2011年3月に発生した福島原発の事故発生後、現在も仮設住宅等での避難生活を強いられている被災地の方々の状況をお伝えすると共に、支援の呼びかけなどを行わせて頂いております。


by momofukuoka
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日頃、福島被災者に寄り添っていただき有難うございます。 この度は原発と福島被災者について、体調の許す限りまとめてみましたのでご参考にして頂ければと思います。 どうぞ宜しくお願い申し上げます。


【原発と福島について】

日本最初の原子力発電は1963年10月26日東海村の東海発電所です。
東京電力の福島第一原子力発電所の着工日は1967年9月29日、運転開始は1971年3月26日です。なお40年後の2011年3月11日に、東日本大震災が起こり、12日には1号機、14日には3号機の原子炉建家が爆発してしまいました。そして放射能は風に乗って福島に、関東に、太平洋沖まで流れ各地を汚染してしまいました。
福島第一原子力発電所(福島第一原発)は、福島県双葉郡大熊町と双葉町に立地しています。


原発の被災地は主に双葉郡、そして南相馬市と言われています。(実際の放射能汚染はさらに広く福島各地を汚染しましたが。) 中でも双葉郡の大熊町、双葉町は原子炉建家が爆発した所です。浪江町、富岡町、楢葉町、広野町、川内村、都路町、葛尾村、津島、飯館村、南相馬市(鹿島、原町、小高) が被災地と言われています。


3月12日13時36分に1号機で水素爆発が発生しましたが、爆発したことを被災者には知らされませんでした。


(大熊町)住民は地震後公民館等に避難したと言います。人々は爆発の音を聞いています。しかし住民には水素爆発したことを知らされていないので、子供達は外で無邪気に遊んでいました。その時放射能を浴びたと被災者は言います。バスが10台ぐらい来て住民はバスに乗せられたと言います。バスに乗り発車するまで何時間も待ったし、貴重品を自宅に取りに行く時間が十分あったのに、知らなかったばかりに誰も貴重品を取りに行かなかった。避難することを知っていれば貴重品を取りに行ったのにと被災者は悔しがっていました。 大熊町の人はバスで裏磐梯に避難しました。その後、会津若松といわき市に仮設が出来て移り住みました。


(双葉町) 井戸川町長は原発の恐ろしさを知っていたので、双葉町に原発を作ることを反対していました。そのために国からの地方交付金は他の町よりも少なく配布されていたため双葉町は財政が苦しかったようです。 爆発を知った町長は町民と埼玉県の加須市に避難しました。     


【原発被災者への国の対応について】

原発の賠償について、国は責任を持たず、被災者への賠償金は東電の責任とし、国は全責任を東電に任せています。


東電の賠償対象者は、東電から20キロ圏内までを対象者とし、20キロ圏外は東電も国も責任はないとしています。


20キロ圏内の人には2011年の3月から国が被災者に帰還宣言を発布するまでの間、毎月1人10万円の賠償金と、家賃、医療費の免除を被災者に果たしてきました。 繰り返しますが、東電の賠償対象者はあくまでも20キロ圏内の人であって、20キロ圏外の被災者には出しません。 放射能は風の流れによって20キロ圏外を汚染したため放射線量が20キロ圏外の方が高かったとしても、賠償金は20キロ圏内までと東電は決めた為に、20キロ圏外の被災者には賠償金の責任は持っていません。


津波の被災者に対しては、たとえ20キロ圏内であったとしても東電も国も関係ないとして、賠償金対象者にはしていません。ただ国からはお見舞金として主が亡くなった場合は300万円、主以外の死者には280万円のお見舞金を出しています。


【支援を必要としている福島被災者】

津波で自宅や全てを流され、生活の再建が出来ない人や、国民年金だけでは生活が出来ず困っている人。(南相馬の鹿島、原町、小高、浪江町、双葉町、大熊町、富岡町、楢葉町、広野町の海岸沿いの方)


20キロ圏外の被災者で田畑が放射能に汚染され収入が閉ざされ経済的に困っている人、家族の支えがない一人暮らしで、高齢者や病人、困っている人。


6年以上帰られなかった被災者の故郷は、荒地と化して動物の住まいとなり、店も病院もなく人の住める環境ではありません。しかし国は今年の3月、ほぼ全被災地に帰還宣言を出し、仮設も閉鎖をしました。 悪環境の故郷に帰還した被災者はみな助けの手を必要としています。 特にお金がない為に家の修理をする事が出来ない人、身寄りのない人、一人暮らしの人、高齢者、病人には支援が必要と私は感じています。


