2011年3月に発生した福島原発の事故発生後、現在も仮設住宅等での避難生活を強いられている被災地の方々の状況をお伝えすると共に、支援の呼びかけなどを行わせて頂いております。


by momofukuoka
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カテゴリ:福島の被災地の現状( 63 )

台風18号による被害

台風18号が残した痕跡は大きく、救済を求めておられます方々のお姿や、お一人お一人を必死でヘリコプターで救っていく姿を、祈りながら固唾を飲んで見守った私達でした。今も、難にあった方々に対し、全国の皆さまに支援を呼びかけ、土砂撤去の作業のボランティアなどを求められておりますことは、どなたもご存知かと思います。


【都路の現状】
台風18号の災害を受けた中に、同じように川の氾濫、堤防の決壊、裏山の崖崩れ、家の床や道路が土砂で塞がり、救いを求めております福島の被災地をご紹介したいと思いました。そこは福島県田村市都路町です。350ヶ所で地滑り、土砂崩れ等がありました。土砂撤去作業や家具の運び出し等が必要で、支援を求めています。

都路というのは、標高350m〜700mにある村で、葛尾村と川内村の間にあり、約1000戸(3000人)の村でした。自然豊かで山菜も豊富にあり、山の湧き水を飲料水とし(井戸水)、水洗トイレはなく、冬になると3月頃まで凍結し、寒さに厳しく、決して経済的には豊かな村ではありませんでした。原発事故前は畜産(和牛)と稲作りを主にし、食物は、山菜や田畑のものが主だったそうです。

しかし、米の収入だけでは生活が出来ないために、専業農家は少なく、ほとんどの人が兼業農家であり、都路村には働く場所(企業)が無かったので、船引の工場や他の工事現場や、建設現場、他に仕事を求めて、出稼ぎ(日当の)に行って収入を得ていたそうです。村には診療所が一つ、歯医者が一軒、コンビニより小さい個人の店が5、6軒あったのみで、大型スーパーは車で30分の所にあったのみで、交通機関は少ない不便な所だったようです。しかし、村人は素朴で忍耐強く互いを大切にしあう心温かい方々です。自然の厳しい風雪にも順応し、我慢することを身につけた方々でした。

都路はその後平成17年に田村市に合併し(都路、滝根、大越、常葉、船引)4町1村で田村市となりました。それまで、村長のもとにあった都路村は、今は田村市長の行政区の中で取り決められるようになりました。川内村、葛尾村の除染は国が関わっていると聞いております。しかし、都路の除染は田村市に委ねられたと聞きました。田村市の中に、また都路の中に、いまだに放射線量が0.5〜0.8マイクロシーベルトがある所もあります。しかし、今、国から「年間20ミリシーベルトまで浴びても大丈夫となった」とのことで、都路住民の自宅の除染は進まなくなりました。

「都路住民は安心して自宅に住めない」「安心して自宅の農作物が食べられない」「山菜は食べてはならないと言われた」とのことで、食費に費用がかかるようになりました。原発前に出稼ぎに働きに行っていた工場は廃業になってしまった所もあります。原発前、都路のほとんどの方が日当で働いていました。ですので厚生年金の方は少なく、ほとんどの方が国民年金です。月2〜3万円とのことです。未納した人達はその分差し引かれるとのことです。住民としては米の収入が入らず、納金したくても出来ない時がありました。「私達は故意に未納しているわけではなく、収入が無く、出来なかったのです」「今、元気な都路の人達は、主に富岡町の除染作業で収入を得ています」「しかし、心配なのは病気の人、老人達、働けない人達はどうして食べて行っているのか心配です。収入はゼロですから」と村人は仲間を心配していました。

そして、このたびの台風18号の災害です。

「毎年台風でやられています。いつもこうなので、あきらめているけど、今年はひどかった。都路は川が多く、しかもカーブしている川が多い。だから決壊しやすい。住宅が山に囲まれている人が多く、裏山が崩れ、土砂崩れが多い。家床には泥、水浸しになり、道路も土砂で塞がっている。田畑の土手も崩れた。自分達でやるしか無いから、田畑は、自然に水が引くのを待つしか無い。土砂崩れは、自分達の一輪車(押し車)で運ぶしかない。町は大きな所しかしないので、自分達でするようにと言われたから、諦めてそうするしかない。毎年のことだから」

皆様、都路の方々が収入も乏しく、全てを受け入れ、黙々と一輪車を押して、戦っているお姿に胸は痛みませんか? 私達の少ない義援金で良いのです。黙って耐えていらっしゃる都路の方々を皆様のお力で救っていただけませんでしょうか?

都路の方々のことを話したついでに、彼等の忍耐力を知っていただきたく、お伝えさせていただきます。

都路の方のある仮設住宅は、火葬場の上にお墓の山があり、その上に仮設住宅があるそうです。「慣れたから」と村人は言いました。ある人の、この言葉には、私は衝撃を受けました。「福岡さん、私の部屋はお墓の入り口にあるんです。だから私は毎日お墓を見ています。でも花火よりも強い太陽のような“光”をお墓に感じるんです。私達はこの亡くなられた方々に守られて生きているんだと思うんです。ですから、毎日、お墓の人達に感謝してるんです!」

私は、彼女が長い年月、いかに耐え、いかに泣き、苦労を経て来て、全ての現実を受け止めて、苦悩を経たからの“悟り”だと思いました。私はお墓を怖がっている自分を恥じました。しかし、頭で理解できたとしても本能はそこまで至っていません。彼等は“凄い”と思いました。頭が下がりました。しかし、彼等を放っておいて良いはずはありません。彼らも“幸せ”を少しでも得なければならないと思いました。


【都路に支援をお願いいたします】
皆様、都路の方々に、暖かいご支援をお願い申し上げます。物品については、都路の責任者の方と連絡を取っており、受け入れ体制がはっきりした時点で改めてお知らせ申し上げたいと存じます。義援金については、直接村人のために尽くしておられます被災者住民代表の方に直接振り込んでいただくか、送金していただきたく思いますので、福岡までメール、またはFAXにて、お問い合わせくださいませ。皆様の暖かいお心に、心から感謝お申し上げます。


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【支援品をよろしくお願い申し上げます】
ご支援をいただけます方は、被災者をご紹介いたしますので、福岡百子までご連絡くださいませ。
〈問い合わせ〉
福岡百子 携帯メール f.mom.1941@ezweb.ne.jp  FAX 047-346-8675
(恐れ入りますが、これらの連絡につきましてはAM11:00~PM5:30までの間に頂けますようお願いいたします。なお、すぐにご返事ができない時もありますので、申し訳ございませんが、再度ご連絡くださいますよう、お願い申し上げます。)


※当ブログは福岡氏より委託を受けた、前野賢一郎(maeken24@ybb.ne.jp)が更新作業等の管理・運営を行っております。

なお、英語版ブログ Reality of Fukushima (Voice of Momoko Fukuoka )http://momfukuoka.blogspot.jp/もあります。
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by momofukuoka | 2015-09-28 19:32 | 福島の被災地の現状
今年の夏の異常なまでの猛暑には、体調を崩され、どうにもならない異常な疲れとだるさに正常な生活がおできになれなかった方が多かったのではないでしょうか? 会う人ごとに、「私だけが具合が悪いのかと思っていたけど、今年はやっぱり普通じゃないですよね」の言葉が多いでした。そしてまた今度は急な冷気。あまりの気温の変化に風邪も引きやすくなり、台風シーズンにもなりましたので、皆様、体調管理に十分お気をつけ下さいますように。

【いまだに粗末にされ続ける私達の人生と命】
今年は戦後70年。戦争の歴史、特攻隊の命、原爆投下における悲惨さ、沖縄の犠牲と苦悩等、連日テレビを通し、たくさんの犠牲のもとに成り立ってきた日本の現実を知って、胸を痛め、ご冥福をお祈りし、ご遺族方に心を合わせた日々でした。「2度と繰り返してはならない!」「誓います!」と歴代の総理、市長、関係者の方々は公に国民の前で誓います。そして犠牲者に向かって約束し、祈ります。私達はこの誓いの姿を何年も聞き、何年も見て参りました。

しかし私は思います。「歴史から学びます」「誓います」と言っているのに、人の命を脅かすあらゆる苦悩の問題がどうして何一つ解決されないのでしょう? 解決への希望が感じられないだけでなく、ますます人の命が粗末にされ、蟻地獄にでも引き込まれたように、日本だけでなく、世界の至る所がズルズルと大きな魔の力によって引きずり落とされているように感じているのは私だけでしょうか? 皆様、まずこの現実に目覚めませんか?

一人一人の力は小さいかもしれません。しかし気がついた人同士が手をつなぎ、志を一つにして助け合い、志を示し続けるなら、「小さいこの火種」はやがて心ある人の魂に触れ、輪は輪を呼ぶことでしょう。私達の力と手で、今の世界を本来の“命を大切にし、一人一人の命が輝き、生きていることが苦しみではなく幸せと言える地球”に変える努力をしていきませんか?


