2011年3月に発生した福島原発の事故発生後、現在も仮設住宅等での避難生活を強いられている被災地の方々の状況をお伝えすると共に、支援の呼びかけなどを行わせて頂いております。


by momofukuoka
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福岡百子様

ご無沙汰しております。御健勝にて越年され、各方面にてご活躍されてる事と存じます。

仮設住宅にて2回目の正月です。しんと静まり震災前の正月情景は全く感じられません。元旦に顔を合わせても相互に「新年おめでとうございます」の言葉は有り ません。ただ、「今年もよろしくお願いします」との単調な新年の挨拶だけです。一年の無病、家内安全を願う神社へのお参りに行った住宅はゼロかも知れません。

でも仮設住宅一同元気です。震災前の会社に戻った人、津波の被害を受け、2年間何の作付けもしていない耕地を再生させる目的で、国の支援を得て設立した復興組に行って働く人等、日常生活に潤いがあります。

これ一重に福岡様の心温まるご支援のおかげである事、誌上を拝借しまして改めて御礼の言葉を申し述べさせて戴きます。本当に有難うございます。また各方面よ りの御支援物資には心からの励ましのメッセージ…皆様方に読んでもらって居ります。うれしい、有難い、直接お逢いして御礼の言葉を申し述べたい等の言葉が 返ってきております。福岡様、本当に有難うございます。皆々様方の一挙手一投足が心の支えであります。そして心の栄養でもあります。

この御支援、御声援に応える為、一生懸命目に見えない放射性物質と戦って参ります。


我々の故郷、小高区の現状をお知らせ致します。
除染工事開始。この言葉、1年9カ月が過ぎた頃より出始めました。それに伴う除染により出たガレキ等の仮置場が皆無です。昨年12月23日に我が行政区でもこの仮置場に関する説明会がありました。

「当行政区地内に仮置場を設置したので協力してください」とのこと。そして仮置場の構造、運営等について説明がありました。国の職員の仮置場の構造について説明。その説明の中で“一番下に特殊なシートを敷き、その上に除染により出た物を入れた袋を置き、さらにシートをかぶせ、その上にきれいな土をかぶせるから 安全、安心です”と断言したのです。

そこで自分はカチンと頭にきた。開口一番「そのきれいな土はどこにあるのか? どこから運んで来るのか?」と大声で怒鳴りつけたのです。国の職員、何ら説明なし。勝手な説明をして、早く仮置場を作り年度末の人事異動で他の部署に行くつもりかと付け加えた のですが、何の言葉も返って来ないです。

50~60歳代からも仮置場設置に対して反対論が続出した。中間貯蔵所、最終処分場も無いのに仮置場とは何だ? 皆様方、日本語知らないのか?といった馬鹿にされる意見も出た。

最終的に行政区部長が立って“実は仮置場の予定地として○○さん所有の土地、その周辺地が内定している”と発表した。直に国の職員、○○さんに対して“本当に良いですか?”と問いかけた。○○さん、ハイと返答した。

国の職員、畳に頭をすりつける様にして、ありがとうございますと言って退席したのです。国は、今までとなんら変わりない態度です。地権者最優先、地元住民最後。まったくあきれたやり方です。

しかもこの予定地は、二級河川の最上流であり、下流の水利権を持つ農民から異論が出ることは間違いありません。そしてこの仮置場が無人化した時間帯に夜行性 のイノシシ、サルの大群による被害があるであろうこと、避けて通れる問題ではありません。除染、絶対的に必要です。仮置場設置の問題はもう少し地域住民で 話し合うべきでした。

他の町や村では除染が始まっております。1月になってから不正行為が発覚したのです。川に流したり、屋根や壁を洗浄した水を地下に浸透させたりと、約束を守らず。金儲けが目的でした。

そこでまた頭に来たので、地元の新聞の投書欄に投稿したのです。新聞に出たのが1月15日です。1月18日には厳しい処置をすることが発表されました。この投書も少しは役に立ったのかなと自負しております。

これからも様々な困難なものに突き当たると考えます。御支援、御声援くださっている皆々様の思いに応える為にも、住民一同協力して頑張って行くことが本筋であると考えます。これからも頑張ります。


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行方不明者探しと所有者確認の為、一ヶ所に集積された自家用車、農機具類です。こんな姿で役目を果たした自家用車、農機具類と認めたくないです。自家用車活 用は多かったです。子供達の通学等の送迎用として、また、高齢者の医療機関への送迎等、多方面で活躍しました。自家用車、自分自身には所有者が分かりませんが、役目を終えた自家用車にお疲れ様でしたと声を掛けました。農機具もその通りです。その時期になると休む間もなく動き通しだったと考えます。本当にお疲れ様でした。


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水田地帯でした。専業農家が多く、個人所有の農機具類が今も点々と残っております。農機具類の総額は3億円位と見積る人がおります。ここは震災から約1年半、海水に浸かっていた場所です。この海水の水没面積は東京ドーム約20個分と発表されております。水没の期間が長かった為、稲作は絶対だめです。

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以前からこの所に住宅があったのではないです。あの津波により、約300m先から流されてきた2階部分の部屋です。中は全部流されて何もありませんでした。

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これも水田の中にありますが、これは約2km先の海岸より流されてきた2階の部屋です。ただ自然の馬鹿力には驚くのみです。

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箱根駅伝初代山の神、順天堂大学今井正人さんの実家です。建物はありますが、ここも住む事は不可能です。


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奥にある建物は常磐線小高駅と商店街の大通りです。正月、元旦というのに人ひとり、車の1台も無い小高の正月風景です。20km圏内は避難生活、宿泊制限区域に指定。


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常磐線仙台方面です。(赤サビで)真っ赤なレール、雑草が伸び放題の線路わき。常磐線、国道6号線、常磐自動車道の開通をとの声がありますが、絶対無理ではないかと考えます。
by momofukuoka | 2013-02-02 17:53 | 被災地の方々からの手紙