2011年3月に発生した福島原発の事故発生後、現在も仮設住宅等での避難生活を強いられている被災地の方々の状況をお伝えすると共に、支援の呼びかけなどを行わせて頂いております。


by momofukuoka
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最後にお伝えしたいこと

"最後のご挨拶"をさせて頂きましたのに、もう一度、書かせて頂きますことをお許しくださいませ。実は、この事を皆様にお伝えしなくては、私は死んでも死にきれないと思えたからです。


それは福島に関する内容では無いのですが、私が個人的に体験させて戴きました体験は、神様が皆様に伝えて欲しいと、神様の切なるお気持ちを感じたからです。耳を傾けて頂けますよう、宜しくお願い申し上げます。


それは、人間が神様を恋して欲しいと、神様が願っておられることです。恋? びっくりされたでしょう。考えもしなかった事かもしれません。「恋」についてしばらく考えてみませんか?


その前に、"あなたは恋したことがありますか?"  恋することは悪い事ではありません。恥ずかしい事でもありません。恋してはいけないと思っておられる方は、恋の心の素晴らしさが解っていないからと思います。一度でも恋したことの経験がおありなら、恋の心の素晴らしさ、愛、純粋さ、忍耐心、真心、ひた向きさ、苦難に立ち向かう強さ、勇気、エネルギー、持久心、献身、犠牲心、等、恋した時に、愛の特徴、愛の凄さ、愛の尊さ、自分の命を捧げる愛の力と凄さ、勇気、を知るでしょう。


愛は、理屈ではありません。愛は本能から出てくる相手を思う無償のエネルギーです。研究して解るものではありません。本を読んで学ぶものでもありません。乳飲み子を目にして、沸き上がる愛しさと本能から感じる、私の存在を揺り動かすほどのものです。体験された方は解るでしょう。「愛する=恋心」なのです。恋は愛と別、と思ってはいませんでしたか?


神様は、私達を恋(愛)しています。1人1人を恋しています。だから、人間が不幸になることを悲しみ、切ないまでに咽び泣いておられるのです。神様の悲しみ、切ない叫びは聴こえませんか? 私達人間は余りにも鈍感になりました。感情も五感も鈍くなり、危険さえキャッチが出来なくなりました。あなたの命、自然界の恵みを暗黒から生み出し、秩序を与えてくれたのはどなたなのでしょう?神様ではありませんか?


恩を私達は忘れるようになりました。感謝する事、謙虚さも忘れました。私達は速かれ遅かれ誰でもが自分の終末を迎えます。つまり自分の死です。その時に、平安と喜びの内に天に帰るのか? 自分の償いをしに帰るのか? それは、今のあなたの生き方次第なのです。


人を恋(愛)しましょう。そして恋(愛)の体験から、真の愛を学び、その心で、神様に向き合い、人に向き合いましょう。神様は、ご自分を恋する人を、待っておられます。神様は、寂しがり屋でもあります。皆様。神様は、孤独です。神様を夢中になって愛し、恋してください。恋した人だけが解る神様の温もり、幸せを手にするでしょう。そして、神様のお心、思い、望みが解るようになり、ひとつとなるでしょう。


私は神様の孤独なお心、辛さ、叫びをお伝えしたい思っていました。そして、神様は、私達を恋しておられます事も。


皆様。本当にありがとうございました。


10月2日
福岡 百子
                


☆追伸です
ブログ《福島の現実》は後継者の方々が福島の状況を随時書いて戴くブログとして継続させて頂きたいと思います。今後とも皆様方のお力添えを賜りますよう宜しくお願い申し上げます。


# by momofukuoka | 2017-10-06 07:43 | 福岡百子からのメッセージ

最後のご挨拶

世界中、何処に目を向けても、自然は異変を起こし、人の心も平和を失い、いつ、何が起きても不思議でない時代になりました。どうしてこうなってしまったのでしょうか? 皆さん悲しいですよね。もう平和な時代は戻らないのでしょうか? 誰かの責任でしょうか? 貧富の差は激しくなり、命が粗末にされ、憐れみの心は失われ、排他主義。国民の為の共有資源や財産は独占化され、愛は消え、氷のような冷たい世の中になってしまいました。今は浄化の時に入った、善天使と悪天使の闘いの時、と言う人もいます。そうかも知れません。そうならば、自分の心が悪天使に引きずられないように毅然としなければならないでしょう。