【1冊の本に出会い、受けた衝撃】
最近、恩師から一冊の本をいただきました。それは、写真家であり映画監督の本橋成一氏の写真集『アラヤシキの住人たち』(農文協出版、2015年、税込み1728円)です。この写真集は、北アルプスの麓、長野県小谷村の山の中にある真木集落で住んでおられる方々を紹介したものです。

真木集落は江戸時代からあるとされる集落でしたが、1972年に廃村となりました。車も入ることのできない山道です。今、集落には5軒の茅葺きの古民家が残っており、そこで、羽仁もと子氏の“生活が教育”という精神で創立された自由学園の宮嶋信先生を中心に、心身にハンディキャップをもった方と健常者が生活しています。その様子は写真集に収められるとともに、2015年5月に映画として公開されました。

一人一人の活き活きとした姿、瞳の輝き、今の私達とは異なる次元の別世界で生きている姿に、初めは違和感さえ覚えましたが、写真集を見ているうちに、私達が失ってしまったものを思い出させていただき、目から鱗が落ちるような衝撃を受けました。心の豊かさ、共存、自然とのふれあい、魂の崇高さ、心の清さ、人情、心の温かさ、命の輝き、人間の尊さ、共存の有り難さ、性格の多様性の有り難さ・・・などなど私が今すっかり忘れてしまっていたことを次々と思い出させてくださったこの写真集は、宝物と言える本でした。同時に私は福島原発被災者の村人たちを思いました。


【のどかで平和だった福島原発被災者―すべてを奪った原発】
川内村、都路、葛尾、津島は山村で、標高670~800メートルの所にあります。12月に降った雪は春まで溶けず、雪が溶けるまでは危なくて町には出てこられない、と聞いております。村人は厳しい自然を受け入れ、順応し、穏やかで忍耐深く、愛情にあふれ、互いを思いやり、互いを大切にし、家族を大切にし、平和で幸せであった、と言います。水道は無く、山の湧き水を飲料水(井戸水)とし、川の水は透き通り、魚もいっぱい泳いでいた、と言います。生活はカイコ、木炭、シイタケ栽培、和牛、畜産、花畑など、山菜も豊富にあってのどかで静かで幸せだった、と言います。「病院やお店は少なく、不便です。しかし私は大好きな村で、最高の場所だった」と被災者はおっしゃいました。

しかし原発はすべてを一変し、村人の何もかもを奪い、何もかも幸せすべてを奪い取ってしまいました。ふるさとを失い、自分の家に二度と足を踏み入れられなくなってしまった人もおられます。のどかな村が敗戦の時のようになってしまいました。草が生い茂り、廃墟のようになってしまった所もあります。助け合っていた仲間や家族も一緒になれず、原発は生活のすべてを、家族の営みを、人の幸せを何もかも奪ってしまいました。

しかもこの責任を誰もとっておりません。国は平成29年3月の帰還宣言を目標と掲げただけで、そのための被災者の生活補償、放射線量の低減を積極的に行うこともなく、賠償金支払いを出し惜しみしています。政府が陣頭に立って問題解決に携わるどころか、現場のことは各市町村長と東電に丸投げし、被災地に関する取り決めは環境省に任せています。各市町村への国からの交付金は国が決めていて、国の方針に沿わない町は交付金が減らされると聞きました。町役場としては財源がないと身動きがとれないので、国の方針を受け入れないわけにはいかないとのことです。役場の人の立場も気の毒と思いましたが、同時に、住民を助けるためにあるはずの役場が今は国の御用機関になり、村人達は問題があっても解決する所も相談する所もなく、苦悩し、あえいでおります。こうして苦悩している福島原発被災者を今、誰に救っていただけるのでしょうか?

もう福島原発被災者のことを本気で救っていただける人はいないのでしょうか? 「月日が自然に解決する」「被災者自身が自分達で解決したらよい」、多くの方がそんな思いで被災者を見ておられるとするならば、あまりに悲しすぎませんか?


【ブータン国王のメッセージ】
大震災後、初の国賓として来日されたブータン国王夫妻(11月15日~20日)のことを私は時々思い出し、ブータン国をうらやましく思います。国民総生産(GNP)でなく、「国民総幸福量(GNH)」の概念に基づいて国づくりをしておられるということを。70万人の人口の97パーセントが「幸せ」と答えているとのことです。国王のお言葉です。「お互いを思いやることから始めよう。基本的な人間としての価値観、共感、高潔さ、正義感、これらを大切にしなければなりません」「よく勉強して欲しい。でもそれ以上に、良い人間であって欲しい」(慶応大学での講演)。「私達の中に人格という龍が住んでいるんです。自分の龍を養いなさい。管理しなさい」(相馬市立桜ヶ丘小学校で)。大津波に飲まれた原釜地区で、手を合わせた国王は姿なき犠牲者達に語りかけました。「お悔やみ申し上げます。私達は常にあなたがたと共にあります。」


【最も苦しい時期にある被災者】
皆様、震災から4年半を経た今、被災者は精神的に最もまいってしまっています。信頼した国から見放され、肉親と離れ、住居も決まらず、健康を害し、気力も体力も衰えてしまったのです。どうぞブータン国王のように、「常にあなたがたと共にあります」というお気持ちを持ち続けてくださいますように。そして被災者に手を差し伸べて下さいますようにお願い申し上げます。


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【支援品をよろしくお願い申し上げます】
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by momofukuoka | 2015-08-30 09:24 | 福島の被災地の現状
猛暑の中、また台風シーズンでもありますが、ご健康はいかがでいらっしゃいますか? うまくこの夏を、健康を害することなく乗り切られますよう、お一人お一人のご健康をご案じ申し上げます。

もうすぐ8月です。亡くなられた方々に思いを馳せる時期にもなりました。今年もたくさんの方々が亡くなられたかと思います。病床で、事故で、思わぬ災害で、また飢餓で、戦争で、また自ら命を絶って・・・。愛する家族、身内、親友・・・。また毎日のように報道されている他殺など。一生に一回の尊い命が大切にされず、無念に去っていく方々の悲しみ、苦しさ、悔しさはいかばかりのことでしょうと、心の痛みを感じます。

戦後70年となり、戦争や原爆投下についての報道が多くなりました。この機会に、「命の大切さ」「原発が自然界や人命を破壊する威力」「平和」「幸せ」「権力と奉仕」・・・等について誰でもが考え、それぞれの「協力」「貢献」「自分の生きがい」「自他の生命の尊厳」等に真剣に向き合う時期と捉えてはいかがでしょうか。そう提案したいと思います。

福島の現実をお知らせしております私としましては、今日も福島で亡くなられた方についてご報告をさせていただきます。この内容は、各町の被災者の方々から伺ったことを、そのままお知らせ申し上げております。


【被災者の声】
「浪江町の請戸(うけど)に共同霊園ができます(請戸は全域が津波で流された町です)。400基のお墓で請戸の人のみが入ります。家内の遺骨と共に4年5か月、仮設で過ごしてきました。せめてできることは、毎朝温かいおしぼりで面影の写真を拭いてやること、遺骨の妻に語りかけながら、4畳半の仮設で一人で過ごしてまいりました。お盆前にお墓に家内を入れようと思います。でも、4年5か月お骨と共に過ごしてきたので、離れるのは寂しい気もします。3.11には毎年祈願祭をしてきました。今後、1年に1回、請戸の人に霊園で会えるようになります。」(浪江町)

「私は浪江町棚塩です。津波で自宅、実家、息子の家(新築2か月で)、工務店をしていた私の仕事場も全部流され、全員死んで、私一人だけになりました。淋しいです。辛いです。どうしてよいかわからないです。仲間とがんばっています。」(浪江町)

「妻は精神的苦痛に耐えかねて、自ら命を絶ってしまいました。自宅は農家です。私も体を崩してしまいました。妻がいなければ、一人で農業をする気にもなれません。一人じゃ対処しきれません。だから除染の仕事に行ってます。帰ってくると風呂で放射能を洗い、酒を飲んで寝るだけです。」(都路)

「私は87歳になりました。仮設の友達がたくさん亡くなったよ。40人くらい亡くなったよ。2、3日前も向かいの部屋の仲間も救急車で運ばれたよ。帰ってこなかったし、遠くから駆けつけてきた娘さんが泣いていたから、もうダメだと思うよ。何せ仮設は蒸し風呂みたいに暑いからね。クーラーを入れ、扇風機を回しても、31度より下がらないものね。川内村は涼しいところだったけどね。」(川内村)

「5年近く仮設住宅で暮らしていたお年寄りたちが、避難解除宣言された時、小高の自宅に帰って大丈夫か、私は心配です。仮設で暮らしていたために足腰が悪くなり、歩くことができなくなっている。今は仲間と支え合い、車に乗せてもらって買い物や病院にも行っています。しかし小高に帰ったら、それぞれの家は離れているし、車も無く、体も思う通りには動かなくなっている。この年寄りたちが小高に帰ったらどうなるかと心配です。」(南相馬)

「50代、60代の人で亡くなる人、自殺者が多いです。50代、60代の人の悩みは大きい。若い人たちはいなくなった。孫も遠くに行った。年寄りの介護、将来への不安、自分の体にも、心臓病や脳梗塞、腰痛など、支障が出始めている。復興住宅に入ったけど、友とも別れ、孤独になった。50代、60代の人に自殺者が多いです。復興住宅の中でも自殺者がありました。仮設では農薬を飲んだ人もいます。被災者の生活は過酷です。不安で心安らぐことがありません。」(南相馬)

皆様、あの大震災で助かった方々です。津波や震災の恐怖の中で、地獄のような生活を経てこられ、やっと助かった方々です。私たちはこの方々を最優先で助けることに、国を挙げて力を注ぐべきではないでしょうか?

