2011年3月に発生した福島原発の事故発生後、現在も仮設住宅等での避難生活を強いられている被災地の方々の状況をお伝えすると共に、支援の呼びかけなどを行わせて頂いております。


by momofukuoka
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帰還した被災者の苦しみ

毎日の生活にあって、幸せであることの基準が、私の中で変わってきたような気がします。つい5、6年前までは、私にとって「幸せ」と言えば、楽しいこと、自分の理想や夢を実現すること、自分の目標に向かって邁進し、努力している充実感、目標に向かってキラキラ輝く自分の心の充実感、達成感などでした。朝目覚めた時に"さあ今日はこんなことするぞ"と思って一日のスケジュールを頭に描き、いそいそと飛び起きるエネルギッシュな自分の心と姿が幸せでした。しかし今は、社会の中にある不穏な動きと変動の為でしょうか?

又、75歳という年齢になったからでしょうか? "今日も何事もなく過ごせますように""外出したら、自宅に無事帰り着きますように""健康でありますように"、夜は戸締まりをしながら、"熱中症になりませんように""泥棒が入りませんように"と念じている自分になりました。最近、友達と話をしていたら、「雨露をしのぐ家があって、三度のご飯ができたらそれ以上の幸せはないよ!」と言われ。"なるほど、本当だ!"と思い、何か忘れていた事に目覚めさせられ、悟らされたように感じました。

考えれば、人間には果てしない欲があります。欲は本来人間が向上するために天から戴いた善きエネルギーなのでしょうが、いつの間にか欲が自分自身を、他者を、世界を破壊する不幸のエネルギーになっているのは何とも悲しい事です。
皆様、この世が生まれ変わるにはどうしたらよいのでしょう? 皆様で知恵を出し合って戴けませんでしょうか?

今日も福島被災者の話をさせて頂きたいと思います。救いを求め、苦しんでおられる被災者を月日とともに忘れないで欲しいと願います。愛する皆様。被災者を宜しくお願い申し上げます。



 
【故郷に帰った福島の被災者】
☆(楢葉町、70代夫婦と娘の3人暮らし)
「町の2割しか戻っていません。自宅に戻った当初は、草が背丈以上に生い茂り開墾地の様でした。猪に荒らされ大変でした。行政は助けてはくれません。自分達のことは自分達でしなければなりません。毎日草刈と自宅の掃除に明け暮れしました。放射能の除去については、行政が3年くらい前に、家の外のみを水洗いし、屋根も拭いてくれました。線量の高い家の周りの土を剥ぎ取って、そこに同じ町内の山の赤土を運んで来て埋めてくれました。赤土にはクルミが沢山入っていました。山は除染していないのに、同じ町の山の土なので、放射能は大丈夫かなと気になっていました。

家の中は除染してくれないので、私達は毎日自分達で自宅の放射線量を測っていました。家の中は、0.27マイクロシーベルトありました。家の中も除染しないと住めません。行政はしてくれないので、毎日家の中を雑巾掛けして除染しました。6年以上放置した自宅は家も崩れ、放射線量が高いです。結局壊して、リフォームをして建て替えないと線量は下がりませんでした。自分で壊した家なので、私達は行政からの賠償金はもらえません。放射線量が高いので住めないから壊さざるをえなかった家なのに。最初から全壊していたら国は賠償するのに。住めないことは同じなのに、おまけに、壊す費用も自腹です。

私達は覚悟をしました。行政に頼らず自分たちで町を切り拓くことを。町には店も病院もなく不便です。高齢者の 1 人住まいは大変です。しかし自分たちで、町に元気を取り戻すことにしました。楢葉は柚子の木が沢山あります。〈楢葉未来の会〉で柚子を使った特産品で、町が元気になるように頑張ろうと思います。」


☆(浪江町、70代夫婦)
「住民は1%しか戻っていません。若い人は、子供の学校の問題や仕事がない為に故郷に帰ることは出来ません。仮設に住めるのは来年の3月までと言われている。来年は出されるでしょう。それまでに家を探さなければなりません。家をリフォームしたくても福島には大工さんがいません。東京オリンピックに大工さんは駆り出され、皆、大工さんは都心に入っていると聞いています。被災者個人の自宅をリフォームする大工さんがいなくて、困っています。故郷には70歳以上の人のみか帰ります。先祖代々の土地やお墓があり、先祖への思い入れと、責任があるからです。故郷に帰って頭を悩ましているのは病院です。浪江に今は病院が無いのです。南相馬や富岡町にはあるのですが、遠いのです」