国道399号線沿いの標高400m から700mにある村:川内村、都路町、葛尾村、津島、飯館村は高地の為に寒さ厳しく、村・町の産業が少ない為に、もともと経済的にも厳しい所に放射能で汚染され、尚経済が厳しくなり除染作業が唯一の収入源となっている人が多いです。  


皆さまのご支援をよろしくお願い致します。





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【支援品をよろしくお願い申し上げます】
ご支援をいただけます方は、被災者をご紹介いたしますので、福岡百子までご連絡くださいませ。
〈問い合わせ〉
福岡百子 携帯メール f.mom.1941@ezweb.ne.jp  FAX 047-346-8675
(恐れ入りますが、これらの連絡につきましてはAM11:00~PM5:30までの間に頂けますようお願いいたします。なお、すぐにご返事ができない時もありますので、申し訳ございませんが、再度ご連絡くださいますよう、お願い申し上げます。)


※当ブログは福岡氏より委託を受けた、前野賢一郎(maeken24@ybb.ne.jp)が更新作業等の管理・運営を行っております。

なお、英語版ブログ Reality of Fukushima (Voice of Momoko Fukuoka )http://momfukuoka.blogspot.jp/もあります。
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by momofukuoka | 2017-09-29 09:37 | 福島の被災地の現状

帰還した被災者の苦しみ

毎日の生活にあって、幸せであることの基準が、私の中で変わってきたような気がします。つい5、6年前までは、私にとって「幸せ」と言えば、楽しいこと、自分の理想や夢を実現すること、自分の目標に向かって邁進し、努力している充実感、目標に向かってキラキラ輝く自分の心の充実感、達成感などでした。朝目覚めた時に"さあ今日はこんなことするぞ"と思って一日のスケジュールを頭に描き、いそいそと飛び起きるエネルギッシュな自分の心と姿が幸せでした。しかし今は、社会の中にある不穏な動きと変動の為でしょうか?

又、75歳という年齢になったからでしょうか? "今日も何事もなく過ごせますように""外出したら、自宅に無事帰り着きますように""健康でありますように"、夜は戸締まりをしながら、"熱中症になりませんように""泥棒が入りませんように"と念じている自分になりました。最近、友達と話をしていたら、「雨露をしのぐ家があって、三度のご飯ができたらそれ以上の幸せはないよ!」と言われ。"なるほど、本当だ!"と思い、何か忘れていた事に目覚めさせられ、悟らされたように感じました。

考えれば、人間には果てしない欲があります。欲は本来人間が向上するために天から戴いた善きエネルギーなのでしょうが、いつの間にか欲が自分自身を、他者を、世界を破壊する不幸のエネルギーになっているのは何とも悲しい事です。
皆様、この世が生まれ変わるにはどうしたらよいのでしょう? 皆様で知恵を出し合って戴けませんでしょうか?

今日も福島被災者の話をさせて頂きたいと思います。救いを求め、苦しんでおられる被災者を月日とともに忘れないで欲しいと願います。愛する皆様。被災者を宜しくお願い申し上げます。



 
【故郷に帰った福島の被災者】
☆(楢葉町、70代夫婦と娘の3人暮らし)
「町の2割しか戻っていません。自宅に戻った当初は、草が背丈以上に生い茂り開墾地の様でした。猪に荒らされ大変でした。行政は助けてはくれません。自分達のことは自分達でしなければなりません。毎日草刈と自宅の掃除に明け暮れしました。放射能の除去については、行政が3年くらい前に、家の外のみを水洗いし、屋根も拭いてくれました。線量の高い家の周りの土を剥ぎ取って、そこに同じ町内の山の赤土を運んで来て埋めてくれました。赤土にはクルミが沢山入っていました。山は除染していないのに、同じ町の山の土なので、放射能は大丈夫かなと気になっていました。