オリンピックも大切です。国立競技場も大切です。しかし国として最優先すべきことは、今苦悩している被災者に目を注ぎ、全力で救い上げることではないでしょうか?

被災者を救い上げるために全力で力を尽くしている日本政府の姿を見た時に、外国からの日本政府への評価は上がるでしょうし、「国民の命と生活を最優先する」政府の姿こそ、国民が政府に最も求めている願いではないでしょうか。そのために私たち国民の税金が使われるなら、私たちは納得するでしょうし、そのために資金が不足し、海外への支援額や国立競技場への資金額が多少下がったとしても、海外からの評価は上がるのではないでしょうか? そう私は思うのですが、皆様はどうお感じになられますでしょうか?


【あなたにもできる支援の方法】
①「福島の現実」を知らせる。テレビや新聞では報道しなくなりましたので、解決したと思っておられる方が多いです。現実を知らない方がおられます。あなたのブログやフェイスブック、ツイッター、ファックスで、また仲間の集いの時に、どうぞ「福島の現実」を広めてください。

私、福岡百子のブログ「福島の現実―福岡百子の声」をそのまま拡散していただいて結構ですし、むしろ拡散していただけますよう、お願い申し上げます。コピーをされて、ちらしとしてお配りいただいても結構です。

②ご自分の職業や特技、趣味を生かして。医師、看護師、介護士、鍼灸、マッサージ、アロマセラピー、ヨガ、ダンス、音楽、歌、絵による癒し、手芸、お笑い、仮設の草むしり、足湯、肩たたき、レクリエーション

③贈り物(一人分からでも大丈夫です)
手紙を添えた贈り物(高価でなくてよいです)、日用の茶菓子(疲れた心に癒しとなります)、食品、生活消耗品。


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【支援品をよろしくお願い申し上げます】
支援が必要な状況は変わっておりません。皆様の優しいお気持ちをどうぞおよせください
〈問い合わせ〉
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(恐れ入りますが、これらの連絡につきましてはAM11:00~PM5:30までの間に頂けますようお願いいたします。体調によりすぐにお返事できない場合もございますが、必ず返信させていただきます)


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by momofukuoka | 2015-07-31 09:21 | 福島の被災地の現状
今日は復興住宅の入居条件と、大熊町、楢葉町の現状についてお知らせしたいと存じます。また、とても心温まる小さな支援者のことをご紹介させてください。


【復興住宅の入居条件】
5月25日付のブログで、復興住宅への入居手順についてお知らせいたしましたが、復興住宅に入居するために、国が被災者に求めている条件について少し具体的にお話ししたいと思います。被災者は入居前に部屋の間取りとか、窓の大きさとか、あらかじめ部屋を見ておきたいものです。それによって前もって家具の大きさを考え、カーテンのサイズを確認し、照明器具なども時間をかけて準備し、これから入居する家への夢と希望を持ち、引っ越しの準備をしたいと思うのです。しかし被災者の要望を国は何事も受け入れず、被災者は国からの一方的な方針に従わされております。被災者は、鍵が渡されるまで、どんな部屋になっているか、自分の目で確認することができません。自分でどの住宅に住むかを選択することもできず、町が決めたところに住むことになります。同じ広さの復興住宅でも、家賃は収入に応じて10段階に分けられているそうです。家賃は最低額の人で8千円、それにエレベーター代、その他が追加されると聞いております。

最近、復興住宅に引っ越しを始めた大熊町の方から聞いたお話をご紹介したいと思います。5月末に復興住宅が完成し、入居当選の通知が被災者に届きました。6月9日に説明会があり、その後、被災者の収入に応じて家賃の決定通知があり、家賃3か月分をまとめて支払った人に鍵が渡されたということです。そして、鍵をもらったら20日以内に引っ越すようにと言われたそうです。年金生活で、1度に3か月分の家賃を支払えない人もいます。「20日以内に引っ越してください」と言われても、車のないお年寄りは、仮設から遠く、高い運送費のかかる復興住宅に荷物を運ぶことはできません。初めて間取りを見る、備品が一切ついていない(照明器具もガスレンジもカーテンもない)復興住宅に、20日以内に引っ越さなければならないとは、あまりに被災者には気の毒なやり方ではないでしょうか。

通常、私たちが家を探す時には、不動産屋さんで家賃や価格を見て、入居を決める前に家の中を見学し、納得した形で自分の住まいを決定します。入居を決めてから、収入によって家賃が決められるなどということは聞いたことがありません。一般にはあり得ないことを、どうして国は被災者に強いるのでしょうか? 国の方針には誰も逆らえないようです。

原発は国の方針でした。何の罪もない、善良な住民の土地が 、原発事故によって放射能汚染された土地になり、住民はそこから避難せざるを得ませんでした。被災者は言います。「追い出されたのです。私たちは避難ではなく、自分の土地から追い出されたのです。自分の家があるのに、十分住める家なのに、追い出されたのです。だのに、4年4カ月になろうとしているのに、いまだに住む家さえ決められないのです。しかも、これまでに7回も8回も住居が変わり、引っ越しをするたびにお金がかかり、親しくなった友とも家族とも離れ、ばらばらになってしまうのです。もう疲れました。」


【楢葉町の現状】
楢葉町は、帰還宣言前の試し宿泊として、4月6日から7月5日までの3カ月間の自宅宿泊が国から許可されました。しかし住民は一人も宿泊していない、ということです。それは放射能そして楢葉町の治安に対する不安のためだそうです。その理由を少し説明させていただきます。

楢葉町に大手の会社が除染作業員数千人分のプレハブ宿舎を建てたそうです。「1か所に300人~500人の宿舎が何10か所も建ちました。全国から除染作業のためにやってきた人たちが泊まる宿舎です。隣の富岡町は放射線量が高くて泊まれないために、富岡町の除染作業員3000人分の宿舎も楢葉町に作り、楢葉町から富岡町まで作業員が通っています。そのため毎日車の渋滞がすごくて大変です。女性が追いかけられるような事件もあり、治安が悪くなって防犯パトロールも行われるようになりましたが、安心して自宅に泊まれなくなりました」とある被災者は話していました。

「除染作業者のためにはあっという間にプレハブを作ったのに、われわれ楢葉町被災者のための復興住宅は“作る”という予定のみで、いまだ始まってもいないのです。被災者の自宅修理や再建のための大工はいません。建築資材が無いと言われます。被災者の事は後回し、ということです。大工など建設業者は東京オリンピックの方に取られてしまいました。東京の方が高い収入を確実に得られます。被災者の家の修理費や建築費は不確かです。大工は当然高収入のほうを選ぶでしょう。」


【6歳のお嬢ちゃん・4歳の坊やの支援協力】
私が最近体験させていただきました、とても感動した心温まる出来事をご紹介させていただきます。それは今から10日ほど前のことでした。私のスマホに一人の方からメールが入りました。イギリス在住の若い日本人の奥様からでした。「ネットで福島のことを知ったので、支援をさせて欲しい」とのことでした。「一人一人の被災者に、メッセージ付きのお菓子を差し上げたい。6歳の娘・4歳の息子と一緒にメッセージを書いてお菓子に添えて一人一人の被災者に差し上げたい。お年寄りが食べられるもの、何が良いか教えて欲しい。10~20個のお菓子ですが、それでもよいですか? 2キロ以内の送料ならできると思います」との、とてもうれしいお知らせでした。

私は心から感動しました。そして6歳のお嬢ちゃんと4歳の坊やがお母さんと頭を寄せ合って被災者を思い、一生懸命お手紙や絵を描いている姿が目に浮かび、涙が出てきました。何よりも何よりもうれしいプレゼントです。私は早速、被災者の自治会長さんに知らせました。自治会長さんはおっしゃいました。「それは、とてもうれしいことです。飴でもなんでもうれしいです。被災者はお嬢ちゃん、坊ちゃんのお手紙をどんなに喜ぶでしょう。生きる力になるでしょう!」

イギリスに住む若いお母様からのお申し出に、私はとても感動し、私自身のためにも心の癒しと力をいただきました。正直、支援活動を続けております私自身も心身の疲れを感じていたからです。被災者に対する国のあり方、冷酷と思える対応、そして忘れ去られていく被災者のあまりにも過酷な現実をどうすることもできない私自身に、私は苦しみ悩んでおりました。心が疲れ果てていた私でしたが、この6歳のお嬢ちゃんと4歳の坊やとお母さんの姿から、私は再び力をいただきました。たくさんの勇気とがんばる力も。“負けてなるものか!”“命ある限りやり続ける!”“坊や、お嬢ちゃん、おばちゃん頑張るからね! これからもよろしくね”――そうイギリスの親子に感謝しました。

ブログをご覧の皆様、大きなことでなくてよいのです。このご家族のように、温かい思い、優しい行為が、疲れ果てた被災者のお心を癒し、救い、生き抜く力となるのです。お孫さんや、周りの幼いお子様方に、他人を思いやる優しい行為をお伝えいただけませんか? 疲れ果てた福島の被災者を皆様の温かい手で救っていただけませんか? よろしくお願い申し上げます。
“坊や、お嬢ちゃん、本当にありがとう!”