今日は皆様に驚かせてしまうことをお伝えしなければなりません。実は私は、今日まで福島被災者の支援活動に専念させて頂き、沢山の方々に協力者になって戴きながら、6年半の間、被災者支援の仲立ちをさせて頂きました。私としては断腸の思いですが、健康上、続ける事が出来なくなりました。それは私自身死が近いことを感じるようになったからです。

全ての人に寿命があります。私は感じた以上、皆様に、これまでの感謝と共に、なるべく私の志を引き継いて行って戴きたいと、切に心からお願い申し上げます。


皆様もすでにご存知でいらっしゃいますが、福島の被災者は、国から見捨てられた状態です。被災地は未だ除染も不十分で、放射線量の高い所があります。6年半放置された被災地は、荒地に化して自宅は壊れ、雑草と言うより薮化、猪、アライグマ等動物達の住み家となり、店も病院も何も無く、夜は真っ暗闇となり泥棒もいて、治安が悪くなっています。


本来、国は、帰還宣言をする以前に、人が安心して住める環境作りをしてから、帰還宣言するのが常識と思うのですが。国は、帰還宣言ありきを目標にして、除染を1、2回して、被災者をとにかく帰還させることを目標にしており、町作りの費用も資金も改善策も出さす、つまり被災者は、壊れた家の建築費用はもらえず、薮、雑草刈りもしてもらえず、動物駆除対策もされず、町の予算にも入れてもらえず、全てを帰還する高齢者(70代~90代の独り暮らし)、被災者に「してください」と丸投げしているのが現状です。店が無いので、食料が手に入りません。


被災者の声です。「野菜は何とか作るけど、魚、肉も食べたい! 何も無くて困ってしまった。自動車がある人は買いに行けるけど、足腰悪く、目も不自由となった年寄りは、食料が手に入らない。それに、隣が離れているし、帰らない人も多いから、人に会わなくなった。寂しくてたまらない。夜は真っ暗になる。病院も無いので不安です。頼る人がいません。」


皆様、これが福島原発被災地の現実です。

ある被災者は言ってました。「国は、始めから、我々原発被災者を見放す予定でした。早く帰還宣言をして、年寄だけが帰り、やがて皆は死んで行く、双葉郡は無人の街と化し、こうして双葉郡は人々から忘れられ、何事も無かったかのように、人々から忘れられて行く。国は原発事故の事を国民に忘れさせたいのです。始めからその計画でした。だから、我々の情報が流れるのを怖がって我々を隔離し、我々にも情報を閉じてました。


我々は放射能故に、故郷にはもう、帰れないと覚悟してました。国は我々に<此処に移り住みなさい、此処に第2の故郷を造りなさい>と部落毎に新しい街造りに向けてくれると思っていた。役場も学校も病院も店も家族も別れることなく一緒に部落の仲間と街造りをすると思っていた。まさか、家族が幾重にもバラバラとなり、避難がこんなに長くなり、見捨てられるとは思ってもいなかった。」


皆様、あまりにも無慈悲とは思いませんか? 電気の明るさやネオンを見るたびに、陰で泣いてる福島の被災者を思い出していただきたいと思います。


福島の被災者の仮設住宅は来年で終わり、壊すとのことです。今年もだいぶ壊しましたが、移る家の無い人もまだまだおられます。身内の無いお一人暮らしのお年寄りが。 


福島被災者の裁判は遅々として進んでいません。賠償してもらえず苦しんでおられる被災者の方々にも、どうぞ皆様、支援の手を差しのべてくださいますようお願い申し上げます。


2011年3月11日の時を思い出します。あの時、日本の全国民も、世界の人も、被災者の命が助かる様にとひとつの心になって祈りました。皆が被災地の復興を願い、福島の復興を誓い合いました。国も私達も一生懸命でした。被災者を気遣い、幸せのために私達も立ち上がりました。 私はその頃、足が悪く、外出が出来ないでいました。「私は被災者の為に何が出来るか? 口が有るではないか? なら話せる。手も動くではないか? 自宅には電話がある。手と口を使って出来る支援をしょう。」


