2011年3月に発生した福島原発の事故発生後、現在も仮設住宅等での避難生活を強いられている被災地の方々の状況をお伝えすると共に、支援の呼びかけなどを行わせて頂いております。


by momofukuoka
カレンダー
S M T W T F S
1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31

学校、幼稚園の様子。除染について

災害があって丸2年1か月が過ぎ、被災地にも2度目の春が訪れ、新入学生も初めての校舎で学ぶようになりました。被災地の学校はどこも児童数が減少し、最悪の環境の中でも元気に励んでいます。

今日は福島の学校や施設の様子を一部ご紹介させていただきたいと思います。

南相馬市鹿島区、原町区の幼稚園と私が関わるようになりましたのは、2012年5月頃と記憶しております。その頃先生方の日課は、放射能から園児の身を守るため遊具、園内の掃除に明け暮れしておりました。外に出すのも30分までと限定し、誕生会のおやつも不足し、外でなく室内で遊ぶため運動不足で足が弱くなった子供が多くなった、と先生や役場の方はおっしゃっていました。

そ の頃、私は、南相馬、大熊町、広野町、浪江町、富岡町、楢葉町の幼稚園から小学校、そして施設関係と関わっており、被災地の子供たちの厳しい現実、施設 (老人ホーム、知的障害者施設等)の厳しい現実に心を痛める日々でした。

朝食をしないで来る子のために、せめて学校でおやつを上げたい、という校長先生の お気持ち。(当時、被災者にはおやつを食べるゆとりはありませんでした。)広野町の幼稚園は今年の3月でも園児5人、先生3人。浪江町の 方々の幼稚園はありません。浪江小は全児童で19人、中学は49人。富岡町は旧あけぼのブレーキ工場の跡地に6校が (第一、第二幼稚園・小学校・中学校)一緒になって学んでいます。グランド、プール等も無いため、他の体育館などを借りに移動しています。

楢葉は今年の1月に仮校舎ができて、 いわき中央大に引っ越しました(幼・小・中)。大熊町は会津若松に幼稚園児8人、大野小・熊町小が同じところに、大熊中は役場の2階に、体育は市の体育館を借りに移動しています。

原発のために住めなくなった南相馬の小高小中学校は、鹿島小中学校のグランドに仮校舎を建て、そこに6校が一緒に学んでいます。小高小中学校、真野小学校、福浦小学校、金房小学校、鳩原小学校。4月8日は入学式があり、午前は小学校の入学式(4校で19名)、午後は同じ所で中学の 入学式をするので忙しい、と先生はおっしゃっていました。

「仮校舎は鉄骨でプレハブ、工事現場のような建物です。ですから鉄骨なので画鋲も釘も打てない。マグネットで張り付けるだけ。子どもの作品を展示するスペースも無い。だけど、今年は花壇を作ろうと思う。荷物(理科実験道具、体育道具)を運ぶ台車も欲しい。印刷するインク代も高くて支援金をいただけたら有難い」とおっしゃっていました。

どこの学校も、また施設も、備品や諸経費のため に資金を求めておられました。可能性がありましたら、よろしくお願い申し上げます。

「子ども達は学校では思いっきり遊べるし、 大声を出すことができる。しかし施設に帰ると大声を出すと叱られている。だから学校では思いっきり遊ばせたい。」「しかし遠方から通っている子供は早く帰 らなければならないので、部活ができない。遅くなると暗くなるから。」と先生はおっしゃっていました。

被災者は、子供も大人もお年寄りも病人も、皆さま本 当に我慢し、忍耐し、堪えに堪え抜いておられます。私たちはこの状況を当たり前と思ってはならないと思いました。そして福島の方に対して、無関心になって はならないと思いました。
 
今年の4月1日より、浪江町も富岡町も解除方向に向かうための除染の仕組みが決定しました。双葉町は6月より始まるようです。どんなに住民や町長が反対しても国は強引で、除染に印を押さない限り、復興への交渉のテーブルには着けないと言われたそうです。
 
まず役場の職員が派遣され、町に入るように促されるようです。そして順次、町に役場が作られるようです。しかも派遣される方々は、独身者、結婚したばかりで まだ子供がいない方、中間管理職の人。役場は限られた人員の中で、除染に向けた人員を最優先にされるようです。役場の人は断れないようで、「やむを得な い」と受け入れてきました。また「僕たちが町のためになるなら」と率先して申し出た年配の上司の方もおられたようです。

私は国のやり方は卑劣と思いました。国は被災者に対しては全責任を取り、プロジェクトを作り、積極的に早く救うことをしなければならないと思います。しかし、責任は各市町村の町長に託し、東電に託しています。そして、町長がどんなに反対しても、町民が反対しても、国の方針「除染して帰す」を強引に成立させていき ます。そして解除になると、精神的賠償金を打ち切ります。

「国は被災者にお金を出したくないのだ」と被災者は言います。収入の無い被災者 は、身の危険を知りつつも、除染作業やがれき処理で生活の糧を得るしかなくなります。いまだに賠償金は成立せず、復興住宅(家賃は請求されます)も建た ず、放射能で汚染された動物やネズミの住居になって崩壊された家に被災者を帰そうとする政府。

この方針にメスを入れ国民の命や生活を守ろうと進言できる方は、日本にはおられないのでしょうか?

私は最も大切なことは「人の命」「国民の幸せの度合い」と思います。ブータン国王夫妻が日本にいらした時、ブータンの国はうらやましいと思いました。素朴 で愛深く、私達日本人が忘れていることを思い出させてくれるような気がしました。

私たちはもう一度振り出しに戻ったら良いような気がします。人間は生まれた時、裸でした。赤ん坊でした。赤ん坊は誰からも愛されます。何故でしょう。立派でありません。威厳もありません。気難しさもありません。無知です。むしろ弱さそのものです。だけど、優しさがあり、柔らかさがあり、愛くるしさがあり、自然体で誰でも受け入れ、拒否を知りません。赤ん坊を見ると、 顔がほころび幸せになります。人間の心の幸せって、赤ん坊が教えてくれるような気がするのですが。

ブータンの国のように、「国民の幸せの度合い」を日本も 振り返ってもよいのではないでしょうか、という気がしますが。
by momofukuoka | 2013-04-10 18:54 | 福島の被災地の現状