【支援品をお願い申し上げます】
不安定な生活の中、健康を損ない、困窮されている被災者が多くいらっしゃいます。少しの物でも、送ってくださる方のお気持ちを感じられ、たいへん喜ばれます。どうぞよろしくお願い申し上げます。


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by momofukuoka | 2015-06-29 01:48 | 福島の被災地の現状
【仮設住宅の環境】
皆様、今日は「住まい」ということについてご一緒に考えていただけますでしょうか? 人だけでなく、どんな動物にも、魚にも、鳥にも、草木にも、どんな小さな虫にも、生きていくためには、自分の身を安心して休めるねぐら(住まい、場所、私の家というのが)あると思います。皆様、今日は仮設住宅の現状についてお伝えいたします。この仮設住宅を、「私の家」、毎日生活する「ご自分の家」として、具体的にご自分がそこに住むことを想像して考えていただけますでしょうか?

住まいには、ある程度、息抜きができる空間が必要でしょう。四方窓が無く、穴倉のように太陽の光が入らなかったり、風通しが悪くじめじめしていたり、隣の音が丸聞こえだったり、私の部屋で話す内容が隣の家に筒抜けだったりする住まいで、心安らいで暮らせるでしょうか。それが仮設住宅です。隣から「うるさい」と言われることに怯え、好きな音楽も聞けず、楽器も弾けず、テレビの音量も小さくし、夫婦同士の話し声も小声で、子どもが騒ぐたびに注意を受け、思いっきり声を上げられない、気兼ねをしながらの生活、それが仮設住宅での生活です。

多くの場合、仮設住宅の生活には、家具や布団を押入れに収めても、なおテーブルを囲んで家族が団らんできるスペースがありません。夜、他人に足を踏まれる心配なく、安心して寝ることができるだけの、ゆとりある寝床がありません。何よりも辛いことは、「ここにいつまで住めるのか」がわからないことです。永住が許されない家にいて、いつ「出て行ってください」と言われるかもしれず、自分の家が定まらず、見つけることもできず、常に緊張と不安のうちに過ごす日々。仮設住宅を出て行きたくても、そのための補償はなく、また自費で別の住処を見つけるとしても、住民票を移すと現在受けている補償も受けられなくなるため、被災者は動くに動けず、将来の計画を描くことさえできない状況です。

皆様、今、ご自分の住まいをお持ちの皆様は、上記の状況をどのようにご覧になるでしょうか? もし万一、皆様がそのような状況に「長年耐えてください」と国から言われ、その状況に置かれ続けたら、どのようにお感じになるでしょうか? 私たち人間が住むためには、ある程度の環境、住まいの空間、息抜きをするスペースが、どんな人にも必要ではないでしょうか?

皆様、考えられないことかもしれませんが、福島原発被災者の方々は、4年以上も悪環境の中で耐えておられるのです。 繰り返しになりますが、さらに仮設住宅の状況をお伝えさせていただきます。

4畳半ひと間の生活、場所により、窓は小さいのが一つしか無い、という所もあります。まわりに生活必需品を置き、寝る時のスペースを作るのがやっと、と言います。床は地面に近いため、湿気が多く、カビが発生し、底冷えします。そのため、布団も湿気で重いと言います。秋から春にかけて、所により結露で天井からしずくが垂れ、壁も床もびしょびしょになり、床の拭き掃除が日課になるそうです。所により、すでに早くから床が抜け、隙間風で寒く、新聞紙を詰めるなど工夫して生活していると言います。洗濯物を干すスペースも不十分です。

所により、外を歩く人から室内が丸見えの所があり、目と目が合うことがあり、安心して寝ていられないという人もおられました。隣との壁は薄く、隣で何をしているか、手に取るようにわかる、という所もあるそうです。仮設住宅はプレハブが多く、子どもたちの学校も工事現場のようなプレハブの所もあり、寒いと言います。


【仮設住宅に住む被災者の声】
被災者の方々は、「仮設住宅にいるだけで息が詰まりそうになり、気がおかしくなりそうだ」と言います。

ある被災者は「日中、仮設にはいません」とおっしゃるので、「お仕事ですか?」と私が尋ねますと、「違います。仮設の4畳半の中では気も心もおかしくなってしまうので、毎日外を歩き回っています。67歳なので仕事を探してますが、年齢を言うと断られるのです。」

被災者は言います。「住まいが決まらないと、仕事も見つけられない。」「住まいが定まらないと何一つ前に進めない。家族もバラバラのまま、亡くなったおふくろ、夫のお骨を納める所も、お墓さえ決められない。」

「復興住宅はまだ建っていません。復興住宅には制限があります。誰でも入居できるわけではありません。津波と原発のために自宅に帰れない人が優先です。」「しかも入居するためにはカーテン、電球、ガスコンロ、家賃等、相当の金額がかかります。」

田村市船引町には4つの仮設があり、主に都路の方々の施設ですが、大熊町、浪江町、双葉町、ときわ町の方々も避難しておられます。「最近、ようやく復興住宅の土地が船引に確保されたそうです。できあがるのは、来年秋以降とのことです。いまだ一年以上、先です」とのことでした。

ある被災者の 言葉を思い出します。「国が我々被災者の土地を買い上げ、別に村を作って、“ここに住んで再出発してください”と言ってくれたら、我々はどんなに感謝し、希望をもって歩んだことでしょう。あの時そうしてくれていたら、今頃はそれぞれが活気ある村、町になり、前に向かって歩んで、国のためにも貢献できる街づくりもできていたかもしれないのに。」

しかし現実には、「自分の土地は自分で探し、自分で住居を探しなさい」と言われています。そして、見合った資金は出してもらえず、住んでいた家を失った被災者は住む家も無く、十分な収入の得られる仕事がないために生活費も無い。困窮する被災者は「我々はどうやって生きていったらよいのか?」と嘆いています。若い人は将来を考え、家を求め、親から離れていきました。仮設は行き場のない老人、一人暮らしの人が多くなりました。復興住宅にも入れず、若い家族とも離れ、淋しく暮らす仮設住宅の老人たちには、自立という言葉は酷な言葉です。彼らには、同じ境遇、同じ体験者の仲間との支え合いが、生きる支えになっております。このような方々に、生活消耗品や心優しい食料品などを少しでも届けていただけましたら有り難く思います。


【小さな支援をお願いいたします】
生きる力を失った方々、失望しておられます方々に、小さな支援でよいのです。「忘れてませんよ」「お体を大切にされてくださいね」の思いが入った小さな消耗品や食品の小包が、どんなに彼らに嬉しい宝物になることでしょう。社会が忘れつつある今、あなたの手で、お一人でもお救いくださいますよう、よろしくお願い申し上げます。お志がおありになられます方は、被災者をご紹介申し上げますので、私、福岡百子までお問い合わせくださいますよう、よろしくお願い申し上げます。
“皆様の手で、幸せを作っていきましょう!”


