2011年3月に発生した福島原発の事故発生後、現在も仮設住宅等での避難生活を強いられている被災地の方々の状況をお伝えすると共に、支援の呼びかけなどを行わせて頂いております。


by momofukuoka
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浪江町の被災された方からお手紙いただきました。


2013年4月12日
浪江町民

前略

再々にわたる物資を頂きまして、感謝と喜びでいっぱいです。ありがとうございました。 

私達の浪江町は、4月1日より「避難指示解除準備区域」と「居住制限区域」と「帰還困難区域」の3区分に分けられ、私は居住制限区域内に入り、「通行証」をもらって、4月5日に帰宅しました。

玄 関を開けると、異様な匂いで驚きました。それは我が物顔で住みついた、大量のネズミに荒らされ、醤油・油類・ジュースなどのボトルが、みんな噛み切られて フローリング一面に流れ出たのと、ネズミの糞によるものでした。災害前、老後の設計を立てて、二人の退職金で家を造り、残金あわせて仏壇を購入したのです が、それも2年間の間にネズミにかじられ、荒らされ、目も当てられない状態です。

「もしも後5、6年間待って、もし健康だったら、この家に帰って住みたい」と思っていた気持ちが、薄れてしまいました。

前の総理大臣が早々に福島第一原発の「収束宣言」をされましたが、日毎大量に出る汚染水と、このほど毎日続く汚染水漏れがあり、またこれから核燃料棒を取り出す作業においてどんなトラブルが発生するか、わからない状態です。

我々は常に、自分の胸ポケットに蝮を入れ生活しているような状態で、危険と背中合わせの生活です。

前の総理大臣が「収束宣言」されて以来、私達の遠くに住んでいる身近な親戚や友達もが、以前は頻繁に便りもあったが、今ではみんな忘れかけている中、この再び、私達のことを忘れることなく、再度の手を差し伸べて下さったことに、涙の出る想いで感謝しております。

落ち込んでいた気持ちに力を注いで戴きました。ありがとうございました。それも皆、福岡様のお力添えに依るものと深く感謝しております。
寒暖の差が厳しい折、くれぐれも御自愛下さい。
# by momofukuoka | 2013-04-26 18:50 | 被災地の方々からの手紙
災害があって丸2年1か月が過ぎ、被災地にも2度目の春が訪れ、新入学生も初めての校舎で学ぶようになりました。被災地の学校はどこも児童数が減少し、最悪の環境の中でも元気に励んでいます。

今日は福島の学校や施設の様子を一部ご紹介させていただきたいと思います。

南相馬市鹿島区、原町区の幼稚園と私が関わるようになりましたのは、2012年5月頃と記憶しております。その頃先生方の日課は、放射能から園児の身を守るため遊具、園内の掃除に明け暮れしておりました。外に出すのも30分までと限定し、誕生会のおやつも不足し、外でなく室内で遊ぶため運動不足で足が弱くなった子供が多くなった、と先生や役場の方はおっしゃっていました。

そ の頃、私は、南相馬、大熊町、広野町、浪江町、富岡町、楢葉町の幼稚園から小学校、そして施設関係と関わっており、被災地の子供たちの厳しい現実、施設 (老人ホーム、知的障害者施設等)の厳しい現実に心を痛める日々でした。

朝食をしないで来る子のために、せめて学校でおやつを上げたい、という校長先生の お気持ち。(当時、被災者にはおやつを食べるゆとりはありませんでした。)広野町の幼稚園は今年の3月でも園児5人、先生3人。浪江町の 方々の幼稚園はありません。浪江小は全児童で19人、中学は49人。富岡町は旧あけぼのブレーキ工場の跡地に6校が (第一、第二幼稚園・小学校・中学校)一緒になって学んでいます。グランド、プール等も無いため、他の体育館などを借りに移動しています。

楢葉は今年の1月に仮校舎ができて、 いわき中央大に引っ越しました(幼・小・中)。大熊町は会津若松に幼稚園児8人、大野小・熊町小が同じところに、大熊中は役場の2階に、体育は市の体育館を借りに移動しています。

原発のために住めなくなった南相馬の小高小中学校は、鹿島小中学校のグランドに仮校舎を建て、そこに6校が一緒に学んでいます。小高小中学校、真野小学校、福浦小学校、金房小学校、鳩原小学校。4月8日は入学式があり、午前は小学校の入学式(4校で19名)、午後は同じ所で中学の 入学式をするので忙しい、と先生はおっしゃっていました。