まず朝日新聞のコラムを見ました。支援する人を決めて、福島の県庁に電話をし、避難所を聞き、大熊町の被災者に支援することができました。大熊被災者は裏磐梯のホテルに避難していることを知り、友達に避難所に支援品送りを願い、クチコミで北海道から九州までの支援協力者が大熊町の5箇所の避難所に、その後は大熊町19箇所の仮設に支援を届けました。


私は被災地の情報集めをし、状況を支援者に手書きのFAXでお知らせをしました。又、放射能汚染を怖がって福島に支援品が届かないのを知った私は、先ず、総理大臣、各大臣、全ての党の幹部に、主な宗教団体の幹部に、支援活動をしておられると思う拠点に、手紙を書き、電話、FAX、私が出来る情報手段をフル回転させてあらゆる事をしたつもりです。


近所のスーパーに行き、食品、下着、日用雑貨会社の住所を調べ、社長宛てに手紙を書きました。朝日、毎日、読売、日経、東京新聞の編集長に。NHK、日本テレビ、テレビ朝日、TBSテレビ、テレビ東京、フジテレビの報道局長に手紙を書き、支援が届かず苦しんでおられる福島の現状を伝え、支援の協力を願いました。しかし返答はなく、あったとしても冷ややかなものでした。「私達はする相手が決まっています。福島はするつもりがありません」何故?と思いました。


唯一答えてくれたのが、神戸物産(業務スーパー)の沼田博和社長様です(兵庫県加古郡本社)。社長様は宮城、岩手、福島の被災者のために3億円分の食品をしてくださいました。社長様のおかげで私は全双葉郡の仮設、施設、学校に食品を送ることが出来、役場の方、被災者と交流を持つことが出来ました。それが今でも続いております。


ご支援戴いた皆様には、私はどんなに支えていただいたかわかりません。本当に有難いでした。私達はもう他人ではなく家族、同朋でした。私達も被災者も天のご縁で結ばれた仲間で、神様と心をひとつにした家族でした。私達が大切にして来たことは、神様の志。互いに愛すること、幸せを願うこと、命を大切にすることでした。


私は皆様とご縁を頂き本当に幸せ者でした。
感謝しても感謝し尽くせません。
本当にありがとうございました。


唯一の気がかりは被災者の行く末です。可能な中で、被災者を支えてくださいますよう、お願い申し上げます。ご支援にご協力戴きました方々に、呉々も宜しくお伝えくださいませ。


そして皆様も、お体を大切にお過ごしくださいませ。そして不足の多かった私をお許しくださいませ。どうぞ私の為にお祈り宜しくお願い申し上げます。心から感謝申し上げております。

尚、体験を少しでもお役に立てたいと思いまして、残る日々に、ツイッターをと思い始めました。[もとシスター人生体験]という名前です。ご覧頂ければ幸せです。


心から感謝を持って!
神様に感謝しつつ。栄光を讃えて!




福岡百子


【本ブログにつきまして】
「福岡百子の声」としては最終回といたしましたが、これからも、被災者や被災地の情報をお伝えし続けるブログとして継続させていただきたく存じます。これまでご縁のあった方々にお願いして情報を寄せていただけるよう、準備してまいります。今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。



# by momofukuoka | 2017-10-01 08:37 | 福岡百子からのメッセージ

日頃、福島被災者に寄り添っていただき有難うございます。 この度は原発と福島被災者について、体調の許す限りまとめてみましたのでご参考にして頂ければと思います。 どうぞ宜しくお願い申し上げます。


【原発と福島について】

日本最初の原子力発電は1963年10月26日東海村の東海発電所です。
東京電力の福島第一原子力発電所の着工日は1967年9月29日、運転開始は1971年3月26日です。なお40年後の2011年3月11日に、東日本大震災が起こり、12日には1号機、14日には3号機の原子炉建家が爆発してしまいました。そして放射能は風に乗って福島に、関東に、太平洋沖まで流れ各地を汚染してしまいました。
福島第一原子力発電所(福島第一原発)は、福島県双葉郡大熊町と双葉町に立地しています。


