2011年3月に発生した福島原発の事故発生後、現在も仮設住宅等での避難生活を強いられている被災地の方々の状況をお伝えすると共に、支援の呼びかけなどを行わせて頂いております。


by momofukuoka

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ブログをご覧の皆様に

私は会津生まれの福島育ちの人間です。

“同胞の気持ちは放っておけない”という気持ちで始めたのが2011年6月、朝日新聞を見ていて大熊町の一夫婦に支援を始めたのが、私の支援活動の始りでした。

幼い頃から病弱で何度か死の体験をし、命や時の大切さに目覚め、自分の命や他者の命をいとおしく感じ“人は幸せにならなければ嘘だ”と、本気で他者の「命と時間」を大切ににしたいと、信念を持って日々生活して居りました。

2011年3月11日、その頃は私の体調もおもわしくなく、だんだんと外出することができない体になっておりました。友人・知人の支援を終え、気になりだしたのが同じ福島の方々、夢中になって、友人・知人に呼びかけ、裏磐梯のホテルに避難して居られる大熊町の方々への支援を始めました。

私は被災者の方々の苦悩を思ったときに、私に出来ることは何か?私は一主婦にすぎない、足も悪く外出も出来ない。だけど、口があるではないか? 私は話すことができる、電話をすることができる。なら、出来ることをやって行こう。

まず、日本地図を見ました、被災地を見ました。そして、電話104で各被災地の役場を聞き、県庁に市町村の役場に、避難所の情報集めをしました。そして、その情報をFAXで仲間に伝え、支援願いをしました。

一方知った情報を総理大臣、各大臣、全ての党の幹部に、主な宗教団体の幹部に、そして、支援活動をして居られると思われる拠点に、手紙を書き、電話、FAXをし、私に出来る情報手段をフル回転させて、あらゆることをしたつもりです。

支援をしていただけそうな食品会社、下着、靴下、布団会社の社長様方に手紙を書き、朝日、毎日、読売、日経、東京新聞の編集長に、NHK、日本テレビ、テレビ朝日、TBSテレビ、テレビ東京、フジテレビの報道局長に手紙を出しました。そして、支援が届かず苦しんで居られる「福島の現状」を伝え支援の協力を願いました。

しかし、返答も無く、返答があったとしても、冷ややかなものでした。「私たちはする相手が決まっています。福島をするつもりはありません。」

何故?と思いました。 隣の宮城県には支援品がいっぱい残っていました。支援品の行き場が無く困ってさえいました。そこで私は、すでに親しくなっていた大熊町の役場の方に聞きました。

”課長さんから宮城県にある品を福島県に流してもらえるように、役場同士で話し合ってはいただけないのですか?”その問いに“福岡さん、そこが難しい所なんだよ、他の県に入った物を違う県に流せないのが日本のしくみなのだよ”と。

こんな非常時の時にでさえ融通がきかないのが日本なのか?隣の人が困っていても、見て見ぬふり、情報を流しても、組織、決まりを優先し、自由がきかず 結局何もしない、というのが日本なのか?と、この時ほど日本の国を情けなく思ったことはありません。

当時、支援者も被曝を恐れ、福島県に入る人は少ないでした。 私は思いました。“だったら福島の被災者はどうなるわけ?”支援品も届かず、助けてももらえず、そして、2年経った今でも住居も建ててもらえず、引越しするお金ももらえず、再出発する為の家も土地も定まらず、就職にもつけず、家族は崩壊し親、子供は離れ離れ祖父母も切り裂かれ、残酷なまでの苦悩の日々、原発事故ゆえに何もかも失いました。福島の方々に何一つ責任は無いのです。ただ、自分たちの土地を東電に、国に提供しただけです。しかも、美しい自然に恵まれた“ふる里”を国に頼まれて  反対したのに、やむなく提供しただけです。

しかも、その電力は福島の人が使うのではなく、東京、千葉、関東の方々が使うのです。自分達の為ではく、他者の為に土地を提供した方々が原発に合い、原発の為に全てを失ってしまったのです。

私達、福島の方々をもっと大切にしなければならないと思います。私達にの為に、他人の為に犠牲になった方々、私達、福島の方々に感謝しなければならないはずです。だのに、どうして冷たいのでしょう? 無関心なのでしょう?国も東電も、本腰を入れて、救う努力をしないのでしょう?

むしろ、福島の被災者を放射能で放置した自宅に、今は帰そうとするのです。国の対策は“除染して帰す”ことだけです。しかも強引です。福島の町長、村長の声、町民の声は掻き消されていきます。叫び続けた町民の声は届かず今ではあきらめ、失望し、心身の病気になり、自殺者も増え、孤独死も多く出ています。民の叫びを国は聴こうとしません。国が責任をもってしなければならない対策を全て各町長に任せています。

住宅問題、賠償問題、除染問題、生活、教育、土地、あらゆる問題を自治体(町長・役場)に任せています。 被災者である役場の職員、しかも少ない人数で何ができるのでしょうか? 役場の職員も限界を超え皆さま体を崩しています、しかも残業続きです。災害は地方任せではなく、国が指揮をとるべきではないでしょうか?