家の中は除染してくれないので、私達は毎日自分達で自宅の放射線量を測っていました。家の中は、0.27マイクロシーベルトありました。家の中も除染しないと住めません。行政はしてくれないので、毎日家の中を雑巾掛けして除染しました。6年以上放置した自宅は家も崩れ、放射線量が高いです。結局壊して、リフォームをして建て替えないと線量は下がりませんでした。自分で壊した家なので、私達は行政からの賠償金はもらえません。放射線量が高いので住めないから壊さざるをえなかった家なのに。最初から全壊していたら国は賠償するのに。住めないことは同じなのに、おまけに、壊す費用も自腹です。

私達は覚悟をしました。行政に頼らず自分たちで町を切り拓くことを。町には店も病院もなく不便です。高齢者の 1 人住まいは大変です。しかし自分たちで、町に元気を取り戻すことにしました。楢葉は柚子の木が沢山あります。〈楢葉未来の会〉で柚子を使った特産品で、町が元気になるように頑張ろうと思います。」


☆(浪江町、70代夫婦)
「住民は1%しか戻っていません。若い人は、子供の学校の問題や仕事がない為に故郷に帰ることは出来ません。仮設に住めるのは来年の3月までと言われている。来年は出されるでしょう。それまでに家を探さなければなりません。家をリフォームしたくても福島には大工さんがいません。東京オリンピックに大工さんは駆り出され、皆、大工さんは都心に入っていると聞いています。被災者個人の自宅をリフォームする大工さんがいなくて、困っています。故郷には70歳以上の人のみか帰ります。先祖代々の土地やお墓があり、先祖への思い入れと、責任があるからです。故郷に帰って頭を悩ましているのは病院です。浪江に今は病院が無いのです。南相馬や富岡町にはあるのですが、遠いのです」


☆(川内村、88歳、1人暮らし)
「川内村にはお店がないので、車のある人は車で他の町に買い物に行きます。車のない年寄りは食糧を求めることができず困っています。一つだけ下川内に〈あれこれ市場〉が出来ました。私の住む上川内からは遠いのですが、この間やっと連れてもらって行ってきました。市場の商品を見ると、普通100円のパンが1個140円~150円します。アイスも140円~150円でした。秋刀魚の開きも味が悪く、いつ仕入れたのかわからない。牛乳も賞味期限が明日で終わり。卵の賞味期限は今日で終わりになっていた。これじゃあ安心して買えません。病院も遠くて困っています。血液検査で郡山の病院まで行かなければなりません。病院まで3時間かかります。8時半の予約ということなので、私は4時に起きて娘が車で迎えに来るのを待つことにしました。いわきから来る娘は3時半に家を出るということです。」



 
【安心できる生活環境を】
福島の被災者たちは国から一方的に帰還宣言をされて故郷に帰ったとしても、どこも同じような状態です。帰還宣言をする前に、住む為の最低限の環境を整えて、安心できる生活環境を整えてから初めて国は帰還宣言をするべきでして、生活環境が整わない以前に帰還宣言をするべきではないと思うのですが。自分達の家は自分たちで、自分たちの町は自分たちで復興して下さいと被災者に丸投げして責任を負わず、被災者の苦悩を見て見ぬふりしているのはいかがなものでしょうか?

復興とは、道路を作った、常磐線が通ったということも大切でしょうが、人間の命や生活そのものを脅かしている事に、耳を傾けず、同情を寄せず、痛みを感じないという事こそが、大問題ではないでしょうか? 7年近く苦悩を経てきた被災者は、精神力も体力も弱り、訴える力もなくなりました。皆様どうぞ代わって叫んであげてください。声を上げてください。救ってください。よろしくお願い申し上げます。

 
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【支援品をよろしくお願い申し上げます】
ご支援をいただけます方は、被災者をご紹介いたしますので、福岡百子までご連絡くださいませ。
〈問い合わせ〉
福岡百子 携帯メール f.mom.1941@ezweb.ne.jp  FAX 047-346-8675
(恐れ入りますが、これらの連絡につきましてはAM11:00~PM5:30までの間に頂けますようお願いいたします。なお、すぐにご返事ができない時もありますので、申し訳ございませんが、再度ご連絡くださいますよう、お願い申し上げます。)


※当ブログは福岡氏より委託を受けた、前野賢一郎(maeken24@ybb.ne.jp)が更新作業等の管理・運営を行っております。

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by momofukuoka | 2017-09-09 08:10 | 福島の被災地の現状