原発の被災地は主に双葉郡、そして南相馬市と言われています。(実際の放射能汚染はさらに広く福島各地を汚染しましたが。) 中でも双葉郡の大熊町、双葉町は原子炉建家が爆発した所です。浪江町、富岡町、楢葉町、広野町、川内村、都路町、葛尾村、津島、飯館村、南相馬市(鹿島、原町、小高) が被災地と言われています。


3月12日13時36分に1号機で水素爆発が発生しましたが、爆発したことを被災者には知らされませんでした。


(大熊町)住民は地震後公民館等に避難したと言います。人々は爆発の音を聞いています。しかし住民には水素爆発したことを知らされていないので、子供達は外で無邪気に遊んでいました。その時放射能を浴びたと被災者は言います。バスが10台ぐらい来て住民はバスに乗せられたと言います。バスに乗り発車するまで何時間も待ったし、貴重品を自宅に取りに行く時間が十分あったのに、知らなかったばかりに誰も貴重品を取りに行かなかった。避難することを知っていれば貴重品を取りに行ったのにと被災者は悔しがっていました。 大熊町の人はバスで裏磐梯に避難しました。その後、会津若松といわき市に仮設が出来て移り住みました。


(双葉町) 井戸川町長は原発の恐ろしさを知っていたので、双葉町に原発を作ることを反対していました。そのために国からの地方交付金は他の町よりも少なく配布されていたため双葉町は財政が苦しかったようです。 爆発を知った町長は町民と埼玉県の加須市に避難しました。     


【原発被災者への国の対応について】

原発の賠償について、国は責任を持たず、被災者への賠償金は東電の責任とし、国は全責任を東電に任せています。


東電の賠償対象者は、東電から20キロ圏内までを対象者とし、20キロ圏外は東電も国も責任はないとしています。


20キロ圏内の人には2011年の3月から国が被災者に帰還宣言を発布するまでの間、毎月1人10万円の賠償金と、家賃、医療費の免除を被災者に果たしてきました。 繰り返しますが、東電の賠償対象者はあくまでも20キロ圏内の人であって、20キロ圏外の被災者には出しません。 放射能は風の流れによって20キロ圏外を汚染したため放射線量が20キロ圏外の方が高かったとしても、賠償金は20キロ圏内までと東電は決めた為に、20キロ圏外の被災者には賠償金の責任は持っていません。


津波の被災者に対しては、たとえ20キロ圏内であったとしても東電も国も関係ないとして、賠償金対象者にはしていません。ただ国からはお見舞金として主が亡くなった場合は300万円、主以外の死者には280万円のお見舞金を出しています。


【支援を必要としている福島被災者】

津波で自宅や全てを流され、生活の再建が出来ない人や、国民年金だけでは生活が出来ず困っている人。(南相馬の鹿島、原町、小高、浪江町、双葉町、大熊町、富岡町、楢葉町、広野町の海岸沿いの方)


20キロ圏外の被災者で田畑が放射能に汚染され収入が閉ざされ経済的に困っている人、家族の支えがない一人暮らしで、高齢者や病人、困っている人。


6年以上帰られなかった被災者の故郷は、荒地と化して動物の住まいとなり、店も病院もなく人の住める環境ではありません。しかし国は今年の3月、ほぼ全被災地に帰還宣言を出し、仮設も閉鎖をしました。 悪環境の故郷に帰還した被災者はみな助けの手を必要としています。 特にお金がない為に家の修理をする事が出来ない人、身寄りのない人、一人暮らしの人、高齢者、病人には支援が必要と私は感じています。


国道399号線沿いの標高400m から700mにある村:川内村、都路町、葛尾村、津島、飯館村は高地の為に寒さ厳しく、村・町の産業が少ない為に、もともと経済的にも厳しい所に放射能で汚染され、尚経済が厳しくなり除染作業が唯一の収入源となっている人が多いです。  