☆(川内村、88歳、1人暮らし)
「川内村にはお店がないので、車のある人は車で他の町に買い物に行きます。車のない年寄りは食糧を求めることができず困っています。一つだけ下川内に〈あれこれ市場〉が出来ました。私の住む上川内からは遠いのですが、この間やっと連れてもらって行ってきました。市場の商品を見ると、普通100円のパンが1個140円~150円します。アイスも140円~150円でした。秋刀魚の開きも味が悪く、いつ仕入れたのかわからない。牛乳も賞味期限が明日で終わり。卵の賞味期限は今日で終わりになっていた。これじゃあ安心して買えません。病院も遠くて困っています。血液検査で郡山の病院まで行かなければなりません。病院まで3時間かかります。8時半の予約ということなので、私は4時に起きて娘が車で迎えに来るのを待つことにしました。いわきから来る娘は3時半に家を出るということです。」



 
【安心できる生活環境を】
福島の被災者たちは国から一方的に帰還宣言をされて故郷に帰ったとしても、どこも同じような状態です。帰還宣言をする前に、住む為の最低限の環境を整えて、安心できる生活環境を整えてから初めて国は帰還宣言をするべきでして、生活環境が整わない以前に帰還宣言をするべきではないと思うのですが。自分達の家は自分たちで、自分たちの町は自分たちで復興して下さいと被災者に丸投げして責任を負わず、被災者の苦悩を見て見ぬふりしているのはいかがなものでしょうか?

復興とは、道路を作った、常磐線が通ったということも大切でしょうが、人間の命や生活そのものを脅かしている事に、耳を傾けず、同情を寄せず、痛みを感じないという事こそが、大問題ではないでしょうか? 7年近く苦悩を経てきた被災者は、精神力も体力も弱り、訴える力もなくなりました。皆様どうぞ代わって叫んであげてください。声を上げてください。救ってください。よろしくお願い申し上げます。

 
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【支援品をよろしくお願い申し上げます】
ご支援をいただけます方は、被災者をご紹介いたしますので、福岡百子までご連絡くださいませ。
〈問い合わせ〉
福岡百子 携帯メール f.mom.1941@ezweb.ne.jp  FAX 047-346-8675
(恐れ入りますが、これらの連絡につきましてはAM11:00~PM5:30までの間に頂けますようお願いいたします。なお、すぐにご返事ができない時もありますので、申し訳ございませんが、再度ご連絡くださいますよう、お願い申し上げます。)


※当ブログは福岡氏より委託を受けた、前野賢一郎(maeken24@ybb.ne.jp)が更新作業等の管理・運営を行っております。

なお、英語版ブログ Reality of Fukushima (Voice of Momoko Fukuoka )http://momfukuoka.blogspot.jp/もあります。
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# by momofukuoka | 2017-09-09 08:10 | 福島の被災地の現状

今日、8月6日は広島原爆の日です。亡くなられた沢山の御霊のご冥福をお祈り申し上げながら、ご遺族の苦悩と今なお原爆の後遺症で苦しんでおられます方々に癒しと健康のご回復を願い、痛みに心を合わせつつ、お祈り申し上げながら過ごさせていただきたいと思います。


8月は、亡くなられた先祖の方を思い、先祖が日頃私達を守ってくださっていることに感謝をし、先人のご冥福をお祈りする日でもあります。私達が命あるのは、そして平和に過ごすことが出来るのは、先人達が積み重ねてくださった苦労と汗の結晶であり、時には命を張って守ってくださった長い歴史を思い出さなければならないのだと思います。私の存在を考える時、両親の愛と人生を思い出します。私が幼い時から今日までお世話になった方々を思い起こしますと、私一人では生きてこられなかったことを思い出します。一人の存在の影には、沢山の方々の支えと守りと愛の天使のような方々がおられました。皆様も、誰かに守られ支えられ、愛されて生きてきたと思います。私を守ってくださった亡くなった恩人は、今も私を天から守ってくださっていると伺いました。


ご供養とは、亡くなった恩人を思い出すこと、ご恩に感謝する事、そしてこれからも守って戴くように願うことではないでしょうか?と思います。


【核廃絶を願って】
沢山の方々が戦争で命を失いました。戦争の犠牲者は余りにも多いです。6月23日は、沖縄戦没者慰霊の日です。18万人が戦争で亡くなったとのことです。8月6日は広島原爆の日です。8月9日は長崎原爆の日です。今なお多くの方が苦しんでおられます。私達は犠牲者のことを忘れてはならないと思います。1年前オバマ元大統領は、広島原爆慰霊碑で献花された後、静かに目を閉じて黙祷され、その後17分の演説をされました。