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【支援品をよろしくお願い申し上げます】
支援が必要な状況は変わっておりません。皆様の優しいお気持ちをどうぞおよせください
〈問い合わせ〉
福岡百子 携帯メール f.mom.1941@ezweb.ne.jp  FAX 047-346-8675
(恐れ入りますが、これらの連絡につきましてはAM10:00~PM5:30までの間に頂けますようお願いいたします。体調によりすぐにお返事できない場合もございますが、必ず返信させていただきます)


※当ブログは福岡氏より委託を受けた、前野賢一郎(maeken24@ybb.ne.jp)が更新作業等の管理・運営を行っております。

なお、英語版ブログ Reality of Fukushima (Voice of Momoko Fukuoka )http://momfukuoka.blogspot.jp/もあります。
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by momofukuoka | 2015-06-09 23:55 | 福島の被災地の現状

復興住宅の現状

日本には春夏秋冬という四季があり、季節折々の花が咲き乱れ、清々しい空気、心地よい風や肌寒さを感じながら、春や秋の訪れに、四季の喜びに心を弾ませることができます。しかし最近は、気候変動に戸惑いを感じることが多くなったような気がします。

今日は、福島原発被災者の復興住宅の様子についてお知らせしたいと思います。福島原発被災者については、国は原則、被曝した自宅を除染してそこに帰す、という目標のようですので、復興住宅建設に対しても積極的でないように感じます。すでに災害があって5年目になりました。ですのに、現実を知って、私は「考えられない」「ありえない」「ここ、日本でしょ?」と、怒りと悲しみを感じています。国の対応は、常識では考えられないほど、あまりにも非道です。5月に入って町の関係者から伺った情報をお知らせいたします。


【被災者の声】
「国は、福島県内全部の仮設住宅住民を(どこの市町村も)、2016年3月までに帰還させるつもりでいます。しかし2日前の新聞では、“1年延長”と言っていたので、1年延期すると思います。何事についても、長期的な視野ではなく、1年毎の更新だからです。“仮設住宅入居期限は来年の3月まで”と決めるのは、国です。国から県に知らせ、県から各市町村に知らせが来るのです。」

「楢葉町の元の人口は7000人でした。現在は各所に散ってしまいました。いわき市に13か所、会津に1か所の仮設があります。国は楢葉町について、全住民を楢葉に帰す予定としているために、楢葉町以外の場所に復興住宅を作るつもりはありません。楢葉町内に復興住宅を52戸作る予定です。しかしそれはいまだに建っていません。この復興住宅に入居できる対象者は、津波被害を受けた人と、自宅の無い人です。今、4月6日~7月5日まで、3ヶ月試し宿泊が行われています。その後、帰還宣言の話が行われると思います。」

「川内村の元の人口は3000人でした。川内村では、受けられる原発賠償が3種類に分かれています。

①30km圏内の人(平成24年8月で精神的賠償が打ち切られた人)
②2015年9月までで精神的賠償打ち切りの人
③2015年9月以降も精神的賠償が続く人(自宅に住めない人)

川内村下川内仮設には②と③とに該当する50戸の方が住んでいます。川内村に復興住宅は25戸建ちました。6月1日から住めるようになります。したがって今まであった下川内仮設の自治会は解散となりました。復興住宅25戸のうち、下川内仮設からは15戸、他の町にある仮設から10戸入居予定です。川内村住民のための復興住宅はこの25戸以外は作らないのです。しかし、来年の3月までは仮設にいて良いとのことです。

つまり、来年の3月までに復興住宅に入るか、自宅に帰るか、ということになるのです。他の町に川内村の復興住宅は作らないのですから。復興住宅は、カーテン、照明器具、ガス台は全部自腹です。家賃が発生します。カーテンは規格外もあるようです。2階建て、平屋Aタイプ、Bタイプがあり、どこに入居できるかわからないのです。入居するために費用が50万円くらいかかると聞いています。」

「復興住宅は県が責任を持っているので、どこにどの町の人が何戸入るかは県で決めます。被災者たちは、“町ごと・部落ごとにまとめて入居させて欲しい”と希望しているが、その声は通りません。復興住宅は4町村が混合して入居することになる。同じ部落、顔見知り同士なら支え合い、孤独にもならずに済むのに、被害者はまた、さまざまな苦しみに直面することになるのです。町によってお祭りも違い、賠償問題も違い、仮設で親しくなった友とも離れることになるからです。」

「私は7人家族で、1つの仮設に家族全員が住めないので、3つの仮設を借りて住んでいます。87歳の父(要介護肺気腫)・夫(病身)・私(病身)・長女(脳性まひ、知的障害)・長男(大学を断念し働いています)・次男(中学生)・三男(小学生)の家族です。今日まで仮設で支え合いながら生きてきました。家族で話し合った結果、復興住宅に入居することを決意しました。子供たちは“窓があり、部屋があるだけで幸せ”と言う。“テレビうるせー!と言われないで済む”“寝ていても足を踏まれずに済む”“こたつに入ってごろんとしたい!”
“5年前に亡くなった母さんのお位牌はカラーボックスの上にある。真先に母さんの仏壇を買いたい!”・・・“1戸に住めないので2戸借りよう”と結論しました。」

「復興住宅は5月末までに出来る予定です。申し込んだので、当たれば5月末に通知が来る予定です。→その後説明会がある。→復興住宅の家賃は各々収入に応じて決められるので家賃決定を待つ→3ヶ月分まとめて払う→合同庁舎に行って鍵をもらいに出向く。鍵をもらったら20日以内に引っ越すようにと言われました。」

「今は、どこに住めるのかはわからない。復興住宅を借りるのに、自分達で保証人を決めないといけない。幸い私は引き受けてくれた人がいたので助かった。これから住む復興住宅は店も病院も不便な所。ここは孤独死になっても判らない所と思った。でも私たちは、玄関から外に出ると仲間に出会うから、それでも良いと思った。復興住宅に入居するには、年寄りには困難です。自ら役場に出向いたり、説明会に出向いたり、合同庁舎に行ったりと、めんどうくさいことがいろいろあって、年寄りや独り暮らしの人は、あきらめた人がいます。」

「復興住宅入居には、いろいろと条件を求められます。くぎを打てない、引っ越すときは元通りに直すこと、カーテンは規格外、電気の差し込みはあるが、照明器具も何も無い、空っぽです。すべて揃えなければなりません。自腹で。 」


【もっと温かな配慮を】
皆様、復興住宅に入居されます方々は、津波ですべてを失われた方、また原発で自宅を失われた方、5年近く苦悩にあえいで来られた方々です。収入も乏しく、心身傷ついておられます方々です。国はどうしてもっと温かい、心ある配慮ができないのでしょうか? どうして国民の悲しみが、叫びが、通じないのでしょうか? 私は不思議でなりません。

皆様、福島原発被災者の方々のために暖かい手を差し伸べて下さいますよう、よろしくお願い申し上げます。
そして、一人でも多くの方々に福島被災者の現状をお伝え下さいますよう、よろしくお願い申し上げます。


【支援品のお願い】
不安定な生活の中、健康を損ない、困窮されている被災者が多くいらっしゃいます。生活消耗品、食品、義援金のご支援をお願いいたします。ご支援いただけます方は、被災地をご紹介申し上げます。ご不明な点は、福岡までお問い合わせください。どうぞよろしくお願い申し上げます。心から感謝申し上げつつ。


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【支援品をよろしくお願い申し上げます】
支援が必要な状況は変わっておりません。皆様の優しいお気持ちをどうぞおよせください
〈問い合わせ〉
福岡百子 携帯メール f.mom.1941@ezweb.ne.jp  FAX 047-346-8675
(恐れ入りますが、これらの連絡につきましてはAM10:00~PM5:30までの間に頂けますようお願いいたします。体調によりすぐにお返事できない場合もございますが、必ず返信させていただきます)

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by momofukuoka | 2015-05-25 01:22 | 福島の被災地の現状
福島原発事故があり、丸4年が過ぎ、再び3.11の当時の映像が流れ始めた頃から、福島被災者の方々を“忘れてはならない”と、勉強会や、福島の方々に目を向ける集いが、最近見られるようになりました。私はこのことを大変うれしく思いますし、“決して忘れないでください”と全国の皆様に叫びたいと思います。今、福島原発被災者は、全国の皆様に忘れられようとしておりますし、関心がなくなっておられます方があまりにも多く、すでに他人事、過去の事にしておられます方があまりにも多く感じられるからです。しかし現実は、福島原発被災者は地獄のような生活を必死で耐えておられ、あらゆる人権が踏みにじられておられるからです。

今日はある支援者の方から、“福島についての勉強会があるので”ポイントを箇条書きにまとめて欲しいと依頼され、まとめながら思いましたことは、ブログをご覧の皆様にもポイントを箇条書きにしたものが役に立つのではないでしょうかと考え、今まですでにお伝えしましたことではありますが、まとめてみましたので、ご参考になさってくださいませ。


【福島原発被災者の抱える問題】
①福島原発被災者は、住民票を移動すると、「被災者」としての扱いをされなくなり、賠償請求もできず、被災者としての恩典は無くなります(医療費、家賃、諸税金)。残してきた土地(田畑・宅地・山林)、家、家財、財産すべての賠償請求もできなくなります。

②住民票を移動できないために、避難先・移住先の住民とはなれず、住民としての保証や権利も得られず、就職も難しいです。(浪江町の馬場町長は、「福島原発被災者には特別に“住民票に代わるもの”を」と以前から国に願っていますが、国からの回答は無いとのことです。)

③原発被災者は、避難する理由も告げられないままに、すぐに自宅に帰れると思って着の身着のままで避難しました。原発被災者は、原発事故ゆえに家族(親子や夫婦)が分断され、事故さえなければ住める家にも帰れず(新築したばかりの人にはローンだけが残り)、残してきた家屋敷・田畑・先祖代々の山林・全財産への保障も賠償もしてもらえず、失ったものの対価としては考えられないほどの安価で国から押し切られてしまっています。なんと先祖代々守ってきた山林が「一坪10円」とは、被災者をあまりにも馬鹿にした話だと私は感じます。しかもこの賠償額は、国の賠償委員会が決めるということです。

