手伝ってもらっています。

次回の裁判は7月1日です。2ヶ月後に裁判は続きます。他の町の原発被災者も裁判をしていますが、2年かかって10回法廷が開かれた。しかしなかなか進展しない、と言ってきました。10年はかかるかも、と言っています。

裁判を起こすことは、こんなに大変なこととは思いませんでした。お金もかかるし、仕事も休まなければならないし、本当に大変なことです。こんなに負担がかかることは誰もしたくないです。私もやめたいと思うことがある。だけど、村の皆を思うからこそ、やり始めたので、村のためを思うからこそ、皆のために続けようと思う。」


【熊本地震において行政にお願いしたいこと】
――過去の被災者の苦しみを繰り返さないでください――(福島の被災者は体験しました)

罹災証明作成方法として、職員を増員し、職員が被災者の避難所に出向き、順次、避難所・住まいを巡回訪問して証明書を作成していただきたく、心からお願い申し上げます。民間の会社や職員にとって家庭訪問は特別なことではなく、日常的なことです。ですのに、どうして行政になると、それができないのでしょうか?

ましてや非常時には臨機応援に順応するのが国民と共にある行政の立場ではないでしょうか?

被災者は心身疲れ、病んでいます。考えられないほどの苦悩、不安、悲しみ、恐怖、犠牲を強いられて、やっと今日という日を生きているのかもしれません。歳を取り、また身体が不自由となり、寝込んでいる方、交通費のない方もおられることでしょう。弱り切った被災者をどうして出向かせるのでしょうか?

何時間も炎天下に、固い椅子に座らせ、または立たせ。中には5分と立っていられない人もいます。被災者は受け身ですので、辛くても、黙って順応しておられるでしょう。「被災者の立場に立って考え、行う」をお願いしたく存じます。今後の書類申請、物資支援配布、説明会、鍵の引き渡し、選挙場(投票所)など、被災者に負担を与えないようにしていただきたくお願い申し上げます。

支援金、補償金のあり方も、被災者の立場にたっていただきたく思います。全壊、半壊という線引きではなく、住めなくなってしまった現状、修理費の現状などに合わせた支援金を。


【福島被災者の今】
福島の場合は、賠償に対する責任を国は東電に託し、国は責任を負わなかったために、放射能賠償を線量の高さではなく、福島原発から20キロ圏内としたために、また津波や地震は関係ないとしたために、放射線量が高くて住むことができなくなった20キロ圏外の人、津波で流され何も無くなった方々は、いまだに住まいを建てる資金もなく苦悩しておられます。国は東電任せではなく、国こそが災害被災者にこそ積極的に必要な資金を投じて、国民が安心して生活できるようにしていただきたくお願い申し上げます。

仮設住宅は耐久性2年というマニュアルで建てていると以前は聞きました。そこに6年目に入った今でも被災者は行き場無く住んでいます。当初から、すきま風が入り、床も傷つき、湿気やカビで悩んでいました。復興住宅も、湿気の多い所、不便な所もあり、鍵をもらったら10日または20日以内に引っ越さなければならず、カーテンや電灯、エアコン、ガスコンロは自腹なので60万円かかります。

福島原発被災者は来年(2017年)3月末までに帰還するように促されています。津波にあった人のためには、被災地に復興住宅を入り、そこに入るように進めているようです。仮設住宅は取り壊しが始まり、縮小されています。被災者の声は聞かれず、被曝を怖がる被災者を、未だに放射線量の高い被災地に来春までに帰還するよう促しています。2018年3月で賠償金の支払いは終了。医療費も税金も、被災者扱いではなくなるようです。

皆様、日本はこれでよいのでしょうか? オバマ米大統領の演説の内容を再度じっくりと味わいませんか? 解決していない被災者の悲しみを私たちは忘れてはならないと思います。


【ご紹介いたします】
シンガーソングライター梅原司平ミニアルバムCDふくしま組曲「望郷-ふるさとからの手紙」
(頒布価格 ¥1500  発売:プラナミュージック電話03-5302-5666/制作協力:福島県楢葉町)

日野 行介著『原発棄民 フクシマ5年後の真実』(毎日新聞出版 ¥1400+税)

くさばよしみ編『世界でいちばん貧しい大統領からきみへ』(汐文社1200円+税)



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【支援品をよろしくお願い申し上げます】
ご支援をいただけます方は、被災者をご紹介いたしますので、福岡百子までご連絡くださいませ。
〈問い合わせ〉
福岡百子 携帯メール f.mom.1941@ezweb.ne.jp  FAX 047-346-8675
(恐れ入りますが、これらの連絡につきましてはAM11:00~PM5:30までの間に頂けますようお願いいたします。なお、すぐにご返事ができない時もありますので、申し訳ございませんが、再度ご連絡くださいますよう、お願い申し上げます。)


※当ブログは福岡氏より委託を受けた、前野賢一郎(maeken24@ybb.ne.jp)が更新作業等の管理・運営を行っております。

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# by momofukuoka | 2016-06-05 08:44