皆さまのご支援をよろしくお願い致します。





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【支援品をよろしくお願い申し上げます】
ご支援をいただけます方は、被災者をご紹介いたしますので、福岡百子までご連絡くださいませ。
〈問い合わせ〉
福岡百子 携帯メール f.mom.1941@ezweb.ne.jp  FAX 047-346-8675
(恐れ入りますが、これらの連絡につきましてはAM11:00~PM5:30までの間に頂けますようお願いいたします。なお、すぐにご返事ができない時もありますので、申し訳ございませんが、再度ご連絡くださいますよう、お願い申し上げます。)


※当ブログは福岡氏より委託を受けた、前野賢一郎(maeken24@ybb.ne.jp)が更新作業等の管理・運営を行っております。

なお、英語版ブログ Reality of Fukushima (Voice of Momoko Fukuoka )http://momfukuoka.blogspot.jp/もあります。
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# by momofukuoka | 2017-09-29 09:37 | 福島の被災地の現状

帰還した被災者の苦しみ

毎日の生活にあって、幸せであることの基準が、私の中で変わってきたような気がします。つい5、6年前までは、私にとって「幸せ」と言えば、楽しいこと、自分の理想や夢を実現すること、自分の目標に向かって邁進し、努力している充実感、目標に向かってキラキラ輝く自分の心の充実感、達成感などでした。朝目覚めた時に"さあ今日はこんなことするぞ"と思って一日のスケジュールを頭に描き、いそいそと飛び起きるエネルギッシュな自分の心と姿が幸せでした。しかし今は、社会の中にある不穏な動きと変動の為でしょうか?

又、75歳という年齢になったからでしょうか? "今日も何事もなく過ごせますように""外出したら、自宅に無事帰り着きますように""健康でありますように"、夜は戸締まりをしながら、"熱中症になりませんように""泥棒が入りませんように"と念じている自分になりました。最近、友達と話をしていたら、「雨露をしのぐ家があって、三度のご飯ができたらそれ以上の幸せはないよ!」と言われ。"なるほど、本当だ!"と思い、何か忘れていた事に目覚めさせられ、悟らされたように感じました。

考えれば、人間には果てしない欲があります。欲は本来人間が向上するために天から戴いた善きエネルギーなのでしょうが、いつの間にか欲が自分自身を、他者を、世界を破壊する不幸のエネルギーになっているのは何とも悲しい事です。
皆様、この世が生まれ変わるにはどうしたらよいのでしょう? 皆様で知恵を出し合って戴けませんでしょうか?

今日も福島被災者の話をさせて頂きたいと思います。救いを求め、苦しんでおられる被災者を月日とともに忘れないで欲しいと願います。愛する皆様。被災者を宜しくお願い申し上げます。



 
【故郷に帰った福島の被災者】
☆(楢葉町、70代夫婦と娘の3人暮らし)
「町の2割しか戻っていません。自宅に戻った当初は、草が背丈以上に生い茂り開墾地の様でした。猪に荒らされ大変でした。行政は助けてはくれません。自分達のことは自分達でしなければなりません。毎日草刈と自宅の掃除に明け暮れしました。放射能の除去については、行政が3年くらい前に、家の外のみを水洗いし、屋根も拭いてくれました。線量の高い家の周りの土を剥ぎ取って、そこに同じ町内の山の赤土を運んで来て埋めてくれました。赤土にはクルミが沢山入っていました。山は除染していないのに、同じ町の山の土なので、放射能は大丈夫かなと気になっていました。

家の中は除染してくれないので、私達は毎日自分達で自宅の放射線量を測っていました。家の中は、0.27マイクロシーベルトありました。家の中も除染しないと住めません。行政はしてくれないので、毎日家の中を雑巾掛けして除染しました。6年以上放置した自宅は家も崩れ、放射線量が高いです。結局壊して、リフォームをして建て替えないと線量は下がりませんでした。自分で壊した家なので、私達は行政からの賠償金はもらえません。放射線量が高いので住めないから壊さざるをえなかった家なのに。最初から全壊していたら国は賠償するのに。住めないことは同じなのに、おまけに、壊す費用も自腹です。

私達は覚悟をしました。行政に頼らず自分たちで町を切り拓くことを。町には店も病院もなく不便です。高齢者の 1 人住まいは大変です。しかし自分たちで、町に元気を取り戻すことにしました。楢葉は柚子の木が沢山あります。〈楢葉未来の会〉で柚子を使った特産品で、町が元気になるように頑張ろうと思います。」