④「2年もてば良い」とのマニュアルで建てた仮設住宅は、当時、数を必要とし、住宅建築が専門外の会社もマニュアルに基づいて仮設住宅を建てました。そのためか、当初から建築に種々の問題(隙間風、床、湿気など)があり、被災者の皆様は苦しんでいました。そして、隣の音が丸聞こえの薄い壁、四畳半の部屋に所により2人または3人、考えただけでも息が詰まりそうな、ストレスが溜まりそうな所に、今も住み続け、いまだ3年も住み続けなければならない部落もあります。“仮設にいただけで狂いそうになる”という人もいます。当然と思います。

⑤今、国の方針は、“原発被災者を元の地に返す”ということです。そこは放射線量が高く、十分な除染も行われず、店も病院も無く、将来人が生活できるかどうかわからない所にです。若者は帰りません。帰ったとしても、年寄だけです。被災者は言います。“若者が帰らないなら、将来は無人の村・町になります。津波被災者には住宅が必要ですが、国は帰村・帰町させるつもりの所に、いまだ復興住宅を作っておりません。”さらに言えば、もはや住めないほどに自宅が荒れ果てた被災者のためにも、修繕のための十分な保障か、復興住宅がではないでしょうか。

⑥国は強引です。専門家が放射能のリスクの可能性を示そうとしても、国に聞く耳は無いそうです。すでに広野町、川内村、都路町、南相馬(小高区を除いて)は、避難指示解除になりました。今、楢葉町が解除方向にあります。楢葉町の方から聞きました。「4月6日~7月5日まで、長期宿泊令が出ました。町民には何の話も無く、突然、町長に“こうだ”と言ってくるようです。そして国の責任を町長に押し付ける感じです。」避難指示解除宣言は、順次、楢葉町、飯舘村、葛尾村、そしてやがて浪江町、富岡町の一部、大熊町、いつの日か双葉町へと出されるようです(大熊町や双葉町は30年後と言われています)。

⑦被災者は、「“被災者の土地は被災者ですべて管理するように”と国から言われました」と言います。
「すべて“自己管理せよ”というのです。4年間放置した土地は荒れ、田は太い竹の林のようになりました。自宅の台所には竹が生え、家の中にはきのこが生えています。庭にはイノシシがたくさんの穴を掘っています。イノシシは狂暴化して、怖くて一人では自宅にいられません。タンスの中はネズミの糞だらけです。このままでは住めません。すべての家財を処分しました。しかし家を建て替えるだけのお金もありません。」

⑧避難指示解除宣言されると、被災者扱いではなくなります。それは、被災者が、私たち一般国民と同じ扱いになるということです。精神的賠償金として被災者に支払われていた1人月額10万円は止まり、医療費・家賃・諸税金等の免除もなくなり、被災者としての免除はすべて無くなるとのことです。光熱費は最初から(2011年から)免除されていませんでした。家族が多く、仮設住宅を3戸借りた人は、3戸分の電気代(3戸分の基本料も)を支払わされました。

⑨「被災者の土地は被災者ですべて管理せよ」という国の命令は、福島被災者を故郷から離れられなくしています。彼らは言います。「30年後に、もしかして子どもたちが帰るかもしれない。そのためには先祖の土地を荒れ地にしてはならない。だから片道2時間かかっても、田畑を耕しておかないと、本当に使えなくなるので、将来の子どもたちのために、田畑を耕しに週1回は帰るのです。この間までは、国からの指示で1時間しか働けなかった。今は3時間働ける」と。

⑩“すべて自己管理せよ”と言われた原発被災者は、福島から離れられないのです。遠くに避難したくても、新しい住居を安全な所に求めたくても、移住したくても。お金もつてもありません。
⑪国から見捨てられた、とわかった福島被災者の多くは、今、絶望的になり、会話も無くなり、「どうしてよいかわからない」と言います。そして、「あなたたちは東電からもらう多額のお金で生きている」という周囲からの冷たい視線に怯え、そうした誤解をじっと耐えています。皆様、原発被災者は心に深い傷を負っています。孤独です。悲しみを癒せないでいます。


【皆様へのお願いです】
関東の電力のために、つまり他者のために犠牲になり、今なお地獄のような状況におられる福島原発事故の被災者、この方々を救っていただけますのは、この記事をお読みの皆様です。私、福岡百子は、病弱でもあり、74歳になりますので、支援活動にも限界があります。“天から授かった尊い一人一人の命”、他者の幸せを真剣になって考えてはいただけませんか? “あなたの小さな支援”で、一人の心を救ってはいただけませんか?

 私は継続支援者を探しております。その方に、私の志を引き継いでいただき、大切な被災者の“心の友”になっていただきたいのです。大きなことはしなくてよいのです。“まごころ、優しさ、天使の心、友の心”になっていただきたいのです。そして、“あなたと被災者の絆”が、被災者にとっての大切な支えになっていただけますことを、心よりお願いしたく存じます。

私、福岡百子は、いつかこの世から去る身です。去る前に、しっかりと被災者の友となる方に、私の志をお伝えさせていただき、私は安心してこの世をさりたいのです。どうぞ温かい目を福島原発事故被災者に向けていただき、一人でも多くの方をお救いくださいますよう、心からよろしくお願い申し上げます。お気持ちのおありになられます方は、私、福岡の携帯・メールにてお問い合わせくださいますよう、よろしくお願い申し上げます。


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【支援品をよろしくお願い申し上げます】
支援が必要な状況は変わっておりません。皆様の優しいお気持ちをどうぞおよせください
福岡百子
携帯 080-5547-8675          
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(恐れ入りますが、これらの連絡につきましては
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by momofukuoka | 2015-04-15 08:27 | 福島の被災地の現状

3月11日の被災者の声

【被災した子どもたちは・・・】
3月、今は卒業シーズンでもあり、入学シーズンでもあります。甥の子ども(6年生)の卒業式動画を見ていたら、「6年間の思い出」を語った中に、「小学校2年の時、東日本大震災があって怖かった」と、その時の思い出を語っていました。あの頃“ばあちゃん”と甘えていた幼子が、今は立派な青年のような姿をして、今度は中学生となるために卒業証書を手にして胸を張って歩いている。私は途端に福島の被災者を思い、泣きました。震災に遭った子どもたちにとっての4年間とはどんなものだったのでしょう?

生まれてからしっかりと親の胸元で育まれ、何の不安もなく、安心しきって守られるはずの乳飲み子、幼子たち。その子たちが、津波で流される人や家を見、泣き叫ぶ地獄を見、住まいを転々とし、親や周りの不安を一身に浴び、恐怖や悲しみを、避難所や仮設住宅での酷暑や酷寒を体験したのです。被災した子どもたちはすごい、と思いました。同時に、普通はしなくても良い体験をせざるを得なかった子どもたちの心の傷はさぞ深く、癒しきれるものだろうか?と、被災者である子どもたちを愛おしく思いました。


【3.11の電話とメール】
今年の3.11の前後、急に被災者からの電話が絶え間なく私宅に鳴りました。今までになく、電話の向こうの方々の声のトーンは暗く、低く、やり場のない悲しみや悔しさや怒りを感じさせる、うめき声にも似た声で話された方が多かったのです。被災者とのやり取り、そして最近の情報をお伝えさせていただきます。

「浪江町で行方不明の中学生がDNA鑑定で確認されました。復興祭に間に合ったことが皆様に報告されました。それでもいまだ32不明」(携帯電話のショートメッセージですので、ここで文章は止まっております。)

「“心痛い”ばかりか?と我ながら痛切に感じてしまいます。慰める言葉がなかなか思い出せません! でも、生きている我々で復興を現実化していくネ。」

「なるべく深く考えないようにしております。」

「津波で亡くなられた方の遺族は、時間が止まったままで、まだまだ死に向き合えるには時間がかかります。原発が原因の方も、前に進まず、辛い現実です。」

「いっぱい、いっぱい、寄り添ってほしいです。」

「あの日のように、今日も雪でした。」


【国、東電、賠償に対する被災者の声】
「“各町のゴミの焼却は各町でするように”と国から言われた。しかし肝心のゴミ焼却炉は国が建てることになっている。だのにいまだに国は焼却炉を作っていない。国は、“春以降、帰町宣言をする”と言う。そのために皆、家のゴミを出し、粗大ゴミも出している。住めなくなった家は解体している。だのに、国がいまだゴミ焼却炉を作っていないために、ゴミ処理が先に進まない。」(楢葉)

「国は、津波で被災した人のために楢葉に復興住宅を作ってくれると言った。だけどいまだにできていない。それなのに国は、“今年の春、帰町宣言をしたい”と言う。国は“早く帰れ”と押し付けるだけです。」(楢葉)

「国会議員に言ってもダメです。国の官僚が動かないとダメです。総理が一言、言えば、動くのですが…。」

「環境省は逃げる、他の省の責任にする。我々に対する責任は環境省にあるはずだが。」

「帰還困難区域は、双葉、大熊と、浪江、富岡の一部です。すでに、広野、都路、川内、楢葉、南相馬、飯舘、葛尾は解除方向に行っており、少しずつ、順に解除させるのでしょう。」