「彼らの魂が私達に語りかけます。私達に内省し、私達が何者なのか、これからどのような存在になり得るのかをよく考えるように求めているのです。・・・私達の考えや想像力、言語、道具を作る能力、自然を自らと区別して自らの意思の為に変化させる能力といったものこそが、とてつもない破壊能力を私達自身にもたらすのです。・・・私達の国家を破壊能力によってではなく、何を築き上げるかで定義づけるのです。私たちは一つの人類の仲間として互いの関係を作り直さなければなりません。・・・普通の人はもう戦争を望んでいません。科学の脅威は人の生活を奪うのでなく向上させることを目的にしてもらいたいと思っています。・・・広島と長崎が私たちが道徳的に目覚める事の始まりとして知られるような未来なのです。」(2016年5月28日、朝日新聞朝刊、東京本社引用)


2016年5月27日、原爆慰霊碑を訪れる前に、広島の原爆資料館を訪れたオバマ元大統領が「少し手伝ってもらったけど、私が作りました」と差し出された2羽の折り鶴(梅や桜の美しい和紙で作った折り鶴)を私達はテレビで見て、心から感動して、私達は平和を誓いあい、広島から世界に向けて核廃絶運動を起こすのだと確信していました。


しかし、あの確信や情熱はどうしたのでしょうか? 世界も日本からの核廃絶発信を期待していたと思います。今ではオバマ元大統領の志も、日本国民の期待も、広島、長崎原爆被災者の願いも、福島原発被災者の苦悩や犠牲も無視されてしまったのでしょうか? 日本は世界で唯一の被爆地です。日本が発信せずどこがするのでしょうか?


【福島原発被災者の声】
《大熊町、79才の男性からの手紙》
「避難者の方々の我慢も限界です。もうしばらく辛抱しよう、と支え合っておりますが、最近、我慢の限界で亡くなられた方が多くなりました。この6年で妻の兄姉4人と私の姉1人を失くしました。みんなストレスを抱え、死ぬために避難をしているみたいです。私の友達も大熊に帰ることを希望していましたが、帰ることが出来ず亡くなりました。最近、亡くなる人が多くて毎日誰かが亡くなっています。しかも突然死で、脳梗塞や心筋梗塞も多いです。皆がストレスを抱えているから。私の友達もこの1年の間にほとんど亡くなりました。近くにいた友達まで最近亡くなってしまい、今日は一番の親友の死亡連絡がありました。本当に残念無念です! 寂しいです。友達は誰もいなくなり、私だけが残っています。明日は自分かと考えると本当に寂しいです。夜になると時々思い出します。生きていても何一つ良いことがありません。


私は大熊には放射能で住めませんが、月1回、大熊の自宅に片付けの為に、この頃1人で帰宅しています。大熊まで往復4時間かかります。高齢にはきついですが、何が安心?と。周りをみれば、昔のことを思い出し、その楽しみの為に出ていくのです。周りにはイノシシ、キジ、サルが沢山います。たまに地区のいろんな人に会えるのが一番の楽しみです。」


《浪江町、主婦、58才》
「墓参りは震災後、一度も行ったことがありません。何故なら墓は壊れているし、放射能があるので入れないのです。今年、仮設を出て復興住宅に入ったけど、仮設とは違い、人に会わなくなりました。話す人がいなくなって寂しい。こもってしまう。孤独です。歩かなくなったら、膝に水がたまった。」


《大熊町、夫婦、81才》
「私の自宅は原発から6キロで、原発は目の前です。放射線が強いので、何も自宅から持って来られない。大熊は40年帰れないと言われた! 東電から賠償金申請の為に自宅の写真を出すように言われたけど、放射線量が強いので、私達は写真を撮りに行くことが出来ない。今ではイノシシ等がいて怖い。梨畑があり、家も土地もあるので東電に申請したいけど、東電も大熊役場も私達には何もしてくれない。私達が自分でしなければダメのようだ。いくら言ってもしょうがないので、賠償金申請を諦めることにした。何故なら夫婦は高齢だし、夫は肺を患っているし、夫婦は足腰悪くて動けないから! 自分達では何も出来ない! 家も自分で見つけるように言われた。大熊は何もしてくれない!」


《葛尾村、男性、60代》
「最近、口内炎が2ヶ月続いて、食べることも、話すことも出来なかった。震災後、自分の免疫力が下がったのを感じる。放射能の影響だと思う。当時、髪が抜けたり、産毛が抜けて湯船にプカプカしてたことがあった。風邪も治りにくくなったり、鼻血も出た。甲状腺が悪くなった仲間もいる。福岡さん。あなたも放射能の影響を受けてるのではないですか? 当時、ホットスポットの所もあったし、風で日本全国に放射能は流れたから。」