「仮校舎は鉄骨でプレハブ、工事現場のような建物です。ですから鉄骨なので画鋲も釘も打てない。マグネットで張り付けるだけ。子どもの作品を展示するスペースも無い。だけど、今年は花壇を作ろうと思う。荷物(理科実験道具、体育道具)を運ぶ台車も欲しい。印刷するインク代も高くて支援金をいただけたら有難い」とおっしゃっていました。

どこの学校も、また施設も、備品や諸経費のため に資金を求めておられました。可能性がありましたら、よろしくお願い申し上げます。

「子ども達は学校では思いっきり遊べるし、 大声を出すことができる。しかし施設に帰ると大声を出すと叱られている。だから学校では思いっきり遊ばせたい。」「しかし遠方から通っている子供は早く帰 らなければならないので、部活ができない。遅くなると暗くなるから。」と先生はおっしゃっていました。

被災者は、子供も大人もお年寄りも病人も、皆さま本 当に我慢し、忍耐し、堪えに堪え抜いておられます。私たちはこの状況を当たり前と思ってはならないと思いました。そして福島の方に対して、無関心になって はならないと思いました。
 
今年の4月1日より、浪江町も富岡町も解除方向に向かうための除染の仕組みが決定しました。双葉町は6月より始まるようです。どんなに住民や町長が反対しても国は強引で、除染に印を押さない限り、復興への交渉のテーブルには着けないと言われたそうです。
 
まず役場の職員が派遣され、町に入るように促されるようです。そして順次、町に役場が作られるようです。しかも派遣される方々は、独身者、結婚したばかりで まだ子供がいない方、中間管理職の人。役場は限られた人員の中で、除染に向けた人員を最優先にされるようです。役場の人は断れないようで、「やむを得な い」と受け入れてきました。また「僕たちが町のためになるなら」と率先して申し出た年配の上司の方もおられたようです。

私は国のやり方は卑劣と思いました。国は被災者に対しては全責任を取り、プロジェクトを作り、積極的に早く救うことをしなければならないと思います。しかし、責任は各市町村の町長に託し、東電に託しています。そして、町長がどんなに反対しても、町民が反対しても、国の方針「除染して帰す」を強引に成立させていき ます。そして解除になると、精神的賠償金を打ち切ります。

「国は被災者にお金を出したくないのだ」と被災者は言います。収入の無い被災者 は、身の危険を知りつつも、除染作業やがれき処理で生活の糧を得るしかなくなります。いまだに賠償金は成立せず、復興住宅(家賃は請求されます)も建た ず、放射能で汚染された動物やネズミの住居になって崩壊された家に被災者を帰そうとする政府。

この方針にメスを入れ国民の命や生活を守ろうと進言できる方は、日本にはおられないのでしょうか?

私は最も大切なことは「人の命」「国民の幸せの度合い」と思います。ブータン国王夫妻が日本にいらした時、ブータンの国はうらやましいと思いました。素朴 で愛深く、私達日本人が忘れていることを思い出させてくれるような気がしました。

私たちはもう一度振り出しに戻ったら良いような気がします。人間は生まれた時、裸でした。赤ん坊でした。赤ん坊は誰からも愛されます。何故でしょう。立派でありません。威厳もありません。気難しさもありません。無知です。むしろ弱さそのものです。だけど、優しさがあり、柔らかさがあり、愛くるしさがあり、自然体で誰でも受け入れ、拒否を知りません。赤ん坊を見ると、 顔がほころび幸せになります。人間の心の幸せって、赤ん坊が教えてくれるような気がするのですが。

ブータンの国のように、「国民の幸せの度合い」を日本も 振り返ってもよいのではないでしょうか、という気がしますが。
# by momofukuoka | 2013-04-10 18:54 | 福島の被災地の現状
福岡百子様

ご無沙汰しております。御健勝にて越年され、各方面にてご活躍されてる事と存じます。

仮設住宅にて2回目の正月です。しんと静まり震災前の正月情景は全く感じられません。元旦に顔を合わせても相互に「新年おめでとうございます」の言葉は有り ません。ただ、「今年もよろしくお願いします」との単調な新年の挨拶だけです。一年の無病、家内安全を願う神社へのお参りに行った住宅はゼロかも知れません。

でも仮設住宅一同元気です。震災前の会社に戻った人、津波の被害を受け、2年間何の作付けもしていない耕地を再生させる目的で、国の支援を得て設立した復興組に行って働く人等、日常生活に潤いがあります。

これ一重に福岡様の心温まるご支援のおかげである事、誌上を拝借しまして改めて御礼の言葉を申し述べさせて戴きます。本当に有難うございます。また各方面よ りの御支援物資には心からの励ましのメッセージ…皆様方に読んでもらって居ります。うれしい、有難い、直接お逢いして御礼の言葉を申し述べたい等の言葉が 返ってきております。福岡様、本当に有難うございます。皆々様方の一挙手一投足が心の支えであります。そして心の栄養でもあります。