「大熊と双葉は、中間貯蔵施設の問題で帰れないことに印を押された。“自分で生きる道を探しなさい”と言われたようなものです。本当は、福島被災者のために、国が新しい土地を買い上げて“そこに住んでください”と言うのなら、私たち被災者は感謝するでしょう。しかし現実はそうではない。被災者は自分の土地を買い上げてもらい、そのお金で新しい土地と住まいを自分で調達するのですが、それが可能な金額で買い上げてもらえるわけではないのです。土地の買い上げ価格は、町ごとに決められ、町によって異なります。帰還困難区域の双葉、大熊、浪江、富岡のそれぞれの土地価格は、低い評価額で決められ、しかもその7割しか保障しないと言うのです。被災地の土地評価額は非常に安いうえに、その7割しか保障されない。我々が新しい土地と家を求めようとすれば、その金額の10倍も100倍もかかる。新しく求めたい土地の評価額の表示は、税務署で決めた価格が公表される。しかし買うとなると、それの1.5倍を求められる。なぜならそれに不動産屋への支払いが加算されるからです。つまり公示額の1.5倍を請求されるのです。これでは高すぎて、我々は住む家を求めることができない。」

「我々は裏切られた。」

「我々が何か悪いことをしたのか?」

「皆、何をしたらよいか、わからなくなってきている。」

「年をとり、気力も無くなり、何のために生きていかねばならないのか?」

「復興予算があると言う。住民こそ先だっぺ。公共も大切だが、我々被災者の住宅を考えてくれ。」

「我々はどうにもしようがない。」

「自殺者が多くなった。」

「皆、病気で倒れている。」

「避難指示解除宣言前は、医療費、家賃、光熱費などは無料でした。しかし解除宣言とともに、すべてが解除される。復興住宅も、年金暮らしの人でも、月に8000円払わなければならない。それに共同費(エレベーター、集会室使用料)として5000円、駐車場代2000円を払うようになる。復興住宅の家賃は、収入に応じて10段階になると言う。最低の人でも月8000円で、月80000円の人もいるという。収入のない人はどうやって生活できるのか?」


【被災者の立場に立って…】
皆様、これが福島被災者の現実です。どうしてもっと被災者の立場に立った温かい対策が、緊急の対策が取れないのでしょう。失望しておられる福島の被災者の皆様に、これからも、温かいまなざしと思いやりをもって、ご自分のこととして、温かい手を差し伸べていただけますよう、よろしくお願い申し上げます。そして福島被災者のこの現実を、友人、知人に、有力者にお知らせくださいますよう、よろしくお願い申し上げます。


【支援品をお願い申し上げます】
被災地ではまだまだ寒さが続いております。生活消耗品、食品、義援金のご支援をお願いいたします。ご支援いただけます方は、被災地をご紹介申し上げます。ご不明な点は、福岡までお問い合わせください。どうぞよろしくお願い申し上げます。心から感謝申し上げつつ。


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【支援品をよろしくお願い申し上げます】
支援が必要な状況は変わっておりません。皆様の優しいお気持ちをどうぞおよせください
福岡百子
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f.mom.1941@ezweb.ne.jp
(恐れ入りますが、これらの連絡につきましては
AM10:00~PM5:30までの間に頂けますようお願いいたします)

なお、こちらのリンク先には現在被災地から要請を受けている、具体的な支援品のリストを掲載しております。併せてご覧いただければ幸いです。

※当ブログは福岡氏より委託を受けた、前野賢一郎(maeken24@ybb.ne.jp)が更新作業等の管理・運営を行っております。

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by momofukuoka | 2015-03-22 04:58 | 福島の被災地の現状
原発の災害があって丸4年となりました。考えてみますと、災害の時に産まれた赤ちゃんが4歳児として歩み始めたということです。それだけの被災者皆さんのかけがえのない命と人生が踏みにじられ、台無しにされてしまっている。そして被災者の皆さんは忍耐に忍耐を強いられ、健康をボロボロにされ、家族、身内を引き裂かれ、人間の幸せのあらゆる条件を根底から略奪された状態で放置されてしまっているのです。しかもその状況について、誰も責任を取ることが無く、対策を積極的に取ることの熱意も感じられず、希望をもって歩める方針も立ててもらえず、被災者の故郷、自宅は放射線で汚染され、いまだ放射線量が高くて住める状態ではないのです。その地に、国は帰還宣言を目標に、住民を帰そうとしている現実。この状態は、この世の地獄とは取れませんでしょうか?

「原発さえなければ!」とNHKテレビの“飯館村”のドキュメント番組で被災者が語っていましたが、福島被災者の地獄のような日々を1日も早く解決することを、私はオリンピックよりも何よりも、国を挙げての最優先課題にしていただきたいと思います。被災者皆さんの訴えは、“今は聴いてもらえなくなった。議員も大臣も総理にも”と被災者は言います。皆様、国を挙げて、福島の「今」を見つめ直していただき、お一人お一人の胸の中で眠っておられます「愛の炎」をもう一度燃やし、全力を挙げて被災者を救うべく、情熱を傾けていただきたく、心からお願い申し上げます。


【被災者からの電話】
災害から5年目を迎えた今、我が家には急に被災者の方々からの電話が多くなりました。連日鳴り響く電話の被災者の声は、怒りと悲しみ、絶望とやり場のない苦悩のうめき声、ため息の声です。生きる力、気力が無くなってしまった被災者方の声です。私がお聴きした被災者の生の声を少しだけご紹介させていただきます。(被災者の個人情報のこともありますので、今回は町名等を省かせていただきます。)

「家を建てるために業者さんにお願いしました。しかし私たちが業者さんに従わざるを得ないのです。設計図通りにはいかず、業者の都合に合わさざるを得ないのです。“ここは縮めてください”とか、“これは作れません”とか途中で言われるのです。また“資材がない”とか、家も予定通りに建ててもらえず、いつ引っ越せるのかわからないのです。」

「建築業者さんと相談したくても、自宅には来てもらえないために、仕事を休んで遠方の事務所まで私が出向いて行かねばならないのです。生活のために働いている私は、なかなか休みを取ることができず、相談にも行けず、家の建築も思うように行かないのです。業者の人手が無いとか、資材が無いとか言われるのです。国の仕事にとられ、福島のためには人でも資材も無いようなのです。」

「障害者のために集まる場所をプレハブで作ることにしました。建てる際、トイレ設置も頼んだはずです。だのに、ほぼ完成した今になって、“トイレは作れない”と言うのです。交渉をしているのですが・・・。」
(普通、今は、お客の望みを優先し、業者は下手に出る時代ではないでしょうか? しかし福島の被災者は、立場が逆になっていることに私は驚愕いたしました。皆様は福島のこの状況をどうお感じになられましたでしょうか?)

「町は放射能が高い。我々は放射能のある所に帰りたくない。だのに、“平成28年3月までは、精神的賠償金は出すが、後は出さない”と言う。国からの圧力がかかるのです。稲作りも未だ町全体の許可は出ていない。だのに“野菜を作ってよい”と来た。我々は作っても食べたくない。子供たちはもう町には帰らない。若者がいない所、何も無い町にどうやって住めるか? 一番辛いのは、家族が分断されたことです。」

「小高区には小学校が4校ある。学校は全部廃校です。自宅も、そして今いる仮設も0.3マイクロシーベルトある。“28年4月には住民を帰す予定”と言う。“小高に商業施設を作る”と言う。住める状態ではない。我々の仮設で帰る人はいない。人間は帰れない。小高は放射能の問題があるために、国の環境省の管轄に入る。だから町が口をはさめないのです。“商業施設を作ると言ったけど、人間は帰れないのだから、イノシシに買ってもらうのかネ”と冗談を言う人もいる。」
「常磐道開通と言ったけど、大熊町は原発の近くです。」


【不安と孤独から鬱病に…】
四畳半2間に3~4人。仮設の悪環境、希望も目標も立てられない毎日。避難先での冷たい視線。経済的不安。心を話せる友、仲間がいない孤独。そして鬱病に。鬱病になられた方々が本当にたくさんおられます。福島の被災者のように、人の許容量を超えた苦悩の連続の年月でしたら、どんな強靭な心の持ち主でも、身も心もボロボロになって当たり前でしょう。

私は毎日悩みます。鬱病になってしまった被災者をどうやったらお救いできるのか? 被災者をどうやったら正常な生活に戻していただけるのか? 私は全く力の無い、一主婦にしか過ぎません。私には、こうして福島の現実の姿をお伝えし、一人でも多くの方に、“福島の被災者の友”になっていただくことをお願いすることしかできません。


【2度とない人生を支え合って】
私が他者の命の大切さに目覚めましたのは、43歳のとき、胃がん末期で、私の1分後の命が保障されていないということを体験したからでした。その時、私の1分1秒はいただきものであることを悟ったからでした。その時以来、自分の命も他者の命も、生きとし生ける万物が“いとおしい”と思えたからでした。2度と生まれることのない人生、“幸せにならなければ嘘”と思えたからです。どんな方も。私は無力な主婦です。偉そうなことを言える立場ではありません。今までもブログで失礼なことを言ってきたかもしれませんが、どうぞお許しくださいませ。