【自分の欲ではなく、思いやりを】
皆様、東北の方々は先祖や家族、仲間を大切にされる方々で、特にお盆には里帰りをして、家族親族が実家に集まりお坊さんを自宅に招いて共に祈り、共に墓参りをした後に、食事を囲みながら先祖の思い出話や、互いの健康の確認や情報交換を合い、絆を深め、幸せを祈り合うのを常にして来ました。それが東北のお盆でした。しかし、この家族の幸せと絆を分断し、引き裂いてしまったのは、原発事故です。原発を許す限り、同じ不幸は続いて行き、明日は同じ事が私達の住まいに起こるかも知れません。


日本は火山も多く、予期しなかった豪雨や土砂崩れ、地震、津波、竜巻、高温、熱帯化、と大きく地球変動しています。私達は発展や便利も大切でしょうが、これからは質素で平穏な生き方、又、自分の欲ではなく、"思いやりと暖かな心"を心がけるようにして、これからの世を、どのようにして生きたらよいのかを、ご一緒に考えては如何でしょうか? 互いのSNSや、友達との会話の中で。


台風や豪雨の災害で苦しんでいらっしゃる方々に。孤独な福島原発被災者に、手を差し伸べてくださいますようにお願い申し上げます。



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【支援品をよろしくお願い申し上げます】
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# by momofukuoka | 2017-08-08 08:50 | 福島の被災地の現状
【命と生活を守る政治を】
7月に入った途端、急激な寒暖の差、そして連日の猛暑、思いもかけない九州に豪雨。テレビに映し出された豪雨の映像に驚愕し、被害者方の戸惑い不安に怯える姿が目に浮かび、皆様が無事でありますようにと祈っておりました。今私に出来ることは何なのか?飲料水を送ることか?食品か?下着か?トイレットペーパか?と思いながらも。先ず、お世話になった恩人、知人の名簿を調べ書き留めつつ。真っ先に、難病のCRPS(カウザルギー)で体が不自由な一人暮らしの女性(50代)が不安がっていると思い、元気づけるために電話をしました。彼女はテレビを見ることがなかったようで、何の情報もないらしく「凄い雨が降ったけど、周りで何が起こっているかわからない」との返事に、私は安心して良いのか悪いのか?いざとなれば社会福祉協議会の方が見廻してくれるようにと期待しながら、不安な話は耳に入れず、また電話することを約束して電話を切りました。
 
ところで以前から、全国の災害対策について疑問を感じていたことですが、自然災害が多い日本において、政府は何よりも、「国民の命と生活を守る」ということに、もっとエネルギーを注いでいただきたいと思います。政治家は「国民の命と生活を守るために」国民の代表として居られるのだと思います。「弱者を大切にし、子供を大切にし、病者や老人を大切にし尊敬する」国は、神に祝福されて、国民にも自然に不満が消えて互いを尊敬しあう幸せな国となるでしょう。一方、弱者を疎んじて国民の命と生活を重視しない国は、不幸せな国になって行くのではないでしょうか?
 
 
【風評被害について、被災者の声】
6月のブログで、私は「福島に対する風評被害について」ショックを受けた体験を書かせていただきました。その反響は大きく、あり得ないこととして、沢山の方からご返事をいただきました。今日は「福島の人達の風評被害について」、被災者から伺った体験をお知らせしたいと思います。
 
☆「避難してから、気晴らしに近所の野菜畑の前を散歩していた時のことです。すると畑の主から言われました。"あなた達が歩き回ると、うちの野菜は売れなくなるから歩き回らないでくれ!放射能を撒き散らさないでくれ!"と。私たちはどうしたらいいの?散歩もできないの?」(大熊町、70代夫婦)
 
☆「避難先のスーパーで買い物をしていた時のことです。一人の婦人が私の買い物カゴの中をジロジロ見ながら、周りの人に聞こえるように大声を張り上げて言ったのです。"この人達は良いわね~! 東電のお金で生きているんだもの~!"  私はこの日以来スーパーで買い物が出来なくなりました。何故なら私の買い物カゴの中を、ジロジロと監視されているようで足がすくんでしまうからです。」(浪江町、50代主婦)
 
☆「やっと借り上げ住宅を見つけ引っ越すことができました。これからお世話になると思いご近所挨拶に行きました。そしたら予想もしないことを言われてしまいました。"あなた達とは関わりたくないので、来ないでくれ!"  悲しいですね。」(浪江町、60代主婦)
 