この御支援、御声援に応える為、一生懸命目に見えない放射性物質と戦って参ります。


我々の故郷、小高区の現状をお知らせ致します。
除染工事開始。この言葉、1年9カ月が過ぎた頃より出始めました。それに伴う除染により出たガレキ等の仮置場が皆無です。昨年12月23日に我が行政区でもこの仮置場に関する説明会がありました。

「当行政区地内に仮置場を設置したので協力してください」とのこと。そして仮置場の構造、運営等について説明がありました。国の職員の仮置場の構造について説明。その説明の中で“一番下に特殊なシートを敷き、その上に除染により出た物を入れた袋を置き、さらにシートをかぶせ、その上にきれいな土をかぶせるから 安全、安心です”と断言したのです。

そこで自分はカチンと頭にきた。開口一番「そのきれいな土はどこにあるのか? どこから運んで来るのか?」と大声で怒鳴りつけたのです。国の職員、何ら説明なし。勝手な説明をして、早く仮置場を作り年度末の人事異動で他の部署に行くつもりかと付け加えた のですが、何の言葉も返って来ないです。

50~60歳代からも仮置場設置に対して反対論が続出した。中間貯蔵所、最終処分場も無いのに仮置場とは何だ? 皆様方、日本語知らないのか?といった馬鹿にされる意見も出た。

最終的に行政区部長が立って“実は仮置場の予定地として○○さん所有の土地、その周辺地が内定している”と発表した。直に国の職員、○○さんに対して“本当に良いですか?”と問いかけた。○○さん、ハイと返答した。

国の職員、畳に頭をすりつける様にして、ありがとうございますと言って退席したのです。国は、今までとなんら変わりない態度です。地権者最優先、地元住民最後。まったくあきれたやり方です。

しかもこの予定地は、二級河川の最上流であり、下流の水利権を持つ農民から異論が出ることは間違いありません。そしてこの仮置場が無人化した時間帯に夜行性 のイノシシ、サルの大群による被害があるであろうこと、避けて通れる問題ではありません。除染、絶対的に必要です。仮置場設置の問題はもう少し地域住民で 話し合うべきでした。

他の町や村では除染が始まっております。1月になってから不正行為が発覚したのです。川に流したり、屋根や壁を洗浄した水を地下に浸透させたりと、約束を守らず。金儲けが目的でした。

そこでまた頭に来たので、地元の新聞の投書欄に投稿したのです。新聞に出たのが1月15日です。1月18日には厳しい処置をすることが発表されました。この投書も少しは役に立ったのかなと自負しております。

これからも様々な困難なものに突き当たると考えます。御支援、御声援くださっている皆々様の思いに応える為にも、住民一同協力して頑張って行くことが本筋であると考えます。これからも頑張ります。


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行方不明者探しと所有者確認の為、一ヶ所に集積された自家用車、農機具類です。こんな姿で役目を果たした自家用車、農機具類と認めたくないです。自家用車活 用は多かったです。子供達の通学等の送迎用として、また、高齢者の医療機関への送迎等、多方面で活躍しました。自家用車、自分自身には所有者が分かりませんが、役目を終えた自家用車にお疲れ様でしたと声を掛けました。農機具もその通りです。その時期になると休む間もなく動き通しだったと考えます。本当にお疲れ様でした。


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水田地帯でした。専業農家が多く、個人所有の農機具類が今も点々と残っております。農機具類の総額は3億円位と見積る人がおります。ここは震災から約1年半、海水に浸かっていた場所です。この海水の水没面積は東京ドーム約20個分と発表されております。水没の期間が長かった為、稲作は絶対だめです。

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以前からこの所に住宅があったのではないです。あの津波により、約300m先から流されてきた2階部分の部屋です。中は全部流されて何もありませんでした。

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これも水田の中にありますが、これは約2km先の海岸より流されてきた2階の部屋です。ただ自然の馬鹿力には驚くのみです。

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箱根駅伝初代山の神、順天堂大学今井正人さんの実家です。建物はありますが、ここも住む事は不可能です。


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奥にある建物は常磐線小高駅と商店街の大通りです。正月、元旦というのに人ひとり、車の1台も無い小高の正月風景です。20km圏内は避難生活、宿泊制限区域に指定。


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常磐線仙台方面です。(赤サビで)真っ赤なレール、雑草が伸び放題の線路わき。常磐線、国道6号線、常磐自動車道の開通をとの声がありますが、絶対無理ではないかと考えます。
# by momofukuoka | 2013-02-02 17:53 | 被災地の方々からの手紙