☆(浪江町、70代夫婦)
「住民は1%しか戻っていません。若い人は、子供の学校の問題や仕事がない為に故郷に帰ることは出来ません。仮設に住めるのは来年の3月までと言われている。来年は出されるでしょう。それまでに家を探さなければなりません。家をリフォームしたくても福島には大工さんがいません。東京オリンピックに大工さんは駆り出され、皆、大工さんは都心に入っていると聞いています。被災者個人の自宅をリフォームする大工さんがいなくて、困っています。故郷には70歳以上の人のみか帰ります。先祖代々の土地やお墓があり、先祖への思い入れと、責任があるからです。故郷に帰って頭を悩ましているのは病院です。浪江に今は病院が無いのです。南相馬や富岡町にはあるのですが、遠いのです」


☆(川内村、88歳、1人暮らし)
「川内村にはお店がないので、車のある人は車で他の町に買い物に行きます。車のない年寄りは食糧を求めることができず困っています。一つだけ下川内に〈あれこれ市場〉が出来ました。私の住む上川内からは遠いのですが、この間やっと連れてもらって行ってきました。市場の商品を見ると、普通100円のパンが1個140円~150円します。アイスも140円~150円でした。秋刀魚の開きも味が悪く、いつ仕入れたのかわからない。牛乳も賞味期限が明日で終わり。卵の賞味期限は今日で終わりになっていた。これじゃあ安心して買えません。病院も遠くて困っています。血液検査で郡山の病院まで行かなければなりません。病院まで3時間かかります。8時半の予約ということなので、私は4時に起きて娘が車で迎えに来るのを待つことにしました。いわきから来る娘は3時半に家を出るということです。」



 
【安心できる生活環境を】
福島の被災者たちは国から一方的に帰還宣言をされて故郷に帰ったとしても、どこも同じような状態です。帰還宣言をする前に、住む為の最低限の環境を整えて、安心できる生活環境を整えてから初めて国は帰還宣言をするべきでして、生活環境が整わない以前に帰還宣言をするべきではないと思うのですが。自分達の家は自分たちで、自分たちの町は自分たちで復興して下さいと被災者に丸投げして責任を負わず、被災者の苦悩を見て見ぬふりしているのはいかがなものでしょうか?

復興とは、道路を作った、常磐線が通ったということも大切でしょうが、人間の命や生活そのものを脅かしている事に、耳を傾けず、同情を寄せず、痛みを感じないという事こそが、大問題ではないでしょうか? 7年近く苦悩を経てきた被災者は、精神力も体力も弱り、訴える力もなくなりました。皆様どうぞ代わって叫んであげてください。声を上げてください。救ってください。よろしくお願い申し上げます。

 
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【支援品をよろしくお願い申し上げます】
ご支援をいただけます方は、被災者をご紹介いたしますので、福岡百子までご連絡くださいませ。
〈問い合わせ〉
福岡百子 携帯メール f.mom.1941@ezweb.ne.jp  FAX 047-346-8675
(恐れ入りますが、これらの連絡につきましてはAM11:00~PM5:30までの間に頂けますようお願いいたします。なお、すぐにご返事ができない時もありますので、申し訳ございませんが、再度ご連絡くださいますよう、お願い申し上げます。)


※当ブログは福岡氏より委託を受けた、前野賢一郎(maeken24@ybb.ne.jp)が更新作業等の管理・運営を行っております。

なお、英語版ブログ Reality of Fukushima (Voice of Momoko Fukuoka )http://momfukuoka.blogspot.jp/もあります。
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# by momofukuoka | 2017-09-09 08:10 | 福島の被災地の現状

今日、8月6日は広島原爆の日です。亡くなられた沢山の御霊のご冥福をお祈り申し上げながら、ご遺族の苦悩と今なお原爆の後遺症で苦しんでおられます方々に癒しと健康のご回復を願い、痛みに心を合わせつつ、お祈り申し上げながら過ごさせていただきたいと思います。