☆「私は借り上げ住宅に住んでいます。避難先では私は、自分が福島の人だとは知られないようにしてました。しかし近所の人には知られたらしく、冷たい視線を浴びせられ、6年過ぎた今でも一人も友達が出来ません。遠くにいる浪江の仲間が1人1ヶ月1回遊びに来てましたが、彼女は家を見つけて引っ越して行きました。もう私も限界です。近所の冷たい視線にさらされ、誰からも声をかけられない生活。こんな生活は嫌です! 私の頼りにしてた老犬も死にました。避難してから私はいろんな病気になりました。もうこんな生活は嫌です! 一人でも良い。浪江に帰ります。浪江にはまだ人が帰っていません。小動物がおり、雑草が生い茂り、店も病院もなく、泥棒が怖いと聞いています。だけど私は帰りたい! 帰れば何とかなると思う! お盆までには帰ります!」(浪江町、60代主婦一人暮らし)
 
☆「私達は福島人だということを知られないように息を潜めて生活しています。知られたら大変な事になります。」(大熊町、70代夫婦)
(ほとんどの被災者が、福島県人であることを知られないように生活しています。多くの被災者が辛く悲しい体験をしてきたからです。)
 
☆「息子は家族で静岡に避難して行きました。しかし、被災者は住民票を被災地から移す事が出来ないため、息子は就職が難しく、結局、単身赴任で被災地の除染作業に帰り、嫁や孫には友達もできず、孫2人は登校拒否となり、嫁は自宅に籠って鬱病になってしまいました。福岡さん。孫家族を何とか救ってください。お願いします!」(南相馬、60代の祖母より)
 
☆「店が遠く、農家の福島の人達には、車は生活必需品です。だから災害にあっても真っ先に買うのは車です。しかし被災者の生活事情を知らない世の人から"被災者が新車を買った"と言っては贅沢だと非難され、駐車場に置いた車のフロントガラスを割られ、車を傷つけられた被災者が多いです。」(大熊町、60代男性)
 
皆様、当初福島の被災者は、「放射能を撒き散らす」と思われて大人も子供も、ばい菌の様に扱われ、嫌われ恐れられていました。そのため子供達は拒食症や登校拒否、心身の病い、甲状腺癌など、子供も大人も放射線被曝の影響や長年に渡る避難生活の影響を受けて、以前と比べとても疲れやすくなったと言います。これからの時代は、他者を責める時代ではなく、助け合う時代、互いが支え合う時代、互いが「違うことが宝」と認め合いながら「受け入れ合い」目標に向かって「協力し合う」時代になったことを自覚し合っては如何でしょうか? もはや争いの時代、侵略の時代、弱肉強食の時代ではなくなりました。「世の完成」が近いとも言われています。お互いが兄弟として大切にし合い、愛し合おうではありませんか? 自分の顔は自分が作ると言われています。人相の悪い顔になるか? 穏やかで幸せな暖かい顔の人になるか? それは日々の自分の心がけが形作って行くのだと思います。
 
どうぞ不幸な人を見て見ぬふりしませんように。福岡、大分、熊本、長崎、山口等の豪雨被害者の方々、福島原発の被災者の方々に、暖かい手を差し伸べて下さいますように。
まだ雨は続くかもしれませんし、猛暑の日々が訪れるようですので、十分お体に気をつけてお過ごしくださいますように!

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# by momofukuoka | 2017-07-10 07:12 | 福島の被災地の現状

被災者の苦しみ

私のブログをお読み頂いております皆様に心から感謝申し上げます。5月のブログは私の健康(難病)の状態が良くなかったために、書くことができず休んでしまい申し訳ございませんでした。《福島の現実》ブログは私の命がある限り、可能な限り続けさせて頂きたいと思っております。今後とも宜しくお願い申し上げます。尚、健康上また書けない時があるかもしれませんが、その節にはお許し下さいますよう宜しくお願い申し上げます。


【風評被害の意味と傷の大きさ】
さて私は、最近ショッキングなことを体験致しました。最近私は引越しをしましたので、ご近所の挨拶回りに行って参りました。皆様は快く応対してくださり、中には親しく付き合うことを楽しみにしていると言われた方もおられました。ショッキングな出来事は、その親しく対応して頂いた方に再び用事があってご家庭を訪問させて頂いた時の事でした。最初彼女は私の訪問を喜んでくださり、玄関先でしたが色々とお話をしてくださいました。しばらく親しくお話をさせて頂いた後に、「奥様はどちらご出身ですか?」と尋ねられましたので、「福島の会津生まれです」と答えますと、彼女の態度は一変し、〈あなたとは交流したくない、関わりたくない〉という拒否と圧力を感じましたので、私は思わず「東京に来て50年になるんですけど」と自己弁護してしまいました。しかしもう私の言葉や説明は何も聞いておらず、〈あなたとは関わりたくない、早く出て行って〉という、圧力だけでした。私はその家を立ち去りながら心にショックを受けつつ、福島の被災者の悲しみはもっと深い、というやるせない気持ちと、自分は50年前に東京に来たんだと自己弁護をした自分が情けなくなりました。
 