今私たちが生きている世の中は、不条理な出来事があまりにも多すぎると感じます。人間に多少の欲があるのは、生きるためのバネとして天から戴いたのだと思いますが、欲にも節度が必要な気がします。またどんな人の心にも「愛の心」が眠っていると思います。そして「幸せを願う心」も。この世界は、助け合うことによって、互いの幸せを求め合って生きるようにと、人間は造られたのだと思います。人間は一人だけで幸せになるのは難しいと思います。他者と支え合うことによって、築いていけるものだと思います。


【支援品をお願い申し上げます】
 福島の被災者を皆様のお力によってお救いくださいますよう、よろしくお願い申し上げます。福島の被災者は今なお生活消耗品、食品、義援金のご支援など求めております。ご不明な点は、私、福岡までお問い合わせくださいませ。ご支援いただけます方は、被災地をご紹介申し上げます。どうぞよろしくお願い申し上げます。心から感謝申し上げつつ。

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【支援品をよろしくお願い申し上げます】
支援が必要な状況は変わっておりません。皆様の優しいお気持ちをどうぞおよせください
福岡百子
携帯 080-5547-8675          
f.mom.1941@ezweb.ne.jp
(恐れ入りますが、これらの連絡につきましては
AM10:00~PM5:30までの間に頂けますようお願いいたします)

なお、こちらのリンク先には現在被災地から要請を受けている、具体的な支援品のリストを掲載しております。併せてご覧いただければ幸いです。

※当ブログは福岡氏より委託を受けた、前野賢一郎(maeken24@ybb.ne.jp)が更新作業等の管理・運営を行っております。

なお、英語版ブログ Reality of Fukushima (Voice of Momoko Fukuoka )http://momfukuoka.blogspot.jp/もあります。
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by momofukuoka | 2015-03-07 04:45 | 福島の被災地の現状
北海道、新潟、群馬、そして徳島、山梨など、各地に突然襲う大雪の被害に、戸惑いを感じます今日この頃です。大自然の前では、人の小ささと弱さを感じ、自然の力に向き合う時の人間の謙虚さの必要を問われておりますように感じさせられます。さて今日も被災地の「今」を伝えさせてください。今日はこの寒空の下で、悪環境の中でじっと耐えている学校の子どもたちの様子と、昨年、国が一早く解除宣言をする試金石とした都路町の状況について伝えさせていただきます。


【被災地の子どもたちは今】
南相馬市の旧警戒区域内にある小高区の5つの小中学校は、鹿島区内の小中学校のグラウンドにある鉄骨プレハブの仮設校舎を利用しています。鹿島小学校の仮設校舎1階で小高中学校が、鹿島中学校の仮設校舎1階で小高小学校、2階で金房小学校、鳩原小学校、福浦小学校が学んでいます。 私は2012年5月から幼稚園・学校・施設関係の支援を始めましたが、その頃の子どもたちの環境は気の毒な状態でした。当時、小高小学校の先生は私におっしゃいました。「教室は工事現場のような鉄骨なので、画びょうを使うことができないので、子どもたちの作品を展示することができない。」「1階の学校は、庭に花壇を造れるが、2階はそれができないので、2階にプランタを置いている。」「品物は欲しいけど、置くスペースが無い。」今年の2月12日に学校の状況を伺いましたら、「現在も全く変わっていない、同じです」とのことでした。

富岡町の幼稚園・小学校・中学校は「ブレーキ工場」だった所で共に学んでいます。運動会、プールなどの時には移動していると伺いました。

浪江町には幼稚園・保育園はありません。二本松に小中学校があるだけです。当時、校長先生は、「朝食を食べないで登校する子の健康が心配で」とおっしゃって、カロリーメイト等を頼まれたこともあります。

親の移動と共に転校し、登校拒否になったり、拒食症になったりする子どもたちもいるそうです。また町の方針で学校が一貫校になったために通学が不便になり、転居や夫婦別居を強いられる、さらには離婚に至るなど、原発災害は子どもにも大人にも多くの苦悩を突き付けています。

今も悪環境の中で耐えているたくさんの福島の子どもたちの苦悩を、私たちは忘れてはならないでしょうし、早く救いの手を差し伸べていかなければならないと思います。


【国の試金石となった都路町の今】
私は2014年4月26日と7月11日のブログで、都路町についてご紹介させていただきました。詳しくはそのブログをご覧いただけますと有り難く存じます。都路町が「国の試金石」であるとは、政府が、福島原発被災地の11の市町村の避難区域解除に向けた最初の試金石として、避難指示の解除を、原発20キロ圏内にある都路から始めたということです。そして順次6市町村(南相馬、川俣、楢葉、飯舘、葛尾、川内)の避難指示解除を考えているようです。

都路被災者の話です。

「原発から20キロ圏内の人は、“いまだ放射線量が高いので帰らない”と言う人が多かった。しかし20キロ圏内の人でも、“月10万円の精神的賠償金は今年の3月で打ち切る”と言われた。そして“3月までに都路に帰った人には1人90万円出す”と言う。そして帰った人には“井戸を掘ってやる”と言う。それをしてもらえるのは、同じ都路でも原発から20キロ圏内の自宅に帰った人だけです。都路の中で同じ20キロ圏内に自宅があっても、都路の自宅に帰らずに仮設に残る人や、放射能を避けて30キロ圏内に家を建てた人、都路の外に移住した人には何も出ません。それで、3月までに自宅に帰ると言う人が出始めました。家の周りのみ除染して“大丈夫”と言うが、山の方は線量が高いんです。」

「20キロ圏外の人は月額10万円の賠償金を24年8月で打ち切られた。それでこのたび104戸380名が訴訟を起こした。関連死で亡くなった人に対し、国や東電からの賠償もない。どうなるのか、我々にはわからない。」

放射能に怯える被災者の現実。賠償金を打ち切られ、生活に困窮しておられる被災者の現実に目を向けず、強引に帰還を進めるやり方に悲しみを感じるのは私だけでしょうか?


【生きる力アドバイス】(15回目)
人は幸せになるために生まれました。1分1秒は戴きものであって、天から戴いた私の1分1秒を大切にしなければなりません。人は一瞬で生まれ変わることができます。あなたは、あなたの考え方によって変わることができます。悲観的な思いはあなたのエネルギーを失わせ、憂鬱な真綿であなたを縛り、生きる力を失わせます。そして不幸の虜にしてしまいます。しかし良い思いは、あなたの心を明るくし、幸せで私を包み、その幸せの輪は人をも幸せで包み、互いの生きる力となるでしょう。

私たちは幸せになるためにこの世に生まれました。苦しみからも学ぶことができます。逆境に遭い、自分の思い通りに行かない時に挫折を味わい、自分の弱さや限界に直面した時に、初めて自分を見つめ、好調の時には気づくことのなかった人生の悟りを得ることができます。失敗をもって学び、許されて有り難さを知り、無に直面して、物の有り難さ、人情の有り難さ、謙虚の素晴らしさ、自己の小ささを悟り、心の自由、執着の空しさ等、心の世界、魂の世界の大切さに気づきます。非道な扱いをされてみて、体験して初めて人の道のあり方に気づかされます。人生は学びの時間を天から戴いているような気がします。悲しみも喜びも苦悩も、すべてを天からの宿題であるプレゼントとして、自分の成熟のために与えられた体験と考え、大きな人間に成長していきませんか? 体験は学びの時です。そして、人は体験してみて、初めて、人を理解できる、真の友となることができるのでしょう。涙、悲しみ、人の苦悩を理解できる大きな人になれるのでしょう。


【支援品をお願い申し上げます】
賠償金を打ち切られた被災者、特に働けない方や高齢者は困っています。毛布、ホカロン、マスク、老人用紙パンツ、トイレットペーパー、洗剤などの日用品、水、米、調味料、乾物、缶詰、駄菓子、お茶、くだもの、野菜などの食料品のご支援をよろしくお願い申し上げます。義援金もよろしくお願い申し上げます。被災地の送り先をお知らせいたします。

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【支援品をよろしくお願い申し上げます】
支援が必要な状況は変わっておりません。皆様の優しいお気持ちをどうぞおよせください
福岡百子
携帯 080-5547-8675          
f.mom.1941@ezweb.ne.jp
(恐れ入りますが、これらの連絡につきましては
AM10:00~PM5:30までの間に頂けますようお願いいたします)

なお、こちらのリンク先には現在被災地から要請を受けている、具体的な支援品のリストを掲載しております。併せてご覧いただければ幸いです。

※当ブログは福岡氏より委託を受けた、前野賢一郎(maeken24@ybb.ne.jp)が更新作業等の管理・運営を行っております。

なお、英語版ブログ Reality of Fukushima (Voice of Momoko Fukuoka )http://momfukuoka.blogspot.jp/もあります。
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by momofukuoka | 2015-02-15 23:06 | 福島の被災地の現状