原発事故賠償も3年で時効になると聞いております。来年3月11日までの間に申請しない人は意志が無いとみなされ時効になるとのことです。忙しくて、申請したくても出来ない役場の職員もいます。申請していない人、仕方がわからない人は未だまだ居ます。だのに時効とは?

矛盾が多く、国民の不幸に本気になれない日本の国!これで良いのでしょうか?

どうぞ皆さま福島のためのご支援をよろしくお願い申し上げます。


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【被災地への支援に関するお問い合わせ】
福岡百子
FAX 047-346-8675
携帯 080-5547-8675          
f.mom.1941@ezweb.ne.jp
(恐れ入りますが、これらの連絡につきましては
AM10:00~PM5:30までの間に頂けますようお願いいたします)

※なお、当ブログは福岡氏より委託を受けた、前野賢一郎(maeken24@ybb.ne.jp)が更新作業等の管理・運営を行っております。
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by momofukuoka | 2013-05-31 22:07 | 福島の被災地の現状
  〈生きる〉

二年も経ったら

換気扇が、ドロドロで

四畳半は

足の踏み場もない

長く居なきゃならないなら

ここに棚が欲しい

そうは言っても、

どうにかなる訳でもなく

炬燵を隅っこに押しやる

今日は何があっただろうか

明日は、と、思いつつ

ただ朝を待つだけの

布団に潜り込む


眠れない夜がつづく
by momofukuoka | 2013-05-25 15:47 | 被災地の方々からの手紙
〈やさしさ、が〉

ヒョコ、ヒョコ、と

鯵の干物がやってきた

「焼いて喰うとうまいんだ!」

後を追って白菜がやってきた

「鍋にでもしろや!」

「じゃが芋は、いつでも喰えっから!」

煮しめやお新香もきた

「みそ汁にでも入れろや!」と

長ねぎもきた

焼酎がきて、ビールがきげ

ウイスキーもきて

日本酒もきた

「甘い物もいいべ!」と

羊羹がきて、

最中がきて

ゆべしがせんべいも連れてきた。


こんなところで独りぐらしの爺さんに

優しさが列をなしてやってくる

焼酎のせいで

ホロリ、と、涙がこぼれる
by momofukuoka | 2013-05-24 15:30 | 被災地の方々からの手紙
 〈チューリップ〉

名前も聞かないでしまったけれど

ありがとう!

チューリップたちは

気持ち良さそうに

顔を出しました

雲雀とでも

おしゃべりをしているのでしょうか

女子大生が三人

来るとも

来たとも言わないで

楽しげに

雑草をむしっている

仮設住宅の誰かと

話をする訳でもなく

声をかけたら

あどけなく笑っている

夕暮れ時には

そのまま帰ってしまったのか、

チューリップの回りの雑草は

きれいに片付いていた

花が咲いたら、又来てほしい

ありがとう、と言いたい


又、会えるね、きっと・・・。

(東三河から来てくれたあなたたちへ)
by momofukuoka | 2013-05-23 15:28 | 被災地の方々からの手紙
 〈乙女の祈り〉

大阪からあなたは来た

「ナニカ、オテツダイ、デキマセンカ?」

差し出された小さな「ボード」に

ボクは「来てくれてありがとう!」と

走り書きをする。

何をしてくれなくても

何も言ってくれなくても

微笑んで頷いてくれただけで

あなたの思いは

仮設のみんなの心を

優しく包みました

あなたに会えて良かった

並んで仮設周辺のゴミを拾ってみる

あなたの優しさで

涙はもう渇れそうです


ボクは、今日、素敵に出会いました


(大阪から来た、難聴の乙女へ)
by momofukuoka | 2013-05-22 15:20 | 被災地の方々からの手紙
〈停電〉

慌ただしく人が動き回る

「ダイジョウブカナ!」

「何処へ逃げればいい!」

仮設住宅は

異様な緊張が走る

震災から二年が過ぎて

三月十八日

東京電力

福島第一原子力発電所

停電

使用済み核燃料プールの

温度計が不気味に上昇る

「ダイジョウブカナ!」

「何処へ逃げればいい!」

不安が加速する

とりあえず給油だ!