〈福島〉という言葉を聞いただけで、拒否感を抱く人々の思い込みの根深さは何なのか? 私は知りたいと思いました。同時に、福島の人の苦悩と悲しみの大きさ深さをいっそう強く身近に感じました。原発の事故が福島の人の人格を取り返しがつかないほど傷をつけ、人格拒否のレッテルを貼ってしまっていることの恐ろしさ。簡単に風評被害と言いますが、風評被害の意味と傷の大きさを、その現実を私たち日本人は知らなければならないと思いました。
 
 
【「福島の復興なくして日本の再生はない」はずが・・・】
そして皆様に繰り返しお伝えしたいと思いますが、福島の被災者は東電の電力を使っていないのです。東電の電気を使用しているのは関東の方々なのです。福島の方は自分の土地を東電に貸しただけで、犠牲者になってしまったことを、重ねて申し上げたいと思います。東電の建設にのぞんで福島の多くの方々は原発を恐れ、建設に反対したと言います。しかし住民の意に反して東電は1971年3月26日に福島第一原発1号機の運転を開始しました。常に双葉郡の住民は原発に不安だったと言います。そして、原発稼働を始めて40年後の2011年3月12日には1号機の、14日には3号機の原子炉建家が爆発してしまいました。そして放射能は風に乗って福島に、関東に、太平洋沖まで流れ各地を汚染してしまいました。
 
皆様、福島の復興は遅々として進んでおりません。賠償問題も解決しておらず、ライフラインも整わず、被災者の故郷はむしろ荒地と化しています。今は動物たちの住処となり、無人と化した故郷。自宅は壊れ、食糧や生活品を売る店もなく、無医村となった故郷。このような人の住めない環境に国は既に帰還宣言を出しました。ほとんどの仮設住宅は今年の3月31日で閉鎖となりました。そのために行き場のない被災者は、故郷に帰り不自由な思いをしています。帰られた方は、一人暮らしの高齢者で体の不自由な方が多く、「帰ったけれど、店も病院も友達もいないし食べる物も無いので、どうして良いかわからない!野菜は何とか作るけど肉や魚が無い!」(87才、足腰悪く、目が霞んで見えない被災者)と、私が電話すると本音を話して下さいます。(私は食料を買い求め、送る様にしています。)
 
「福島の復興なくして日本の再生はない」と公言された安倍総理は、福島を忘れてしまったのでしょうか? 福島は無かった事にしたいのでしょうか? 国をあげて福島の被災者を救うどういうあの約束はどうしてしまったのでしょうか? どうぞ皆様、福島の現実を周りの皆様にお知らせください。よろしくお願いいたします。被災者の叫びや悲しみ苦悩を、どうぞもう一度周りの方にお知らせください。そして、東電の電気を福島の人は使っていない事を、土地を提供しただけで犠牲になったことを。原発の再稼働は私たちの身に同じことが起きる可能性があることを。
 
皆様、日本には20ヶ所に原子力発電所があります。原発についてネットで調べてみますと、日本はアメリカに続いて世界第3位とのことで驚きました。原発は福島第一原発を含54基とありますが、今は福島第一原発が廃炉作業中なので、現在の原発の数については、私は未確認です。現在稼働停止中の所もあり、再稼働をした所もあり、新しく建設計画の所もあるとのことです。皆様、一度、原子炉の爆発が起こると、日本だけでなく世界に放射能を拡散することになるのですね。
 
 
【被災者の声】
《浪江町、60代女性一人暮らし 》
「自宅の周りには誰もいません。夜は周りは暗いです。家は雑草が生い茂り一人で草取りをしています。店がないので自動車で隣の街に買い物に行きます。被災して避難してから6年間一度も熟睡したことがありません。睡眠剤も安定剤も効かず、2時間ぐらいで目覚めていました。しかし不思議と故郷に帰ったら、熟睡ができるのです。やっぱり自分の家は良いですね。一人だけれど頑張ります。こうして電話で声を聞くと近くにいる様で安心して心安らぎます。」
 
《浪江町、58才母子家庭》
「昨年末、復興住宅に入れました。家は帰宅困難区域です。災害後父の墓参りもしていません。墓参りも許可をもらわずには行けないのです。お墓も倒れたままなんです。この頃東電の人は50代の人が亡くなっています。子供も甲状腺がんの人が多くなっています。一緒に小学校に行っていた子も骨髄がん症になりました。年に1回学校で甲状腺の検査があります。健康診断は年に1回町の方であります。」
 