8月は、亡くなられた先祖の方を思い、先祖が日頃私達を守ってくださっていることに感謝をし、先人のご冥福をお祈りする日でもあります。私達が命あるのは、そして平和に過ごすことが出来るのは、先人達が積み重ねてくださった苦労と汗の結晶であり、時には命を張って守ってくださった長い歴史を思い出さなければならないのだと思います。私の存在を考える時、両親の愛と人生を思い出します。私が幼い時から今日までお世話になった方々を思い起こしますと、私一人では生きてこられなかったことを思い出します。一人の存在の影には、沢山の方々の支えと守りと愛の天使のような方々がおられました。皆様も、誰かに守られ支えられ、愛されて生きてきたと思います。私を守ってくださった亡くなった恩人は、今も私を天から守ってくださっていると伺いました。


ご供養とは、亡くなった恩人を思い出すこと、ご恩に感謝する事、そしてこれからも守って戴くように願うことではないでしょうか?と思います。


【核廃絶を願って】
沢山の方々が戦争で命を失いました。戦争の犠牲者は余りにも多いです。6月23日は、沖縄戦没者慰霊の日です。18万人が戦争で亡くなったとのことです。8月6日は広島原爆の日です。8月9日は長崎原爆の日です。今なお多くの方が苦しんでおられます。私達は犠牲者のことを忘れてはならないと思います。1年前オバマ元大統領は、広島原爆慰霊碑で献花された後、静かに目を閉じて黙祷され、その後17分の演説をされました。


「彼らの魂が私達に語りかけます。私達に内省し、私達が何者なのか、これからどのような存在になり得るのかをよく考えるように求めているのです。・・・私達の考えや想像力、言語、道具を作る能力、自然を自らと区別して自らの意思の為に変化させる能力といったものこそが、とてつもない破壊能力を私達自身にもたらすのです。・・・私達の国家を破壊能力によってではなく、何を築き上げるかで定義づけるのです。私たちは一つの人類の仲間として互いの関係を作り直さなければなりません。・・・普通の人はもう戦争を望んでいません。科学の脅威は人の生活を奪うのでなく向上させることを目的にしてもらいたいと思っています。・・・広島と長崎が私たちが道徳的に目覚める事の始まりとして知られるような未来なのです。」(2016年5月28日、朝日新聞朝刊、東京本社引用)


2016年5月27日、原爆慰霊碑を訪れる前に、広島の原爆資料館を訪れたオバマ元大統領が「少し手伝ってもらったけど、私が作りました」と差し出された2羽の折り鶴(梅や桜の美しい和紙で作った折り鶴)を私達はテレビで見て、心から感動して、私達は平和を誓いあい、広島から世界に向けて核廃絶運動を起こすのだと確信していました。


しかし、あの確信や情熱はどうしたのでしょうか? 世界も日本からの核廃絶発信を期待していたと思います。今ではオバマ元大統領の志も、日本国民の期待も、広島、長崎原爆被災者の願いも、福島原発被災者の苦悩や犠牲も無視されてしまったのでしょうか? 日本は世界で唯一の被爆地です。日本が発信せずどこがするのでしょうか?


【福島原発被災者の声】
《大熊町、79才の男性からの手紙》
「避難者の方々の我慢も限界です。もうしばらく辛抱しよう、と支え合っておりますが、最近、我慢の限界で亡くなられた方が多くなりました。この6年で妻の兄姉4人と私の姉1人を失くしました。みんなストレスを抱え、死ぬために避難をしているみたいです。私の友達も大熊に帰ることを希望していましたが、帰ることが出来ず亡くなりました。最近、亡くなる人が多くて毎日誰かが亡くなっています。しかも突然死で、脳梗塞や心筋梗塞も多いです。皆がストレスを抱えているから。私の友達もこの1年の間にほとんど亡くなりました。近くにいた友達まで最近亡くなってしまい、今日は一番の親友の死亡連絡がありました。本当に残念無念です! 寂しいです。友達は誰もいなくなり、私だけが残っています。明日は自分かと考えると本当に寂しいです。夜になると時々思い出します。生きていても何一つ良いことがありません。