ガソリンスタンドには

長蛇の列ができた
by momofukuoka | 2013-05-21 15:10 | 被災地の方々からの手紙
 〈放射能汚染水〉

他人事のように報じられている

地下貯水槽の水漏れがつづく

もう少しがんばれば

戻れると微かな期待をもった

三年目の春

遠いどこかの出来事のような

思いもよらない汚染水の流出

又、ふるさとが遠ざかる

又、ですか

いつまで待てばいいのですか

もう駄目なんでしょうか

どうすればいいのですか

一体誰のせいですか

答えはどこにあるのですか

汚染水は、好むと好まざるとに

かかわらず、海を汚すでしょう

知っているのなら

教えてください

尋ね先は東京電力でいいのですか


ふるさとが

だんだん

ふるさとが遠ざかる
by momofukuoka | 2013-05-20 14:50 | 被災地の方々からの手紙
〈無題〉

転々と避難所から避難所へ

何度も何度も繰り返し

ようやく、辿り着いた仮設住宅

四畳半一間の不自由に囲まれた、

異様な空間。

眠れない夜がつづく

苛立ちと絶望が交差する先の見えない不安

「もう、だめだ! 頭が変になりそうだ!」

昨日そう言っていた人が

フラフラと今日も歩いている

こんな事をこの先、

何年繰り返せばいいのだろう

「頑張れ!」と言われても、

「立ち上がれ!」と言われても

「前を向け!」と言われても

どこへ向かって進めばいいのだろう。

折角、震災の中を生き延びたというのに

自らの命を絶つ人が後を断たない。

そういうボクも紙一重の毎日、

そんなボクの折れそうな心を

支えてくれたのはあなたです。

日本中のあなたのはげましや支援のおかげで

辛うじてここにいます。

たすけてくれて「ありがとう!」

助けてくれる人が居るから

「すごい!!」

そのやさしさがうれしい、

心強い。

その感謝の気持ちを伝えるために

精一杯の強がりと

精一杯の笑顔で

「がんばります!」

「負けません!」と

差し伸べてくれたあなたの手を握りかえします。
by momofukuoka | 2013-05-19 17:48 | 被災地の方々からの手紙
 〈突然の病〉

地震だ!

津波がくる

原発(原子力発電所)が爆発した

逃げろ!

子供達は

家は大丈夫か?

遠のく意識

パニックを起こした、脳みそ

薄れゆく意識の中で

震災の記憶がかけめぐる

夜が過ぎ

朝が過ぎ

二日目が過ぎた

倒れたままのトイレの中で

遠くに携帯電話の呼び出し音

「ここに居るよ」と思いながら

空しく時間が過ぎて

又、携帯の呼び出し音

焦る気持ちとは裏腹に

手が、足が

身体が動かない

又、しばらくして

「明かりがついてる」と誰かの声

玄関のベルが鳴る

何度も何度も繰り返し鳴るベルの音

「助けてくれ、ボクはここに居る」

叫んでいるはずの声は

喉の奥で消えてゆく

時は容赦なく流れて

確実に近づいてくる

死の足音

外でみんなが騒いでいる

「郵便が溜まってるぞ」

サッシの窓を

誰かが激しく叩いている

悲痛に叫ぶ姉の声

「きてくれてありがとう」

声をふりしぼるが届かない

とめどなく涙がこぼれる

姉の声が、足音が遠ざかる

それからどれだけの

時が流れたのだろう

「ガタ!ガタ! バリ!バリ!」と

玄関を打ち破って

入ってきた見知らぬ人

絶叫する姉の顔

普段、とりたてて

話すこともなかった

仮設住宅の人が

ボクを助けてくれた

かすかに聞こえる救急車の音

何度となく

死を覚悟しながら

助け出されたこの生命

これからどう生きたらいいのだろう
by momofukuoka | 2013-05-18 17:52 | 被災地の方々からの手紙
〈無題〉

例えば、

ここでこのまま私が

死んだとしても

驚かないでください。

慌てないでください。

あの日(震災)

別々のくらしが始まった時から

わたしには覚悟ができています。

仮設に移ってから

二回目の冬がきて

一人ぐらしは

思っていたより

遥かに辛いものです。

灯りを消して

滑り込んだ布団の中で

訳もなく涙がこぼれたり

大声で叫ぶ苛立ちもある

それでも仮設住宅は

嫌なことばかりではなく

八〇歳過ぎの

汚い婆さんに

優しく声をかけてくれる人がいたり

散歩に誘ってくれたりもする

カラオケが年甲斐もなく

楽しかったり

嬉しかったり

心が弾んで

臆病者のわたしが

身の上話をしたり

ここでのくらしも

満更でもなく

確かに先の見えない

不安がない訳ではないが

まぁ、こんなものかと・・・・・。

例えばここで、

このまま死んだとしても

決して不幸だなどと

嘆かないで下さい。

力一杯に生きてきたのだし、

これから先も

わたしの身の丈分の

がんばりで

しなやかに、したたかに

笑って生きていくのだから

心配はいらない

笑顔は流行病のようなもので

他人には直ぐ移るものだから

笑ってさえいれば

そのうち又、

わたしに戻ってくるよ。

案外と

八〇歳過ぎの婆さんも

逞しいものさ

心配はいらない。



           子供達へのメッセージ
by momofukuoka | 2013-05-17 18:02 | 被災地の方々からの手紙