《川内村]、87才女性、一人暮らし、足腰悪く歩けない、目が悪く人の顔がよく分からない》
「6年間来なかったので、来てみたら草ぼうぼうで開拓するみたいだ。やっと歩いているのによ~。川内に来たけど不便だ! 買うとこね~だもの。何もね~だもの。牛乳、魚、肉も買う所がない! 食べ物無くなった。隣近所から差し入れしてもらった! 車ある人は行けるけれど、タクシーは無いのだし、店まで4.5キロもある。足悪いので行けない。友達はいたけれど皆デイサービスに行っている。役場の説明では、デイサービスは90代でヨタヨタしている人、足を手術した人が該当すると言われた。私は足が悪いけれど杖にすがりながら歩けるので該当しないと言われた。一人で何もできないので寂しい! 頑張って畑に野菜を作ろうかと思う!」
 
《川内村、72才女性、一人暮らし》
「川内村に帰るようにと国から言われても、川内村には病院がないために透析の人は困っていました。皆、心が疲れています。帰るには帰ったけど次に何をしたら良いかを考えることができないでいます。みんなストレスで思考力が止まっています。村には救急車が1台しかありません。一人救急車が出たら後は頼めなくなります。川内村は空き家がすごいです。双葉郡の内、川内村は一番先に避難指示が解除されたのですが、私の家は20キロ圏外なので東電からの賠償金は出してもらえません。屋根が壊れ雨漏りをしていますので、東電に随分請求しましたが、自費でするようにと言われ、困っています。年金もどんどん引かれる一方です。同じ村なのに20キロ内は賠償金があるので新築することができますが、20キロ圏外の人には賠償金が出ないので、家の修理もできないでいます。災害前には無かった、お金をめぐってのトラブル、除染も差が有るために、村でのトラブルが生じるようになりました。あんなに仲が良かった村人だったのに。」
 
皆様。被災者に対しての国の対応は、余りにも残酷、冷酷とは思いませんか? どうぞ福島の被災者をよろしくお願い申し上げます。
 
 



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# by momofukuoka | 2017-06-10 07:53 | 福島の被災地の現状

美しい桜の花の季節が訪れました。桜の花を仰ぎ見ると、心が和み、幸せな気持ちになって希望が湧いてくるのが不思議です。何故か桜の花は懐かしさが感じられます。私の知らない昔の歴史を語るような、知っているような懐かしさが。春になると桜の花が咲くのが待ち遠しくなり、咲いた桜の花を見上げては今年も咲いてくれたと胸に安らぎのようなものを感じたり、ハラハラと散る桜の花弁を愛しむ私たち日本人。かつて私達は、わびさびに安らぎを見いだし、四季の移り変わりを愛し、石庭を愛で、奥ゆかしさ、人への配慮など、昔は日本人の心に宿る良き感性を大切にしてきました。今、私の心にそれらがあるのでしょうか?と、桜を観ながら自分を反省しました。

今は、毎日のように悲しいニュースが飛び込んで来ます。殺害、テロ、ミサイル発射など。毎日流れる情報に不安を感じているこの頃です。私達が住む世界はどうなって行くのでしょう?




【帰還宣言された被災地の声】

福島原発被災者の現実を今日も伝えさせてください。



国の方針で帰還宣言された被災者の現実は大変厳しいものです。20キロ圏外の被災者には東電や国からの賠償金はないために、6年間放置された被災者の家は、ネズミ、アライグマ、ハクビシン、イノシシ達の住処になっており、とても住める状態ではありません。庭や田畑は荒地になり雑草が背丈まで生い茂り、農作物が取れる状態ではありません。家を建て直し、農作物を収穫出来るまでには、人手とお金を必要とします。しかし被災者はお金がありません。そのため、住まいを建て替えることはできず、壊れた状態の家に住まわざるを得ない人もいます。

帰還しても町村には店もなく、病院もなく、交通は不便な所、周りは帰らないために夜になると真っ暗闇になる町村、泥棒がいて不安に怯える所と被災者方は言います。これが帰還宣言された被災地の現状です(一部の町を除いては)。

マスコミが報道したり、総理が訪れた被災地は、公共設備も整い、恵まれた一部の被災地と言えるようです。このたび帰還した被災者の声を聞いてください。




〈川内村 80才女性、一人暮らし〉

「3月26日に帰ってきました。川内村は寒くて寒くて、こたつに入っています。家に帰ってホッとしたら腰を抜かした、という人もいます。帰って来て周りの人を見ると12月にご主人が亡くなったわ、ドクターヘリで病院に入院する人もいるわ、で大変です。」

