2011年3月に発生した福島原発の事故発生後、現在も仮設住宅等での避難生活を強いられている被災地の方々の状況をお伝えすると共に、支援の呼びかけなどを行わせて頂いております。


by momofukuoka
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〈姥捨山〉

大きな、大きな地震があって

津波が全てを呑みこんだ

原子力発電所が大爆発して

放射能がふりそそぎ

人々は、命からがら

先を争って逃げました。

長い時が流れて

そこには

ポツリ!ポツリ!と

としよりだけがくらしていました。


(何年か後の南相馬市小高地区)
# by momofukuoka | 2013-05-14 01:51 | 被災地の方々からの手紙
〈たのしみ〉

チューリップの球根が

いっぱい届きました。

みんなの力を借りて

集会場の周りに植えました。

鉢植えのベコニアも届きました。

仮設住宅は、なんとなく

おすましをして

ポーズを決めました。

チューリップはどんな風に

咲くでしょうか。


いろんな人や物に応援されて

夢や希望や楽しみを

明日にそっとおいてみる

すると、なにか不思議と

元気が湧いてくる

幸福なことです

お花も

ボクのげんきの栄養です
# by momofukuoka | 2013-05-13 01:53 | 被災地の方々からの手紙
〈仮設住宅〉

誰か、ここから出してくれませんか。

あと、どの位居ればいいのですか。

もう、かんべんしてはもらえませんか。


コンビニの弁当に

カップのみそ汁

何があった訳でもなく

何がある訳でもなく

ただ、今日が終わる。


焼酎のお湯割りに

愚痴をかきまぜて

寂しくなんかないさ、と

つぶやく、独り言

ボクは、もう年をとりました。
# by momofukuoka | 2013-05-12 13:56 | 被災地の方々からの手紙
〈伝言〉

この苦しさを

伝える術がボクにはない。

この悲しみを

鋭く切り取る。

カメラ越しの眼もなく

はげましや

なぐさめの

歌が歌える訳でもない。

現実を写し取る

絵が描ける訳でもなく、

心を揺さぶる言葉も持たない。


それでもボクは

書かずにはいられない。

言わずにはいられない。

ここがどんなに辛くて、

苦しいものか、

伝えずにはいられない。
# by momofukuoka | 2013-05-11 13:59 | 被災地の方々からの手紙
浪江町の被災された方からお手紙いただきました。


2013年4月12日
浪江町民

前略

再々にわたる物資を頂きまして、感謝と喜びでいっぱいです。ありがとうございました。 

私達の浪江町は、4月1日より「避難指示解除準備区域」と「居住制限区域」と「帰還困難区域」の3区分に分けられ、私は居住制限区域内に入り、「通行証」をもらって、4月5日に帰宅しました。

玄 関を開けると、異様な匂いで驚きました。それは我が物顔で住みついた、大量のネズミに荒らされ、醤油・油類・ジュースなどのボトルが、みんな噛み切られて フローリング一面に流れ出たのと、ネズミの糞によるものでした。災害前、老後の設計を立てて、二人の退職金で家を造り、残金あわせて仏壇を購入したのです が、それも2年間の間にネズミにかじられ、荒らされ、目も当てられない状態です。

「もしも後5、6年間待って、もし健康だったら、この家に帰って住みたい」と思っていた気持ちが、薄れてしまいました。

前の総理大臣が早々に福島第一原発の「収束宣言」をされましたが、日毎大量に出る汚染水と、このほど毎日続く汚染水漏れがあり、またこれから核燃料棒を取り出す作業においてどんなトラブルが発生するか、わからない状態です。

我々は常に、自分の胸ポケットに蝮を入れ生活しているような状態で、危険と背中合わせの生活です。

前の総理大臣が「収束宣言」されて以来、私達の遠くに住んでいる身近な親戚や友達もが、以前は頻繁に便りもあったが、今ではみんな忘れかけている中、この再び、私達のことを忘れることなく、再度の手を差し伸べて下さったことに、涙の出る想いで感謝しております。

落ち込んでいた気持ちに力を注いで戴きました。ありがとうございました。それも皆、福岡様のお力添えに依るものと深く感謝しております。
寒暖の差が厳しい折、くれぐれも御自愛下さい。
# by momofukuoka | 2013-04-26 18:50 | 被災地の方々からの手紙