私は大熊には放射能で住めませんが、月1回、大熊の自宅に片付けの為に、この頃1人で帰宅しています。大熊まで往復4時間かかります。高齢にはきついですが、何が安心?と。周りをみれば、昔のことを思い出し、その楽しみの為に出ていくのです。周りにはイノシシ、キジ、サルが沢山います。たまに地区のいろんな人に会えるのが一番の楽しみです。」


《浪江町、主婦、58才》
「墓参りは震災後、一度も行ったことがありません。何故なら墓は壊れているし、放射能があるので入れないのです。今年、仮設を出て復興住宅に入ったけど、仮設とは違い、人に会わなくなりました。話す人がいなくなって寂しい。こもってしまう。孤独です。歩かなくなったら、膝に水がたまった。」


《大熊町、夫婦、81才》
「私の自宅は原発から6キロで、原発は目の前です。放射線が強いので、何も自宅から持って来られない。大熊は40年帰れないと言われた! 東電から賠償金申請の為に自宅の写真を出すように言われたけど、放射線量が強いので、私達は写真を撮りに行くことが出来ない。今ではイノシシ等がいて怖い。梨畑があり、家も土地もあるので東電に申請したいけど、東電も大熊役場も私達には何もしてくれない。私達が自分でしなければダメのようだ。いくら言ってもしょうがないので、賠償金申請を諦めることにした。何故なら夫婦は高齢だし、夫は肺を患っているし、夫婦は足腰悪くて動けないから! 自分達では何も出来ない! 家も自分で見つけるように言われた。大熊は何もしてくれない!」


《葛尾村、男性、60代》
「最近、口内炎が2ヶ月続いて、食べることも、話すことも出来なかった。震災後、自分の免疫力が下がったのを感じる。放射能の影響だと思う。当時、髪が抜けたり、産毛が抜けて湯船にプカプカしてたことがあった。風邪も治りにくくなったり、鼻血も出た。甲状腺が悪くなった仲間もいる。福岡さん。あなたも放射能の影響を受けてるのではないですか? 当時、ホットスポットの所もあったし、風で日本全国に放射能は流れたから。」


【自分の欲ではなく、思いやりを】
皆様、東北の方々は先祖や家族、仲間を大切にされる方々で、特にお盆には里帰りをして、家族親族が実家に集まりお坊さんを自宅に招いて共に祈り、共に墓参りをした後に、食事を囲みながら先祖の思い出話や、互いの健康の確認や情報交換を合い、絆を深め、幸せを祈り合うのを常にして来ました。それが東北のお盆でした。しかし、この家族の幸せと絆を分断し、引き裂いてしまったのは、原発事故です。原発を許す限り、同じ不幸は続いて行き、明日は同じ事が私達の住まいに起こるかも知れません。


日本は火山も多く、予期しなかった豪雨や土砂崩れ、地震、津波、竜巻、高温、熱帯化、と大きく地球変動しています。私達は発展や便利も大切でしょうが、これからは質素で平穏な生き方、又、自分の欲ではなく、"思いやりと暖かな心"を心がけるようにして、これからの世を、どのようにして生きたらよいのかを、ご一緒に考えては如何でしょうか? 互いのSNSや、友達との会話の中で。


台風や豪雨の災害で苦しんでいらっしゃる方々に。孤独な福島原発被災者に、手を差し伸べてくださいますようにお願い申し上げます。



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【支援品をよろしくお願い申し上げます】
ご支援をいただけます方は、被災者をご紹介いたしますので、福岡百子までご連絡くださいませ。
〈問い合わせ〉
福岡百子 携帯メール f.mom.1941@ezweb.ne.jp  FAX 047-346-8675
(恐れ入りますが、これらの連絡につきましてはAM11:00~PM5:30までの間に頂けますようお願いいたします。なお、すぐにご返事ができない時もありますので、申し訳ございませんが、再度ご連絡くださいますよう、お願い申し上げます。)


※当ブログは福岡氏より委託を受けた、前野賢一郎(maeken24@ybb.ne.jp)が更新作業等の管理・運営を行っております。

なお、英語版ブログ Reality of Fukushima (Voice of Momoko Fukuoka )http://momfukuoka.blogspot.jp/もあります。
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# by momofukuoka | 2017-08-08 08:50 | 福島の被災地の現状