〈川内村 86歳女性、一人暮らし〉
「6年間にすっかり変わってしまった。家の前の道路も変わってしまった。上川内には店もない、タクシーもない、車もない、病院もない。年寄りには病院がなければ生きていることができない。何かあった時、助けを求めることができません。病院は何よりも大事なのです。店がないので移動販売をして下さいと役場に手紙を出しましたが。自転車はあるけれど、もう自転車には乗れません。杖をついたり、歩くのがやっとの年寄りばかりです。川内村はどの家も昔から井戸水を使っています。今、井戸水は出るには出るが、水は濁っており、黒い水となります。うわ水のみは綺麗ですが。私の家は、災害の時のままで、つっかえ棒で支えているだけなので、地震があったら恐いです。5万5千円の国民年金だけなので、家を直すお金はありません。」

〈楢葉町 76歳、夫婦〉
「楢葉の家は半壊だったので、少しリフォームをして2人で自宅に帰って来ました。私宅以外は役場の前に一軒あるのみです。後は誰も帰って来てません。店はないのでいわきまで車で1時間かけて買いに行きます。妻は震災の後、脳梗塞になりました。左半身不随で認知症にもなりました。1か月1回病院へ連れて行き、週3回デイケアのお世話にもなってます。二人で頑張ります。」

〈双葉町 60代、夫婦〉
「父の命日なので双葉町の墓参りに行ってきました。災害の時からお墓はそのままなので、倒れ、つぶれたままの所を拝んでくるのは辛かったです。お墓は放射能のある所なので、お骨も出せないと言われました。家の中の放射線量は3マイクロシーベルト、家の外回りは2時間で20マイクロシーベルトでした。沢を見ると汚染された物を埋めています。私は心配しました。川から流れて海に行かないの?と。」

〈大熊町 80代女性、一人暮らし〉
「災害公営住宅に引っ越しました。災害後転んで足腰を骨折し、動き回ることが出来ません。ここの住宅の住民は、双葉町民が主で、大熊町の人は私と30代の人が一人住んでいるだけということですので、同じ大熊町の人を知りたくて、役場にお願いしたところ、個人情報だから教えられないと言われ、私は同じ故郷の大熊の人と会うことができず、孤独感を感じます。」

〈大熊町 40代の家族、妻より話を聞く〉
「私達が住む住宅は、いつのまにか復興住宅が消され県営住宅に変わりました。昨年入ったばかりなのにすでにすきま風が入り、雨漏りもしている家があります。畳にカビも生えているところもあります。それで福島県に言ったのですが返事がないのです。」
「私は子供達に言ってます。"私達は自分の家に帰れない人達です。放射線量は高く、学校もない、店もない。ある程度の覚悟をしなければならない。ちょっと変な目で私たちを見る世の中です。見極めなさい。優しい人もいるし、変な人もいるし、気づきなさい。人間、人生変わる時もある。自分で判断しなさい。他の家庭と我が家の教育方針は違う。"」





【心を込めたお便りを】

皆様被災者の現状がご自分だったら辛くは思い思われませんか? 家を失い、家族を引き裂かれ、心身傷ついて疲れ切っておられる被災者には、帰還されたこれからこそが大変であり、救いの手を差し伸べ寄り添っていただきたいと思います。 6年過ぎたので、国が帰還宣言したのでもう安心して良いのだ、忘れて良いのだと思ってほしくないのです。
今の時代、次々と新しいことが起こり、私達の生活も不安になって来たのも本当です。だからといって国から不当な扱いを受けて命を脅かされている福島原発被災者の苦悩を、見て見ぬふりはできないでしょう。

被災者に寄り添うということは、"お体気をつけてください。福島のことは忘れていませんよ"という手紙やハガキをお出しするだけでも良いのです。心を込めた絵や折り紙を入れても良いでしょう。被災者は心を込めたお便りには心癒されて生きる力となるでしょう。あなたの優しさで苦しむ人に力を与えてください。よろしくお願い申し上げます。なお詳しくは、福岡百子までお問い合わせくださいませ。皆様のご健康とお幸せを祈りつつ。



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【支援品をよろしくお願い申し上げます】
ご支援をいただけます方は、被災者をご紹介いたしますので、福岡百子までご連絡くださいませ。
〈問い合わせ〉
福岡百子 携帯メール f.mom.1941@ezweb.ne.jp  FAX 047-346-8675
(恐れ入りますが、これらの連絡につきましてはAM11:00~PM5:30までの間に頂けますようお願いいたします。なお、すぐにご返事ができない時もありますので、申し訳ございませんが、再度ご連絡くださいますよう、お願い申し上げます。)


※当ブログは福岡氏より委託を受けた、前野賢一郎(maeken24@ybb.ne.jp)が更新作業等の管理・運営を行っております。

なお、英語版ブログ Reality of Fukushima (Voice of Momoko Fukuoka )http://momfukuoka.blogspot.jp/もあります。
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# by momofukuoka | 2017-04-10 19:10